第二章 第六話
久澄村に中学校はない。もう何年も前に統廃合されていて、小学校を卒業すると、町の中学校へと、自転車で、片道四十分をかけて通うことになる。当たり前だが、村なんかより町はずっと開けていて、その華やいだ雰囲気に、僕も私もまた大人に近づいたんだと、村の小学校の卒業生はみんな成長を実感する。
少なくとも僕とトモはした。少し大きめの学生服を着て、桜の木の下で入学式の記念写真を撮り、トモの左手も、若干引かれたけどもすぐに受け入れられて、僕たちは楽しい中学生生活を想像し、笑った。
「リュウ、トモ」
心に植えつけられた恐怖。どんなにこすっても落ちない汚れのように、脳に刻まれた恐怖。体の痛みが増えるとともに膨らんでいった恐怖。絶対的な権力、腕力に対する恐怖。自尊心がへし折られるほどの恐怖。幼少期に五年以上も続いたという経験から生まれる恐怖。どんなに逃げても背後で嗤う恐怖。抗えば抗うだけ傷を負う恐怖。
それらが声を聞いた瞬間に蘇って、背中に怖じ気が走った。
「久しぶり。まさが忘れでねえよな。俺は覚えでっと」
約半年、顔を合わせずに過ごした時間は、いじめられた傷を眠りにつかせるには、心の隅、奥のほうへと沈下させるには十分な時間だった。
成長期の半年は人を大きく変える。でも見覚えのある、いや、トラウマとなって忘れたくても忘れられない、忘れさせてくれないあの顔を、声を、できれば見ずに、聞かずにいたかった。そんな儚い思いは簡単に打ち砕かれてしまった。
「まさが同じ中学になるなんてな。偶然だな。今度は仲よくしような。ほら、握手」
「仲良くって……仲良くなんてねがったっぺよ。話かけねえでよ」
精一杯の勇気を出して、抵抗した。
「トモは一緒にサッカーして遊んだりしたっぺ。仲良がったよな。ほら、握手」
手を引っこめようとはしないで、嗤いながら、握手を強いた。僕たちは、いや、僕は、下を見て動けなかった。トモは意外と度胸がある。
「やめてよ。いじめたらまた警察に言うよ。こっちはこっちで楽しくやるから、そっちはそっちで楽しくやったらいいべよ。もういじめなんてやめてよ」
「だから、握手するんだろ? リュウ、握手すっぺ。な?」
下を見たままの僕の腕を強引につかんで、無理矢理に握手をした。元スクールカースト最上位の五人組のリーダー格、木村は、僕の手を折らんとばかりに握りしめた。
「痛い」
「ああ、悪い、悪い。ちょっと力、入りすぎたがな。じゃあな、クラスは違あげど、遊びに誘うがらな。仲良くすっぺ」
その言葉通り、僕とトモのクラスに昼休みにやってきた。週に一回のペースで、だ。
漫画やドラマには、必ず正義の味方がいて、いじめだとか何だとか、トラブルが起こるたびにやってきて解決してくれる。被害者を救ってくれる。でも、現実はそんなに甘くはない。中学のクラスメートも、小学校時代のクラスメートと同様に、僕が、僕とトモがいじめられるのを黙認した。自分が痛い目に遭うのが嫌だから、スクールカースト最下位の僕とその友達がいじめられても、なんとも思わないから。いや、なんとも思わないどころか、面白いから。そう、あいつらも、僕がいじめられるたびに、嗤ったのだ。
最初、昼休みに呼ばれて、腕を引っ張られて人気のないところに連れていかれるのを、みんな見ていたのに、全員知らん顔をした。僕がいじめられようが、そんなことに興味はないと、そういうリアクションだった。
元スクールカースト最上位の五人組は、中学では水泳部に入り、中学でもスクールカースト最上位になっていた。運動神経がいい、イコール格好いい、一目置く、一歩下がって道を譲る、結果、やつらは増長する。周りがやつらを助長させる。それが学校だ。
人気のないところとは、教室とは別の棟にある三階の美術室の前のトイレだった。トイレに連れていかれた僕とトモは、無理矢理にパンツ一枚にされた。
「こいつら、ICレコーダー持ってっからな。まず調べろ」
学生服のポケット全部を調べて、ないとわかると、
「じゃあ、そのまま隣に行け。女子トイレに入れ」
取り巻きの四人は、腹を抱えて嗤った。
「嫌だよ」トモが断った。
「行けよ」
「嫌だ」
「行け」木村は刃渡り十センチを超えるバタフライナイフを、取り出した。「行け」
それでもトモは拒否した。
「殺しはしねえよ。でも、足、刺すぞ。足なら死ぬ心配はねえからな」
歩み寄ってそう凄んだ。まさか刺しはしまい。でも、やりかねない。
「トモ、行こうよ」
「嫌だ、行かない」
「そうか。それならいいよ。わがった。服、返してやれ」
呆気にとられた。裸にされるのは、多大な屈辱だ。でも、それで終わるとは思ってはいなかった。取り巻きも、それで終わるとは思っていなかった、という顔をしていた。やつらが帰ったトイレの中で、
僕たちは学生服を着た。前に警察に言うと言ったのが効いたのだろうか? トモの脅しにも屈しない強気な態度がよかったのだろうか? どちらでもなかった。翌日の朝、トモのばあちゃんが悲鳴を上げた。
すずちゃんが、死んでいたのだ。




