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CQ、CQ。
こちら、多分日本です。
誰か応答してください。
【砂の終末記】<1>
からっからに枯れた喉が空気の音を立てる。
そのうちその辺の廃墟を駆け抜ける風も、自分たちを廃墟と同じだと思って
体を突き抜けていかないか少しだけ、心配になる。
ほんの、少しだけ。
水は昔……といっても数時間前だが貴重な一滴として体にしみこみ、すでに蒸発しているだろう。
なるべく口をあけないように、少しでも逃がさないように呼吸だけ。
「こはる、あった?」
「んーん、まったく」
がたんと大げさな音を立てる瓦礫をどかしてみるも、少しだけ涼しい砂が現れる。
触ってみればひんやりと一瞬だけ気持ちいい。
けれど求めるものはそこには無いとわかれば、長くはいられない。
照りつける日よけのためのぼろ布はあくまで気休め程度。
長時間外にいても何の収穫がないのは命取りだ。
それを知ったのはつい最近のこと。
「つい最近って?ああ、世界が滅んでから」
「一週間」
リュウのあとの言葉はなめらかに、こはるが繋げる。
こはるはその一週間前には知らなかった少年だ。
朽ちていく町を歩いていたらリュウと偶然出会った。
こはる、その名前しか知らない。姓なのかそれとも名なのか、聞きそびれて数日。
今は日々生き延びるための相棒として行動を共にしている。
もう聞いても聞かなくても同じかもしれない。
ほかに、もうだれもいないみたいだから。
「あーあ、海に行きたい」
コハルに対してか、あるいはその辺の朽ちた壁に対してかリュウはボヤいた。
廃墟の奥、かろうじて陽が入ってこない穴ぐらのような場所が今の二人の居場所。
夜までずっとそこにいることもあるし、少し涼しくなれば外にでることもある。
大抵は外の静寂にうんざりして相手を求め、ここにいる方が多いかもしれない。
二人がそこを拠点に選んだのは、食料があったからという真っ当な理由からだ。
どうやらその廃墟、もとは缶詰工場のなれの果てらしく、様々な種類の缶詰が大量に貯蔵されていた。
さすがに親切に水までは置いていなかったが、節約をすればしばらくはもたせることはできるだろう。
それにまだ雨も降ってくれるようだから、少し前に降ったものを貯めているので水も、もう少しだけ大丈夫。
けれどリュウもコハルも、自分の町にそんな工場があったことをどうしても思い出せない。
子供の足としてだから行動範囲はそんなに広くないけれど、かと言って広くなるほど大きな町でもなかったはず。
興味すら持たないくらい、小さかったからだろうか。
しかしそれにしては設備はしっかりしているようだったし、かなり大きいコンベアなんかも形が残っている。
思い出したところで、もう意味もないかもしれない。
けれどこはるの言うとおり、海は近い。いや、近かった。
「行けるよ、あの大通りだった靴のマークの看板から三十七歩」
にっとこはるは笑った。
言われてリュウも思い出す。
この町は本当に、とても海に近い所だった。
それが、いくら目を擦り遠くまで見通しても海が見つからないのは、もうそこに海が無いからだ。
リュウは今よりずっと小さい頃、クラゲに刺されたことがある。
夏になると仲間内で話題にのぼり、よくからかわれた。
長い冬を越えて春を吸い込み、夏にパワー全開。
ありったけの日暮れを受けて燦然と輝く水面と、遊び疲れた気だるい体。
少なくとも、今の状況のようにくたくたになっての疲れでなく、むしろ心地よいものに近かった。
かつて遠い外国を夢見たような憧憬もいずこ。
学校でも少しだけ覚えた外国の名前、結局世界は。
海より広く深い砂で埋め尽くされた世界。“砂の災害”に襲われて世界は滅びてしまった。
新種ウィルスかはたまたどこぞの怪しからぬ化学兵器か、あるいはまったく想定外の外的要因か、突如人々は砂になった。
人々だけではない。獣、植物と、ありとあらゆる生き物が砂になっていった。
生き物ではない金属やらは、生物よりもややゆっくりと。
その日を生き延びた人が言うに、甘い香りの風が海のほうから吹いてきた、という。
その人も後日、きちんと砂になってしまったのでもっとちゃんとした詳細は不明。
海から吹いてきた、ということはやはりどこかの国から流れてきたのだろうか。
しかし外国も同じ状態だと、つい最近まで流れていた最後のラヂオが伝えた。
パーソナリティーも三日後くらいに沈黙した。
どうやら、比較的に砂化の遅い建物の中に居れば、少しは砂になる時間が先延ばしになるらしい。
数日前までいくらかにぎやかだった周囲は、今となっては少年二人を残して消え去った。
どこにいったのか、問うまでもなく。今も彼らの足元に。
二人が助かったのは、奇跡でもカミサマのせいでもなく、単なる偶然だった。
リュウは自宅の地下室で。
コハルは学校の理科室に。
それぞれその日、朝から外には出ていなかった。
けれどそればかりが助かった理由ではない。現に、こうして今、外に出ても砂になる兆候はみられない。
それでも「偶然」と二人が思うのは、自分たちがまだ子供だということ。
そしてカミサマに選ばれるようなよほどいい子でもない上に
隠れていた場所がどこにでもありふれた場所であるという理由からだった。
それに、その後は普通に外に出て歩き回っていたし、砂になった人と条件はほぼ同じのはず。
リュウは、地下室で良からぬことを画策しようと、朝から約束していた悪友たちの来訪を待っていた。
誰かの悲鳴に気がついて外に出たとき、すでに家の周りは砂だらけだった。
母親も出勤しかけていた父親も、服だけ砂だまりに残し消え去っている。
近所もやけに静かで、悪戯をしようとたくらんでいた矛先の弟たちの姿も無い。
何が起きたかわからないので、とりあえず家に駆け込みテレビをつけてみる。
かろうじてまともに一局だけ、リポーターが必死に現状を伝えていた。
速報の帯を出す間もない出来事だったのだ。
その番組も元々、事件を報道するものではないから。
おそらく生放送の取材先でこの奇妙な現象に遭遇したらしい。
その番組は、決定的な映像を映し出していた。
人が、砂になる。
さらさら、とても細かな砂金のように綺麗に。あまりに滑らかに積もる砂だまり。
外でみた砂は、あれはみんな人だったのだ。
信じられない思いを飛び越えて、むしろ自然に事実だけが頭に入ってくる。
体の力が抜けていくのを、彼は感じた。
けれどリュウの体は砂にならないまま、ただただその場にへたり込んでいた。
いつの間にかテレビも砂嵐になり、勝手に電源が切れ、
そしてテレビそのものが静かに砂になるまで、リュウは必死に頭で答えを出そうとしていた。
大人もいなくなった。生意気な弟たちもいなくなった。そして多分、友達も。
泣くべきか、あるいは怖がるべきか大声で叫ぶべきか。
表すべき感情を選んでいるうち、それらがすべて無意味と理解した。
やがて自分も砂になるかもしれない、けれどそれまで、生きなくてはいけない。
大人たちも他人もいないここで、どうするべきか、どうすればいいのか。
それを考えなければいけなかったから。
「電池、ある?」
夜になって懐中電灯をつけようとしたリュウは、もうそろそろ電池の寿命が近いことに気がついた。
ちかり、強く光っては弱々しく持続し、またちかり。
夜出歩くには少し明かりも必要だから重宝してきた。
それも砂になってしまわないように、布を巻いてウィルスだろうが化学兵器だろうが付け入る隙間がないよう
大事に扱ってきた。
もしかしたら無意味かもしれないけれど。
「単三のが、いっこだけ」
「……ごめん、単二だこれ」
こはるが差し出した単三をどうくらべても単二になるわけがない。
それも懐中電灯には二つ、単二電池が必要だった。
とりあえずこはるに単三電池を返すと彼はどこからか出したMDに戻した。
「こはる、音楽きくんだ?」
「……まあね、隠れてる間はずっと」
「へー……」
「意外とさ、暇なんだよ、うまく隠れてると」
授業が始まって間もなく、誰も邪魔をしない時間が訪れれば、あとは自分だけの時間だけ。
こはるはその時、よく音楽を聴いていた。
リュウがMDのディスプレイを覗いてみれば、知らない曲ばかり。
けれど考えてみる、自分はそんなに音楽に詳しいほうではなかったと。
毎日のように悪友と外を走り回り、悪さをしていた。学校に行っても真面目に勉強などしなかったし。
そういえば、先生も砂になって消えてしまったのだろうかとふと、考える。
毎日毎日、鬼のように飽きもせず自分を追い回していた担任の先生。
少しごつい先生だったから、砂もざりざりとした粗い感じになったのだろうか。
「電池なくなったらきけなくなっちゃう?」
「うん、でもいいんだ」
「どうして?」
「もうひとりになる必要もないし」
そう言って、こはるはMDを缶詰の入ったダンボールの横に置いた。
からから、MDの中でディスクがゆっくり回転し止まった。