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手品師の猫 3

 気がつけば、圭吾の部屋には三つの影があった。


 自称手品師の男サネツグと、その彼女だとのたまうヨル。そしてこの部屋の持ち主の圭吾だ。

 サネツグが義父の暴力と性的虐待から逃げ出したのは半年前。まだ15の頃だったそうだ。見つかり、連れ戻されるのをおそれこの街に身を潜めるように流れ着いたサネツグは、年齢を偽り、飲み屋を渡り歩く流れの手品師として何とか生計をたてていた。とはいっても、部屋を借りるほどの金を手にできるわけもなく、『それ』がいやで逃げ出したというのに、男女問わず自分の身を売りながらその日その日のねぐらを確保する生活を繰り返していたそうだ。


 圭吾が火傷を指摘した後、サネツグはこれらの事を一気に語り、最後にヨルが一声「約束でしょ。私の居場所をちょうだい。ただし、お兄さんだけじゃ寒いから、彼も一緒にね」と口ぞえた。

 そんな成り行きで、彼らが圭吾の部屋に転がり込んでいたというわけだ。


「彼女に会わなかったら、今夜占い師さんのところにも行きませんでしたし、そしたら今夜も一丁目のDっていうスナックのマスターの部屋行きでしたよ」


 サネツグはそういって安堵した笑顔を見せると、台所に立つ圭吾の背中に礼を言った。


「いっそ、そういうのを仕事にしたらどうなんだ?」


 言葉を濁したのは、圭吾なりの優しさのつもりだった。

 手品師としてより、よっぽどそっち方面の方が稼ぎはいいだろうし、またサネツグには残念ながら色気も美貌もあり、生まれ持った能力的にはやはりその方が向いているような気がした。

 火にかけたヤカンが赤くなり震え始める。しゅんしゅんという何かをこすり合わせたような音とともに冷え切った台所に湯気が立ち上り始めた。


「やめてくださいよ」


 サネツグは出来損ないのピエロのような顔をすると、膝を抱えて蹲った。


「お兄さん、結構いじわるなのね。それとも、お兄さんもそっち方面に興味があるの?」


 ヨルの非難めいた声を切れないかと思いながら、圭吾は火を止める。

 盆の上に並べたふたの開いたカップめんに、順にお湯を注ぎ込む。

 カンカンに熱せられた口の部分にお湯が触れ、再び騒がしい音がした。

 背中で、サネツグが身を強張らせる気配がした。火傷を作ったものの中には、熱湯も含まれていたのかもしれない。


 圭吾は気づかぬふりをして盆を手にすると、二人の下へ持っていった。

 テーブルなどはないから、床に直に置く。

 ヨルが目で「こんな熱いもの私は食べられないわ」と抗議していたが、それもスルーした。


「どうぞ」


「すみません」


 圭吾はそのまま自分の分だけ手に持って壁際へ行き、カップめんを床に置く。

 三分がどれくらいか、計るものはこの部屋にはないが、適当でいいだろう。腹を刺激する塩辛い匂いに耐えられなくなったらふたを開ければいい。

 圭吾そう思いながら胡坐をかいて座った。

 凍えた両手を解凍するようにカップめんを両手で包み、それをじっと見つめるサネツグの姿が視界の端に止まった。


 いつまでもここにいられても厄介だ。

 台所へ皿を取りに行ったのであろうヨルが前を横切るのをよそに、圭吾はサネツグに尋ねた。


「本当は、何を訊くつもりだったんだ?」


「え?」


 サネツグの長い睫が跳ね上がる。じっと圭吾の顔を見る。見捨てないでくれとすがる迷子の目は、男に興味のない圭吾にも微かな色香を感じさせた。きっと、死んだ母親に似ているのであろう。

 この部屋に来るまでに、圭吾は警戒の解いたサネツグの瞳から色んなものを読み取っていた。

 実の父親が手品師だったこと。借金を苦に自殺し、母親とは夜逃げを繰り返していたこと。その母親がヤクザまがいの男と一緒になったこと。その矢先に母親が事故死したこと。その血の繋がりのない義父から様々な虐待を受けたこと。そして、サネツグは母親の事故死を疑っていること。


 悲劇ではない。現実で、事実だ。波乱万丈とも思わなければ不運とも思わない。ましてや可哀そうなんて微塵も思わない。

 が、ヨルがこの男を選んで、自分の前につれてきたのだ。その一点において悔しいが、圭吾は気になり、家出人のサネツグを自分の家に連れてきてしまったのだ。


「まさか、初対面の占い師に部屋を世話してもらいに来たわけじゃないだろう?」


「それは……」


 サネツグの瞳が逡巡と羞恥に揺れる。

 大方、事故の真相やら、自分の中に芽生えつつある性癖への戸惑いについてだろう、と圭吾は見当をつけていた。


 サネツグは母親の死を疑っている。義父が仕組んだものではないのかと。


 義父が、自分を手に入れるために母親に近付いたのではないかという仮説に取り付かれているのだ。なぜならサネツグは知っているのだから。男は一緒に暮らし始めてから母親には指一本触れずに、卑しい目で自分の肌をなぞるようにずっと見ていたことを。 

 サネツグの暗闇にべっとりと張り付いた義父の執着は、めったに鳥肌を立てない圭吾でも怖気がしたほどのものだった。

 まさに、火傷のような熱だった。体に纏わりつき、芯まで焦がし、万が一熱を忘れてもその記憶を醜い跡として残すようなものだ。


 たぶん、サネツグの仮説は真実なのだろう。そして、サネツグを手に入れるために、母親に近付き、邪魔になった母親を義父は殺した。全てはサネツグのさめ。サネツグを自分のものにするための義父の情念だ。

 それをうすうす感づいているサネツグは母を殺したのは自分ではないのかと、自分を責めている。しかし、同時に……


「君は、まだ、誰のことも憎んでないよね? いや、憎めないでいる。そんな自分に不信感を持っているんじゃないかい?」


 今度は、顔ごと跳ね上がった。ひた隠しにしていた罪を言い当てられた殺人者のような顔をして、圭吾を半ばにらみつけるような目で見つめる。

 その表情に、圭吾は心の中で「ビンゴ」と呟いた。

 きっと、いや間違いなく真のサネツグの悩みはそこなのだ。

 事件の真相でもない、自分の性癖でもない。真に知りたくて、目を背けたいもの、それは、自分自身の中の抗いがたい義父への感情だ。


 複雑なんだな。認めてしまえば単純なんだろうけど。


 圭吾はそこまで見通すと、つき物が落ちたかのようにサネツグへの興味を失っていった。

 塩辛い匂いが唇をこじ開けようとしていた。急に腹が減っていたのを思い出す。

 コトリとすぐ傍で無機質な音がした。ヨルが圭吾の傍に自分の皿を置いた音だった。

 圭吾は自分のカップを手に彼女の方を見た。なんというのか楽しみだった。

 ヨルが顔を上げる。目を細める。そして凍りついた空気に、ヨルは小さく囁いたのだった。


「ねぇ、彼の心も、お兄さんの大好きなお金で救えるのかしら?」


 と。

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