歪められし王、ついに息を止める
「ここ十年ほど、ディマン王国とその周辺諸国では、魔物の出現頻度が異常に高くなっている。
そもそも“魔物の王”のように、体格も知性も通常の魔物を遥かに超えた存在は、過去には一度も確認されたことがなかった。
そして魔物の王よりは劣るが、通常の魔物を大きく上回る個体――いわゆる“魔獣幹部”も、三体確認されている」
空は、あらかじめ用意していたらしい図表を広げ、静かに説明を始めた。
「ディマン王国から亡命してきた者たちの証言によれば、三十数年前、王家の孤児だったリチャードという男が、突如として高位貴族の令嬢、豪商の娘、さらには小国の姫君にまで熱烈に求められるようになったらしい。
その結果、彼は本来の国王や王子たちを押しのけて王位に就いた。
だが奇妙なことに、数年後には彼の妻たちは次々と彼のもとを去り、そのほとんどが海を越えて国外へ移住している。
私は彼女たちの行方を追って、何人かに接触したが――彼女たちは口を揃えて、当時の自分たちは『惑わされていた』『洗脳されていた』と答えた」
「惑わされていた、洗脳……まさか、攻略システム?」
エリカが眉をひそめる。
「おそらくそうだ。ナオミが召喚されたのは、ちょうどリチャード王の時代だった。
私が召喚された頃には、リチャード王はすでに病床にあり、彼の死後、ちょうど入れ替わるようにヴィクトリアが台頭した。
おそらく攻略システムは、国をまたいで宿主を移るたびに、“汚染された断片”のようなものも一緒に持ち込み、それを利用して超人じみた存在を作ろうとしていたんだろう。
リチャード王は自分で使うことを恐れ、その断片を実験に回したが、すべて失敗した。
ジェもジェイソンも、その仕組みを理解しないまま自分に使い、惨めに破綻した」
空は視線を図表から外さずに続ける。
「魔物の王と魔獣幹部の死骸、陽太の腕、そして君が送ってきたジェイソンの身体の分析結果を照合した。
……すべて、クリスティーナの肉体の断片と関係している」
「こんな繋がりまであったなんて……私たち、攻略システムを消すのが早すぎたのかもしれないわね」
アンジェラが小さくため息をつく。
「いいえ」
エリカは即座に否定した。
「あれは存在自体が異様すぎた。
少しでも早く消し去った方が、私たちにとっては安全だった」
エリカと空は、短く視線を交わした。
二人とも、ようやく自らの政権を築いたばかりだ。
表面上は安定しているように見えても、その背後には、まだ数え切れないほどの危うさと、不確定な要素が潜んでいる。
ディマン王国は近年確かに衰退している。
だが、それでもなお、何百年も続く大国であることに変わりはない。
建国王が、異なる勢力圏から迎えた複数の妻たちと、その数多くの子どもたちを通じて、周辺の大小の国へ深く影響を及ぼしてきたこともまた事実だった。
とりわけ文化の面で、リチャード王は狡猾だった。
彼は多額の予算を投じて作家や絵師を支援し、
短く、早く、頭を使わずに消費できる連載小説や連環絵物語のような娯楽を量産させた。
それは中流以下の民衆の心を麻痺させ、自分たちの置かれた不公平な制度や貧困を考えさせないための、甘く鈍い毒だった。
とくに、リチャード王をなぞらえた物語は、ディマン王国の平民男性たちの間で熱狂的な人気を博した。
親のいない孤児が運命に愛され、行く先々で誰かに助けられ、出会う女たちはすべて彼を愛し、無条件で尽くす――
そうした話を読んでいる時、彼らはきっと気づかなかったのだろう。
その“孤児”が、たとえ孤児でも王家の血筋に属する存在であったことに。
国内での大成功を見たリチャード王は、その娯楽が金になることにも気づいた。
かつて嫁いだ王族たちの縁を利用し、それらの連載作品や絵物語を短期間のうちに大量に国外へ流通させ、一大流行を作り出した。
そして外貨を十分に吸い上げた後で、
彼はかつて自ら支援した作家や絵師たちを、「王家を文字によって冒涜した」「善良な風俗を乱した」という名目で処罰した。
著作権はすべて国有とされ、その果実だけが王権のもとへ収められた。
リタール王国でも、それは同じだった。
エリカが学んでいた頃には、ほとんどすべての同級生がディマン王国の作品を読んでおり、日常の言い回しまで彼らの流行を真似ていた。
ヴィクトリアが王妃だった時期、彼女が愛人の国を露骨に偏愛していたことはよく知られていた。
だが、その裏で王室が長いあいだ、ディマン製品を異常な低関税で大量輸入し、国内産業を蝕んでいた事実に気づく者は少なかった。
エリカが再び王宮へ戻ってからも、この問題に手を付けるまでには時間が必要だった。
しばらくは潜み、根を確かめ、影響の広がりを測ってからでなければ、下手に動けなかったのだ。
そして空にとっては、事情はさらに厄介だった。
彼の公国の民は、もともとディマン王国の住民たちである。
文字や言語の形を新たに整えようとしても、結果が現れるまでには少なくとも十年以上はかかる。
聖女に比べれば、使徒もまた強大な力を持つ。
だが女神は聖女の地位を守るため、男性が使徒に選ばれた場合、その寿命を代償として削る。
もし空が先に死ねば。
その後を継ぐアイリンと狸に、モス公国の未来を支え切れるのか。
それこそが、空の胸に巣食う最も深い不安だった。
四肢を引き裂かれる痛みによって、ジェイソンは混濁した夢の底から引きずり出された。
目を開けた時、まず彼が気づいたのは、自分の胴体がさらに短くなっていることだった。
胸のあたりは、激痛の果てにかえって感覚を失っている。
声を出そうとしたが、吸うことも吐くこともまともにできず、喉は空しく震えるだけだった。
口を開く。
だがそこに広がるのは、鉄錆じみた血の味だけ。
ジェイソンの身体は、もはや膨れ上がってはいなかった。
切断され、焼かれ、毒液に浸され、
その結果として、彼の肉体は小さな塊へと何度も分割されていた。
頭部とまだ繋がっているのは、首から胸郭の一部だけ。
そこから下を覗けば、変形した肋骨の隙間に、青い血管の這う肺が不規則に脈打っているのが見えた。
それは呼吸というより、死にきれない肉が痙攣しているだけの動きだった。
ジェイソンは周囲を見回す。
アンジェラとダグ。
そして、黒い長髪をした背の高い男。
その男の露わになった左腕には、不吉な色を反射する鱗が密生していた。
誰に告げられずとも、ジェイソンは理解していた。
――これが、自分の最後なのだと。
かつては王であった男が、
今や異形の肉体を晒し、
もっとも野蛮な獣のように鎖で床へ繋がれている。
夢の中でさえ忘れられなかった。
身体が最初に歪んだ時、下腹から絶え間なく生まれ続けた、あの小さな怪物たちを。
あの激痛と嫌悪。
あれは人を狂わせるには十分すぎた。
エリカ……
エリカも、あの頃は同じだったのか?
別宮へ幽閉されたばかりの頃、
彼は薬で衰弱し、抵抗もできない彼女を犯し、最初の子を孕ませた。
あの子は生き延びなかった。
腹の中で死んだのか、産まれてすぐに死んだのか、彼は知らない。
知ろうともしなかった。
そして彼女を無理やり王宮へ連れ戻した時、
エリカは他の女をあてがえと何度も言った。
それでも彼は聞かず、愛徳華を産ませた。
エリカ。
エリカ。
エリカ。
ジェイソンの身体は、元から強くはなかった。
病に倒れてからは、なおさらだ。
攻略システムの“治療”で一度は膨れ上がったその肉体も、
今度は果てしなく小怪物を産み続ける、大きな怪物へと成り果てた。
そして捕らえられ、
少しずつ切り分けられ、
削られ、焼かれ、毒を注がれ、
最後には――今のような、あまりにも小さな存在にされてしまった。
彼の命そのもののように。
ジェイソンは必死に首を動かし、エリカの姿を探した。
「エリカはここにはいない」
陽太が告げた。
その声音は、妙に静かだった。
ほとんど拗ねた子どものような、だがその実、底の見えない冷たさを帯びている。
「空と彼女は決めたんだ。お前が死ぬ瞬間は、見ないって」
その言葉の直後、陽太の刃がジェイソンの喉を裂いた。
大量の血が噴き出す。
温かいはずのそれは、すでにぬるく、生臭い泥のようだった。
血が流れるにつれ、ジェイソンの顔は急速に白んでいく。
最後には、もう呼吸は戻らなかった。
心臓が止まり、肺の痙攣も止み、
その瞬間、彼の散らばった肢体はゆっくりと融け始めた。
肉は粘つく液体となり、
骨は濁った沈殿物となり、
やがてそれらは悪臭を放ちながら、空気の中へと揮発していく。
それはまるで、
この世に生きていた証拠そのものが、
誰にも惜しまれぬまま、腐敗しながら消えていくようだった。
「廃王は死んだ」
空は、エリカにそう告げた。




