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以前の、隣町の姿はどうだっただろう。自分たちの町も詳細までは覚えていなかった。
まだまだ知らなかった場所もあるかもしれない。
ただ到着してみて安心したのは、やはりそこも自分たちの町と同じように砂化しているという事実だった。
瓦礫や見覚えのない看板が半分だけ砂に埋まっている。
到着するまでずっと口を閉じていたおかげで、水は思っていたよりも消費せずに済んだ。
ただ髪の毛やら服やら、いろんな所に砂が張り付いてざりざりしている。
けれど、どこにも誰かが生きている跡が見つからない。
半分がっかりで、半分は少しだけ安心した。
生き残った人間がいたとしても、それがいい人ばかりとは限らないからだ。
生きていた頃の世界では、リュウにとってもこはるにとっても、いやな人間ばかりが周囲にいた気がする。
ひとまず今日はこの町に泊まり、明日少しだけ探索して帰ることにしていた。
そのためにはまずどこか泊まれそうな場所を探さなくてはいけない。
幸い、建物の朽ち方が自分たちの町とそう変わらないために、
雨風をしのぐ宿代わりになりそうな隙間はたくさんありそうだった。
「……リュウ」
「なに?」
沈黙を破ったのは、こはるだった。
「隠れるのがすきなの?」
ほら穴になりそうな瓦礫の山を一つ一つ覗き込むその真剣な姿に、どうやら疑問を持ったらしい。
自分たちの町で休むための穴を見つけたのも、リュウだった。
そういえば、この砂化現象が始まった時、隠れ家みたいな地下室にいたと聞いている。
友達もいたとも聞いているし、どうしてそんなに隠れる必要があるのかこはるにはわからない。
「すきっていうか……安心する、かな」
「隠れることが?」
「うん、隠れないと、世界は小さくならないからね……あ、ねえ、こはる、ここでいいかな?」
答えつつリュウが示した場所はやはり、どこか隠れ家のような小さな隙間だった。
リュウ自身気がついていないようだが、彼が選ぶ穴はどこか薄暗い。
「世界が小さくならない」とはどういうことか。
まるで他愛ない話をしているように告げられた言葉なのだが。
入り口に気をつけながら、リュウのあとを追って中に入り込んだこはるは、直後柔らかな壁に顔をぶつける。
……壁ではない、立ち止まっていたリュウの少し高い背中だった。
こはるがぶつかってもびくともしない。完全にそこに固まっていた。
「どうしたの?」
薄暗い奥の方を確認しようと、ひょいとリュウの肩からこはるが顔を出した。
しかし突然、
「……だめだっ!!」
リュウがこはるの肩をつかんで思い切り外へ押し出した。
その一瞬、こはるの視界に飛び込んできたヴィジョン。
薄暗い場所に、こはるが遮っていた外の光が届いて、そしてそれが見えた。
息が止まる、時間が止まる、体の力が抜ける。
穴の外に転がり飛び出た二人。
それまで緩やかだった鼓動が早くなり、今まで体験したことがないほど喉が渇いた。
二人ともほぼ同時に背中のかばんを遮二無二引き摺り下ろすと、ボトルの水を一気に流し込んだ。
飲みきれなかった分が口の端からこぼれる、後の分を考える余裕なんてなかった。
こぼれて、しばらく洗っていない襟を濡らす。
大きく呼吸を繰り返す二人の息が、今逃げてきた穴の中に吸い込まれそうだ。
気がつくとお互い、服の袖を掴み合っている。
今見たものについて口を開こうとするけれど、唇が震えて言葉にならなかった。
雑音の混じった呼吸はその後、数分続いた。
心臓が平静をとり戻したとき、二人は日が傾いていることに気がついた。
「……今、何時?」
「多分、四時くらいじゃないかな」
迷わず、こはるは答えた。
「理科室に隠れてる時、ちょうどHRが終わるチャイム鳴ってたし」
日の傾きとチャイム。それが大体の時間を教えてくれたのだ。
誰も居なくなった教室へかばんを取りに行く頃、日は完全に沈んでいる。
教室にかばんだけ置いて、とりあえずは学校に居ることを証明する。
これじゃ何のために学校へ来ているんだろう、と思ったことはあるけれど。
こはるは勉強は好きだった。
だから授業やHRに出ていなくても、自分でわからないことは積極的に教師のもとへ質問しに行った。
成績も、教師たちの評価も良かった。
授業に現れないことも「なるべく出なさい」とだけ言って、大目に見てくれた。
それがどうやら、「彼ら」には気に食わないらしく。
偶然見つけた、旧校舎の理科室の鍵。
そして誰も来ない場所で、自分の時間を過ごすようになった。
旧校舎は何年後かに取り壊しが決まっていて、立ち入り禁止になっているけれど気にしなかった。
少なくともこはるは良い子でもなければ、悪い子でもなかったから。
すっかり片付けられた理科室は古いにおいがして、篭もった空気だけが静かにたゆたう。
動かない。時間に淀みがない。
耳を塞がなくてもいいその部屋を、こはるは気に入った。
けれど。
「本当は、さ」
「うん?」
ようやく見つけた今夜の宿で地面に仰向けに転がる。瓦礫の隙間から、星空の断片が覗いて見える。
「だれかに、相談していればよかったんだよね」
「……」
「解決できたとは思えないけど、もしかしたら……」
必死になって自分の逃げ場を探す必要はなかった。
みんな自分が生きることに精一杯だったけれど、もしかしたらだれかは話だけ聞いてくれるかもしれなかった。
親でもいい、教師でもいいし、虚しいかも知れないがその辺の石ころや花にでもぶちまければよかった。
そうしなかったのは、怖かったからだと思う。
ようやく安定した日常をまた、組み直す事になるかもしれなかったから。
結局人間は、自分たちの作った場所にしか逃げ込めない。
世界の檻に入れられただけの弱い弱い、生命体にすぎないのだから。
そしてその世界が砂になる時、人間もまた砂にならざるをえない。
檻が壊れれば、世界の一部として消えていくのだ。
さっきみつけた「あの人」は、もしかしたらその世界に抗おうとして、「あんなこと」になってしまったのかもしれない。
……半分は砂に、そしてもう半分は人間のままで。
落ち窪んだ目はまっくら。
中身は、砂として流れてしまったのかもしれない。
それは罰としての形なのか、あるいは「あの人」にとって正しい形だったのかわからないけれど。
「リュウ、ぼくらも……」
「もう寝よう」
おなかが空いているはずのリュウは、夕飯はなにも口にしなかった。
食べたものがすべて砂になるイメージ。
あの半分砂になったまま死んでいた人とかぶり、食べ物が喉を通る自信がなかった。
まぶたを閉じるふりをし、数回。半分砂となったその人のそばに、古い無線機器がおかれていたことを思い出した。