009 購入
さっきの戦いで俺はレベル8になった。
俺がしたことと言えば、無駄に終わった《クラッシュ》の連発と苦し紛れの体当たりを敢行したことくらいだ。しかもクリティカルで補正がついてダメージ1という結果だった。まぁ、あれがレベル差ってやつなのだろう。
それにしても、たった一戦でレベルが上がるとは、俺は単なる足手まといで活躍できなかったとはいえ、相当な強敵だったということに他ならない。
<マクイナの森>から<ハオリオの町>に戻った俺たちは、冒険者ギルドで報酬を受け取った。大した金額ではないが悪いので半分渡そうとすると、ヒナは丁重に断った。何かしら礼がしたかったので何かないかと訊くと、俺がレベルアップしてお金に余裕ができたときに食事をご馳走して欲しいというので、それでよければと頷いた。
<DO>内でも空腹の感覚があるようで、腹が減り過ぎるとステータスに悪影響がでるらしい。そして、<DO>内でたらふく食べたところで、現実には一切影響はない。現実世界で食費が浮くとか、食べ過ぎで太ってしまったという事態にはならないのだ。
今日はここまでという話になって、ヒナがログアウトの仕方を教えてくれる。メインメニューの一番下に【ログアウト】のボタンはあった。
ログアウトはいつどこででも可能だ。ただし、次回ログインした際は前回のログアウト地点からのスタートとなる。
ログアウトした時点で自動的にパーティーは一旦解散するようだ。もちろん、メニュー画面からもパーティー解散はできる仕様だ。
「じゃあログアウトする前に、フレンド登録をしておきましょ」
「フレンド登録?」
「そう。フレンド登録しておけば、ログインしているときに互いに連絡したりできるから凄く便利なの」
「へぇ……」
フレンド登録か。これは<DO>内ではヒナと友達になったと解釈してもいいんだろうか。わざわざ確認するのもなんだか間抜けだし、ヒナとはもうお友達ということでいいんじゃないかな……うん。
しかし島本に知れたらタダじゃ済まなさそうだな。俺は中学からの腐れ縁の顔を思い浮かべて苦笑した。
「何よぅ……もしかして嫌なの?」
ヒナが頬を膨らませて俺の顔を覗き込む。どうやら俺の苦笑で勘違いさせてしまったようだ。
「いやっ、ちがっ……ごめんなさい。ちょっと考え事をしてました。もちろん、フレンド大歓迎だよ。逆にこっちからお願いしたいくらいだよ」
「冗談よー。そんなに慌てなくてもいいじゃない。ホントに嫌なのかと思って少し心配しちゃったわよ」
「いやいや、光栄です。レベル50のヒナとフレンドになれるなんて夢のようだ」
「もぅ! じゃあ、メインメニューから【フレンド】を選択してみて」
ヒナに言われた手順で【フレンド】を押下する。するとヒナにフレンド申請を出せたので、彼女が即座に承認した。
今俺のフレンドリストにはヒナの名前だけが表示されている。1/16と表示されているから、あと十五人フレンド登録できるのだろう。
ちなみにヒナは最大百人もフレンド登録可能なようだ。レベル✕2人が最大数となっているようで、レベルが上がるほど登録できる人数が増える仕組みらしい。
フレンド同士は<DO>内でいつでもメッセージのやり取りができる。複数のフレンド同士でチャットも可能らしい。
「じゃあ、タイガくんまたね」
「ああ、またな」
目の前でログアウトしたヒナの姿が消えたのを見送ってから、俺は「またな」と再会ありきの挨拶を交してしまったことに気がついた。
ただのお試しプレイのつもり……だったんだけどなぁ。
この時点で、俺の気持ちは<DO>を続ける方向にかなり傾いていた。なぜなら、懇切丁寧に教えてくれたヒナに悪いと思ったからだ。まぁ、それだけじゃないけどな……。
俺はそう独りごちて、【ログアウト】ボタンを押下した。
***
「はぁい。大河、<DO>は楽しかった?」
ログアウトした俺の目の前には姉貴がいた。
壁の時計に目をやると、時刻は午後九時十七分。
姉貴の帰宅は深夜零時前後と予想していた俺には、とんだ不意打ちだった。
今俺の部屋にはベッドから起き上がったばかりの俺と、椅子に座っている姉貴がいた。その姉貴がすっと手を伸ばす。てのひらは上に向いている。
「私のヘッドギア返してよね」
「あ……このヘルメット」
「VR専用ヘッドギアよ。何かあったとき用のスペアだけれどねー」
VR専用ヘッドギアというのか……。しかもスペアって……二つも持ってるとはリッチだな
そんなことより姉貴の鋭い視線から、俺は状況説明を強いられているのがわかった。
いや、説明もなにも……謝罪を要求されているんだろう。
こういうときの解決手段といえば一つしかない。
ザ・土下座だ。
俺は素早くベッドから降りると、正式な作法に則り恭しく頭を下げた。
「姉貴、ごめん! ちょっとだけ借りた! このとおり謝るから今回だけ許して!」
「あーあー。私のセーブデータ消えてたらどうしよう。せっかく発売初日から三ヶ月かけてコツコツとレベル上げに励んできたのになー」
姉貴の嫌味攻撃が始まった。理由などどうでもいいのだ、この姉貴は弟をからかって遊ぶのが趣味のような女だ。だけど怖いので逆らえない。俺は一般的な高校生の標準以上の体力があると自負しているが、この姉貴には勝てる気はしない。その例として腕相撲で一度も勝ったことはない。体格では俺より二回りも小柄なたかだか身長百六十センチの体のどこに、一体それほどまでのパワーを蓄えているのだろうとつくづく思う。
「痛いよ、お姉ちゃん。ごめんなさい、もうしません」
俺は姉貴にヘッドロックをかけられていた。ぎゅうと姉貴の胸が俺の顔に押しつけられているが、まったく嬉しくない。ただ息苦しいだけだ。
こうして姉貴の気が済むまで玩具にされた俺は、一人部屋に取り残された。
静かになった部屋で俺は考える。
ログイン間際に交したヒナとの会話を思い出していたのだ。
流れ的にもプレイは今日だけだって言える雰囲気じゃなかった。それに俺自身も、しばらく続けてみようかなという気になっていたのは間違いない。
正直、<DO>の世界観がどうというよりも、ヒナと一緒に買い物したりクエストやレベル上げをした時間が単純に楽しかったのだ。
それにヒナの目的も気になる。言いにくそうだったが、問題を抱えているなら力になってやりたい。
PK野郎のザックスも気にかかる。
ザックスはヒナを狙うと宣言した。ヒナなら負けることはないと思うが心配なのは確かだ。できることなら俺がヒナと同じくらい強くなって守ってやりたい。
問題はヘッドギアをどうするかだ。姉貴の留守中に勝手に使うのはもう無理だ。バレたら何をされるかわからない。……いや、想像はできるな。地獄絵図だ。
<DO>をプレイするにはヘッドギアと起動用のソフト両方が必要だ。確か姉貴はあのヘッドギアはスペアだと言っていたな。一つ譲ってくれないかな。
ヘッドギアは姉貴と交渉することにしよう。
ああでもないこうでもないと考えているうちに時間は過ぎていった。
とりあえず、ソフトは買うしかない。となると来月の小遣い支給日まで三週間…………駄目だ絶望的だ。
「そうだ……島本が九千円で売ってくれると言ってたな」
俺はすぐに島本に電話をかけた。午後十時三十分だが、高校生が寝るにはまだ早い時間だ。案の定、島本は三コール目で電話を受けた。
「島本、こんな時間に悪い。今朝言ってた<DO>なんだが、まだ手元にあるか?」
「おいおい、どした!? ついにプレイする気になったか!」
「八千円で俺に売ってくれ。手元に今これだけしかない」
「……うーん。実はさ今日学校の帰りにゲームショップに寄ったらよ。新品未開封品なら八千八百円で買い取ってくれるらしいんだよ。いや、たった八百円の差だよ。それでもさ、うーん……悩むなぁ」
足りない千円は母さんに借りるか。
「わかった。俺が九千円で買う。だから、明日学校に持って来てくれ」
それだけ告げると、俺は電話を切った。
千円足らない。さっきは咄嗟に母さんから借りようと思ったが、よく考えると大丈夫なのかと心配になってきた。
残された手段は小遣いの前借り、父さんも母さんももう就寝している。明日の朝いきなり頼んで上手くいくとは思えない。過去にも同じようなことがあったときには断られた挙げ句説教を受けた。なので最終手段だ。
俺は頬を叩いて気合いを入れると、勢いよくドアを開けて廊下に踏み出した。
「姉貴頼む千円貸して! ……いや、違うな。お、お姉ちゃん……お金貸して。……これは駄目だ。お、おおお姉様、お金を貸してくださいませ……」
言い慣れない言葉に噛みまくる。
俺は小声で姉貴に金を借りるための文言を考える。さっき苛つかせたばかりだ、素直に応じてくれるとは思えない。
結局、正攻法でいくことにする。
俺は姉貴の部屋に向かった。そして意を決してそのドアをノックする。
「入っていいわよー」
「ああ、わかった」
姉貴はベッドに寝転がってタブレットを眺めていた。床にはバッグやら脱いだ服やらが散らかっていた。……相変わらずだな。だからゴキブリが出るんだよ。
ん……そういやゴキブリはどうなったんだ? 虫の苦手な――唯一の弱点といっていい――姉貴が退治できるはずもなく、悠長にくつろいでいるのはおかし過ぎる。
「姉貴、ゴキブリは大丈夫なのか?」
「えっ……ああ、うん。……もうどっか行ったみたいだわ。あははは……。それより何か用なの? 私も忙しいのよね」
嘘つけ。完全にリラックスモード全開でタブレットいじってたじゃないか。
しかしそれを表情には出さず、俺はその場でしゃがみ込んだ。
ザ・土下座。本日二度目。
「姉貴頼む……千円貸してくれ。来月の小遣いで返すから」
俺はどうしても<DO>をプレイしたくなったと、姉貴に語った。
姉貴は体を起こして、考える素振りを見せるとニヤニヤと笑みを浮かべて言った。
「そんなに<DO>がやりたいんだー?」
「……ああ。思った以上に楽しかったんだ」
「それってヒナちゃんが関係ある?」
「はへっ……!」
な、急に何を言い出すのかと思えば。
まさか俺は<DO>をプレイしながら「ヒナ」と声に出していたのか……? それを姉貴に見られていた……? だとしたらとんでもない弱みを握られたことになる。
「……いや、関係ないけど」
「そうなんだ。ふぅん」
「あーあ。タイガが使ったヘッドギアなんてもう使えないわー。もうそれあんたにあげるわ。私はもう一つスペアがあるし」
「えっ! いいのか!?」
願ってもない提案。どうやって譲ってもらおうかと思案していたが、こうも簡単にヘッドギアが手に入るとは!
あとは<DO>のソフトだけだが……。
「ソフトは駄目よー。私のなんだからね」
そう言って姉貴は、ヘッドギアの頭頂部にあるボタンを押して何かを取り出した。
「それが<DO>のソフトなのか?」
「それも知らずに<DO>を買う気でいたの? まったく呆れるわよ」
姉貴は肩を竦めながら床に散乱していたバッグの一つからブランドものの財布を取り出して、「来月になったら返してよね」と言って俺に千円を貸してくれた。
やった! これで島本から<DO>が買えるぞ!
***
翌日。
姉貴から借りた千円。俺の全財産八千円と合わせて九千円。そのなけなしの金で、俺は島本から<DO>新品未開封品を譲ってもらったのだった。




