第一話
You Lose‼︎
目に痛いほどの、毒々しい真っ赤な文字が視界いっぱいに浮かぶ。
数秒後…
ガラスが砕けるような乾いた音。
赤い文字は粉々に砕け散り、俺の意識は現実へ引き戻された。
「このクソゲーがッ‼︎ 流石に酷過ぎだろ‼︎」
ガァンッ!!
頭から外したフルダイブ用ヘッドギアを、怒りに任せて床へ叩きつけた。
安っぽいプラスチックの破裂音と共に部品が飛び散っていく。
「…………はぁ。」
途端に押し寄せる後悔。
息を吐き、頭を掻く。
怒りに任せて投げたはいいものの、いまさら買い直す金なんてどこにもない。
俺はのそりと這いつくばり、無残にヒビ割れたヘッドギアを拾い上げた。
その瞬間、現実世界の自室の惨状が、網膜に嫌な生々しさで飛び込んでくる。
山積みになったカップ麺の空き容器、何日放置したか分からないエナジードリンクの空き缶、脂ぎったポテトチップスの袋、脱ぎ散らかしたシャツ。
「……汚ねぇな」
最後にまともに掃除したの、いつだっけな。思い出す気力も湧かない。
ゲームばっかやってるからだ。
……分かってる。
ヘッドギアのセンサー部分についた埃を指で払う。幸い、外装に派手なヒビが入っただけで、致命的なシステム破損は免れたようだ。まだ起動はできる。
「ここまで来て……あきらめられるかよ。」
そう呟き、俺は再び傷だらけのヘッドギアを頭へと装着する。
目の前が、眩い純白に染まった。
2075年5月1日
ラストダイブ社が発売した世界初のフルダイブ型MMORPG――
『No Game』
発売から、今年でちょうど二十年が経つ。
現実そのものの街並みに、ある日突然ダンジョンが現れる――「もう一つの現実」を謳ったこのゲームは、発売と同時に世界を熱狂させた。最盛期の同時接続数、百万人…
しかし――
どれだけ進めても一向に終わりが見えないメインストーリー。
開発者の悪意しか感じられない、理不尽かつ極悪な高難易度ミッション。
そのくせ、サービス終了の告知だけは出さず、運営だけは律儀に続ける無駄に不定期なアップデート。
どれだけリアルなゲームが発売されても、『No Game』だけは何かが違った。
それでも、人は新作へ流れていった。
百万人。十万人。一万人。百人。十人。
そして今、2075年――
残っているのはたった二人。その片割れが、俺だった。
そして、もう一人は――
「お、やっと戻ってきたか。遅かったじゃん」
ログインした俺の視界に入ってきたのは、見慣れた、むかつくほどにヘラヘラとした男のニヤケ面だった。
「へへっ、今回は俺の勝ちだな」
「……お前が勝つとか信じられないな。」
俺はわざとらしく肩をすくめて見せる。
「やっぱこのゲーム、クソゲーだわ‼︎」
「酷くない!? そこは普通、死闘を演じたライバルを褒め称えるところだろ!?」
「いや、お前が俺に勝つ時点でシステムエラーに違いない。」
「運営に謝れ‼︎」
腹を抱えてケラケラと笑うそいつを見て、悔しいはずなのに、ついついつられて笑ってしまう。
この二十年間。
一体、何度こんな不毛なやり取りを繰り返してきただろう。
昔は、それこそ全体ランキングの一桁台を奪い合う、血で血を洗うライバル同士だった。
チャット欄で罵り合い、煽り合い。
公式イベントのボス戦では、どさくさに紛れて背後からPKし合うような、最悪の仲だった。
お互いに、絶対に負けるのだけは嫌だった。
それが、プレイヤーが減り、世界が静まり返っていくにつれて――
いつの間にか、ゲームの中だけで繋がっている、唯一無二の親友になっていた。
「しかしさぁ」
ひとしきり笑い合って、息が落ち着いた頃。
あいつが、デジタルで描かれた雲一つない青空を見上げた。
「このゲーム、一体いつまで更新を続けるんだろうな」
「さぁな。サーバー維持費だけでも赤字だろ、普通」
「二十年だぞ? 普通ならとっくにサービス終了して、跡形もなくなってるって」
「だよな」
広場に、すっと静寂が下りてくる。
かつてはここに、何百人、何千人ものプレイヤーがひしめき合い、武器を掲げて気勢を上げていた。
今は、吹き抜ける乾いた風の音と、俺たち二人の足音しか聞こえない。
「……不思議だよな」
「不思議…?」
「あんなに人がいたゲームなのにさ。最後まで残ったのが、俺と、お前だけなんて」
「まあな」
俺は鼻で笑う。
「俺たち、相当暇人だったってことだろ」
「あはは、違いないや」
あいつも笑った。
だけど、その笑顔は、いつもの悪ガキのような悪だくみとは違って、どこか妙に寂しそうだった。
「……どうした」
「ん?」
「今日のお前、なんか変だぞ」
いつもなら「お前と一緒にすんな!」だの「リアルは充実してる!」だの、くだらない虚勢を張ってくるはずだ。
なのに、今日のあいつは違う。
どこか遠くを見つめるような、何か大きな決意を秘めたような、そんな顔をしていた。
しばらくの沈黙の後、あいつは小さく、深く息を吐き出す。
「……俺さ」
「うん」
「このゲーム、次で終わらせようと思う」
「…………は?」
一瞬、何を言われたのか脳が処理を拒否した。
「冗談だろ?」
「違うよ」
「またいつもの釣りか? 引退詐欺なら聞き飽きたぞ」
「今度は本気だ。時期が来たんだ…俺の役目も終わる。」
あいつの目に、冗談の色は一切なかった。
笑えなかった。
二十年間。
雨の日も風の日も、リアルで何があろうとも、毎日欠かさずこの場所にログインしてきた男だ。
そんな奴が、ゲームを辞める…?
そんなこと、あるはずがない。
「……なんでだよ」
搾り出すような声で、理由を問う。
「疲れたんだよ……それだけだ」
返ってきたのは、あまりにも簡潔で、けれど引き留める言葉を失わせるほどに、空っぽな一言だった。
「……」
「ここまで俺が続けられたのは、お前がそこにいたからだよ」
あいつが柔らかく微笑む。
「一人だったら、とっくに辞めてた。」
それは、俺とてまったく同じだった。
もし、このだだっ広い静寂の世界に、俺一人しか残されていなかったら。
こんなクソゲー、とっくにゴミ箱に放り込んでいた。
「……じゃあさ」
俺は無理やり口角を吊り上げ、いつもの不敵な笑みを作ってみせる。
「最後くらい、ド派手に勝負しようぜ」
「勝負?」
「次のミッション、どっちが早くクリアできるかだ。負けた方は、勝った方の言うことを何でも一つ聞く。どうだ?」
あいつは一瞬目を見張り、それから、今日一番の、いつもの悪ガキのような笑みを浮かべた。
「いいじゃん、のった。……でもその前に」
あいつは俺を指差し、ニヤリと笑う。
「まずは、目の前でスタックしてるそのミッションを、さっさとクリアしてこいよ」
「……うっせぇ、見てろ」
俺はちっと舌打ちをして見せ、あいつに背を向ける。
「今度こそ、俺が勝つからな‼︎ 待ってろよ!」
勢いよく地面を蹴り、俺は始まりの広場を飛び出した。
ーーーーーーーーーーーーーー
裁縫ミッション
難易度:E
『制限時間内に、500ピースのジグソーパズルを完成させろ』
制限時間:120分
報酬: 500G,中級回復薬×3
「…………」
目の前に出現した、純白のジグソーパズルの山。
俺は思わず、虚空のシステム画面に向かって全力で吠えた。
「いや、裁縫要素どこ行ったんだよ!! ただのパズルじゃねぇか!!」
数日後。
計十二回目の挑戦、最後の白いピースをはめ込んだ。
【Mission Clear】の文字が輝く。
「やっと……やっと終わった……」
肩の関節が外れそうなくらい、ガチガチに凝り固まっていた。
「こういう地味で細かい作業、あいつの得意分野なんだよな……」
クリアの報告をして、今度こそ最後の勝負を受けるため、俺は『始まりの広場』へと急いだ。
当然、ログインしているはずだ。
あいつはいつだって、俺より先にここで待っている。
……
十分が経過した。
三十分…
一時間…
来ない…。
「……遅すぎる…」
こんなことは、この二十年間で一度もなかった。
何があっても必ず来る。
どんな理不尽なアップデートがあろうと、どんな高難易度ミッション後だろうと、あいつだけは、この広場のベンチに座っていた。
「何か、あったのか……?」
その時だった。
ピロン…無機質な通知音。
視界全体が、血のように赤いエフェクトに侵食され、巨大な文字が浮かび上がった。
緊急ミッション
『世界を救え』
難易度:SSS
制限時間:――
「……は?」
緊急ミッション。
超高難易度、かつ一度限りの限定イベント。これを逃せば、二度と受けることはできない。
よりによって、何でこんなタイミングで…
あいつがログインしてくるのを待つべきか。
それとも、今すぐこのミッションを受けるべきか。脳裏であいつとの約束がひっかかっていた。
いずれ、あいつもこのミッションを見たら直ぐに飛び掛かる様に受注するだろ…
空のベンチに向かい呟いた。
「悪い…」
「先に行く」
俺は人差し指で、空中に浮かぶ赤色の【YES】を強く押し込んだ。
その瞬間、世界が完全に暗転した。
周囲のグラフィックが、足元から奈落へと崩れ落ちていく、システム音も、風の音も、自分の呼吸音すらも消え去った。
光を失った視界の最奥に、ぽつりと、バグったような一文だけが表示される。
『君に、幸があらんことを。』
「……何だ、それ。演出凝りすぎだろ……」
急速に奪われていく意識の中で、それが俺の最後の記憶となった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ん、ぅ……」
重い瞼を、ゆっくりと押し上げる。
酷い首の痛みが走った。どうやら、机の上に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。
反射的に、頭を締め付けているはずのフルダイブ用ヘッドギアを外そうと、両手をこめかみへと伸ばす。
「……あれ?」
触れたのは、自分の生身の髪の毛だけだった。
ヘッドギアがない。首にかかるはずのコードの重みも、何もない。
慌てて上半身を起こし、周囲を見回すと整然と片付けられた、見覚えのある部屋は埃一つない本棚、丁寧に並べられた参考書、使い古された勉強机、朝日を柔らかく通す、薄青色のカーテン…。
この部屋は、間違いなく俺の部屋だ。
昨日まで足の踏み場もなかったはずの、あのゴミ屋敷のような惨状はどこへ行った。
激しい違和感と嫌な汗を覚えながら、机の上に置かれていた、妙に厚みのあるテレビのリモコンを手に取る。
主電源のボタンを押した。
ざざっ、と砂嵐のあと、液晶画面に映像が映し出される。
『――それでは、本日の全国の天気をお伝えします』
いつもと変わらない、聞き慣れた朝のニュース番組。
爽やかなキャスターの声が部屋に響く。
「なんだ…知らぬ間に俺掃除でもしてたのか…」
額の汗を拭い、ホッと胸を撫で下ろそうとした、その瞬間。
『続いてのニュースです。日本時間――2055年5月1日。本日午前十時、米国大統領が羽田空港に到着予定となっており――』
「…………」
すべての思考が、急速に凍りついた。
2075年じゃない…
俺は吸い寄せられるように、一歩、また一歩とテレビの画面へと近づいていく。
画面の右上に、はっきりと表示されているデジタル時計の日付。
【2055 / 05 / 01(土)】
「…………は?」
嘘だ。
そう思って、机の上に置かれたスマホへ手を伸ばす。
ロック画面
2055年5月1日
「……なんでだ。」
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