努力するのやめる
ヴェルデーサ領に入った馬車が止まる。
「悪いけど、ここから先は徒歩で進んでくれ。馬車で行くには悪路すぎる」
「……そう。無理を言って悪かったわ。お釣りはけっこうよ。食事代にでも使ってちょうだい」
「へへ、悪いな。ヴェルデーサに何の用があるか知らねえが、この辺りは治安が悪い。早めに抜けた方がいいぜ」
「ありがとう」
引き返す馬車を見送り、視線を目的地に戻す。
ヴェルデーサ領。
王国の土地とは思えないほどに道は荒れ、陥没した箇所に水溜りが出来ている。半年前の豪雨で川が氾濫してから、一度も復旧作業が行われていないようだ。
街道側の木も根腐れを起こし、道を塞いでいる。今無事なものも、数ヶ月としないうちに倒木に成り果てるだろう。
「歩きやすいブーツを買って正解だったなあ」
王宮から持ち出せた僅かばかりの壊れたアクセサリーや傷のついた宝石を売り、資金を調達した。
馬車を手配する金を残して、動きやすい衣服や保存食を用意した。ヴェルデーサ領までは遠く、馬車でも五日はかかるからだ。
しばらく歩くと、荒れ果てた道に不釣り合いな礼服を身に纏った初老の男がいた。
グレー混じりの髪を一つに結び、腰にレイピアを下げた姿は、父の護衛を兼ねた側近を彷彿とさせる。
「お待ちしておりました、セクンダ王女殿下」
「私はもはや王女ではない。初めて見る顔だと思うが、どこかでお会いしたことでもありますか?」
金髪碧眼の姉と違い、私は癖のある茶髪に黒眼。
無礼な貴族は『平民に混ざれるようなありふれた……おっと失礼。馴染み深い容姿ですな』と評価する。
初対面で私を認識できるのは、幼少の頃の知り合いぐらいだ。あとは、教会に展示されている王家の肖像画を眺める物好きか。
「初対面でございます。王宮の早馬であらたな領主が決まったと連絡がありましたので、迎えにあがりました」
「そうか。名はなんという?」
「リックと呼ばれております」
家名を名乗らず、通称のみを伝える。
つまり新しい領主の顔を拝みにきたというわけか。
本来ならばここでリックの無礼を詰り、本名を名乗らせ、一族を不敬で罰すると脅す。リックが謝罪したなら許す、と場の主導権を握るのが領主としての振る舞い。
「そうか」
努力はやめた。
どうせ何をやったって王室には戻れない。姉と比較され続けるだけだ。
「用件はそれだけか?」
「徒歩で屋敷に向かうのは、人の足ならば二日は必要になります。悪路に強い馬をご用意いたしました。領地については、道すがらご報告いたします」
リックの示した先に、馬が二頭いた。
よく調教されているのか、静かにじっとこちらを見ている。
「感謝する」
マダラ模様の灰色の毛並み。
ノクティス王国では縁起が悪いと嫌がられる品種だ。気性が荒く、人に慣れないはずだが。
「よく調教されているな。人が乗っても暴れず嫌がらない」
「馬の扱いには慣れておりますので」
さらりと語るリックの横顔は、少し誇らしそうだ。
馬の管理をしているということは、先代の執事か何かだろうか。
……どうでもいいか。
馬は倒木や石を器用に避けて進む。
遠くで狼の遠吠えが聞こえても、耳を少し動かすだけで駆け出す気配がない。
「ヴェルデーサ領は、先代のリチャード伯が防衛戦で戦死を遂げてから十年ほど領主が不在でございました。その間は王宮から派遣された官僚が経営を担当しておりましたが、贈賄で処刑されております。一月前のことでございます」
「そうか」
話を聞いただけでも、ヴェルデーサ領の経営が傾いていることが分かる。領主の不在、代理の官僚による汚職、領地の治安が悪化しているのも騎士団の巡回が足りていないからだ。
「ここ数週間で、領内の盗賊が数を増やしました。噂をすれば……」
矢が私の頭めがけて放たれる。
それをリックが素早く剣を振るって落とした。
「野盗の群れでございますな。処理してきます。ここでお待ちくださいませ」
ひらり、と馬から降りたリック。
次々と野盗に近づいては斬り殺し、返り血と矢を避けては別の獲物に飛び掛かる。
私にも護衛程度の武術の嗜みと、攻撃魔術の心得はある。辺境伯になる以前ならば、率先して前に立ち、戦っただろう。……投降した者には、減刑を取り計らったかもしれない。
でもまあ、努力するのはやめたから、リックにこの場を任せることにした。
「戦慣れしている馬だな」
リックが乗っていた馬は血の匂いに反応して嘶いているが、その場に留まっている。私が乗る馬は、凪のように落ち着いていて、緊張すらしていない。
騎士団の精鋭馬に匹敵するほど、調教が行き届いている。こんな良い馬が簡単に手に入るわけもないだろうから、やはりリックが一から育てたのだろう。
「お褒めに預かり光栄です」
リックが優雅な足取りで戻ってきた。
剣に付着した血をタオルで拭い取り、呼吸一つ乱れた様子もなく馬に跨る。
「お待たせいたしました。賊は後ほど騎士団の者に回収させます。ひとまず屋敷に向かいましょう」
何事もなかったように屋敷へ向かうリックの後ろ姿を眺める。
思惑を探り、弱みを握られないように立ち回る。それが王女に求められる振る舞いだった。
その染み付いた癖はどうにもまだ抜けないが、いずれ気にならなくなるだろう。
死体の横を通り抜けて、馬は小気味よく障害物を避けて進んだ。




