映える
二月に、里佳が帰ってきた。半年ぶりだった。髪が少し短くなっていて、日に焼けていた。部屋に入ってきて、机の位置が変わっているのを見て、一度だけ止まった。
「ここ、机動いた?」
「動きました」
「なんで?」
「人が増えたので」
里佳は部屋を見た。十四人いた。
里佳は、顔の分からない人が多いと言った。目で数えていた。
「あの子、誰?」
「四月から来てる子です」
「あっちは?」
「六月からです」
「名前は?」
和彦は答えた。答えてから、その二人がどこから来たのかを知らないことに気づいた。
*
その日の撮影に、里佳が入った。入って、五分でうまくいった。喋る速さも、間の取り方も、半年前と同じだった。
「うち、まだいけるじゃん」
「いけてます」
「よかった」
里佳は笑った。笑い方も、同じだった。
*
部屋の匂いが変わっていた。
人が増えたぶん、空気が重い。誰かの香水と、缶の匂いと、機材の熱の匂いが混ざっている。窓は開かない。開けても、外の音が入るだけだった。
里佳が「ここ、前より暑くない?」と言った。誰も返事をしなかった。
*
編集をしていて、和彦は気づいた。
里佳の話し方が、いまのチャンネルの型に合っていない。
半年前は、喋って、間を空けて、笑わせる形だった。いまは間を空けない。空けると、その分だけ数字が落ちる。
和彦は里佳の間を詰めた。詰めると、合った。
「うち、なんか早くない?」
出したあとで、里佳が言った。
「詰めました」
「なんで?」
「いまは、そういう形なので」
里佳は画面を見た。しばらく見て、それから「ふうん」と言った。
「誰が決めたの、それ」
和彦は答えようとした。答えが出てこなかった。
*
和彦は、そのあとで考えた。間を詰め始めたのがいつかを思い出そうとした。思い出せなかった。
毎日一本にしたときからだと思った。思って、その前の回を確かめた。その前から詰まっていた。
もっと前を確かめた。オランダの回は、詰まっていない。あいだの一年半のどこかで、変わっていた。
和彦は誰にも訊かなかった。訊く相手を考えた。仁科は表を作っている。大野は金を出している。陽菜は毎日撮っている。瀬川は前に出ている。
決めた人は、いなかった。
*
三月に、企画が一つ通った。新しく来た子が出したもので、街で人に声をかけて、持ち物を見せてもらう企画だった。
「これ、前にやったやつに似てるね」
仁科が言った。
「似てますか?」
「二年前に似たのをやってる」
「知らないです」
「知らなくていいよ。やって」
撮影は、うまくいった。新しく来た子は、初めてなのに手際がよかった。カメラの位置も、声のかけ方も、間違えなかった。
「上手ですね」
「見てたんで」
「なにをですか?」
「このチャンネル。高校のときから見てました」
和彦は、そこで手を止めた。
編集を、その子がやりたいと言った。和彦は素材を渡した。二日後に、七分になって返ってきた。
和彦はそれを通した。間が詰まっている。人を下げていない。最後に、優しい一言が置いてある。
和彦が教えたことは、一つも無かった。
「これ、誰かに習ったんですか?」
和彦は訊いた。
「習ってないです」
「じゃあ、どうやって」
「見てたら、分かるので」
その子はそう言った。悪気は無かった。
和彦は自分の手を見た。
指の腹が、キーの縁で薄く硬くなっている。爪の左側だけが短い。切った覚えは無い。当たって減ったのだと思った。
肩を回すと、首の後ろで音がした。
*
四月に、一年が過ぎた。
恵那が来なくなってから、一年になる。
和彦は、その一年で出した本数を数えた。三百十四本あった。そのうち、恵那が一度でも画面の外にいたのは、ゼロだった。
和彦は数えなおした。ゼロだった。
*
打ち上げは、毎日ある。撮影が終わると、そのまま始まる。始まる時刻は、撮影が終わる時刻と同じになっていた。
和彦は開始の時刻を並べて書いた。指で上から下へなぞった。
七時二分。七時十五分。六時五十分。六時二十五分。五時四十分。五時二十分。五時十分。五時。
いちばん上と、いちばん下で、二時間の差があった。
*
和彦は、いちばん上の日を確かめた。一年目の七月。一本目を出した日だった。あの日、七時二分に大野が「打ち上げじゃん」と言った。
あのときは、恵那が帰ってから始まった。
いまは、帰る人がいない。
*
五月の撮影で、新しく来た子が訊いた。声が高かった。
「これ、なんでこの位置なんですか?」
カメラの位置のことだった。机の端で、少し低い。
「そこだと、顔が下から入るので」
「下からだと、どうなるんですか?」
和彦は口を開いた。
「顔しか映らないんですよね」
答える前に、その子が言った。
「部屋が映らないから」
和彦は、その説明を誰にも教えていない。教えた覚えが無い。訊かれたことも無い。
和彦は、自分がいつそれを覚えたかを思い出そうとした。出てこなかった。
*
六月に、陽菜が休んだ。三日休んで、四日目に来た。来て、いつもの椅子に座った。座って、少しのあいだ動かなかった。
「大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ」
「撮りますか?」
「撮る」
陽菜は顔を上げた。上げてから、笑った。
和彦はカメラを構えた。
*
その日の一本は、三分だった。陽菜が喋って、少し笑って、終わる。中身は無い。中身が無いのは、いつもと同じだった。
編集は二十分で終わった。
和彦は最後に、サムネを三枚作った。三枚のうち、いちばん本人に似ていないものを選んだ。
選んでから、なぜそうしたかを考えた。
仁科が横に来て、画面を覗いた。
「それでいい?」
「これでいきます」
「なんでそれ?」
和彦は少し考えた。
「明るいと、部屋が映るので」
仁科はうなずいた。うなずいてから、こう言った。
「うん。映えるから」
*
部屋の音が、そのとき一度だけ遠くなった。
缶を開ける音も、誰かの笑い声も、少し遅れて戻ってきた。和彦の耳の奥で、細い音が鳴っていた。
和彦は、その言葉を聞いた。
どこかで聞いた気がした。誰が言っていたかは、思い出せなかった。
仁科はノートを開いて、線を一本引いた。それだけだった。
*
和彦は画面を伏せた。部屋には十六人いる。カメラは机の端で回っている。誰も、それを気にしていない。
里佳が缶を配っていた。大野が数字の話をしていた。陽菜が笑っていた。瀬川が椅子を並べていた。
時計は四時五十分だった。
「一万六千二百」
「はい」
「今日、何の打ち上げ?」
新しく来た子が訊いた。
「打ち上げは、毎日です」
大野が答えた。
「なんでですか?」
「なんでって」
大野は缶を開けた。開けてから、少し考えた。
「昔から、そうなってる」
*
その週の欄に、和彦は打ち込んだ。
打ち上げ 一万六千二百円 大野立替 六月十一日
和彦は、その上の行を見た。同じ項目名が、二年ぶん並んでいる。
いちばん上の行は、四千二百円だった。
*
〈今日の一本〉
三分四秒/再生 9,600
〈毎日ありがとう〉
*
誰も、恵那の名前を言わなかった。映える、とだけ言っていた。作った人の話は、誰もしない。なのに、ルールだけが残っていた。




