29 天使ネクター
「君を殺しに来たよ」
俺にそう言った青年は、フワリと地に足を着けた。
この世界で初めて見る、やや銀髪の髪、そして目も同じく銀色の瞳をしていた。背中には魔法陣で出来たような羽が付いており、その羽は着地と同時に消滅した。
「一瞬だけ反応があったから降りてきたんだけどね、ほんの一瞬だけだったから、場所までは中々特定出来なかったんだよ、でね、匂いを辿ってここまで来たんだけど‥‥やっと見つけることが出来たよ、ごめんね遅れちゃって」
ほほ笑みながらゆっくりと近づいてくる青年に対し、俺の体は硬直をしていた
‥‥‥‥本当に殺される
直感でそう感じた
青年の銀色の瞳を見ると、何故だか体が動けなくなった。動かないではなく、動けないだ。蛇に睨まれた蛙の心境と一緒で、圧倒的な力に対する者への恐怖。
「んー? あれー? 君はグラースオルグだよね、その姿はどうしたのかな?」
俺の周りを不思議そうな顔で一周する青年
「おかしいなー、間違いなくグラースオルグだけど、んー‥‥中身が入っているってのはどうしてかな?」
ペタペタと俺の体を触ってくる青年に、俺は動く事も出来ず、ただ棒立ちになってしまっていた。
嫌な汗が吹き出し、心臓の鼓動が自分でも聞こえてくる。
この恐ろしい青年から、何とかして逃げ出したい気持ちでいると、背後の方がざわつきだした、この青年の独特な波動? のようなものに気付いたのだろう、人が集まってくる気配がする、目の前にいる俺にもビシビシ伝わってくるんだから、少しでも魔力がある人間なら必ず気づくだろう。
「どうしよう? 一度帰って母上とマシェルにお伺いした方がいいかな? 危険ではなさそうだけど」
助けて‥‥と口に出したいが、声にすら出来ない、どうか目の前の青年が諦めてくれないか? と、必死に心の中で叫んだ
一方、俺の心境とは裏腹に、青年は俺の周りを周りながら、「うーん、うーん」と悩み、唸っていた。
「‥‥恐れながら天使ネクター様」
少し離れた真横から、俺と青年に割って入るような声が聞こえる、俺は目だけを何とか動かし、その声の主を見ると、そこにいたのは欧米ズのドルバが膝を着き、教会で見た祈りの姿で青年に話しかけていた。
ドルバは頭を垂れ震えていた、そしてその声も震えていた。
「貴方様の目の前にいる方は、むやみに破壊や喰らう事もせず、理性を保っておられます、一度だけグラースオルグになった時も、仲間を助けるために止むを得ずの事だったのです、今一度、今一度考えては貰えないでしょうか?」
誰? ドルバだよね「っす」「っすか?」とかはどうした?
「うーん、そういえばそうだね‥‥喰らったのもあの場所だけだったし‥‥じゃあ一旦帰ろうかな、お邪魔しちゃったねまた来るからね」
そう言って青年は魔法陣で出来た羽を出し、飛び去って行った。
「「 は―――――・・・・ 」」
ドサリ! とその場に尻もちを付いてしまう、そしてドルバと二人、深いため息をついた。俺の方はもう汗がダラダラ、心臓の鼓動はまだ止まっていない、ドルバもまだがくがくと震えていた
「助かったよ‥‥ドルバ‥‥」
「‥‥いやぁ、危なかったっすね、せ、先輩がやられるかと思ったっすよ」
「お? 俺の事を先輩とまだ呼んでくれるのか?」
「あ、当たり前っすよ、俺らの憧れっすから」
「その割には俺から逃げていただろ?」
そう言うと少しばつの悪そうな顔をする
「‥‥それは、何だか知らないんすけど、何か分かんないんすけど、こう‥‥飲まれるような感じがしておっかないんすよ、‥‥‥‥正直今でもおっかないっす」
そう言ってニヘラっと震えながら笑っていた
「お前みたいな奴、飲み食いとかしないから安心しろ、ところであれって何?」
「天使ネクター様ですね、別名断罪者って呼ばれ方もしてるっす、もうここ50年程は降りて来られなかったっすけど」
「‥‥ああ、太古の昔グラースオルグを倒したって言うアレ?」
思い出した、前に辞典で見たやつかネクターって書いてあったな、さっきもそう名乗ってたし
「そ、そっすよ、俺初めてみたっすね」
「初めて見たのに天使って分かったのか?」
「え? 誰が見たって天使じゃないっすか、一発でわかるっすよ」
「そうなんだ‥‥」
「そっすよ」
嫌われていたと思っていた、ドルバとの今までのわだかまりも多少は解消し、完全に安心しきってた直後
「やぁ、また来たよ」
「あぁぁぁぁ!!!」
俺の悲鳴共にフワリと着地する天使ネクター
あぁ‥‥また‥‥
一瞬で祈りの姿勢を再開するドルバ、遠巻きに見ている生徒、職員達も同じ姿だ
「母上とマシェルから手出し無用と言われてね、そういうことになったよ」
ニッコリとほほ笑む
そういうこととは? どういうこと?
「いやぁ~それにしても君は面白いね~」
お、おもしろ召喚者とか呼ばれてますから、よ、用事が済んだんならもう帰ってもらえませんか?
「グラースオルグなのに中身があるんだからね、‥‥そうだ! さっきも自己紹介したけど僕の名前はネクターって言うんだ、君の名前を聞いてもいいかい?」
「‥‥ハヤトです」
「ハヤトって名前なんだね、そうか、じゃーこれから宜しくね」
と言って握手を求めてくる
・・・・
・・・
・・
「ちょ、先輩!?」
右手を出してきた天使ネクターだが、俺は手を出さなかった、天使は断罪者とも呼ばれグラースオルグを討伐した、ということは‥‥いずれ俺は‥‥
ま、いっか
「こちらこそよろしくお願いします、天使ネクター様」
ネクターと握手を交わす、ドルバもその場にいた周りの人達もほっと息を着いた
「うんうん、じゃーさこれからちょっと出かけようか?」
「へ? どこにでしょうか?」
「僕の行きつけのお店があるんだけど、そこで食事でもしようよ奢っちゃうよ!」
◇
「あれー! 無い、無くなってる!」
奢ると言われて付いて行っったところ、天使ネクターの行きつけの店はすでに無く、そこには普通の民家が立っていた。
愕然とする天使ネクター、民家の周りには人だかりが出来ていて皆祈りを捧げていた。
それを家の中で見ていた民家の主は、何事かと窓から外を覗きガタガタと震えていた
「あったんだよ、この前まではここに美味しいお店が確かにあったんだ!」
この前‥‥前に降りてきたのは50年前だったか、よっぽど旨くない限りは潰れているだろう
「‥‥それじゃあ、自分がよく行ってたお店に行きませんか?」
「うん‥‥頼むよ‥‥」
よほど楽しみにしていたのか? トボトボと俺の後に付いてくる、その光景を見ていた周りの人たちは、天使に向かっていつまでも祈りを捧げていた。
カランカラン
扉を開けると
「ひっ!」
と店主の声がした、この「ひっ」は俺に対してだろう、そのあと「あっ‥‥」と声を漏らすこれは天使ネクターに対してだ、カウンターで硬直したままの店主と店員二人だったが、直ぐにネクターに対し膝を付く、それにたまたまそこにいた他のお客達も続いた。
最初俺が来た時には、店主が一人だけで経営をしていた、今はもう離れ離れになったが、海軍の巡洋艦アルドロスに配属になったバールと、ここに来たのが初めてだった、口には出さなかったが、甘いものばかりで嫌気が指していた俺は、バールに
「甘い物の中に苦い物を少しだけ混ぜると、甘さが引き立つんだよね」
と漏らしたらバールが
「なぁ店主!」
店主を呼びつけ、今の説明をもう一度俺が店主に話すことになった、甘ければ甘いほど良いという考えのこの世界では、苦い物をわざわざ入れるということが考えられなかったようだ。バールがものすごく説得し2カ月ほどして完成させたのが、その後この店の名物になった‥‥
「すいませーん、苦パナンサンド2つお願いします」
この苦パナンサンドだ、ほんの少しだけ苦みを付けたパナンの間に、とても甘い果物と柔らかいクリームが挟まれている、これは若い女性に人気があるメニューになった。そのおかげで繁盛し店員も二人雇っているみたいだ。
バールはこれを甚く気に入ったらしく、時間さえあれば毎日のようにここに通っていた。その時必ず俺も誘われるのだが、甘さが普通のパナンの比ではなく正直うんざりしていた。中に入っている果物の味に集中し
「これは果物、これは果物」
心の中で唱え、気分を散らしていた。
苦パナンサンドが出来るのを待っていたが、周りのお客達がずっとお祈りの姿を取っていたので、途中で天使ネクターが、「いいよ、いいよ」と、ニッコリとした顔で手を振りお祈りを辞めさせた。
お客達からは畏怖、そして恐怖の目で俺と、天使ネクターを見ていた、もちろん恐怖担当は俺だ
「お待たせしました‥‥」
ガチャガチャと、今にも割れそうな音を出し運ばれてくる苦パナンサンド、この揺れと音で落ちないのが凄い
「へー」
初めて見る食べ物に、なるほどねーの意味のへーだろう、そしておもむろに天使ネクターは一口食べた
「あっ‥‥美味しい‥‥」
その一言で店内の人達が皆、ニッコリとほほ笑んだ、店主もホッとしたような顔をする、多分この店は更に繁盛することになるだろう、なにせ天使が美味しいと言ったからだ。
天使ネクターの事は殆ど知らないので、予測にしかないが、周りの人達の態度を見ればわかる。
次来た時には店が拡張している気がする、一方の俺はというと。
これは果物、これは果物
念仏を唱えていた。
◇
苦パナンサンドを食べ終わり、これまた甘いだけのお茶を飲みながら天使ネクターと話をしている、元々おしゃべりが好きらしく、やたらと話を振ってくる、なのでさっきから気になっていたことを聞いてみた。
「天使ネクター様、先ほどから気になっていたのですが‥‥」
「ん? 何だい何でも聞いて」
「はい‥‥その、最初に貴方様にお会いした時に、こう‥‥体が動けないくらいの圧迫感を感じたのに、それが今は感じられないのですが」
「それか、僕は断罪者でもあるからね、断罪者はグラースオルグの上に立つ存在として作られているんだ。
だから何と言うか、君に分かりやすいように言うと「威圧」って言ったら通じるよね? その視線、その動きだけで相手の行動を阻害することが出来るんだよ、まぁ言ってみれば僕は君の天敵ということになるね、その威圧をいま切っているからもう感じないはずだよ? それに君だって威圧を常に使っているからね」
なるほど、動きが取れなかったのはそういうインチキがあったからか、でも‥‥
「俺が使っているとは?」
「グラースオルグの威圧はね、魂に食い込むんだよ、だから一度でもあの姿を見た人達は、今の姿でも無条件で怯えてしまうんだよ」
「なるほど」
店内にいた人達も「なるほど」と頷いていた
「それを解除する方法とかはありますか?」
「僕は知らないね、魂に食い込んじゃってるからね、一生物じゃないかな?」
うわぁ‥‥ずっとこれが続くのか‥‥
「まぁ、慣れればそのうち恐怖も和らぐと思うよ」
人に対して無条件に威圧をするとなると、俺は人からしたら天敵になるのだろうか?
「そんなに深く考えないことだね、考えたってしょうがないさ、それよりもっと聞きたいことはあるかい? さっきから僕ばっかり質問していたからね」
聞きたいこと‥‥あ、あった
「魔法陣のような羽で飛んでいたと思ったんですが、あれを習得できる魔法陣はありますか?」
「それは無理だね、あれを習得できる魔法陣は無いからね、この世界でも僕と母上達だけしか使えないんだ、まぁ母上達はあれが無くても飛べるけれども」
「そうなんですか‥‥」
ちょっとだけがっかりする
「ごめんね、人には習得できない魔法とかが結構あるからね」
「他にも人が習得できない魔法とかがあるんですか?」
「うん、たとえば‥‥『変化』かな?」
「へんか‥‥ですか?」
「うん、他の姿になれるってことさ、もしこれを人が習得したら同じ性別なら姿を自由に変えられるだろうね、僕の場合は性別が無いからね男も女にもなれるよ、僕の場合、心が男寄りだしこの姿が気に入っているからこうだけど」
「「「「えっ!!」」」」
俺はふーん、だったけど店内のお客・店員たちが驚愕の声を上げた、長い長い歴史の中で、天使は男だとなっていたが、今この場でサラッと言ってしまったのだ、この場には証人がたくさんいるし教会は大騒ぎになるだろう
「あまり信じてなさそうだね、じゃあちょっとだけ見せてあげるよ、手を出してみて」
テーブルの上に左手を出すと、天使ネクターが俺の手の上に重ねて右手を置いた。手を重ねられた瞬間に、最初に出会った恐怖が甦りゾワッとしたけれど、言わないでおこう
「「キャッ」」
なにやら興奮するような声を出したお客がいるが気にしない
「君に、一番縁のある人の姿になって見せるよ」
「はぁ‥‥」
縁のある‥‥兄さんかな? 洋子だったら顔面にパンチしそうだ
何やら早すぎて聞き取れない詠唱をし、銀色の薄い霧が天使を包む、そしてそれが一気に消え去った時
俺は左手で天使ネクターを引き寄せ、思いっきり口付けをした
「「「「「キャァ―――!!!」」」」」
歓喜の声が店内に響く
「ウッ! ぶはぁー、な、なにをするんだよいきなり!」
天使ネクターは驚き、壁際まで瞬時に逃げる
というか逃がさん!
強化魔法を使い一瞬で間を詰め、壁際の天使に壁ドンをする
「ずっと会いたかったよミラ!」
俺の目の前には、世界一美しい女性のミラがいた
「ちっ! 違うよ僕は! んん゛っっっ!!」
俺はもう一度口づけをし、舌をねじ込んだ。
何が違うものか! 胸の大きさだってそのままだ
「「「「「キャァ―――!!!」」」」」
「アッ!」「バタン!」
一人昇天したようだけど、大丈夫ここには天使ミラがいる、帰るついでに連れて行ってくれるだろう
「んん゛っ、ぶっはぁぁぁぁぁ!!」
思いっきりドンと突き飛ばされ床に倒れこんだ、でも負けない!
体制を立て直しもう一度‥‥と思ったが
「ドロン!」と変化は解かれ男の姿に戻った、そして冷たい目線で俺を睨んでくる、しかし俺は焦らずうろたえず、冷静な声で
「天使ミラター様、貴方様がお降りにならなかった50年間で世界は大きく変わりました、今や男性の姿よりも女性の姿の方が一般的であります、どうか、どうか今一度、先ほどのお姿になってはいただけないでしょうか?」
と、教会の人が見たら「素晴らしい」と言うであろう、完璧な祈りを捧げながら懇願した
「何が一般的なの? 一般的って何! 僕はネクターだ!」
俺が祈りのポーズのままで、暫くガミガミと怒っていた天使ネクターだが怒りも収まったのか
「もういいよ」
と言ってくれた、俺も祈りのポーズをずっとしていて心が清らかになったのか、先ほどの興奮も収まって真の意味で冷静になった。
「申し訳ありませんでした、天使ネクター様‥‥」
「はぁ‥‥もういいってば、はぁ‥‥」
ため息でこみ上げる怒りを抑えているように感じる、そういえば断罪者だった、今更ながらこの状況がおっかない
「許してもらえるのでしょうか?」
「うん、許すよ‥‥はぁ‥‥というか、もう呼ぶときはネクターだけでいいよ」
「あ、はい」
なんかフランクな感じになったので、ちょっとだけお願いしてみようか? 天使って神様系列でしょう? 神様ならお願いごととか聞いてくれそう
「分かりました、ではネクター、今度会える時は是非女性の姿でお願いします」
一瞬でビリっとした感覚が俺の体に駆け巡った
「あまり調子に乗らないでもらえるかな‥‥」
青筋をを立て威圧を放ってくるネクター、俺は動けない体で必死にうんうん頷いた。
◇
その日、教会では混乱に陥った、50年間姿を現さなかった天使ネクターが、男性でも女性でも姿を変えられることが出来ることが分かったからだ。
教会に設置してある男性姿の天使の像をどうするかで、揉めに揉めた。
そして未確認の情報が流れた、天使ネクターが、グラースオルグに喰われたという情報だ、グラースオルグを討伐する者がやられたと伝わり、絶望をする人達がいたという
◆
俺を殺しに来たと降りて来て以来、何度かネクターと会うことになるのだが、たまに女性の姿で現れるようになった。
ミラの姿ではなく、ネクターの男の姿をそのまま女性にしたような感じだ「双子です」と言われても信じてしまうくらいに似ていて、なかなかの美人だ。
◆◇◆
地上ではない、遠く離れ、人には到達する事が出来ない場所で。ハヤトとネクター、二人のやり取りを見つめ、楽し気に笑っている存在がいた。




