鞠子さんと早苗さん
青司くんの愛車ミニクーパーを走らせ、東急みなとみらい線元町・中華街駅付近に到着した。
元町口の改札を背にして左へ行くと、元町ショッピングストリートという商店街がすぐに見える。洗練された雰囲気を感じる通りにはブティックやカフェやレストランなどがあり、休日は観光客が多く訪れるが、平日ともなれば近隣に住むマダムがゆったりと買い物を楽しんでいる。
明治以降外国人居留地だった山手エリアも併せて、元町付近は横浜の中でも異国情緒溢れるおしゃれな街としてのイメージが強い。
元町のメインストリートの途中の道を曲がった私たちの車が、山手に通じる坂道を上っていたときだった。
「あら、鞠子さんと早苗さんだわ。わざわざ外で待っていてくれたのね」
助手席に座っていたみどりさんが、坂の途中にある一棟のマンションの前にいる二人に手を振った。青司くんがゆっくりと車を寄せる。私は後部座席の窓を開けた。
「ちょっとみどり、このイケメン誰? 紫乃ちゃんと青くんが来る話しか聞いてないわよぉ」
車内にいる人物を見て、驚いたように目をぱちくりさせているのは鞠子さん。
ボーダーのサマーニットに紺のワイドパンツを合わせたマリンルックが爽やかだ。ブランドのスカーフをカチューシャのようにセットし、ルージュの口紅が差し色として映える。若い頃はコケティッシュな美女として数多の男を翻弄してきたらしい鞠子さんだが、その名残は健在だ。
「鞠子ったら、いきなり初対面の人に指ささないの。挨拶もせずに失礼でしょう。みどり、紫乃ちゃん、青くん、よく来てくれたわね」
縁なしの細い眼鏡の縁を指でくいっとあげた早苗さんが苦笑いで鞠子さんをたしなめた。
Vネックの白シャツを膝丈のカーキのペンシルスカートにしまっている。シンプルな服装が長身で細身の体によく似合う。グレーカラーの髪を耳の下で切り揃えた髪型は、美形の彼女のさっぱりした性格そのものを表しているようだ。
艶やかな鞠子さん、かっこいい早苗さん、そしてかわいいみどりさん。彼女たちは50年来の親友なのである。
三人とも横浜のある高校出身で、鞠子さん早苗さんはみどりさんの一学年先輩だそう。さらに一つ上にはみどりさんの亡くなった旦那様である黄治朗さんも在学していたらしい。
青司くんが後部座席を振り返る。
「駐車場に車を止めてくるから、おばあちゃんたちは下りてくれる? 紫乃さん、ネイルセットが入った荷物も後で持っていくから置いたままでいいよ」
「助かるわ、ありがとう。青司くん、運転お疲れさま。練習の必要がないくらい上手だったよ」
「それなら良かった。今度は二人だけでドライブしようね」
外へ出て礼を言う私に、運転席の青司くんがパチンッと完璧なウインクを決め、颯爽と走り去った。
こっちにも少女漫画の登場人物顔負けの人がいたわ……!
耳に熱が集まるのを感じつつ平静を装う。香積さんは不思議そうに青司くんの車を目で追い、鞠子さんと早苗さんは興味津々な視線を私に向けた。二人が口を開く前に、みどりさんが明るい声を上げる。
「こちらは来週紫乃ちゃんと同じマンションに引っ越し予定の方よ。たまたま家の前でお会いしたら元町に用があるというので、一緒に来たの」
黒いロングカーデガンにストレートジーンズを合わせた、俳優のように整った容姿と長身の同乗者は、ニコニコと人懐こい笑顔でペコリとお辞儀する。
「はじめまして、香積透です。驚かせてすみません。近くのレストランでウェイターとして働いています。それにしても、お二人はとてもおきれいですね。芸能関係の華やかな業界にいらしたんですか?」
「あたしは化粧品の会社で販売員としてデパートに勤めていただけよぉ。まったく、イケメンは口が上手いんだから」
「長年高校で教師やってた人をつかまえて、よく言うわねぇ」
鞠子さんは大袈裟にため息をつき、早苗さんはカラカラと明るく笑った。しかし二人とも満更ではないのは、香積さんをうっとりと見る目付きでわかる。
彼女たちは見た目を褒め称えられることには慣れているはず。しかし挨拶代わりだとわかっているのに。恐ろしや、極上ボイス。恐ろしや、色男。
「ね、透くんは元町のどこに用事があるの?」
「それは急ぎの予定?」
「俺、昨日仕事だったんですけど、職場の更衣室のロッカーにスマホ忘れてきちゃって。といっても結婚もしてないし恋人もいないし、家族とは家電で話したし、元々マメなタイプではないので、たいして困らないんですけどね。でもさすがに取りに行かないとって思って」
矢継ぎ早な問いかけに、香積さんは頭をかきながら照れ笑いを浮かべた。凛々しい男前のあどけない表情に、二人は目からハートが飛び出る勢いで釘付けだった。
たしかにギャップ萌えはよくわかる。昨日の青司くんも、かっこよくてかわいかったし……って、何で青司くんと比べてるの私?!
内心の動揺を悟られないよう私が微笑みを顔に張り付けて聞き役に徹していると、鞠子さんが両手をパンッと叩く。良いことを思い付いたような、満面の笑みだ。
「ねえ、うちでお茶でも飲んでいってからにしたら? 他に用事があるわけでもないんでしょ? 美味しいケーキも用意しているのよ」
「そうね。みどりのマンションの住人なら、身元も確かだし、見目麗しい若い男性は大歓迎よ」
「わあ、お邪魔していいんですか! 今日は紫乃ちゃんがお二人にネイルをするんですってね。なかなか近くで見る機会もないから、見たかったんですよ。ケーキも好きなので、嬉しいです」
素直に喜ぶ香積さんを見て、鞠子さんと早苗さんの顔が自然に綻ぶ。みどりさんはそんな三人を微笑ましく見守っている。
香積さんって人たらしだなぁ。相手の懐に入るのが絶妙に上手い。営業を仕事にしている私からすると、とても羨ましい特技だ。
ただ……気になることがある。青司くんだ。
みどりさんの家の前で出会った香積さんに向けたあの視線は、何故なのかわからないが敵視しているみたいだった。
何事もなく終わればいいんだけど。
鞠子さんと早苗さんが住む高級マンションは、築5年ほどの8階建てで、住人の要望に応えるコンシェルジュが常駐している。鞠子さんと早苗さんは、コンシェルジュに一日二回電話をしてくれるようお願いしているという。古希を迎えた二人は、健康に気を使っているものの何が起きてもおかしくない年齢だから、生存確認が必要なのよと声を上げて笑った。
有能そうな女性コンシェルジュに笑顔で見送られ、エレベーターで3階へ向かう。
「わ、素敵……!」
早苗さんの部屋に入った私は、思わず歓声を上げた。
モノクロ写真の額縁が飾られたくすんだブルーの壁紙に、同じメーカーで揃えた白い木製のキャビネットやダイニングテーブル。猫脚の革製ソファーの上には、ヴィンテージのペンダントライト。そして色とりどりの花があちこちに生けられている。まるでインテリア雑誌に載っているような、ハイセンスなリビングだった。
オープンキッチンで飲み物の準備をする早苗さんが、キョロキョロする私に笑いかける。
「若い頃、パリに何年か滞在したことがあってね。せっかく一人暮らしをするんだから、そのときに暮らした部屋を再現しようと思って、フレンチカントリー風にしたの。鞠子の部屋はアジアン風よ」
「あたしバリ島が大好きなの! 次回は私の部屋でお茶しましょうね」
「はい!」
「さあ、まずはおやつにしましょ。北山田のあのお店のケーキを用意したわ」
「わあ嬉しい! 私、ここのお店好きなんです!」
横浜市営地下鉄グリーンラインの北山田駅から徒歩1分の場所に、ネットのグルメサイトのランキングで全国的にも上位のケーキ屋がある。店自体はこじんまりしているが、休日は朝から大混雑で、周辺道路の交通整理をする警備員まで出動するほどの人気店だ。
私の親友夫妻が近くのマンションに住んでいて、遊びに行くと私の一番気に入っているロールケーキを用意してくれるので、すっかりはまっている。
計10個のケーキの中から、レモンのショートケーキを選んだ。爽やかな酸味とほのかな甘味のハーモニー! 早苗さんが用意してくれたマリアージュフレールの紅茶との相性は抜群! 美味しいものは正義ねっ!
幸せな気分で食べていると、隣に座っていた青司くんが私をじっと見ていた。
「紫乃さんの美味しそう。一口ちょうだい?」
「うんっ、食べて食べて! はいっ!」
私は機嫌良く、ケーキを差したフォークを青司くんの口元に持っていった。青司くんは一瞬驚いた顔をしたが、パクリと食べて、蕩けるような笑みを浮かべる。うんうん、美味しいものを食べるとそうなっちゃうよね!
「ん……甘くて美味しい。ありがとう」
「でしょう! 季節限定のと迷ったけど、この定番のケーキも食べたくなるのよね」
「じゃあ僕のケーキも食べてよ。ほら」
「わ、いいの? 気になってたから嬉しい!」
「ねえ、青くんと紫乃ちゃんって、付き合ってるの? 二人で食べさせてあっちゃって」
「ふぉっ!」
危うく口から吹き出すところだった! あああ、アラサーにもなってスイーツにがっついたばかりに、あーん、なんて、無意識に……! 何やってんだ私のマヌケ!
「付き合っていませんよ?」
青司くんナイス! 昨日、そして今朝も色々あったけど、付き合ってないのは本当だものね。余計な詮索をされなくて済む……
「あらそうなの? てっきり初々しいし、いい雰囲気だから、恋人になったばかりかと……」
「僕は紫乃さんが大好きでしょうがないですけどね。プロポーズは昨日済んでいて、結婚前提でお付き合いも今日申し込んでますから、僕は今、彼氏候補なんです」
早苗さんの意外そうな言葉を受け取り、ますます甘い笑顔を私に向けた青司くんが、爆弾発言を放った。ケーキが口に入っている私はもごもご慌てると、更に追い討ちをかける人物が。
「ふうん。じゃあ俺も紫乃ちゃんの彼氏候補に立候補しよっと。ほら、これも美味しいよ?」
「ふあっ?!」
まるで目の前に並ぶたくさんのケーキの中からこれにしよっと選ぶように、私にバチコンッと強烈なウインクを射ち、チョコレートムースが乗ったスプーンをこちらに差し出す、香積さん。
何なの? 昨日から一体何が起きてるの? ラブハプニングが過ぎるんだけど。少女漫画でもこんなジェットコースター的展開ないよね。読者ついていけないよ?
「わあお、恋の火花が散っているわよぉ!」
「紫乃ちゃんモテモテね!」
「あらあら」
もはや無になるしかない私は、鞠子さんと早苗さんが互いの手を取ってキャッキャと楽しげなのも、みどりさんが困り顔で微笑むのも、青司くんが真顔で黙り混むのも、香積さんが面白がっているのも、全部見ないふりをした。
……はい、現実逃避中です。
ラブハプニング、口に出して言うと、何だかかわいいんです(笑)




