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1話

前書き

【読者の皆様へ】

本作をお読みいただきありがとうございます。物語の導入にあたり、一点ご案内がございます。


「 *** ~ *** 」:この印で囲まれた箇所は、他のお話ですでに公開・描写済みの内容であることを示しています。

重複する内容となりますので、既読の方は適宜読み飛ばしていただいても物語の理解に支障はございません。

(※物語の構成上、他のお話とでは多少の文法の違いが生じている箇所がございますが、あらかじめご承知おきください)

「え、え、ちょっと待ってよ」


「もう、何ですの。助手になるっておっしゃったじゃありませんの。あれ、言ってましたわよね。どちらでもよろしいですわ。どこへ向かっているのかは、わたくしにもわかりませんわ。探偵らしく事件がありそうなところを、ひたすら走って探しますのよ」


俺の願いが届いたのかと思ったが、その場で止まってくれたと思いきや、何やらよくわからないことを話し終えた矢先、再び走り出してしまった。


この状況は昨日と同じってことは――


***

その目は子供が新しいおもちゃを発見した時のようにキラキラと輝いていて、止めることができなかった。そう、精神的にも肉体的にも。


「ああ、もう。どうにでもなれ」


人間というものは不思議なもので、それが危険じゃないと分かればすぐに適応できてしまうようだ。

2回目ということもあり、今の状況に慣れ始めている。


彼女の手に身を任せて走らされ、体感では数時間が経過した気がする。街の光景は次第に人気が薄れ、買い物帰りらしい親子連れの姿が目立つようになっていた。


「ここのところ物騒ね……」


走らされている最中、ちらほらと耳に入ってくる会話がある。


「この前なんて、あそこの家の旦那様が裏道で身ぐるみ剥がされたっていうじゃない」

「聞いた? 昨晩もまた衛兵の目が届かない暗がりで騒ぎがあったそうよ」

「聞いた? 最近、子供を見かけない家もあるらしいわよ」


「それって、あそこの家の旦那様が酔っている時に見たらしいわよ。大きな袋を背負った人が夜な夜な女の後をつけているらしいの。しかも、その大きな袋からジャラジャラと、金属のような重い音が聞こえるらしいの」


よくよく耳を澄ませると、何やら不吉な会話が聞こえてきた。

***


まるで昨日のリプレイを見ている気分だ。バタフライ効果と呼ばれる言葉がある。未来を知っていても、少しの変化で滝のように新たな未来が生まれてしまうのだ。


この夢の中でも同じことが起きると保証はないが、あまり1日の流れを変えて、俺を殺した少女の行動経路が変わる方が厄介だな。


首を飛ばされた恐怖はあれど、この夢から覚める方法が死ぬだけとは限らない。それならできるだけ安全に行動し、なおかつできるだけ昨日と同じ行動をとった方がいいか。


たしかこのあと――


***

「あ、あの。さっきから物騒な会話が聞こえます。もしかしたら事件の可能性があるんじゃないでしょうか」

「なんですって」


俺の一言に反応を示し、その場で急停止した。二度目ということもあり身構えていたものの、勢いが想像以上に強く転がりそうになってしまった。しかし、いまだに少女と手を繋いでいたことで、地面にぶつかることはなんとか避けることができた。


「それって本当ですの?」


「う、うん。ほら、あそこにいる婦人が事件を匂わせる会話をしていました」

「そうなのね。でかしましたわ。それなら早速聞き取りですわ。」


俺の一言で、どうやら聞き取り調査をすることになった。


「ほら、何ぼーっとしていますの。あなた、聞いてきなさい。」

「え、俺が聞くの」

「当たり前じゃありませんの。だって、助手ですのよ。」


この少女と出会って1日と言っていいのかあれだが、その短い時間で悟ったことがある。脳筋で、基本何も考えてなさそうだということだ。それでいて、一度決めたことは曲げず、どこか必死さを感じるような気がする。


少女の謎の圧に押され、急ぎ足で聞き取りをすることになった。

昨日と同じく、聞き取りは俺がすることになり、隣には少女もついてくる。


「あの〜、ちょっといいですか」

「なんでしょうか」


俺が声をかけたことで、少し警戒しながらも応えてくれた。それもそのはずだ。物騒な話をしていたところに、俺のような見知らぬ人間が話しかければ、警戒の一つくらいするだろう。


「えっと、俺たち最近起きた出来事について調査をしている者です。何か怪しい噂などあれば、詳しくお聞かせください」

「えっと、そんなことでよければ……」


俺たちの様子を値踏みするように一度全身を見回した後、少し警戒されつつも色々と話を聞くことができた。


「そうですか。ありがとうございます」


一通り聞き終えた後、礼を言い、その場から去ることにした。


昨日は気づかなかったが、一度死んだことで、鎌を抱えた少女の特徴と噂の内容に大きな違いがあることに気づいた。昨日はストーカーと行方不明が怪しいと思ったが、鎌の少女がしたとは到底思えないからだ。


真昼間から殺人を犯すような人間が、わざわざストーカーをするだろうか。


行方不明の件もそうだ。すでにある噂が鎌の少女の仕業なら、手慣れているはずだ。なのに、悲鳴を上げさせる時間をわざわざ与えるだろうか。


そう考えると、街の人に聞き込みをしても得られる情報が少ないな。


「思った以上に面白いことを聞けたわ」

「ああ、変なものも一部混じってはいたけど……」

「そう、幽霊や突然雨が降り出したり」

「え、そっち」

「えっ?」


「それは関係ないと思うよ。それより、ストーカーや行方不明のほうが事件性が高いと思う」

「そ、そ、そうですわね。わかっていましたけれど、あなたを試すためにわざとですわ」

「そっか」

「なによ、その目ですの。本当ですわ」

「わかってるわかってる」

「そう、分かればいいですわ。それで、この事件について調査をしますわよ。探偵らしくね。手分けして聞き取り調査ですわ」


***


昨日と同じ行動をすれば――


待っているのは、死だ。


いくら夢とはいえ何度も死にたくない。それに目覚めが悪い上、変に記憶をなくす影響で、今日の入学式で倒れてしまったのだろう。


それにしても、あの新入生代表を見てなんで死んだ記憶を思い出したんだ。今は考えても仕方ないか。

そう、死は怖い。わざわざ危険とわかることをする義理はない。


かといって、この少女から逃げることは不可能だろう。それなら死なないように少女と共に行動した方が得策だ。


それに、どんなバタフライ効果が起きても彼女がいれば問題ないだろう。


「な、なあ。やっぱり聞き込みは一緒にした方が良くないか。ほ、ほら、俺の助手としての能力をもっと知るためにもさ。えっと、ほら……あれだ」


言っている途中から、自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。内心で「何を言っているんだ俺は」と自問自答していると、


「いいじゃありませんの。やっと助手として自覚を持ってきましたわね。」


焦りが伝わったのか、それとも本当に何も考えていないのか。理由はわからないが、どうやら納得してくれたらしい。


あれで納得してくれるのか。


「では、あちらから聞き込みをしに参りましょう。」


そう言って彼女が指を差した方向は、昨日聞き込みをすると言って走っていった方向とは違っていた。

彼女と共に行動できる頼もしさ。そして昨日とは違う方向だったことに安心し、体が少し軽くなったような気がする。


「あ、ああ。わかった。えっと……」


そうだった。ずっと「少女」や「彼女」と頭の中で呼んでいたが、名前を聞くのを忘れていた。


「あら、そうでしたわね。わたくしの名前は探偵ですわ。」

「あきらかに偽名……」

「そうですの。では、シャルロットとお呼びください。」

「わかった。シャルロットだな。俺の名前は叶結だ」


シャルロットも明らかに偽名だろうな。まあ、探偵よりは呼びやすいからいいか。唐突に始まった自己紹介も終わり、そろそろ調査を始めることになった。


――



調査を始めて一時間が経とうとしていた。辺りは暗くなり始めている。

しかし、調査結果は芳しくない。これといった新情報は出てこなかった。


「うぅ、どうして何も出てこないの……」


「元気出してよ。一時間の調査で有力な情報が出てくる方が珍しいと思うよ。こういうのは時間をかけて少しずつ調べるものなんじゃないかな」


落ち込んだシャルロットを慰めつつ、ゆっくり歩いていると、いつの間にか元の場所へと戻ってきていた。あの時も、これくらいの時間じゃなかったか。


「きゃあああああっ」


微かに聞こえた悲鳴。


昨日と同じだ。集中しないと聞き取れないほど遠くから聞こえてくる悲鳴。ふとした瞬間に昨日の出来事を思い出し、聞こえてしまった。


そしてそれは――


「叶結、聞こえましたわね。行きますわよ」


シャルロットも同じで、それだけ言い残すと、とてつもない速さで悲鳴の聞こえた方向へ走り出した。


「そんな……」


いやだ。関わりたくない。本能が逃げろと告げている。しかし、短い時間とはいえ共に行動したシャルロットのことを知ってしまった。


もちろん、シャルロットが強いことも知っている。それでも、凶器を持ったあの少女に勝てるのか。ひょっとしたら殺されてしまうかもしれない。そんな考えが頭をよぎった瞬間、体が勝手に動いていた。


「もう誰にも……」


もう誰にも死んでほしくない。俺の手に届く範囲の人は救いたい。


「夢の中だけでも幸せであってほしい」


「はあ、はあ、はあ……たしか、こっちだったはず……」


曖昧な記憶の中、どうにか思い出しながら進んでいく。すでに体力の限界はとうに過ぎている。俺がいて何か役に立つのだろうか。そんな疑問もある。それでも、何もしないよりはましだ。そうして走り続けていると、誰かとすれ違った。確かに見覚えのある銀髪の少女とすれ違う。


だんだんと記憶も鮮明になり、覚えのある道へと入っていく。そして、鉄のような嫌な匂いが漂ってきた。しかし、一つだけ違う点があった。俺は、このあと起こることを知っている。


そこには子供の死体があった。


小さな体が地面に倒れ、赤い水たまりが広がっている。人生において、人の死体を何度見る機会があるだろうか。一般人なら、そもそも一度もないかもしれない。しかし俺は、幼い頃に両親を亡くし、そして昨日にもこの子の死を見ている。


胃の奥から何かが込み上げてくる。


「うっ……おえ……」

「これはひどいですわね」


子供の死体を改めて目の当たりにし、シャルロットの存在を忘れていた。


しばらくその場で吐き気に耐えながらも、残った理性で鎌の少女を警戒した。昨日より来たタイミングが遅かったからだろうか。それとも今は一人じゃないからだろうか。

いつまで経っても鎌の少女が来ない。


助かったのか。


少女の死体を前に、同じように死なないかもしれないと思ってしまった自分に嫌気がさす。


カチリ、カチリ。


微かに聞こえてくる金属の音。それを聞いた瞬間、恐怖が一気に支配した。


また、死ぬんだろうか。


トラウマも重なり、その場でただ立っていることしかできない。シャルロットを助けようとここまで走ってきたのに情けないな。


いざ死ぬかもしれないと思うと、恐怖で動けなくなる。バチが当たったんだ。少女の死を前に、自分じゃないことに安心した罰が。


「ひっ」


思わず悲鳴が漏れた。


ガチャ、ガチャ。


だんだんとそれは近づいてくる。しかし、突然それは止まった。

また死ぬのか。


どこか諦めていた。どうせ夢の中だ。あの首を切られた時の痛みを思い出すだけで、首が痛くなる。いやだ。あんな痛み、もう二度と感じたくない。シャルロットが強いとわかっていても、どうしても怖い。逃げなきゃ。


「シャル……」


逃げよう。

そう言い終わる前に声が聞こえた。


「動くな。両手を上げろ。そのまま膝をつけ」


そんな声が聞こえた。


「え……?」


振り返るとそこには、鎧をつけた複数人の人間がいた。おそらく衛兵と呼ばれる人たちだろう。

助かった。安心したからか、自然とその場で崩れ落ちた。


よかった。


「囲め。誰も逃すな。悲鳴を聞いた者は一人残らず特定しろ。怪しい動きをした者はその場で斬り捨てる」


低く響く号令と同時に、衛兵たちが一斉に動き出した。鎧の擦れる音と足音が狭い路地に反響する。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


思わず声を上げる。


しかし、こちらの事情など関係ないと言わんばかりに、数人の衛兵が剣を抜きながら近づいてきた。


「その場から動くな」


「……っ」


言われた通り両手を上げたまま、ゆっくりとその場に膝をつく。まさか助かったと思った直後に、今度は処刑される可能性が出てくるとは思わなかった。心臓の鼓動がやけにうるさい。


「お前たちは何をしていた」


重装備の衛兵の一人が、低い声で問いかけてくる。


「えっと、その……悲鳴を聞いて来ただけで」

「来ただけだと?」


疑いの目が突き刺さる。


そりゃそうだ。

こんな路地裏で子供の死体の前に立っている人間がいれば、まず疑うだろう。


「ほ、本当です! 俺たちは――」

「ちょっと」


横から声が割り込んだ。


「この人は助手ですわ」


シャルロットだった。


いつの間にか俺の横に立っている。


「そして、わたくしは探偵ですわ」

「……は?」


衛兵が明らかに困惑した顔をする。いや、俺も困惑している。


「この街で起きている一連の事件を調査しておりますの」


シャルロットは胸を張って言い切った。


「ですから、むしろ感謝してほしいくらいですわね。」

「……」


沈黙。

衛兵たちは互いに顔を見合わせる。


空気が重い。


やばい。

これは完全に怪しいやつだと思われている。


「証拠はあるのか」

「証拠ですの?」

「探偵だという証拠だ」

「ありませんわ。」


即答だった。


俺は思わず顔を覆った。


終わった。


「隊長」


後ろにいた衛兵の一人が声を上げる。


「この子供の遺体、まだ温かいです」

「何?」


空気が一瞬で変わる。


「犯人は遠くへは逃げていない可能性があります」


その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。


――



「……なら、犯人はまだこの場にいるということだな」


その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍り、背中を嫌な汗が伝った。妙に世界が静かだ。自分の呼吸と、心臓の音だけがやけにはっきりと聞こえてくる。


衛兵の視線がだんだんと鋭くなる。隊長がゆっくりと腰の剣に手をかける。その動作一つ一つに、無意味なまでの重圧がある。


「あ、あの! 待ってください、俺たちは本当に……!」

「問答無用だ。この状況、この死体……。誰が見ても、貴様らが犯人に決まっている。なにより、私の直感がそう告げているのだ!」


隊長はビシッと俺を指差した。……が、その指先はわずかに震えている。そこへ、シャルロットが「ふふん」と鼻で笑って一歩前に出た。


「ちょっと、シャルロット!?」


俺の制止は虚しく、シャルロットはゆっくりと隊長の元へと歩いていく。


「いいですこと? わたくしと助手がいるのですから、犯人なんてすぐに捕まえられますわ」


その言葉と共にシャルロットが、あろうことか隊長の鼻先に拳を突きつけた。え、ちょ。シャルロット、なにしてんの。そんなことしたら事態が余計にややこしくなるじゃないか。


「ちょっと、シャルロット!?」

「な、ななな……衛兵への威嚇は重罪だぞ!」


シャルロットの行動により、怒りを露わにしたように全身を震わせる隊長。今にも「捕まえろ!」と叫びそうな雰囲気になっていた。


「ひっ」


シャルロットがずっと衛兵を見つめていると、小さな悲鳴が聞こえてきた。


え……


「でしたら提案ですわ。わたくしたちと一緒に調査をしませんか」

「ふ、ふ、ふざけるな! だれがお前のような犯罪者なんかと」


もしかして……


「捕まえろ! 俺の勘が言っている、こいつらが犯人だ」


怖がっているのか? シャルロットの行動で終わったと思った。しかし、拳を前に突き出した頃、いや、俺たちを初めて犯人だと疑った時から震えていた。


あ、これ、いける。


冷静に考えると、次から次へと疑問が浮かぶ。


もし怒りから震えているのなら、なぜ怒る前から体が震えていたのか。


そしてなにより、ここに着いた時、この場にいたのは俺とシャルロットだけだった。なぜあの段階から犯人を俺たちだと決めつけず、少し経った後に言ったのか。


子供の頃、両親の死を目の前で見たトラウマが蘇る。目の前には、死んだ少女。その小さな体から赤い水たまりが地面に広がっている。大切な人でも知り合いでもない、赤の他人。


それでも、どちらも同じ死。

そしてなにより、昨日の自分自身の死。


また殺されるのではないかという恐怖が込み上げた。だが、そこで現れたのは殺人鬼ではなく衛兵だったことで、一度は安心する。しかし、状況が状況だったため、今度は犯人と疑われ、このまま捕まるのではないかという恐怖に襲われた。


感情が次々と押し寄せたことで脳が混乱し、考えることを放棄していたようだ。


「足が子鹿のように震えてますよ」


先ほどまで地面に座り込み微動だにしていなかった俺が、唐突に話し出した。


「……あ、足が震えてなどいないぞ! 私は怒っているのだ!」


やっぱりだ。この男は恐れている。だからこそ、そこを刺激してやれば、今からする話にも簡単に乗ってくれるだろう。


「分かってます、分かってます。ですが、考えてみてください。今ここで俺たちを捕まえても、犯人が逃げ延びたら隊長の評価はガタ落ちです。でも……」


俺は確信をもとに話しながら隊長へ近づいていく。そして、声を潜め、隊長の耳元で囁いた。


「もし、この『自称・探偵』に捜査を手伝わせれば、犯人を捕まえた功績はすべて『隊長が荒くれ者の探偵を飼いならして解決に導いた』ことになります。……悪い話じゃないでしょう?」

「……ほう? 私の、功績……?」


隊長の目が、卑屈な光を帯びて泳ぎ始めた。


そう、世間体だ。もし部下から、シャルロットに近づかれたこと、そしてなにより死体を見たことに恐怖し、びびっていたと思われたとする。それが噂になり、隊長の耳に入った時、どうなるだろうか。


所詮は噂、時が経てば消えはする。だが、それを隊長がどう捉えるかはまた別の話だ。


この男がどういう人間かは、この短い間で十分だった。おそらくコネによって入ったお飾りのような存在。だからこそ、逆に俺たちを利用して成功を収めたと思わせることで、その噂の芽を摘むことができる。


俺も捕まってまた殺されるのはもう嫌なんだ。だからどうにか隊長が納得して、俺たちを犯人じゃないと思わせるように仕向けなくてはならない。


俺は隊長から離れ、少し大きな声で再び隊長に問いかける。


「そうです。俺たちを監視下に置き、共に捜査をさせるのです。もし失敗すれば、『怪しい探偵に騙された』と俺たちに罪を擦り付ければいい。解決すれば、それは『探偵を使いこなした隊長の手柄』として、有能な隊長として噂され、昇進間違いなし」



ゴクリ。



誰かが唾を飲み込む音がした。だが、それが誰なのか考えるまでもなかった。


「昇進」

「ええ、昇進です。あなたは有能だ。ここまで聞けば、あとは分かりますよね」


「な……! な、なるほど……! その手があったか! そうだ、俺は有能なんだ」


俺の考えは見事に的中した。俺の言葉や行動によって、隊長の心は非常に揺れている。


ああ、この男は無能なんだと。俺の中ですでに決まった。だからこそ「あとひと押し……」誰にも聞こえないような声で思わず呟いてしまった。


「隊長は無能な上司ではなく有能です。ここは一つ、俺たちに寛大な心をお与えください。『外部協力者』として、必ずこの事件の調査にお役に立ってみせましょう」


隊長はポンと手を打った。そして急に胸を張って威張り散らす。


「む……むむむ。……よし、決めたぞ! 私は寛大なのだ! 貴様らを特別に『外部協力者』として認めてやろう! この事件の調査を許可する。感謝しろよな!」


安堵の息を漏らしながら、隊員たちを見た。


後ろの衛兵たちが「え、いいんですか隊長!?」「流されすぎじゃ……」とヒソヒソ話しているが、隊長はすっかり乗り気だ。


……最悪の危機は脱したが、さらに面倒なことに巻き込まれた気がする。


普段の冷静な俺なら、こんな行動は取らなかっただろう。しかし、夢の中、そしてなぜか助手という役割を押し付けられ、さらには感情の起伏が大きくなったことで、一種のトランス状態に陥っていたらしい。今さらになって後悔してしまった。もう少しやりようはあったんじゃないのか。


こんな事件や、死ぬような夢を、自分から招いてしまった。


現実世界では、他人と話してもどこかチグハグで上手く話せない。もちろん表面上は仲良くしているし、日常会話はできていると自負している。でも、俺だけがどこか周りと違うと、目に見えない壁を作ってしまう。


だからこそ――


俺は夢の中だけでも幸せでありたい。


父さん、母さんと晴れた日にピクニックに行き、たまに恒一さんとも遊ぶ。そんな平和で幸せな夢を見たい。現実世界では叶えられない夢。でも、夢の中でならそれは叶う。


何も苦労もいらない。

何も嫌な思いをしなくて済む。

ただただ、幸せでありたいんだ。


それでも……


昨日から始まったこの奇妙な関係を、気に入り始めている俺もいる。


ここは、シャルロットの無茶な行動や命令で苦労させられ、実際に昨日は死を体験してしまった。


幸せとはかけ離れたこの夢の中は、苦労の連続で、たくさん嫌な思いをした。


それでも――


シャルロットと過ごす時間が、心地いいと思う俺がいる。


隊長は、まるで自分が考えた案かのように高らかに笑い、

少しおとなしいと思っていたシャルロットは「助手としての自覚がとうとう芽生えてきたのね」と言う。

そして、隊員たちは隊長に対する愚痴をそれぞれ口にしていた。


「ああ、どうしてこうなってしまったんだ」


俺の言葉は、終始誰にも気づかれることがなかった。


そうしてさまざまな人の感情のこもった言葉が飛び交った状況が少し和らいだころ


「話がついたわね。それじゃあ、私たちはあちらを調査します」


シャルロットがそう言ったかと思えば、俺の体は宙を浮いていた。何を言ってるんだって? 俺にも分からない。理解したのは数秒後のことだった。


シャルロットは俺の首元をつかみ、走っていた。


ああ、こんなことを短期間で何度も体験することになるとはな……と、妙に冷静なまま思考す


首をつかまれて運ばれている状況のわりに、妙に落ち着いていた。三回目ともなると、喫茶店の常連客みたいなものだ。


「あ、こら待て! まだ話は終わって……」


遠くから、かすかにそんな声が聞こえた。正直ありがたかった。変なスイッチが入っていたとはいえ衛兵――日本でいう警察に向かってあんなことを言ったのだ。気が気じゃない。


――



「さあ、聞き取り調査をいたしますわよ。人通りが多い場所へ参りましょう。」

「ストップ」


シャルロットと過ごしていくつかわかったことがある。一つは理屈を並べて1から説明するより、単刀直入に言った方が伝わることだ。


これは、予想より確信に近い。シャルロットは考えるより先に体が動く性格つまり、脳筋である。婦人に聞き取り調査を行った情報を整理したときに薄々勘付いてはいたが、決定的な瞬間は衛兵に対する行動だ。なにも考えてない。


シャルロットと過ごす時間が心地よかったとしても、それとこれはまた別の話である。相手が脳筋なら、その土俵に立てばいいってことだ。


その結果がストップだ。


「なにですの?」

「人通りが多いところって表通りでしょ。それは朝からついさっきまで調査を行った場所じゃないか。そこで調査をしても出てくる情報は変わらないよ」


ほんとにね、これが一週間後とかなら少しは違う情報が出てきてもおかしくないが、数時間後なら情報が何も更新されていない。むしろ俺たちの方が知っているまである。


それにこの夢がいつまで続くかわからないんだ。もし、衛兵の人に捕まりでもしたら寝たらずっと牢屋の中なんて嫌すぎる。


だからこそ、調査をして新しい情報ができ場所に言った方がいい。それが表通りでないことは確かだ。


どうせやるなら本気でやろう。


「たしかにそうですわね。では、どこで聞き込み調査をいたしますの?」

「表を調べたなら、次は裏じゃないかな」

「そうですわね。それでは裏へ……」


パタパタパタパタ。


俺とシャルロットが話し合っていた時だった。


ふと、周囲をキョロキョロと見渡しながら、時折肩をビクッと跳ねさせる少女の姿が目に入った。なにやらボソボソと呟いている。


「ここはどこ」「ごめんなさい」


そんな言葉が、かすかに聞こえてきた。


その姿は、何かに怯え、取り返しのつかない罪を背負っているかのように見えた。


……あの人、どこかで――

「ちょっと、聞いてますの!」

「え、ああ。ごめん」


意識が、さっき通り過ぎていった少女のほうに向いていたらしい。シャルロットに返事をしつつ、気になって後ろを振り向く。


だが、そこにはもう誰の姿もなかった。


「またですの。向こうに何かありますの?」

「あ、いや……なんでもない。気のせいかもしれない。それじゃあ、路地裏に行こうか」


――



〜怯える少女視点〜


私の人生、どうしてこうなってしまったんだろう。


物心ついた頃から、家の中はずっと騒がしかった。楽しい笑い声じゃない。怒鳴り声と、何かが壊れる音。パパとママは、いつも喧嘩をしていた。


理由なんてわからない。ただただ怖かった。大きく家中に響く怒鳴り声が、物が壊れる音が、なによりそれを見て聞いて逃げることしかできない私自身が。


友達が羨ましいと思った。だから、私は学校が終わると夜までずっと友達と過ごした。真夜中になり家に帰ると、それでも喧嘩は止まらない。


その日も私は友達の家で夜遅くまで遊んでいた。時刻を見ると夜の7時を過ぎていて、さすがに帰るかと友達と別れた。


「亜麻仁さん、亡くなったらしいよ。噂では無差別殺人に巻き込まれたって。奇跡的に子供は無事らしいけど、これからどうなるのかしらね」


誰かがそんな噂話をしていた。なんだか物騒だなと思いながら、被害者にはかわいそうとは思いつつ、私には関係ないとすぐに家に走って行った。


あまり遅くなると、パパとママから酷く殴られ、蹴られ、罵倒されるからだ。


そして、その日が来た。


家に帰ると違和感を覚える。いつもはパパとママが喧嘩をしていて、ものすごく怖い場所だった。だからだろうか、なにか嫌な予感がする。


それでも、本当にごく稀にお互いの用事が重なり、それぞれ出かけていて誰もいない日もあったから、すぐにその恐怖は和らぐ。


あの嫌な光景や音がしないだけで、自然と足取りが軽くなる。そうしてお風呂に入り、ご飯の準備をしていると。


ピンポン


家のチャイムが鳴った。


「誰だろう、こんな時間に」


時刻は9時を過ぎていて、この時間までパパとママが帰ってこない時は、大体いつも朝帰りだったから、誰だかわからなかった。


カメラの電源をつけて確認すると、そこには警察がいた。それからの記憶はあまり覚えていない。この言葉だけは妙に耳に響いた。



―人殺しの娘―



最初に聞いた時は訳がわからなかった。


なんで、どうして。そんなことをしたのか。今となってもわからない。ただ一つわかることは、それからの私の人生は最悪なものだったということだ。


パパは警察に連れて行かれた。もう二度と、家には帰ってこないのだと子供ながらに理解した。


ママは最初こそ家にいた。でも、日に日に帰ってくる回数が減っていき、気づけばほとんど家にいなくなった。どこに行っているのかはなんとなくわかっていた。知らない男の人の名前を電話で呼んでいたから。そして、ある日を境に完全に帰ってこなくなった。


ただ一人、私だけが取り残された。


今まで友達だと思っていた子は私から離れていき、無視されるようになった。それでも心のありかを探して友達に近づくと、最初は小さないたずらだった。しかし、それがだんだんとエスカレートしていく。


初めは、やってもいない噂や悪口から始まった。それから、トイレに行くと水をかけられ、教科書を川に捨てられるようになった。それでも私は抵抗し続けた。そして、その時がやってきた。


「いたっ」


靴を履き替えようと手に取ると、そこには一つの画鋲があった。指から赤い液体が出てきて、刺さった部分がじんじんとやけに痛く感じた。


いじめられていると理解した日。先生に助けてと相談をした。しかし、憐れみこそすれど手助けはしてくれなかった。


「う、うぅ……」


今まで溜め込んでいた感情が一気に溢れ出すような感覚に襲われ、そこで初めて一筋の涙を流した。いつかはこのいじめは終わる。それまで耐えれば、いつも通りの幸せな日常が帰ってくると。きっとこれは悪い夢に違いないと、自分に信じ込ませていた。


しかし、壊れてしまった。


なんで私だけがこんな目に。どうしてみんなこんなことをするの。泣き崩れる私に、遠くから笑い声が聞こえた。それはかつて友達だと思っていた女の子の声だった。


靴を履くのを忘れ、その場から逃げた。唯一の逃げ場となったのは、皮肉にも最も嫌いだった場所……自分の家。


家にはもう誰もいなかった。


あんなにも怖かったパパやママはいない。それなのに、安心することはできなかった。ただ静かなだけの空間が怖かった。


それでも、あの子たちと一緒にいるよりマシだと思えた。


それからは早かった。人に会うのが嫌で、家に引きこもるようになった。


何回か家のチャイムが鳴った。最初は無視していた。でも、それは一度じゃなかった。何度も、何度も鳴り続けた。それでも怖くて、出ることができなかった。


電気が止まった。それからしばらくするとガスも止まった。そうして最後に水も止まった。家にある食べ物も尽き、私は倒れるようにその場で意識を失った。


目を覚ますと、目の前におじいちゃんとおばあちゃんがいた。


二人は優しく接してくれ、私は再び涙を流してしまった。今まで何があったのか、呂律が回らずほとんど聞き取れないであろうそれでも、必死にやめて欲しかったこと、嫌だったことを話した。


おじいちゃんとおばあちゃんは何度も頷き、私の頭を撫でてくれた。そうして一区切りした時に。


「私たちの家に来るかい」


そう言ってくれた。


それから、二人の家で過ごすようになり、1年間幸せに暮らしていた。過去にあったことを忘れかけ、学校に行く決心ができた。


初めは怖かった。またいじめられるんじゃないかと。でも、ここは私を知っている人が一人もいない場所。それに、私に優しくしてくれる二人に、ずっと迷惑をかけたくなかった。


あの時のトラウマによって口数が減り、暗い雰囲気だった。それでも、そんな私を受け入れてくれる子もいて、楽しかった。


しかし、どこからか漏れた噂によって、それも一瞬の儚い夢のように消え失せ、再びいじめが始まった。



―人殺しの娘―


前の学校に比べればマシだった。それでもまた始まったいじめによって、私の心は完全に閉ざされてしまった。


――



そんな灰色の人生を送り続けた小学生と中学生。いじめはすでになくなっていたものの、私の心に酷くこびりついたトラウマは消えていなかった。



―人殺しの娘―



そのトラウマから、聞こえもしない幻聴がずっと脳内に流れ、私が幸せな人生を歩むことを拒み、罪をずっと背負い続けろと言われている気がする。


おじいちゃんとおばあちゃんに心配されたくないと思い、家では平気なふりをしていたからだろうか。高校から一人暮らしをすることになり、地元の高校に通うことになった。目に映るものすべてが色褪せ、学校に行くことが怖くて仕方なかった。


しかし、そんな私の心配とは裏腹に、誰も私のことを何一つ覚えておらず、1年間終始誰とも話すことなく無事に終わることができた。


今日から二年生になる私は、新入生が私のことを覚えていたら、またいじめられるんじゃないか。そんなことを思うと怖くて仕方なかった。


いつものように周りの人が常に私のことを蔑み、妬み、虐めようとしていると思ってしまい、高校に行きたくないと思っていると、後ろから男の子に声をかけられた。


不思議だった。その男の子を見ても恐怖を感じず、どこか眩しく見えた。それでも、私は今までの経験から、私が人殺しの娘だと知ると蔑むような目で見てくると思い、思わず逃げてしまった。


私は幸せになったらだめなんだ。


そんなことを思いながら走っていく。いつの間にか学校のチャイムが鳴る。しかし、学校とは真逆の方向に走っていたことで、もう間に合わないと思い、家に帰ることになった。


「明日こそは学校に行きます」


今まで育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんに言い訳するように、独り言をこぼしながら家に着いた。

帰宅後、朝に声をかけてきた男の子のことを思い出す。


「すごく、眩しくて……太陽みたいな人だったな」


まるで私とは正反対な人だと、憧れ半分、嫉み半分で思いふけっていた。私に優しくしてくれた人にこんな醜い感情を抱いている自分に、また嫌気がさす。



―人殺しの娘―



私が少しでも幸せな気分になると、いつもこうだ。頭の中で、お前が幸せになる権利はないと言われているように、この言葉が反復される。


「ごめん、な、さい」


もう許して。こんな人生嫌だよ。誰か助けて……

自分でもわかっている。そんなこと願っても、誰も助けてくれないことを。だって私は。


「人殺しの娘だから」


う、うぅ……


なんであんなことをしてしまったんだろう。少し冷静になれば、やったらダメなことくらいわかる大人じゃないの。どうして私の人生を無茶苦茶にするの。


長年にわたるいじめ。そして世間の目によって負の感情が蓄積されていき、何もかもがどうでも良くなってきていた。


心がすり減り、いっそこのまま消えてしまえば楽になるんじゃないのか――そんなことが頭によぎる。それでも、その一歩を踏み出す勇気がなく、すぐにその思考から抜け出す。これはいつものことだ。



誰かに助けてもらい、救われたいのに。助けられるのが怖い。


「あの男の子なら、私を……」


その言葉を最後まで言えなかった。なぜなら、それはありえないことだから。みんな私の正体を知ったら、忌避して離れていくのだから。


それでも、ほんの少しだけ期待してしまった自分がいて、淡い希望を抱いてしまったことが、何よりも怖かった。


――



〜亜麻仁叶結視点〜


衛兵がいる路地に行くと面倒なことになると思い、反対側にある路地裏へと歩き始める。歩いていくと道幅は狭くなり、建物同士が迫ることで薄暗くなっていく。


特徴と言えるものはないに等しい。それでも、なぜか直感でわかった。ここは、昨日何も知らずに歩いていた場所に似ている。


パタ、パタ。


その音は次第に大きくなり、止まったときにはすでに遅かった。


「おいおいおい。こんなところで、そんな身なりでどうしたんだガキども」


ケラケラと薄気味悪い笑い声。


後ろを振り向くと、三人の男が立っていた。ナイフをペン回しのように器用に回す者。頬に当てたり舌で舐めたりする者。気だるげにぶら下げる者。


その光景は、あまりにも非現実的で、あまりにも見覚えのあるものだった。


初めて会ったときは、トラウマが蘇り、怖くて立ち尽くすことしかできなかった。しかし、死を経験し、シャルロットを助けたいと一心に思い、二度目の死を覚悟して追いかけた経験から、このチンピラたちがひどく陳腐なものに見える。


もちろん一人で遭遇していたら、こんなに冷静ではいられなかっただろう。しかし今は、シャルロットが近くにいる。その力に全幅の信頼を寄せている。こんなチンピラなど、シャルロットの足元にも及ばない。


初めて出会ったときの強烈な光景は、今でも目の裏に焼き付いている。そして関わる中で、「やれ」と圧をかけられる場面を何度も経験したことも大きいのだろう。


「探したぜぇ〜。あの時はよくもやってくれたなぁ〜」


リーダー格の男が言った。初めはその意味を理解できなかった。


だが、答えはすぐにわかる。


「貴様らに裏世界の恐ろしさを知らしめてやろう。へへ……親分、こいつです。俺たちの仇を取ってください」


男が言うと、俺たちの後ろから足音が聞こえてきた。


パタ、パタ、パタ、パタ……。


耳を澄ませば、それは何十人といるかのような大勢の足音だった。


振り返ると、紙幣らしきものをうちわ代わりにし、首飾りや指輪といった高価そうなものを大量に身につけた、不気味な笑みを浮かべた男が立っていた。


その後ろには、十人を優に超えるチンピラたち。


「少し強いからって調子に乗りすぎたな。探せばすぐ見つけられるんだよ。いくら強くても、数の前じゃ個なんて敵じゃねぇんだ」


流石にこの数はまずい——


そんな俺の心配は、杞憂に終わった。

それは一瞬の出来事だった。


チンピラの男が勝ちを確信して笑った瞬間、背後から何かが倒れる音がした。


どかーん。


振り返ると、シャルロットが“親分”と呼ばれた男を殴り飛ばしていた。男は壁に激突し、大きな音を立てる。


「うっ……やめ……」

「た、助け……」


続けざまにチンピラたちを殴り、蹴り飛ばす。

気づけば、そこに立っていたのは最初の三人だけだった。


「え、は……どうなってんだよ」

「化け物か……」


不本意ながら同意する。俺の夢の世界なのに、なんで俺より圧倒的に強いんだ。

それでも、「シャルロットだから」と納得してしまう自分がいる。


「よくわかりませんけれど、倒してよかったのですわよね。」


当の本人がこの調子なのだから、もう何も言えなかった。


「ひ、ひぃ……許してくれ。な、なんでもしますから……」


チンピラたちの態度が変わるのは一瞬だった。崩れるように膝をつき、地面に頭をこすりつける勢いで必死に謝っている。


奇しくもそれは土下座に見えた。


うすうすここは中世ヨーロッパ風の世界だと思っていたが、土下座は日本特有のものじゃなかったのか。いや、俺の夢の中だから変に影響されているのかもしれない。


その異様な光景に思考があらぬ方向へ逸れていく。


「えぇ……」


思わず引きつりそうになる顔を、必死にこらえた。


――



シャルロットのことを「姉貴」と呼び、土下座をするチンピラたち。

それでも「もう一発だけ」と殴ろうとするシャルロット。

それを止める俺、という構図が出来上がっていた。


「流石に可哀想だって。もうやめようぜ」

「いいえ、もう一回だけやらせてくださいませ。ストレス解消で……殴りたいのですわ!!」

「ちょっと待って。言い換えたようで言い換えてないから」


必死にシャルロットの腰を引っ張って止めようとするが、ジリジリと前に進んでしまい、止めきれない。

むしろ、進む速度が少しでも落ちているだけマシだと思えるほど、俺とシャルロットの力の差は大きかった。


……これ、褒めてほしいレベルだろ。


なんで俺が必死にチンピラを守っているのかって?


確かに最初はスッキリした。でも、やりすぎると今度は「可哀想」が勝ってくる。

それに——今は労働力が欲しい。


こういう連中は、普通に頼んでも口だけで終わることが多い。だが、一度力関係を叩き込めば話は別だ。

裏路地は彼らの庭みたいなものだろう。それを利用して調査に協力してもらえれば、かなり助かる。


「彼らにも協力を頼んで、一緒に調査するのはどうだ?」


俺の提案に、何か思うところがあったのか、シャルロットはため息をついた。


「はあ……わかりましたわ。殴りたいから殴るのはやめますわ。」

その言葉に安心したのか、チンピラが顔を上げる。

「シャルロットの姉貴、感謝す——」


パァンッ。


乾いた音が路地裏に響いた。


一瞬だった。俺が目を離した隙に、チンピラの頬が叩かれていた。


「ちょ、シャルロットさん!?」

「殴るのはやめましたわ。ですからビンタにしましたのよ。」


そしてやけにスッキリした顔でドヤ顔を向けてくる。

まるで「約束は守りましたわよ。」と言わんばかりだ。


……いや、そういう問題じゃない。


――



チンピラ騒動が終わったあと、彼らをそのまま放置するのもどうかと思い、道の端に移動させた。だが結局、あの一件のあとで彼らと行動を共にする気にはなれず、そのまま別れることになった。


それからも何人ものチンピラと遭遇し、その都度撃退していった。情報を聞き出そうとするが、まともなものは何一つ出てこない。


返ってくるのは——


「へへ、あんな強いの仲間にしねぇか?」

「こんな上玉、滅多に見られねぇぜ」


……大体こんな感じだ。


日が沈み始め、もともと薄暗い路地裏は、ほとんど夜と変わらないほど暗くなっていた。


「何も見つからないな」

「そうですわね。でも楽しいですわ。」


それは君だけだと思うよ。

そんな言葉が喉まで出かかったが、飲み込んだ。


それからは無言で歩き続け、ついにチンピラとも遭遇しなくなった。


途中からだろうか。向こうも俺たち——特にシャルロットのことを認識していたようで、仲間に引き入れようとして近づいてきていた節がある。それをことごとく叩き潰した結果だろう。「関わるな」という共通認識ができたに違いない。


やがて、今日最後に調査する予定だった場所へとたどり着く。静まり返った路地裏。


そこに——一人の少女が座っていた。


その少女は、陽光すら届かないこの場所で、サイドテールにまとめられた金髪だけが、不自然なほど煌びやかに輝いていた。


彼女の顔は薄いベールに覆われ、その表情は一切うかがい知れない。


路地裏にいるはずなのに、まるでそこだけ切り取られた別世界のような――そんな異質さがあった。

首元には、黒い蛇が静かに巻きついている。


そして腰には、対になるように白い蛇。


少女は地面に座り、木箱を簡素な机代わりにしている。

その上には、小さな水晶がひとつ置いてある。


そして、どこかシャルロットと初めて出会ったときのような、嫌な予感がした。

それでも、シャルロットの圧に押され、聞き込みをする流れになる。


「あ、やっと来たよ。えっと……叶結。それに、こっちの世界だとシャルロットだったかな」

「え、なんで俺たちの名前を……」

「僕は全てを知っているのさ。なんたって、世界一のマジシャンになるのだから」


——ああ、なるほど。


俺はこの時点で理解してしまった。


面倒なタイプだと。


「君たちが聞きたいのは、例の事件についてかな?」


今日一日探しても見つからなかった手がかりを、知っているかのように言う。どう見ても、まともじゃない。


それでも——聞くしかない。


「はい。そうです」

「ふふ、そうだろうそうだろう。ちなみに僕、事件のことは全く知らない!」

「解散で」


即座に背を向ける。


「ちょ、ちょ、ちょっと待った! 人の話は最後まで聞こうと、蛇に教わらなかったのかい?」


いや、何を言ってるんだこいつ。


「何を言ってるかわからないって顔だね。そのままの意味さ。蛇が教えてくれるのさ」


やっぱり関わらない方がいい。


そう確信して歩き出した、そのとき——


「死はどうだったかな」

「なっ」


「ふふ、ようやく僕の目を見たね。言ったでしょ。僕は全てを知っていると。そして、全てを忘れている存在でもある。君の驚いた顔は相変わらず面白いね。っと、これ以上揶揄すると、せっかく僕に興味を持ってくれた機会を台無しにしてしまうかな」


事件のことは知らないと言った。ならば、なぜ俺たちが事件について調査していることを知っている。それに何より、なぜ俺の死を彼女は知っているのか。これは俺にしか知り得ない情報のはずだ。


先ほどまで胡散臭く、面倒な予感がすると思うだけだった。しかし、この奇妙な出来事について彼女は何かを知っている――いつの間にかそう感じ、彼女の話を聞こうと思えるようになっていた。


「色々考えているところすまないね。そろそろ本題に入ろう。時間も迫ってきたからね」

「え、ああ」


わかればいいさ。彼女はそんな表情を浮かべながら話し始める。


「たしかに僕は、犯人の顔も凶器も犯行理由も、あらゆるものを知らない。正確には、全てを忘れてしまった――ただね」


彼女がそこで言葉に間を置いた。怪しいペテン師のような話の内容。しかし、その言葉と、その沈黙に、なんとも言えない重みを感じた。


ドクン、ドクン。


先ほどまでチンピラが騒がしかったはずなのに、今は聞こえない。ただただ、己の心臓の鼓動だけが嫌に大きく響く。


「次に起きそうな場所なら、いくつか思いつくよ。僕は未来から来たんだ」


彼女の言葉に、なぜか絡み合っていた歯車が噛み合ったような感覚が走る。しかし同時に、話の内容がうまく頭に入ってこない。


パンッ。


「もう、女の子が話している最中に別のことを考えるのは失礼だよ。僕に集中しないと。わかってはいたけど、やっぱりこうなったか」


彼女が手を叩いたことで、意識が強制的に引き戻される。あれ、なんであの程度の情報で放心状態に陥っていたんだ。


「それこそが、“全てを忘れる”ということだよ」

「え?」

「頭では理解していても、それがすぐに抜け落ちていく。情報の規制とでも言えばいいかな。君にはまだ早かったようだ」


彼女はそれだけ言うと、その場を去ろうとする。


「あ、待っ……」

「おっと、忘れていた。シャルロットくん、これを」

「なんですの、これは」

「君たちの情報さ。言っただろう? 『次に起きそうな場所なら、いくつか思いつくよ』とね」

「よくわかりませんが、つまりどういうことですの?」

「っふふ、この時の君は相変わらず面白い。そして――変われるといいね。僕も、変わりたいよ」


情報を渡された俺たちは、訳がわからないまま困惑するばかりで、なぜか彼女を引き止めることができなかった。


そして、彼女が俺の後ろを通り過ぎようとした時、微かに聞こえた。


「この夢は幸せかい」

「……」


何も言えなかった。言葉の意味は理解できる。でも、その答えが喉元で引っかかり、返すことができない。


「何も言えないか。それも一つの答え。そして一つの可能性だろうね」

「一つ、僕から忠告をしよう。道筋は一つじゃない。それじゃあ頑張ってくれ。皆を救えるのは亜麻仁叶結、君だけなのだから」


「それは……」


彼女の言葉にようやく反応して振り返った時には、すでにその姿は霧のように消えていた。


『この夢は幸せかい』か。


彼女が最後に残した言葉が頭から離れない。


今日一日、色々なことが起こり、色々なことを考えさせられた。昨日の死から始まり、それをなんとか回避しようとした。


犯人と疑われ、怖かった。チンピラにも絡まれた。そんな一日を、楽しいと思えていた。


トラウマが蘇り、怖いと思ったこともあった。でも、それ以上に楽しかった。それでも、幸せかと聞かれると、どうしても頷けなかった。


「俺にとっての幸せって、なんだろうな」


そんなものはわかりきっている。でも、口にできるはずがない。なぜならそれは、絶対に叶わない夢物語だから。


パパ、ママ……


ああ、ダメだな。この調子だと、またシャルロットに何をされるかわからない。


切り替えよう。


冷静になると、彼女は現実で見たマジシャンの少女に似ていた気がする。夢に出てくるくらい、強烈な思い出として残っているのだろうか。


それにしても、マジシャンと占い師ではまるで違う。そもそも学校の生徒が、なぜマジシャンの格好をしていたのかも謎だ。あまり深く考えても仕方ないか。


それよりも、違和感を覚えることが多すぎる。


夢の世界だから、知っている人がいてもおかしくないと思っていた。俺の知識の範囲でしか再現されないはずだった。


しかし、昨日からどうだろう。この街並みは知らない。シャルロットのこともそうだ。さっきのチンピラや衛兵、死んでしまった少女も――俺は誰一人として知らない。


それに、皆あまりにも人間らしすぎる。


何度でも言おう。ここは俺の知っているものしか再現されない世界だ。言い換えれば、俺の想像の範疇を超えることはできないはずなんだ。


俺は人より創造性が高いと思っている。それでも、通行人一人一人がまるで生きている人間のように見え、動き、喋り、感情がある。


街並みもそうだ。本当に中世ヨーロッパに来たかのような、本格的なものだ。


ここは本当に夢なのか?


わからないことが多すぎる。俺が無意識に、こんな世界に行きたいと願ったからか?あり得ないな。何が好きで、死んでしまう夢なんて望むんだ。



夢の中だけでも幸せでありたい。それは今でも、そしてこれからも変わらない。


「結局、あの子は誰ですの?それより、これは有力情報を手に入れたということですわよね。さあ、調べに行きますわよ」


シャルロットのその一言で思考を打ち切られ、俺は慌てて後を追いかけることになった。


「ちょっと待って。その情報、衛兵の人に教えなくていいの?」

「そんなことをしたら面白くありませんわ。わたくしたちだけで探しますわよ」


たしかにシャルロットが強いことは知っている。それでも、あの少女は刃物を持っている。そんな相手に素手で勝てるんだろうか。それに、万が一勝てたとしても、それは真正面から襲われたときの話だ。後ろからいきなり襲われたら、対処しようがないじゃないか。


「それでも……」

「もう、叶結は心配性ですわね。あのとき衛兵に堂々と話していたあなたはどこへ行きましたの?」

「それとこれとは違う話じゃないか」

「何も違いませんわよ。だって、あなたがいらっしゃるじゃありませんの。わたくしにない部分をあなたが補ってくださるんですもの。何も心配いりませんわ。」


今まで散々俺のことを振り回しておいて、実は結構信頼してるのか。なんだよそれ。やっぱりシャルロットといると楽しいな。


『この夢は幸せかい』


さっき言われたことを思い出す。これは幸せの一つなんだろうか。


いままで、パパとママといる時間が幸せな時間だと思っていた。それ以外は幸せじゃない時間だと思っていた。でも、今シャルロットに言われた言葉に、胸のあたりが温かくて心地いい。


これも一つの幸せになるのかな。不覚にもそんなことを思ってしまった。こんなことを話したら何を言われるかわからないから、絶対に話さないぞと心に誓いながら、少し慌ててしまった。


「はは。ああ、もう。わかった。その代わり、危ないと思ったらすぐに引くこと」

「ふふん、危ないことなんて起きませんわよ」


――


それから俺たちは、一度落ち着いた場所で見ようということになり、宿屋にいる。そこで部屋が一部屋しかないと言われ、他の宿を探そうとしたが、シャルロットによって止められてしまった。


その目はものすごくキラキラしていて、もう我慢できないと、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように見える。尻尾があれば激しく揺れているだろうな、と笑ってしまう。


そうして部屋に着くと同時に、占い師の格好をしたマジシャンを名乗る少女からもらった情報の書かれた紙を開ける。


そこには地図があり、大雑把ではあるが、今日俺たちが探した場所も載っていて、ところどころにバツ印が入っている。


「このバツ印のところが予想場所ということかしら。」

「そうっぽいな」

「そうとなれば行きますわよ!」

「え、今から?」

「当たり前じゃありませんの。」


もしかしてこれ、見てないのか。俺が視線を移すと、その地図の下側にこう書かれていた。


犯人は昼時に実行する可能性がある。


普通なら夜だと思うだろう。しかし、実際に今日は昼ごろに起きていた。あり得なくはないと思える情報だった。


「ここ見て。もしかしたら昼に探したほうがいいかもだよ」

「そう、ですわね。叶結がおっしゃるのなら、きっとそうなのかもしれませんわ。」


ん? シャルロットの様子がおかしい。そんな違和感を覚えたが、すぐに気のせいかと思い、話の続きを再開する。


「だから……」


それから、終始俺からの一方的な話で、シャルロットからは相槌しか返ってこなかった。


「さてと、さすがに同じ宿に泊まるわけにもいかないし。俺は別のところに行ってくるよ」


いくら夢とはいえ、女の子と同じ屋根の下はさすがにまずいと思っての言葉だった。しかし、次のシャルロットの言葉に、思わず言葉を詰まらせることになる。


「別によろしくてよ。眠いですから寝ますわ」


その言葉はどこか弱々しく何かにすがん出るように見えた。


「さすがに...」

「わたくしがいいって言っているのですわよ。明日は朝一番で調査を始めますわよ。では、おやすみなさい。」


それは一瞬のことで、すぐにいつもの調子を取り戻していた。寝息が聞こえてきたと思ったらもうすでに寝ていた。


寝るの早いな! って、そうじゃない。いやいや、さすがにまずいでしょ。


「別のところに行こうかな。一つくらいは空いてるでしょ……ふぁあ、眠い」


そんな一言を無意識のうちにしゃべっていた。ドアを開けようとしたとき、視界が揺れ、意識が薄れていく。


さすがに無理をしすぎたか。


そんなことを思いながら、その場で倒れてしまうのだった。


――


「あれ、いつの間にか寝ちゃって……って現実か。学校行かなきゃ」

「叶結、朝だぞ。起きろ」


タイミングよく恒一さんの声が聞こえた。


「夢なんだよな、あれは」


無意識に首を触っていた。そこには、ただ自分の汗だけがついていた。



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