90 リテア・ネジェン ①
「どうぞよろしくお願いします」
その新しく来た男は頭を下げた。
背の高さは普通、体形も普通、護衛になるだけあって少し筋肉質かな? 顔は‥‥つかみどころの無い‥‥んー普通
少しばかり珍しいのが、真っ黒な髪の毛だった。真っ黒な色の人もいる事はいるが珍しい方に入ると思う
私には一人だけ護衛につけることが許されている、これはネジェン家に伝わる伝統で、必要最低限の人間以外は、本人に接触させないため、つまり悪い意味での余計な人には近づけさせないようする為
この男は、前にいた護衛の代わりとして私の護衛に入るつもりらしい、軽く自己紹介されたが、誰が護衛についても私には関係ない
「前の護衛も名前も覚える気も無かったし、新しく来た護衛の名前なんか覚える気も無いから」
そう言って私は新しく来た護衛の前から踵を返した。
とは言っても、覚える気も無くても長い事一緒にいたら覚えてしまう
護衛は、私の言葉に対して気にする事も無く、私の後を付いてくる
私はこの場所にいる人間の中で、護衛の人間が一番嫌いだ。
どこまでも付いてくるし、少し目を放しただけで「どこに行っていたか? 何をしていたか?」をいちいち聞いててくる
挙句の果てには「私に一言声を掛けてからにしてください」とまで言ってくる、私がどこに行こうとも、何をしようとも私の勝手だ。
私は前の護衛に一度だけ
「もう私に付いてこないで!」
と言ってしまった事がある、その時の護衛は一瞬だけ驚いた顔になったが、そのあとすぐに顔をしかめた、私は直ぐに立ち去ろうとしたとき、その護衛の方から舌打ちが聞こえてきた。
その日はそれで終わったものの、次の日からその護衛の言葉から感情が消えていた。たまたま後でその護衛の事が耳に入ってきたのだが、陰では私に対して悪態をついていたらしい
クソガキだとか、誰が好きであんな奴を守ってやろうと思うもんかなど‥‥
クソガキだと言われても、実際はあんたよりは年上だと思った。私は10歳で『生命の契約』をしたため、この姿で固定されただけなんだけど
‥‥正直、私の為に護衛をしてくれているのは分かっている、ここに一緒に住んでいる者達も、私が次期代表になるために尽くしてくれている
でも、10歳で体を固定されたため、私は心も10歳で止まってしまった。幼い子供の時の方が知識を吸収しやすいからという理由で、そして次期代表として、その方が大成しやすいからと
そのおかげもあってか、私は次期代表どころか、次期ハルツール主席とも呼ばれるようになった。
ただ、知識の吸収は早くても、まだ頭が10歳のままなので、子供特有のわがままな感情がどうしても抑えきれない
周りが私に期待しているのは分かっている、分かってはいるが、期待されればされるほど重圧となって私を押しつぶすように覆い隠す。なんとかその期待に答えようと思った事もあったが、その気持ちが空回りし、結果周りの人間に当たり散らすようになってしまった。
自分でもこの性格が嫌で何とか変えようと思ったが‥‥駄目だった。
どうして変わる事が出来ないんだろ‥‥
「はい? 何かおっしゃいましたか?」
後ろを付いてきた新しい護衛に言われる
あっ、声に出てた
「五月蠅いわ、何でも無いわよ!」
振り返り大声で怒鳴る
「失礼しました」
軽く礼をした護衛は、歩く私の後を付いてくる、今回の護衛はあまり感情を出さない人らしい、少しの表情も変えない、前回のすぐ顔に出る護衛に比べたらまるで人形のようだ。
前の護衛はあーだこーだと五月蠅かったが‥‥新しい護衛は五月蠅くなかったらいいな
私は、この周りに何もない場所にある館に隔離され、私の身の回りの世話や勉強を教える者達と一緒に生活をしている
この館での一日は、そのほとんどは勉強に費やされる、タスブランカの代表になるための勉強はもちろんの事、ハルツールの次期主席候補になってからは、そちらの勉強も一緒にやっている、もし私がハルツールの主席になったら、タスブランカ代表の為の勉強は意味が無い物になるだろうけど、それなりに共通する事はあるし、一応意味はあるだろう
もしかしたら、逆にハルツール主席の候補からは外れるかもしれない、外れることがあったらそれはそれでいい、大人しくタスブランカの代表にでもなろう
でもそうすると、代理でタスブランカの代表を務める為に、一生懸命勉強している他の兄弟姉妹のやる事が無くなってしまうけど、別にタスブランカの代表にもなりたいとは思わない、やりたい人がいるならその人がやればいい
ただ、主席や代表になれと言われたらやり遂げる自信はある、これでもそれなりの努力はして来たから
私の代表になるための勉強は、それぞれの分野で実績のある者が講師となる、優しい者から気難しい者など性格はバラバラだが、一貫して共通している事は私を煙たがっている事、しかし、タスブランカのため、ハルツールのために仕方なく教えてくれている、コレも仕事だと
勉強中、護衛も一緒の部屋の中にいるけれど、前の護衛は、つまらなそうにぼーっとしているか、ある時には目を閉じて船をこいでいたりもしたが、新しい護衛は勉強の内容を興味深げに聞いていた。
聞いても分かっているかどうかはしらないけど
食事の時間
食事さえも勉強の内の一つになる、都市の、もしくは国の代表となる者が行儀の悪い食べ方だと恥になる、という簡単な考え方から来ている。そして食事はこの館に住む全ての者と一緒に食事を取る事になっており、皆と一緒に食事を取る事さえも理由がある
「常に見られている、だからただの食事でさえ気を抜くな」
ネジェン家の教えの一つである、だから食事中でも気が抜けない、とは言うがすっかり体に染みついているので目を瞑ってでも上品に食べる事が出来るだろう
「う゛っ!・・」
微かに食器の音がするこの部屋で、この場には似つかわしく無い声が聞こえ、一斉に声のした方に視線が向けられる。
その視線の先には今日新しく来た護衛の姿があった。
その護衛は何かに耐えるような苦痛の表情をしていた。
「どうしましたか? 私の作った物に何不都合でも?」
もちろんこの場には調理をした者も一緒に食事を取っている。あの声を聞いたら自分の作った物に何かあったと思うのも当然だろう、不安になった調理担当が声を掛ける
「あ、いえ、大したことではないのです、ただ少し、私は少し砂糖が苦手でして‥‥」
‥‥‥‥砂糖が苦手
年を取ると甘い物が苦手になる人がいると聞いたことがある、でも『砂糖』が苦手と言う人は初めて聞いた。
「でしたら明日の朝食からは貴方の分だけ、少し甘さを控える事にしましょうか?」
調理担当はそう提案するが
「その‥‥出来ればでよいのですが、砂糖を抜きにして欲しいんです、粗末な物でも構いません、野菜に少量の塩を振って油で炒めただけの物でもいいのですが‥‥」
砂糖を抜きにする?‥‥砂糖を抜いてどうやって食事をするの? そんなの家畜の餌以下じゃないの?
驚いているのは私だけではない、他の者達も、何より調理を担当している者が一番驚いている
「えっと‥‥本気ですか?」
「はい」
「理由を聞いても?」
「大した理由でもないし、何より食事中に話すような内容でもないですから」
聞きたい!
毎日毎日勉強ばかりで、日常の生活に娯楽を生み出す事の出来ないこの場所では些細な事でも娯楽に成り得る、ましてや砂糖が駄目と言う人は前代未聞だろう、何としても聞きたい
「別にいいじゃない、話してよ」
いつもの調子で少し高圧的に聞いてみる、他の者は『きっと大変な理由があるんだからほっといてやれ』てな顔をしているけど、絶対面白そうだから聞いてみたい、貴方たちも本音はそうなんでしょ? 貴方たちだって本当は娯楽に飢えているんでしょ? なら一緒に聞こうじゃない
「‥‥でしたら」
新しい護衛は少しだけ困った顔をした後、話し出した
「私の実家は緩衝地帯付近にある産業の無い村でして‥‥」
ふむ、緩衝地帯に近い村に、産業が生まれる事自体少ない、魔物に襲われる可能性が多いのだから産業よりも防衛に当たらなければならない、だから産業が生まれる事が無い
多分、この後話が続くのは家が貧乏って事でしょうね
「村人のほとんどが緩衝地帯に入って、回復薬の原料を採取したりして生計を立てているんです、その中でもうちは一番貧乏でして‥‥‥‥」
やっぱりね、緩衝地帯付近の村で裕福なのは、私の一族が代表を務めているタスブランカの北にある、ヒューブス位かしら? 村では無いけれど
緩衝地帯付近に住む者達のほとんどは、村を出ようとはしない。裕福な暮らしを望むなら村を出た方がいいし、国もそれを進めている
ただ、それは形だけ、村から出るのを進めてはいるけれど、その補償となる制度がかなり弱い、それは実際は出てもらっては困るから、国から見て緩衝地帯付近の村というのは、虫で言ったら触覚の部分に当たる、その触覚で魔物が侵入してきた事が分かるように、緩衝地帯付近には村が有ってもらわなければいけない、別に村が壊滅しても正直構わない、ただ、村の防衛力では敵わないほどの魔物が南下してきたと分かればいいのだ。
触覚だから無くなっても命に別状はないし、無くなったらまた作ればいい、そうして魔物の動きをみるのだから
後は、ここまでなら人が住めるという境界線の役割も果たしている。
それで? 貧乏と砂糖はどうつながるの?
「砂糖を買うお金も無かったんです」
「「「えっ?」」」
え?砂糖を買うお金もない? そんな事ってあるの?
一般的な子供のお小遣いでも、一つの家族が1ヵ月使う量が買える程安価なのに?
緩衝地帯付近の村ってそこまで貧困がひどかったの?
これは私が思ってた以上に厳しいみたいね‥‥‥
他の者達も驚くどころか動揺している
「それで、村を出て初めて砂糖を口にした時、ああ、都会の食べ物はこんなに甘いんだなと思いました。ただそれが何日も続くと心底イヤになって、今ではパナンですら食べたくないんです」
主食であるパナンを食べたくない?‥‥‥‥じゃあ何! おかず? おかずだけ食べてるの!?
「周りの人からは私の味覚がおかしいと言われましたが、私は周りの人達全員の味覚がおかしいと思っています。同じ頃に村を出た幼馴染のデュラもそう言ってましたし」
それは違う、どう見たって貴方とその幼馴染の味覚がおかしい、あまりにも砂糖を取らないから味覚がおかしくなってしまったのね‥‥‥こうならないように日頃からもっと砂糖を口にすることにしようかしら?
「それで‥‥私の食事なのですが」
「は、はい」
「出来れば人や家畜が食べられないくらい、苦かったり、しょっぱかったり、酸っぱい物を作ってもらえないでしょうか? あ、あと味がしない物でもいいので」
「え? えぇぇ‥‥‥ええ‥‥はい‥‥分かりました‥‥‥」
次の日の朝食時
護衛の男は、一口食事を口にして泣いていた
「あ、あの、やっぱりやりすぎましたか!? これは流石にとはおもっていたんですが、一応何種類か作っておいたので、それは捨てて別のに」
調理担当の者は要求道りに作ったものの、やっぱり心配だったのか数種類用意していたようだった。
「いいえ‥‥いいえ‥‥違うんです、グスッ、このせか‥‥世代に生まれて初めて美味しい物を食べる事が出来ました‥‥‥うっ、ぅぅぅ グスッ 本当にあ゛りがどう゛ございまず!」
号泣だった。
男の人が本気で泣いているのを始めて見たけど、なんだかこう‥‥引く
でも泣く程美味しいの? ちょっとだけ興味がある‥‥かも。
その日の昼食前
「あの男が昼食に食べる予定の物を、私に食べさせなさい」
大事な用があるから少しの間席を外してくれと、新しい護衛に伝え暫く離れてもらう事にした。そして私は今、調理場に来ている
「いえ‥‥さすがにそれは」
「いいから早く出しなさい」
「人の食べるものではありませんよ?」
「つべこべ言わずさっさと出しなさい!」
「しりませんよ‥‥」
調理の者は渋々と言った感じで、小皿に少ししなびた野菜を取り分けた。
葉物野菜ね‥‥
「これは?」
「酸っぱい葉物です」
「は?」
「野菜です」
「違う、この料理の名前を聞いているの」
「名前なんかありません、酸っぱい葉物野菜です、ただ酸っぱくしただけです」
小皿の野菜に目を向けると、しなびれて少し光っている位で何の特徴も無い、こんなのが本当に泣くほど美味しいの?
フォークで刺し、そのまま口に運んだ
「あぁ‥‥」
調理の者が少し止めるようなそぶりをするが、気にせず口に入れ、そして口を閉じた。
「ん? ‥‥‥ん゛んんんんんん゛!!!!!!!!!!」
死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬ━━━!!
吐き出さなきゃ!
駄目! 口が開かない!
目が見えない!
違う! まぶたが開かない! 目が開けられない!
吐き出さなきゃ! 吐きだ‥‥さ‥‥‥
だめ‥‥‥もう、意識が‥‥‥
「う゛お゛え゛ぇぇぇ゛ー」
「べちゃっ」と危うく命を落とすきっかけになるはずだった物が、床に吐き出される
「しぃ! 死ぬかと思ったわ!」
「流石にそこまででは無いと思うんです」
「顔が潰れるかと思ったじゃない! 本当にこんな物をあの護衛が食べたの!?」
「はい」
「信じられないわ‥‥おえっ」
昼食時
「すみません、これおかわりありませんか?」
新しい護衛は、人の食べ物ではない物体を美味しそうに食べていた。
信じられない‥‥もしかしたらあの護衛は人では無いのかもしれない
「もし、その‥‥出来たらでいいので辛い物とかも食べてみたいんです」
「辛い物ですか?」
「はい、スープの様で少しどろっとした感じのがいいんです、あっ! でも、私は辛い物が苦手なのでほどほどがいいんですが」
新しい護衛はまた注文をしているが、今度は興味をそそられたりしない、あの護衛が食べる物は口にしないと女神に誓う
食べ物で失神しかけたのはアレが最初で最後になるだろう
そう思っている間に、護衛の男は追加であの意識を刈り取る程の力を持つ、『ただ酸っぱいだけの野菜』を食べていた。
男の美味しそうに食べている様子を見てると、急にあの味が口の中に広がり‥‥‥
あっ! 駄目!
ま、まぶたが開かない!




