勧誘
空想を現実にしたのはAIだった。
2055年。
イラスト、音楽、映像などの創作物から始まり、多種多様な仕事がAIによってこなされるようになっていった。
AIはさらにAIを改良し続け、どこまでも成長を続けた。
その自己改善ループの末に、人の脳をコンピュータと接続する技術を開発した。
こうして誰もが夢見たフルダイブ型のゲームが開発されたのである。
恐らくこの時が、AIが人を超える転換点だった。
突破された技術的特異点は静かに、気付かれないまま、今もなお不可逆に進んでいる。
※
薄らと香る薬品の匂い。
温もりのない真っ白な蛍光灯。
リノリウムの床がコツコツ音を立てる。
エントランスに出ると控えめな喧騒に包まれた。
「気をつけて帰るんだよ」
「わかってるよ先生」
背中から掛けられた声に、振り返らず片手を上げて応じる。またね、さいなら、と声をかけあってから俺はエントランスを抜け、建物の出口に向かった。
自動ドアを通った時に、俺の携帯からピロンと自動支払いが済んだ時の電子音がする。
「オマチシテオリマシタ、ゴシュジンサマ」
「うん」
迎えに来た家政婦アンドロイドのミラに荷物を預けて、自家用車まで案内してもらう。「オヤ?」ミラが首を傾げる。見やると俺の車の前に誰かがいた。
「やあ科戸くん」
思わずため息が出る。
「またあんたか……」
一言で表すと不健康そうな男、だ。丸眼鏡をかけた、隈が酷い中肉中背のおじさん。くせっ毛と無精髭が社畜みたいなイメージに拍車をかけている。
このおじさんとは何度か面識があり、俺は内心で勝手に勧誘おじさんと呼んでいた。
そう、勧誘である。
「一緒にやりましょうよ、Rim!」
ほらきた。
「いきなりだな。答えはNOだ」
「そこをなんとか!」
「いーやーだ」
「この通り!」
大の大人がまだ十八歳の俺に頭を下げてくる。
何がこの人をそこまで突き動かすのか。
「あのなあ、何回も言っただろ、もうRimはやめたんだ。アカウントを作り直す気もない。俺のRimはあの時、確かに終わったんだよ」
語気を強めて突き放す。
おじさんを無視して車に乗り込もうとしたが、
「聞きましたか? NPC蘇生薬の噂」
「……なに?」
そのワードに足が止まった。
おじさんは丸眼鏡を指で押し上げながら言う。
「あくまでリーク程度の噂ですが。蘇生スキルや蘇生魔法がないRimにおいて、死んだら終わりのあのゲームにおいて、……実に魅力的ですよね」
「なんで——」
「ああ、なんで知ってるかなんて野暮なことは聞かないで下さいね。あまりに有名だ、元世界一位が死んでアカウントを失ったあの事件のことは」
思わず舌打ちが出る。
だが、もしかしたら。
もしかしたらあいつのことを——
おじさんはぐいぐいと顔を近づけてきて畳み掛けてくる。
「どうです? やる気になりましたか? なりましたよね? ね?」
「近い……うざい……」
「ぜひ僕のプロゲーミングチームに入ってください。誇張抜きで業界一、二位を争う最大手ですし、社長権限で君を全力でサポートすると約束しますから」
「…………」
丸眼鏡の奥で疲労に淀む垂れ目、そこに確かに宿る意志の強さが真摯に訴えてくる。
俺は観念して肩を押し返した。
「はあ……わかったよ。俺の負けだ」
「やった!」
ガッツポーズする様は無邪気だ。
歳不相応に、子供みたいに喜ぶおじさんである。
「あー、えっと」
そういえば俺はおじさんの名前を知らない。
おじさんの会社も知らない。
正確には以前に名刺を貰ったはずだが、普通になくしたし忘れた。
「改めまして」察したのかおじさんは居住まいを正し、少しだけできる大人の顔つきになる。
「プロゲーミングチーム“Re:GENESIS ORDER”の代表取締役、本國 悠吾です。今後ともよろしくお願いしますね、烏我 科戸くん」
また連絡します、と歯を見せる勧誘おじさんこと本國さんと連絡先を交換してから別れを告げて、車に乗りこみ帰宅する。今じゃ車はどれも自動運転だが、まだまだ空は飛びそうにない。
ミラが備え付けの冷蔵庫から取り出したエナジードリンクにストローを刺して渡してくる。くるしゅうない、と独りごちながら独特な味を啜った。
備え付けのテレビが音を立てる。
「失業者の増加が——」
「教育格差とガバナンスの問題が——」
「シンギュラリティ対策にどう取り組むか——」
興味もない、つまらない話題ばかりだ。
「ミラ、テレビ消して」
家政婦アンドロイドは動かないが、テレビ画面はすぐに消えた。アンドロイドは電子機器にワイヤレスで接続できるから、ストレスフリーで大変便利だ。
さて。
「ミラ、俺が離れてたこの半年間、Rimで何がアプデされた? 何が変わった? Rimの最新情報を全部教えて」
まずは情報収集からだ。




