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第10話 どうやら私は魔王軍に出向するようです

いよいよ魔王軍への一時調査出向が始まります。

ただし、就職でも転属でもありません。


神殿省職員として、魔王軍の申請を確認しに行きます。

第10話 どうやら私は魔王軍に出向するようです


辺境神殿の外に停まっていたのは、黒い馬車だった。


ただし、禍々しいものではない。


車体は磨かれていて、車輪の金具も整備されている。


御者台には魔王軍の兵が一人。


そして馬車の横には、昨日と同じ黒い軍服の男が立っていた。


魔王軍第三軍団副官、エルバート・ラングレー。


エルバートは俺たちを見ると、静かに一礼した。


「ロレンツ・アシュフォード殿。本日はお迎えに上がりました」


「早いですね」


俺が言うと、エルバートは表情を変えずに答えた。


「神殿省本庁より、一時調査出向承認の通知を受領しましたので」


「そちらにも届いているんですね」


「はい。出向受入側として、同時通知を受けております」


リナリアが小さく呟いた。


「本当に、ちゃんとしてますね……」


背後でアレクシスが低く唸る。


「ちゃんとしていると言うな」


エルバートは、アレクシスの方へも軽く頭を下げた。


「勇者アレクシス殿。おはようございます」


「敵に挨拶される筋合いはない」


「失礼いたしました」


昨日と同じだった。


エルバートは反論しない。


それがかえって、アレクシスをやりにくそうにさせている。


俺は馬車の前で、エルバートに言った。


「出発前に、書類を確認します」


「もちろんです」


エルバートはすぐに鞄から書類束を取り出した。


表紙には、こう書かれている。


『神殿省職員一時調査出向受入確認書』


その下に、もう一通。


『記録補助者同行に関する追加受入確認書』


「リナリア殿の同行については、昨日の招聘状には含まれておりませんでした。本庁通知を受領後、第三軍団側で追加作成したものです」


「確認します」


俺はまず、一時調査出向受入確認書を確認する。


《出向者:ロレンツ・アシュフォード》


《所属:神殿省》


《出向区分:一時調査出向》


《期間:初回三十日》


《受入先:魔王軍第三軍団》


《職務:権能使用申請の適正確認、条件設定、使用後報告確認、様式整備》


《魔王軍による指揮命令:不可》


《神殿省職員による戦闘行為:不可》


《緊急帰還条件:本人判断または神殿省本庁の正式停止命令》


本庁の承認通知と一致している。


問題はない。


次に、追加受入確認書を開く。


《記録補助者:リナリア》


《身分:辺境神殿所属見習い神官》


《同行区分:記録補助》


《職務:出向者ロレンツ・アシュフォードの業務記録補助》


《魔王軍による指揮命令:不可》


《戦闘行為への参加:不可》


《単独での魔王軍施設立入:不可》


《緊急帰還条件:本人希望、出向者判断、または神殿省本庁の正式停止命令》


こちらも、本庁の条件と矛盾しない。


「追加受入条件を確認しました。現時点で重大な不備はありません」


「ありがとうございます」


エルバートは、次に小さな封筒を出した。


「こちらは、追加受入確認書に基づく宿舎確認書です」


「宿舎」


リナリアが反応した。


俺は封筒を開く。


《ロレンツ・アシュフォード殿:個室》


《リナリア殿:女性用客室》


《両室とも施錠可》


《執務室まで徒歩三分》


《食事:人族向け対応》


《緊急時避難経路:別紙地図参照》


リナリアが、目を丸くした。


「私の部屋もあるんですか」


「ございます」


エルバートは当然のように答えた。


「追加受入確認書に基づき、記録補助者用の客室を用意しました」


「鍵も」


「ございます」


「食事も」


「ございます」


リナリアは、少しだけ感動したような顔になった。


「すごい……」


「感心するな!」


アレクシスが叫んだ。


だが、リナリアは小さく言い返す。


「でも、ちゃんと私の分まで用意されています」


「だから何だ!」


「大事です」


今度は俺が言った。


「同行者の待遇が不明な出向は危険です」


「ロレンツ、お前まで」


「事実です」


アレクシスは顔をしかめた。


ルシアが、静かにリナリアへ歩み寄った。


「リナリアさん」


「はい」


「気をつけてください」


「あ、はい」


「魔王軍がどれだけ礼儀正しくても、戦場に近い場所です」


「分かっています」


リナリアの声は、少し震えていた。


けれど、昨日より強かった。


「でも、記録してきます。ロレンツさんが何を見て、何を承認して、何を止めるのか」


ルシアは少しだけ微笑んだ。


「お願いします」


セドリックは、俺に一枚の紙を差し出した。


「これは何ですか」


「勇者パーティー側の戦闘記録。途中までだが、昨夜まとめた」


俺は紙を受け取る。


日付。


戦闘地点。


使用した権能。


反動。


不備は多い。


だが、昨日まで何もなかったことを考えれば、大きな進歩だった。


「受領します。ただし、正式な提出には様式を整える必要があります」


「分かっている」


セドリックは苦笑した。


「差戻し前提で持ってきた」


「では、差戻します」


「早いな」


「様式が違いますので」


セドリックはなぜか少し笑った。


「戻ってきたら、教えてくれ。書き方を」


「正式な面談申請があれば」


「出す」


ライネルも近づいてきた。


「俺の反動報告は、まだ途中だ」


「肩の痛みですか」


「ああ。あと、巨神化のあと、二日くらい飯の味が薄くなる」


「それは記録してください」


「必要か?」


「必要です」


ライネルは真面目な顔でうなずいた。


「分かった」


最後に、アレクシスが前に出た。


「ロレンツ」


「はい」


「今からでも遅くない。行くな」


「一時調査出向は承認されています」


「だから、それが間違っていると言っている」


「何が間違っていますか」


「魔王軍は敵だ」


「はい」


「敵の申請を整えれば、敵が強くなる」


俺は黙った。


アレクシスの言葉は、昨日までより少し違っていた。


ただ怒っているだけではない。


「お前が行けば、魔王軍はもっと上手く権能を使うようになる」


「その可能性はあります」


「なら、なぜ行く」


俺は少しだけ考えた。


魔王軍の申請は整っている。


本庁は責任を曖昧にしたまま承認した。


勇者パーティーの書類は、まだ不備だらけだ。


そのどれも事実だった。


だが、今答えるべきことは、それだけではない気がした。


「確認するためです」


「何をだ」


「魔王軍が、何のために権能を使っているのかを」


アレクシスは俺を睨んだ。


「見れば分かる。戦争のためだ」


「戦争以外の申請もありました」


「それも戦争のためだ」


「かもしれません」


「なら」


「だから、確認します」


アレクシスは黙った。


俺は続けた。


「申請書だけでは分からないことがあります」


リナリアが、こちらを見た。


「現場で見る必要があります」


アレクシスは、悔しそうに歯を食いしばった。


「……戻ってこい」


「正式な復帰要請が承認されれば、検討します」


「今、それを言うか」


「大事なので」


「本人同意欄か」


「はい」


アレクシスは深く息を吐いた。


「くそ」


その声には、昨日までのような怒鳴り声ほどの勢いはなかった。


俺は出向確認書に署名した。


ロレンツ・アシュフォード。


続いて、リナリアも記録補助者欄に署名する。


手が少し震えていた。


だが、最後まで書いた。


エルバートが確認し、封印印を押す。


《一時調査出向:開始》


水晶板にも同じ表示が出た。


これで、書類上の手続は完了した。


「それでは、ご案内いたします」


エルバートが馬車の扉を開ける。


リナリアが一度だけ辺境神殿を振り返った。


俺も振り返る。


ここに来て、まだ数日しか経っていない。


畑の祝福。


子どもの治癒。


家畜小屋の魔除け。


橋の補強。


勇者の差戻し。


魔王軍の黒炎結界。


短い間に、随分いろいろ処理した。


リナリアが小さく言った。


「ロレンツさん」


「はい」


「私、戻ってきたら受付票の様式を直します」


「どこを」


「来訪者が勇者様でも魔王軍でも、同じ欄に書けるようにします」


「いいと思います」


「あと、手土産欄も作ります」


「必要ですね」


アレクシスが叫んだ。


「いらん!」


リナリアは少しだけ笑った。


馬車に乗り込む直前、ルシアが言った。


「ロレンツさん」


「はい」


「魔王軍の味方には、ならないでください」


「はい」


「でも、見てきてください」


ルシアは少し迷ってから、続けた。


「私たちが見ていなかったものも」


俺はうなずいた。


「記録します」


セドリックが言う。


「帰ってくるまでに、俺たちも書類を整える」


ライネルが頷く。


「俺もだ」


アレクシスだけは、最後まで腕を組んでいた。


「俺は認めん」


「はい」


「だが」


アレクシスはそこで一度言葉を切った。


「戻ってきたら、話は聞く」


俺は少しだけ目を瞬いた。


「面談申請を」


「分かっている!」


アレクシスは真っ赤になって叫んだ。


リナリアが笑いそうになって、必死にこらえていた。


俺は馬車に乗った。


リナリアも向かいの席に座る。


エルバートが最後に乗り込み、扉が閉まる。


馬車が動き出した。


窓の外で、辺境神殿が少しずつ遠ざかっていく。


勇者パーティーも、受付も、焼き菓子を置いた机も、差戻し中の復帰要請書も。


全部が後ろへ流れていく。


リナリアは膝の上に記録帳を置き、すでに何かを書き始めていた。


「何を書いているんですか」


「出向記録です」


「早いですね」


「忘れる前に」


「いいことです」


エルバートが向かいで言った。


「記録は重要です」


リナリアが少し緊張した顔でうなずく。


「はい」


馬車は街道へ出た。


王国領と魔王軍管轄地の境界へ向かう道。


俺は鞄の中の書類を確認する。


神殿省本庁の承認通知。


魔王軍の招聘状。


出向受入確認書。


記録補助者同行に関する追加受入確認書。


宿舎確認書。


緊急帰還手順。


全部揃っている。


勇者パーティーを追放されてから、まだ数日。


俺は今、神殿省職員として、魔王軍へ一時調査出向している。


どう考えてもおかしい。


だが、書類は揃っていた。


そして、書類が揃っている以上、俺の仕事は決まっている。


確認する。


記録する。


不備があれば差し戻す。


必要なら、条件を付ける。


馬車の窓の外で、遠くの空が少し暗くなっていた。


魔王領が近いのだろう。


リナリアが小さく息を呑む。


俺は水晶板を開いた。


新着申請が一件。


差出人は、魔王軍第三軍団。


《権能使用申請》


《目的:出向者受入に伴う執務室防護結界の一時展開》


《対象:魔王城権能管理室》


《使用権能:低位防護結界》


《持続時間:七日間》


《対象者:ロレンツ・アシュフォード、リナリア》


《備考:人族用椅子二脚、机二台、茶器一式を搬入済み》


俺は少しだけ黙った。


リナリアが不安そうに聞く。


「どうしました?」


「執務室の準備申請です」


「もう?」


「はい」


「椅子も?」


「二脚」


「机も?」


「二台」


「茶器も?」


「一式」


リナリアは、何とも言えない顔になった。


「本当に、ちゃんとしてますね」


俺は申請内容を確認した。


目的明確。


対象明確。


持続時間明確。


対象者明記。


過剰な防護ではない。


不備はない。


《低位防護結界:承認》


送信。


水晶板が淡く光る。


《承認されました》


魔王軍への出向は、まだ始まったばかりだ。


だが、最初の仕事はもう来ている。


世界は、思ったより忙しい。


そして、魔王軍は思ったより準備が早い。

第一部はここで一区切りです。


勇者パーティーを追放されたロレンツは、辺境神殿を経て、神殿省職員として魔王軍へ一時調査出向することになりました。


次回から第二部、魔王軍編です。

魔王城でも、申請箱は山積みのようです。


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