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episode2-6


 シェイ・デューンは、マウ共和国北東部で生まれた。

 デューン家は代々油田を持っており、地方でそれなりの規模を占めていた。

 石油は儲かる。

 プラスチックの製造には不可欠であるし、家事としての火を降臨させられない家庭では、暖房の火種にもなるからだ。

 シェイは、比較的裕福なデューン家の長男として生まれた。

 そして、これと言って特別な自由も不自由も無く、明るい陽射しの下で育った。

 サッカーを愛し、ベースボールを愛し、格闘技を愛し、ラグビーを愛した。

 恵まれた体格と、生来の陽気な性格で、スクールではジョック(体育会系リーダー)の名をほしいままにした。

 ガールフレンドに関しては、広く浅く。

 だが、本人はそれでよかったし、周囲も彼のそんな少し残念な面をも愛した。

 彼は三人兄妹の頭だった。

 二歳年下の弟が居た。

 それがンバイである。

 ンバイは、俗に言う所の天才であった。

 活字を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う兄とは正反対に、本の虫でナード(オタク)的だった。

 両親は、特別育て方を変えたわけではないのだが。

 それでも、シェイは朗らかにンバイを構っていたし、ンバイも兄によくなついた。

 執聖騎士団の託宣オペレータになりたい、と言う夢も、兄にだけは打ち明けられた。

 兄は、どんな無謀な夢も、うわべでは茶化しても、否定はしない。

 それも同情からでは無く、ンバイの素質と努力を全て認めた上で

「お前ならできるんじゃね?」

 と軽々に言ってみせる。

 聡いンバイだからこそ、そんなシェイの隠された優しさを見抜いていた。

 それが、ンバイの意欲を更に引き上げた。

 子供らしい娯楽も青春も全て捨て去り、勉学に打ち込んだ。

 十歳の頃には、既に二級巫覡(ふげき)資格を得ていた。

 ルカ・キリエやダニー・フライの例からも見て取れるように、人材の確保が重要視される現代の世の中で、飛び級はさほど珍しい事では無い。

 いよいよ夢の実現が形を帯びてきた頃、ンバイは他の家族や友人にも、執聖騎士団入りの目標を堂々と公言していた。

 二十歳を迎える前には、リズベリオ大学を卒業し、希望の進路を取れる事だろう。

 そして十三歳の時、ンバイは急死した。

 急性脳梗塞だった。

 人気の無い農道で倒れていた弟。

 それを抱え上げた時にはもう、冷たくなっていたと言う。

 シェイ少年は、当たり前に泣いた。

 遺体を火葬する時、ンバイを取らないでくれと、火葬員にすがり付いた。

 だが。

 ――何を泣いているの、ンバイ?

 母親が、シェイの肩を抱いてそう囁いた。

 自分(シェイ)の肩を取りながら、(ンバイ)の名を呼ぶ母親の言動が、一瞬理解できなかった。

 遅れて、父が、

 ――……、…………泣くなンバイ。何があったのか知らんが、男は簡単に泣くもんじゃないぞ。

 シェイをンバイと呼んだ。

 ――なに、言ってるのさ、二人とも。ンバイは、オレは……。

 シェイ少年は、それ以上、何も言えなかった。

 二人とも、すぐそこにあるンバイの遺体を見ていない。

 シェイが離れたその瞬間。火葬員は遺体を速やかに火葬炉へ搬入し、祈った。

 大気が掻き混ぜられるほどの火勢が炉の中を満たし、恐らくンバイの細い身体は、細かい散骨になり果てた。

 これで、両親がンバイの姿を直視することはもうない。

 ――可哀想に、誰か亡くなったのかな? ねえ、ンバイ?

 ――オレ……じゃなくて、僕にはわからないよ。母さん。

 ――何だ、ンバイもお母さんも度忘れしたのか。実は私もなのだよ。HAHAHAHA!

 ――父さんもかい!? 親子そろって、どうしようもないね……。

 この瞬間から、シェイはンバイとなる事を宿命づけられた。

 母は、ンバイの死を無かった事にした。

 その代償に、シェイ・デューンと言う存在は家から消えた。

 死んでもいない人間を偲んで泣く事は、不自然だ。

 それ以降、シェイは二十歳になる今に至るまで、一度も泣いていない。

 親子三人の変容に、幼い妹を除く親戚や参列客も、気づいてはいた。

 ある者は痛ましげな表情を見せ、ある者は不審げな表情を浮かべた。

 だが、親子三人に何かしらの手を差し伸べた者はいない。

 誰もかかわり合いになろうとはしなかった。

 元々、学年全体を取りまとめるような少年だった。

 その利発さが、彼の人生を変質させてしまった。

 この時からシェイがまず問題としたのは、託宣運用にかけては天才と言われた弟と、同じ成果を出さなければならない事だった。

 猶予は一年……いや、半年だろう。 

 半年程度なら、成績がガタ落ちしたとしても、適当な理由をつけて誤魔化しが利く。

 だが、ンバイの才能に期待を持つ両親が、いつまでもその不調を見逃すはずはあるまい。

 シェイはまず、俗世とのあらゆる関わりを絶って、託宣の事だけに時間を費やした。

 サッカーも、バスケも、ラグビーも、ガールフレンドも、悪友たちも、学業さえも捨て去り、託宣オタクのナードとして引きこもった。

 実年齢はすでに十五歳。

 一年でどうにかリズベリオ大学に入り、そこから二年……甘く見積もっても三年で執聖騎士団に入らなければ、母の中での辻褄が合わない。

 それまで託宣の“た”の字も触った事がない。

 一日二十四時間を全て学習に費やしたとしても、足りないくらいだ。

 その上面倒な事に、食事、睡眠、排泄にはどうしても時間を取られる。

 ただ時間をかければ良いわけではない。

 二十四時間以上の密度がある学習を行えなければ、

 何を学ぶか、の選択を少しでも間違えれば、

 家族はおしまいだ。

 託宣の才覚は無かったにせよ、学習能力と判断力と言う原初的な才覚において、シェイはンバイに変身するだけの素養があったらしい。

 予定通り、十六歳でリズベリオ大学託宣科に編入し、二年の飛び級を経て卒業。

 生前のンバイが描いた青写真の通り、執聖騎士となった。

 一般教養こそンバイに及ばなかった為、準一級巫覡資格を引っ提げての特別編入枠に賭けた。

 それもシェイの取捨選択だった。

 ンバイの才能で注目されていたのはあくまで託宣運用であり、その他の側面には母は頓着していなかった。

 本来のンバイは、広く深い知識の持ち主だ。

 託宣システムを密かに自作する程の目覚ましい造詣を持ちながら、心理学・生物学・物理学・数学にも精通していた。

 それを見抜いていたのは、シェイだけだったのが、幸いした。

 かくして騎士となったシェイは、親元を離れ、シャトラに住居を得た。

 この国で、ンバイの真似事をする必要は無くなったのだ。

 ――いつ隕石がアンタの脳天をぶち抜くか、誰にもわからないんだぜ。

 ――全てを賭けたデート中に限って、股間のジッパーが開きっぱ、ってのも宿命さ。

 ンバイの死後、シェイと親しくなった者が等しく聞かされる言葉だった。

 そして、それを単純に受け止め、感銘を受けてしまった猪騎士がいた。

 隕石論が、シェイの頭脳からひとりでに生まれたものと信じて疑わないらしい。

 その男の後方支援を受け持つ事になった瞬間から、シェイは、彼の持つ危うさを肌で感じた。

  同時に、死なせてはならない、とも思った。

  一つだけ年上のそいつもまた、飛び級組のようだ。

 そうした人材があっけなく消え去るご時世を、シェイは既に悟っていた。

 その上、ビーン大司教に目を付けられているとなれば、もはやリーチがかかっているとすら言える。

 だが、そんな常識を抜きにした上で、彼を死なせてはならないと感じた。

 気付けばシェイは、ルカ・キリエにのみ、ンバイと家族の事を話していた。

 猪じみたその騎士は、怒った。

 月並みに。

 事情が事情とは言え、シェイと言う一人格が否定された事に憤った。

 ――私は何があっても、君を忘れん!

 普通、毎日顔を突き合わせている奴を忘れる事の方がレアケースなのだが……この筆頭騎士は、そんな事さえ頭から吹き飛んでいるらしい。

 三年前まで、託宣なんぞ触る気も起きなかった。

 たった三年で、天才の弟が目指した場所に来てしまった。

 この先、人生で気張る理由がもう無い。

 ならば。

 ビーンの野郎に引き離されでもしない限り、この筆頭騎士を護り抜いてみようと、適当に考えてみた。

 そして今、


 ――どうやら、リーダーにちょいと裏切られたらしい。

 どうにか乱闘現場から抜け出したシェイは、そう考えていた。

 騎士団の中にも、シェイのプライベート仲間にも、ンバイの一件を喋った相手はいない。

 それを知るのは、両親と妹を除いてはルカ・キリエただ一人だけだ。

 未来人(ルカ)とやらが知っているとなれば、漏らしたのは本物のリーダー(ルカ)でしかあり得ない。

 軽々しく吹聴していい話で無い事は、わかっていたはずだ。

 家の事情が騎士団に漏れた場合、事によってはシェイの立場を危うくしかねない。

 だが本物のルカは、赤の他人に――殺人未遂犯に――それを話した。

 八月にシーザーを死守した事で、気を許したか。

 いくら単純な筆頭騎士様でも、敵とわかりきった奴に情が移るほど能天気だとはにわかに信じがたいが。

 事実は、事実だ。

 ルカ・キリエは、シェイ・デューンをほんの少し裏切った。

 別に構わない。

 シェイは、本心からそう思っている。

 裏切りは、信を得ずして成らず。

 これをシェイ・デューン流に言うならば。

 裏を返せば、“信じる”と言う事は、多かれ少なかれ、裏切りの可能性を許容する事だ。

 デューン家の事を話したのは、万が一、面白おかしく触れ回られても構わない、と言う覚悟の上だった。

 後は、どの程度の裏切りまでを許容するかの秤でしかない。

 許せなければ切る。

 許せるなら切らない。

 切る事によるメリットと、デメリット。

 裏切り全てを致命的なものに捉えれば、たちまち人間不信になるだけだ。

 そして参ったことに、裏切りは、全てが悪意から来るものではない。

 自分が思わぬミスで、結果的に誰かを手酷く裏切る事もあり得る。

 それでいちいち切られていたら――もしくは斬られていたら――(たま)ったものでは無い。

 だからシェイは、自分の事情を吹聴した(としか思えない)ルカを、敵視するつもりは無かった。

 後方支援の質を下げたり、今回のような現場での共闘でも手は抜かない。

 ただ、本当に極限の選択を迫られた時は、

 ルカの側の秤が、わずかに軽くなった事もまた、否定できない。

 それだけだった。


 端望会(たんもうえ)は、海端を見下ろせる物見(やぐら)のような場所で執行される。

 端望会一日目。

 女王は東海端の上空を見上げ、祖先の魂を招くような手振りをした。

 端望会二日目。

 女王の前に、ひと振りの和禰刀が置かれる。

 揚国刀(ようこくとう)

 水の干上がった荒野からひとりでに和禰国を切り出したと言う、創国の剣。

 女王は刀を見据え、粛々と頭を垂れた。

 端望会三日目。

 海上祭壇が、武装集団に占拠された。


 その一報を受けた時、女王護衛軍准将・桐江聖次郎は自宅に居た。

「執行されたのは、二日目までなのだな?」

《はい。

 今現在、護衛軍から若干の負傷者は出ているものの、その他の死傷者はおりません》

 知枝を介して、宮廷に居る副官。前原克夫の託宣像が、報告を述べてゆく。

「確実に、非戦闘員には一人の負傷者も居ないのだな?」

《はい。故に、女王陛下はご無事と言えます》

 現在、千を超える人間が海上祭壇に滞在していた。

 女性に限っても三百人程度。

 全員が無傷であるなら、女王も無事と言える。

 前原の階級は大佐だが、彼にさえ、女王が誰かは告げられていないので、准将はそう推察するしかなかった。

「その他、物損等は?」

 准将は、冷静に知枝に問う。

 その問いは音声データとして知枝から、副官へ伝わる。

《五階と四階の全ブロックで、交戦による軽度の物破損、多数。

 揚国刀に被害はありません。儀式場にそのまま放置されています》

 准将は、わずかに目を見開いた。

 揚国刀は、ただの国宝とは訳が違う。

 創国の象徴であり、女王による統治の象徴でもある。

 和禰史の歴史が凝縮された剣は、ともすれば女王の身柄以上に政治的価値を内包している。

 女王の正体が知れてない今、剣を狙われる危険が高いと思われていた。

 バジル・メルメが、剣の価値を知らないとは思えない。

 恐らく、あえて手を出させなかったのだろう。

 ――こちらとしては助かったが、狙いは、何だ?

 バジルの、その不敵とも言える方策に、准将の心が僅かに乱れる。

 上獅子派とは、表社会の何パーセントを掌握しているやもわからぬ組織だ。

 いや、特定の“組織”ならばまだ良いが、上獅子信仰と言う概念にまで昇華し、人類社会に遍在する名状しがたい群体ですらある。

 あえてその中で“幹部”を名乗れるとすれば、社会の混沌とも言うべきその概念を、秩序立って乗りこなす傑物だろう。

 そうした人物の執る指揮。

 その結果が、和禰の象徴たる剣をむざむざ見逃す、という事であれば、もっと恐ろしい事実が背後に控えていると思って間違いない。

 和禰の喉元に剣を突き刺すよりも、更に恐ろしい事実が。

 何より、その正体がまるで掴めないと言うのは、国の中枢を担う人間には最も重圧となりうる事だった。

「准将」

 やんわりとした知枝の声が、准将の意識を手繰り寄せた。

 その一声だけで、桐江聖次郎准将の表情は、改めて引き締まった。

 いつの世でも、妻の前では、かっこつけたい。

「前原大佐。海上祭壇に間諜(かんちょう)を五名、送って欲しい。桑島と石場、西條、米村、それに柿崎が適任だろう」

《はっ。しかし、大丈夫なのでしょうか?》

「五人への任務は、祭壇内の調査と揚国刀の奪取に留める。

 彼らとて現女王陛下の素性を知らないのだから、間諜に救出は元より不可能だろう」

「あの、ルカさんおじさ――キリエ准将」

 それまで、上司であるルカの下、沈黙を守っていたテレサが口を挟む。

「もしスパイしたことが見つかったら、人質の人たちに危険がありませんか?」

 ルカもまた、テレサに先を越された事で意外そうに目を見開いてから、

「過干渉の程をお詫び申し上げます。

 しかしながら、作戦が露見すれば、奴等は現地の女性全てを手に掛ける危険さえ有ります。

 揚国刀が如何(いか)な国宝とは言え、女王陛下の御身と秤に掛ける訳には!」

 後半は、ほとんど叔父に詰め寄るような様だ。

「まあ、待ちなさい、二人とも」

 桐江聖次郎は、あくまで叔父の顔で、二人を押しとどめた。

「無論、私としても陛下の御身より揚国刀を優先するつもりは無い。

 だが、物事には順序と言う物がある。

 陛下を間違いなく救い出すには、揚国刀の奪取は必要な事なのだ」

《し、しかし准将、騎士キリエらの言う事にも一理あります。

 間諜が発見されれば、あのイカれた連中が、祭壇に居る女性全てを殺害する事は充分予測され――》

「それは無い。私の首を賭けても断言しよう」

 この場合の首とは、実際の頸部を示す事にもなりかねない事は、勿論わかっているのだろう。

「海上祭壇を、この上なく完膚なきまでに制圧した上で、揚国刀は放置したのだ。

 メルメ氏には、それ以上の思惑があるに違いない。

 裏を返せば、揚国刀は彼の目的の範疇外にあるとも解釈できる。

 ならば、むしろ揚国刀の奪取は望む所のはずだ。

 我々が間諜を送った事実を掴めれば、次の交渉カードになり得るからな」

 理由としてはいささか弱い気はしたが……前原大佐は、結局のところ首を縦に振らざるを得なかった。

《了解しました。

 しかし自分からは“絶対に発見されずに任務を遂行せよ”と指示させて頂きますが》

 揚国刀が消えれば、いずれは露見する事なのだが。

「むしろ、そうしてくれると助かる」

 准将は、迷いなく下知をくだした。

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