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FATUM  作者: 紙仲てとら
第二章

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73話

 太陽は去った。寂寥とした町に夜の帳が下りる。

 窓辺に寄り掛かったリュシアンは、ベッドに横たわるエミリアを見つめている。

 先ほどまでの乱闘が嘘のように、室内は暗くしんと静まり返り物音ひとつしない。銀の砂を撒いた濃紺の空は雲ひとつなく澄み渡り、満月のやわらかな光が、眠る家々の輪郭を浮かび上がらせている。

 寝室の隅に溜まる闇の中で、トニトルスの黄金の目が光っていた。リュシアンのベッドで昏々と眠り続けるエミリアを静かに見守るその黒狼は、メトゥスとの闘いで背中に大きな傷を負い、先ほど手当てを終えたばかりだ。

「痛むか?」

 リュシアンはトニトルスを横目で見遣る。彼は鼻で息をつき、

「当たり前だ。おまえみたいにすぐさま傷が治癒する能力なんてないからな」

「喧嘩っ早い貴様にこそ私の再生力が必要だな」

 窓辺のリュシアンは乾いた風を吸い込み、丸く肥った月を見上げる。

「今宵は見事な満月……外で月光を浴びてきたらどうだ」

「なに言ってやがる」

「人狼は月から力を得るのであろう?この静かな光が全身の骨や肉を瞬時につくり替えるというなら、傷口を癒すことくらい造作もあるまい」

「本の読みすぎだぞリュシアン。人が狼となるのに月光が関係しているだなんて、人間の考えた創作にすぎん」

 人間のあいだで語り継がれているワーウルフ伝説の内容は時代遅れで、でたらめな部分も多くある。普段は人の姿で生活し、満月の夜になると頭が狼で体が人間という世にも悍ましい怪物に変化すると彼らは恐れているらしいが、半獣半人の姿になることは通常ない。

 狼の顔をしたやたら毛深い大男が見境なく町を襲い、人々を震えあがらせていたのは大昔の話だ。今の時代を生きるほとんどのワーウルフは人との共生を望む穏健派で悪目立ちすることを嫌うため、そんな中途半端な状態ではなく狼の姿か人間の姿のどちらかになることを好む。

 満月の力を借りなければ変身できないというのも真実ではない。昼夜問わず自在に人や狼に姿を変えることが可能であり、狼のまま森で生きている者もいれば、もう何十年も獣にならず人の形を保って人間社会で生活している者もいる。トニトルスは狼になったり人間になったりと気分や状況によって変身しているが、どちらかといえば狼の姿でいる方が落ち着くようだ。

「月が癒しとならぬのならば人類の叡智に頼るしかないな」

 細めた目で狼を見つめ、リュシアンは小さく溜息をつく。

「あとで薬を煎じてやろう」

 それを聞いた狼は鼻の付け根に皺を寄せ心底嫌そうに首を振った。

「静かにしていればそのうち治るさ」

「そう嫌がるな。カルティスの薬剤師からの直伝だ。よく効くぞ」

「以前ウングラに与えた煎薬だろ……飛び上がるほど苦いと聞いたぞ。そんなもんを飲んだらよけいに具合悪くなっちまうよ」ぶるりと毛皮を震わせ、「オレの傷の話はもういい。いま聞きたいのはメトゥスのことだ。いったいどうしたんだあいつは?」

 不意に問われ、リュシアンは表情を強張らせる。

 なにも答えない彼を見つめていたトニトルスは組んだ前足に顎を乗せ、淡々と言葉を続ける。

「あそこまで怒り狂うとは……そうとう腹が減っていたとみえる。ファヴィラかウングラが餌をやり忘れたのかもしれんな」

「……」

「おいリュシアン……なにを黙ってる?メトゥスの食い意地にはこれまで散々な目に合わされてきたんだ、姉ふたりにあいつの食事を管理し面倒事を起こさぬよう躾けろと言いつけていたんだろ?それならばあのふたりに責任がある。この騒動の落とし前を付けさせねばならんぞ」

「今回の件とウングラは無関係だ」

「なぜそう言い切れる」

「……すこし前からファヴィラが仕置きのためにメトゥスを監禁していたようだ。あの様子からするとおそらく、閉じ込めているあいだ食事を一切与えていない」

「なんだと?」

「数日前、ウングラがメトゥスの姿が見当たらないと報告してきてな……そのときにファヴィラの所業を知った」

「主に指示を仰がず独断で罰を与えたということか。下僕に好き勝手されてこのざまとは……情けないぞリュシアン」狼は不満そうに鼻を鳴らし、「しかしファヴィラも浅はかな奴だ。空腹のメトゥスが正気を失って大暴れすれば下級魔物の張った結界など役に立たん。すこし考えればこうなることは予測できただろうに」

 苦々しく言うと、傷から滲み出る血を舌で舐め取る。

 ――エミリアを霧で包み込みメトゥスの目から隠した直後、獲物を見失った彼女はこれまでに見たことがないほど怒り狂った。戦いが本格化したのはそこからである。

 彼女は鋭い爪で黒狼の背を裂き戦闘不能にしたのち、リュシアンと激しい攻防戦を繰り広げた。彼はメトゥスを極力傷つけたくなかったが、我を忘れて暴れる魔物にそのような甘い考えは通用しないということを理解していた。事態を終結させるため、彼は末妹の肉体を情け容赦なく叩き潰し、瀕死の状態にまで追い込んだ。

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