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神父の待遇と狂気の妹

 眼前で心配そうに、しかし僕の体に何も外傷がないことを確認して微笑みすら浮かべる狂神父に、僕は戦慄した。

 おかしい。人を殺したはずなのにどうしてこの男は笑っていられるのか。言葉を交わして明らかに『人』と認識したはずだと言うのに……。

 その異常性が目の前の男を恐怖の対象としてとらえさせてしまう。


「ごめんね、気持ち悪い物を見せてしまったね」


「ひっ」


 男が腕を伸ばして僕の頭を撫でようとしてきたが、その腕が人を殺したものだと理解すると嫌悪感と恐怖心でどうにかなりそうだった。

 短い悲鳴を上げて上体を仰け反らせて男から距離を取る。


「あ……まぁいいか。うん。――――でも、大通りまでは付き合わせてね? いくら外敵を排除したとはいえこんなところで幼い子を見かけたのに無視をするほど狂ってはいないからね」


 微笑みを浮かべる狂神父。

 怖いっす。


 だが、意外にこれは渡りに船だったりする。

 実を言うと男たちに担がれて走られたせいで今の場所がわからなくなっていたのだ。花音やリーフさんの元まで戻ることが出来なかったのだ。

 とにかく大通りまで戻ってくれればあとは探すことが出来る。

 路地裏は結構複雑だったのでちょうどよかった。


「じゃ、じゃあ、お願いします」


「はい、お願いされました」


 神父はそう口にすると僕の体をお姫様抱っこのように担ぐと、本と林檎のような果実を持って一気に跳躍。いったいどんな運動神経をしているのか高い周りの家の壁まで一歩で登り切ってしまった。

 すでにナイフを防いだり、風圧だけで人間を肉片に変えるような奴だ。驚きはそこまで大きくない。


 屋根を数度渡り歩くとふと人の声が聞こえてきた。

 どうやら大通りに近づいて来たみたいだ。往来する人々の楽しげな声が耳に届く。

 と、その中に絶叫を上げる人が一人居た。


 黒板を爪でひっかいたような甲高い声でそいつは叫んでいた。


「お兄ちゃんッ!! お兄ちゃんッッ!!」


 …………。

 あらやだ、花音ったら高校生にもなってなんてお兄ちゃんっ子! と言うか迷子の子供みたいに顔中涙で濡らして目元が真っ赤だ。

 鼻をすすりながら必死になって僕の姿を探している。


 その隣ではオロオロとしつつもとりあえず花音を落ち着けようと齷齪しているリーフさんの姿があった。喧嘩していたのにいつの間にか居なくなっていた僕の事でそれは仲裁されたのだろう。

 ふむ、なら今度からもいなくなると言う方法で喧嘩を止めようかな? ――――いや、心配をかけるのはいけないよな。止めておこう。


「すいません。あそこで叫んでいるのが僕の連れです」


「ほ、本当に? あの子はお兄ちゃんって言っているが……」


 顔を歪め軽く花音のブラコンっぷりに引いているようだ。

 確かに他人から見ればかなり気持ち悪く見えるかもしれないがあれはあれで可愛いところがあるんだぞ? うん、可愛いからこそきちんとした恋愛をしてほしいわけで……。はぁ……。


「あれはあれでいい子なんですよ」


「いや、そうじゃなくって君お兄ちゃんって感じじゃないよね?」


 あ、そっちか。

 うん、そっちだよね。だって僕の姿今ロリだよ? なに忘れてるんだって話だよねー。


「あー、実は僕この見た目で実は十八歳だったりするんですよねー」


「ははっ、面白い設定だね。おままごとの続きは私ではなくお姉ちゃんとすればいいよ」


 笑い飛ばされた挙句花音が僕のお姉ちゃんになってしまった。


 神父は屋根から一度高くジャンプすると泣いて鼻水をすすって僕の姿を探している子供みたいな花音のすぐ目の前に降り立った。

 華麗な着地は僕に一切の振動を与えなかった。

 す、すごいぞ!!

 膝を軽く曲げるだけで衝撃を吸収しきりやがった! 物理法則とかまったく無視しまくっていて今までの勉強の成果が水の泡になっているような気がしてちょっと悲しい!!

 あ、僕引き籠りだから勉強なんてほとんどしてなかった!


 ざわざわと騒ぎ出す周囲の声につられて僕の思考がだんだんと現実に戻ってくる。

 買い物を楽しんでいたであろう人たち、花音の泣きっぷりにどうしたのだろうか? と心配を向けていた人たち、滂沱の涙を流していた花音とそれを収めようとしていたリーフさん。

 その全員の視線が今、僕――いや、僕と僕を抱きかかえる神父に向けられている。


 うん、確かにそうなるね。

 いきなり空から幼女を抱きかかえた神父が降ってきたんだからさ。「親方! 空から幼女を抱きかかえた神父がッ!」って某映画の吹き替えが脳内を流れるあたり僕はオタクだなぁと自覚させられる。

 って、そうじゃない。


「やぁ、花音」


 僕は神父に抱きかかえられているので足が浮いた宙ぶらりんの状態で片手を上げてできるだけ何もなかったかのように花音に挨拶した。

 数度ぱちくりと瞬きを繰り返す花音は兄の僕から見てもかなり可愛い。そして幾度か瞬きをし終えると弾かれた様に僕に抱きついてきた。

 否、神父から奪い返してロリボディーの僕の体を抱きしめる。そしてロリータフェイスのロリータリップをゲッチュされてしまう。


「――――!?」


 ちょ、ちょっと待てい!! なにやっとるんじゃぁこの妹は!! こんな公衆の面前で! ってそうじゃない!! すぐにキスしまくるとかお前はキス魔か! って僕以外にはしないんだったぁ!!


 いやいや、それよりもちょっと周りの視線が痛いよぉ……。だって、さっきまでお兄ちゃんお兄ちゃんって泣き叫んでた子が、突如空から飛来してきた幼女を抱きしめてキスしてるんだよ? ははっ、超絶頭おかしいぃー。


「か、花音……やめ……」


「え? お兄ちゃんは花音と片時も離れちゃダメなんだよ? なのに勝手にいなくなって、かと思えば男を連れてくるし……もう一度やり直す? 今度こそ二人だけの世界に……」


 何やら怖いことを言いだしたので僕はどうしていいかわからず、とにかく花音の望みをかなえることにした。つまりは花音にキスをした。

 いや、だってこれ以外に方法が思い浮かばないんだもん。

 わかってるのに、こんなことじゃ何の解決にもならないってわかっているのに、これしかできない自分の馬鹿さ加減に苛立ってしまう。


 ――――ん? そう言えば花音男を連れて来たって……まさかこの狂神父のことを言っているのではないだろうな? と言うかそれ以前に僕は男だ。女(幼女)になっても中身は十八歳の思春期真っ盛りの引き籠り男子高校生だよ? 変な冗談はやめてくれい!


「わかった、勝手にいなくなったのは謝るから。とにかくおろしてくれ」


 花音に捕まれた状態からようやく解放され、僕は一度大きく伸びをすると周囲の人だかりに向かって一度頭を下げて謝罪の言葉を述べる。


「お騒がせしてすみませんでした。僕……私のいも……姉が取り乱したようで……」


 できるだけ幼女キャラで……そう、例えるならば背伸びをしてしっかり者のお姉さん役をやる幼女のような感じで……。

 どうやら僕のこの世界での顔面はかなり愛らしいようなので、少し苦笑いも混ぜて向けてやれば大人は解決だ。大人からすれば幼い兄弟がキスをするくらい、そう訝しまないのだろう。姉妹はどうか知らないが。

 故に大人は解決。問題は……。


「おかーさん! 今この子チューしてた!」


 その声は人混みの中にいた一人の女の子。


「そ、そうだねー。仲良しなんだねー」


「じゃあ、私もレイン君とするー」


 どこかに走って行こうとする女の子。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってぇー。あれは家族だからよー」


 ごめんなさいそこのお母さん。

 がんばって娘さんの暴走を止めてあげてください。


 とまあ、こんな感じで物珍しいキスと言う物を目撃した子供たちは親に尋ねたりといろいろとめんどくさいのだ。

 どうしようかと頭を悩ませていると、ふと、花音の陰からリーフさんが青い髪を揺らしながら顔を覗かせた。


「どうしたんですか?」


「い、いえ。とにかく無事でよかったです。まぁ、ステータス的にわかっていましたが……。それよりもソレ(、、)


 リーフさんの言い方に違和感を覚えつつも彼女の指さす方に視線をやる。

 そこには黒い神官服に身を包んだ狂神父が一人。


 僕と花音の百合キスが衝撃的過ぎて彼ほどインパクトある人の存在感がかなり薄れていた。

 

 そもそもこの人が僕を連れて現れたのだ。本来ならば否応なしに注目されるべき存在だと言うのに……なんてキャラの濃い妹なんだ……。


 だが、今のリーフさんの言葉で周囲の人の目が神父に向いて行く。

 彼に対しても「すごい」「どこから来たんだ?」などと声がかかると思っていた僕は、しかし、周囲の人たちの言葉に思わず目を見開く。


「おい、何で狂神父が居るんだよ」


「マジかよ……最悪だな。行こうぜ」


 白けたかのようににぎやかだった街道は一瞬で静かになり、誰かのそんな心無い言葉がぽつぽつと耳に入った。

 神父を視界に入れた瞬間半分以上の人間が足早にその場を後にしていく。人で埋め尽くされていたにもかかわらず、今ではまばらと言うほど人は近づかなくなっていた。そして――――。


「――――出てけっ! クソ神のクソ神父!」


「お前みたいなやつは邪魔なんだよ! 消えろォ! この異常者!!」


 ついには怒り狂い神父に向かって石を投げ始める人まで出てきた。

 だが、神父はそれをよけようとはしない。僕も彼の防御力は先ほど文字通り嫌と言うほど見たのでその程度の投擲では傷もつかないのは百も承知である。

 問題なのは石を投げていることではなく、投げている人と言う点だ。


 男、女、子供、老人。


 すべての年齢層の人間がたった一人の黒い神父服に身を包んだ男に向かって石を投げていると言うこの異常さ。

 だが、誰一人として彼を捕縛しようとする様子が伺えないことから、犯罪者の類ではないという事だけはわかる。僕自身、いい方法とは言えなかったけれど助けられたばかりだ。

 彼はどこか頭のねじが外れているが悪人でないという事だけはわかる。


 故にこれほどまでに嫌われ罵倒されている理由が皆目見当もつかない。


「ちょっ」


 やめさせようと思い、声を上げようとしたところでそれを神父が手で制す。

 構わないとばかりに苦笑を浮かべながら神父は石の形をした人々の恨みを受け続ける。

 なにがそこまでこの人たちを怒らせているのか、僕にはわからない。まったく、皆目見当もつかなかった。


 神父は恨みを浴びながら果物の入った袋を抱え直すと「じゃ、気を付けてね」と言ってゆっくりと歩き始める。直後、彼の後頭部を大きめの石が直撃した。

 頭部が一度大きく揺らされたのが見て取れた。


 さすがにおかしい。街の人たちは彼のことを狂っている。狂神父。などと呼んでいるが僕からすればみんなの方も十分に狂っていた。

 だって――――今の頭部直撃を見てさらに嬉々として人々は石を投げ続けていたのだから……。


 僕はどうすればいいのかわからず、結局神父の大きな背中を見送ることしかできなかった。

 一人さびしそうに去っていくその背中は、僕には悪人の者には思えなかった……。


 僕は花音とリーフさんに目を向ける。

 花音は今の状況がうまく飲み込めていないのか困惑の表情と、しかし、さすがにこれはおかしいと思ったのか周囲の人に軽蔑の目を向けていた。

 リーフさんは……目があった瞬間逸らし、言いたくないとばかりに唇を強く噛んでいる。彼女は事情を知っていそうだが、その様子から教えたくないのだろう。


 結局、胸の内にもやもやとしたものを残しながら僕たちは必要最低限の物を購入してそのまま宿屋へと帰ることにした。


***


 昨日今日と、短い時間内にいろんなことが立て続けに起きたことで僕は宿屋に戻るとそのまま休むことにした。

 幸いにしてお金はまだ大丈夫だ。稼ぐ方法を模索するにしても今すぐする必要はない。


 それに、神父に対する憎しみ(あんなもの)を目にした後に何かをやる気になんてなれなかった。

 昨日花音に突き落とされてしまったベッドを僕は二人に悪いと思いつつも独占する。

 僕の白髪がベッドの上にファサリと広がった。


「咲夜君……」


「お兄ちゃん……」


 心配げな声で呼びかけてくる二人を、僕は首だけを傾けて視界に入れると、出来るだけ心配させない様に笑顔を作って言う。


「別になんでも無いよ。ちょっと疲れただけだからさ」


 すると二人が僕の表情を見て息を飲む。

 先に動いたのはリーフさんだった。


「――――咲夜君は、咲夜君は本当に……優しすぎるんです。会ったばかりの人をそこまで気にできるなんて」


「そんなことは無いですよ。普通です。あくまで日本人ならって条件が付きますが……。異世界ではよくあることなのかもしれませんが、日本ではまずないですからね……」


 日本ではあんなことは許されない。

 それに神父は人外並みに強いからアレだが、もし後頭部に石を食らうのが普通の人なら、ひとたまりもないだろう。

 故にそんな致命傷になるような攻撃を嬉々として行う彼らが異常に映ったのだ。


 明らかにおかしい……。

 記憶にこびり付き、剥がれない焦げ跡のように気にしてしまう。

 そう、気にしてしまうだけ。何もしてあげられない。

 僕は、優しくなんかない。


「それに、僕の恩人でもありますからね」


 神父は僕を一度誘拐犯から助けてくれた。

 それは紛れもない事実で、いくら一人で逃げられたと言っても、事実は変わらない。彼は善人だ。そう断言できる。


「咲夜君……」


「すいません。大丈夫なのですけど少し疲れたので寝ます」


 背を向けるように寝返りを打つことでこれ以上の干渉を拒絶する。

 しばらくは一人にしてほしかった。


 その僕の態度を見てリーフさんが一歩下がったのが足音で分かった。

 彼女は空気を呼んでくれる。

 僕のことをずっと見ていたと言っていたが、本当なのだろう。僕の気に障らない様に、僕のことを気遣いながら行動している。

 決して踏み込みすぎず、だが離れすぎない。そんな風に動いてくれる。


 ――――なのに。


「なぁ……花音。お前は本当に空気を読むのが下手だなぁ……」


 喉を震わせ、漏れ出た声は自然と震えていた。

 背中に温かみを感じる。ほのかに香る臭いは間違うはずがない。僕はこの女の子の兄を十六年間行ってきたのだ。


 ギュッと僕の小さな背を、肩を、抱くように花音は腕の中に僕を包み込む。


「お兄ちゃん。気にしすぎ……。でも、そこが好き。虐められている人を放っておけないのは花音が一番知ってる。それこそ身を持って知ってる。そこが好き」


「何を……」


「だから、お兄ちゃんの味方だって言ってるの。お兄ちゃんはいじめられている人を見過ごせないんでしょ?」


 彼女の言いかたはまるで、僕の心を見透かしているようであった。

 花音はおそらく僕の中にある『あの神父のいじめをなくしたい』と言う気持ちに気が付いているのだ。そしてその上で僕の味方だと主張している。


 花音は、もしかして……神父を助けるのを、手伝ってくれるのか?

 自分とは何のかかわりもない人を助けようと、自分が助けられたわけでもなく、ただ僕がそうしたいからそれに自分の考えも合わせようとしているのか?


 自分を意思殺して僕に合わせようとしているのか?


 それは嬉しいことだが決して良いことではない。

 僕の考えに合わせてあの神父を救おうと思ってくれること自体は非常にうれしい。だが、それで自分の気持ちを述べないのは何か間違っている気がする。


 アニメやラノベで主人公全肯定型のヒロインが良く居るが、これは現実だ。確かに花音は僕に対して結構な確率で肯定してくれるが……それでも今回は異常だ。


 何故異常なのかと言うといじめに首を突っ込むと突っ込んだ側にも被害が及ぶことは良くあることだからだ。

 そんなこと虐められていた花音なら知っているはずなのに……。だって、花音のいじめを止めようとした際に僕が大けがを負ったところを彼女は見ているからだ。


 つまり、彼女は助けようなんて思うはずないのだ。僕だって神父と同類と思われて石を投げられるのは嫌だ。故に、彼女は本心では助けたいなんて思っていないはずなんだ。


 花音は僕に合わせようとしている。狂気的なまでの愛情で僕の心を見透かして、僕に合わせようとしている。


 そして――――そんな生き方は間違っている。

 そんな考え方は間違っているんだ。


「花音、無理をするな。きちんと自分の意思を……」


 自分の意志を貫け。僕はそう言おうとしたが、その前に花音が言葉を挟む。


「虐められている人を見過ごせないお兄ちゃん……ダメ。そんなのダメ」


「は? 花音?」


 いじめられている人を見過ごせない僕が好きと言いながら花音はそんな僕は駄目だと言う。まったくもって意味が分からない。疑問に思いながら背後に抱きついていた花音の方へと体を向ける。


 すると花音は恍惚の表情をして再度口を開いた。


「ダメ、ダメなんだよ。かっこいいお兄ちゃんは花音だけのもので、花音以外助けたらダメなの。わかる? お兄ちゃんは花音の英雄で、みんなの英雄じゃないの。お兄ちゃんは花音だけを見て、花音だけを好きになって、花音だけを想って、花音だけを助けて、花音だけの為に生きて、花音だけの為に死ぬの。お兄ちゃんのすべては花音の物なの。頭の上からつま先まで、体の中の血液の一滴残らず花音のなの。その心も、正義感も、優しさも、何もかもすべて花音の物なの。他の人の為に向けるなんて許されないことなの。だから、ダメ。ダメダメダメ。絶対にダメ。お兄ちゃんはあの人を見捨てて花音だけを助けたの。お兄ちゃんが助けたのは後にも先にも花音だけなの。――――わかったぁ?」


 ――――――。


 僕の妹は、壊れているのかもしれない。

 怖気が全身を襲う。

 鳥肌が立つ。

 異常なまでの僕への執着心。

 異常なまでの、恐怖に匹敵するほどの薄汚れた愛情。


 すべてを吐きだして満足したかのようににっこりとかわいらしい笑顔で僕を見つめる目の前の少女に、僕は恐怖し戦慄した。


 怖い。純粋な恐怖だ。


 人の感情が怖いと思ったのはこれが初めてだったかもしれない。

 花音の僕に対する想いは大きすぎる。重すぎる。彼女の頭の中の半分以上がもしかすれば僕で埋まっているのかもしれない。


 それが怖い。


 今の花音の言葉は、つまりは僕の人生は花音のためにあると言われているようなものだ。

 僕、桜庭咲夜と言う人間は桜庭花音と言う少女のためにあると言われているようなものだ。


 怖い。


 怖い。怖い。


「ぁ、あぁ……か、のん……」


「なぁに? お兄ちゃん!」


 人を見捨てる判断を下し、僕の人生は自分の物だと宣言した黒髪の少女は笑う。

 怖い笑みを浮かべる。

 僕の恐怖させる笑みを浮かべる。


 そんな純粋な愛情(狂気)を向けられ、僕は――――


「そう、だな……花音の言うとおりだ、愛してる」


 自分から(、、、、)花音に口付けをした。


 リーフさんがそばにいるのも気にせず、一心不乱に僕から花音を求めた。

 それは花音がずっとしてほしかったことのはずだ。花音を満足させる行為のはずだ。だから、だから僕は彼女にキスをする。

 怖いから、怖いからキスをする。


 リーフさん(好きな人)の前で妹の唇を貪った。


 口内に舌を侵入させ唾液の混ざり合う卑猥な音が脳に麻薬を投与していく。

 くらくらする。唇がふやけそうになる。苦しい、鼻息が荒くなっていく。

 それでも僕は止めなかった。

 本当に愛しているかのように。僕の頭の中は花音が一番だと、そう、態度で示す。


 でも、すべて嘘だ。


 怖いから僕は嘘をついて花音に嘘の愛情を向ける。


 僕が本当に好きなのはリーフさんだ。

 優しくって、それでいて面白い。可愛らしく常識人なリーフさんだ。


 けれど、僕はその彼女の前で演じる。花音が一番だと思わせるように。


「んっ……んぁ、ふぅ……ん……」


 花音の口から小さな声が漏れ出ている。


 ちらりと視線を横へ、リーフさんの方へ向けると、腰を抜かしてリーフさんは床に座り込んでしまっていた。

 リーフさんは僕なんかのことが好きだと言ってくれた。そして僕も好きだと伝えた。相思相愛のはずなのに、僕はその人の前で妹とキスをする。


 自己保身の為に好きな人に嘘を吐く。大好きな妹に嘘を吐く。


 狂気を向けられることが怖くて嘘を吐く。嘘を吐いて吐いて吐きつづける。


 花音の狂気を、薄汚れた愛情を、満足と言う形で埋めていく。


 そうして、恐怖に支配された禁断の行為は約五分ほど続き、僕は自然と花音の口から自分のを離していく。


「はぁ……はぁ……」


 動いたわけでもないのに息苦しさからか、自然と息が上がっていた。

 僕と花音は顔を真っ赤にさせ、肩を揺らしながら至近距離で見つめ合う。

 

 歓喜の涙でいっぱいの美しい瞳が真っ直ぐ微僕を射抜いている。


「お、おにいひゃん……」


「はぁ、はぁ……花音……」


 互いに見詰め合いながら、しかし、二人とも今抱いている想いは正反対の物だろう。

 花音が抱いている想いはおそらく喜び。僕から求められたことに酷く喜んでいる。


 だが、僕が抱くのは後悔と自己嫌悪。花音に嘘を吐きリーフさんを裏切った自分を今すぐ殴り飛ばしたい欲求に襲われる。が、それをすれば今行った演技が水の泡になることくらい僕にもわかる。


 だから、心の中で罵るだけに留めておく。


「嗚呼、やっと、お兄ちゃんから……求めてくれたぁ……お兄ちゃんが花音の物になってくれた。花音だけの、花音だけの人になってくれたぁ!!」


「花音、僕はお前が大好きだ。愛している。本当に本当に愛している」


 でまかせが止まらない。

 今だけは口が鬱陶しい。

 この言葉を吐いても誰のためにもならない。


 僕の為にも花音の為にもリーフさんの為にも、何にもならない。


 そんなのは分かっているのに、彼女の狂気が怖くて怖くて、一度殺された時の記憶がフラッシュバックするのだ。

 僕の心は弱い。

 妹に負けるくらい弱い。


 だから、逃げてしまう。


 ――――最低だ。僕は、本当に最低だ。死んでしまえ。


「あれ? どうして泣いてるの? お兄ちゃん」


 花音の言葉で僕は自分が涙を流していたことに気が付いた。

 僕は泣いていた。自分の情けなさに……。

 花音もリーフさんも報われないのにこんな過ちを犯してしまったが為に……。


 そして、死ぬことすら恐怖してしまうよわっちぃ自分が大嫌いが故に……。


「花音……。嗚呼、花音」


「なぁに? お兄ちゃん」


「僕は一生お前に尽くそう。尽くして尽くして、愛して愛して、求めて求めて、そして生きて行こう。死ぬ時ももちろん一緒だ。お前が僕に奴隷になれと言うならお前の言うことを何でも聞こう。お前の為に、お前の生きる意味として僕は生きて行こう。僕とお前は運命共同体だ。――――だから」


 自分自身が大嫌いになってしまった僕は……すべてを諦め、そして人生を花音にささげることを誓う。

 代わりにその交換条件として一つだけは要求をのませないといけない。


「だから?」


「だから……リーフさんや、僕が助けたいと思った人には関わらないで上げてくれ。干渉しないでくれ。僕はお前の英雄として生きていく。でも、僕の意思もそこに介在させてくれ……お願いだ」


「――――」


「わかっている。花音の為に生きるなんて言って、それでも花音以外の人のことを考えるのは悪いことだ。浮気になる。でも……これだけはお願いだ」


 僕は彼女の顔は見ず、抱きつきながら頼み込む。

 先ほどの何倍もの涙が頬を伝い、先ほど以上の恐怖が僕を襲う。


 ふと、リーフさんに視線を投げると僕のセリフから花音にキスをすると言う行動の真意がわかったのだろう。

 だが、怯えて妹とキスをすると言う行動に逃げた僕を咎めるような目はしていない。むしろ仕方が無かったと言うような思いさえ伝わる。

 優しい彼女は、本当にどこまでも優しい。


「――――お兄ちゃん」


 そっと、花音の手が僕の頭に触れた。

 そして優しく撫でるように髪を梳く。


「か、のん……?」


 恐怖に震える心を奮い立たせ、僕は彼女の顔を見た。

 彼女は笑っていた。これ以上ないくらいの笑みで笑っていた。

 そして言うのだ。


「ダメに決まってるじゃん!」


「なっ……!」


「何度も言うけど、お兄ちゃんは花音のために生きるの。他の人の為にお兄ちゃんと過ごす時間を与えられるわけがないじゃん? お兄ちゃんも花音の事を愛してるならわかるよねー!」


 顔と顔の間にあった距離が一気にゼロになり、花音にキスされる。


 だが、僕はもう反抗することすらできない。

 気力がわかない。そして初めて僕は体験したのだ。絶望と言う物を……。


 どこか現実が遠く感じられ、怠く動かしにくい体を動かして――――と言っても動かしたのは眼球だけだ。僕の視線の先には座り込むリーフさんの姿。


 その表情は僕と同じで絶望に、そして花音の愛情(狂気)に怯えていた。


 おびえた目で花音を見ているだけで、行動は起こそうとしない。

 ただ、純粋に怯えている。


「お兄ちゃんはぁ……花音のこと大好きなんだよね!」


 嗚呼、怖い。

 本当に怖い。

 誰か、誰か助けてくれ。


「――――ああ、大好きだ。花音、妹のお前を僕は好きになっている。一人の女の子として好きになっているんだ」


 言っていて悔しい。

 もう嫌だった。

 助けてくれ、本当に誰か……助けて……。


 僕は誰かに願った。この状況を、すべてをぶち壊してくれる何かが起きてくれと、心の底から願った。

 そして……それは起きた。


 僕の耳に届いたのは部屋の窓ガラスが割れる音。甲高い音と共にガラスが比較的窓の近くに居た僕と花音に降り注ぐ。

 反射的に花音を守るように僕は彼女の上になった。

 背中にいくつかの破片が突き刺さるかと思ったがそんなこともなく、いや、おそらく僕の防御力の高さの性だろう。


 もしかすれば神父のあの固さも彼が高い防御力の持ち主だったからなのかもしれない。


 そんなことを考えるが今は関係ないと頭を振って忘れ去ると、僕は花音をリーフさんの方へと軽く投げる。


「リーフさん! 少し花音を頼みます!」


 彼女たちの返事も聞かず僕は割れた窓ガラスの方に視線をやり、窓ぶちに足をかけて何かボールのようなものを二、三個手の中で転がしている男を見つけた。


「おぉ? こっちの方がマジもんっぽいぞ? まぁいいか。ボスは両方連れてこいとのお達しだからなぁ……。おい、そこの白髪! お前とっととこっちに来い!」


「何をッ!」


「うんうん。お前ガキのくせに態度でかいな。やっぱり、こっちだろ」


 男は何事かを言って一人で頷いている。


「何の話だ! と言うかお前はなんだ!」


 突然現れた男に僕は警戒を全開にして背後に居る二人を背に、臆することなく睨み付けた。


「だー、良いからお前さっさとこっち来い。奥の二人にゃ興味はねぇ。さっさと来るんだな。でないとこの魔力式爆弾がこの部屋ごと爆発させちまうぜ? ま、世界に愛されたお前なら大丈夫だろうが……」


 男の言っていることがわからない。

 だが、男の持つ白い球が爆弾と言う物だという事は分かった。

 そしてどういう理由なのかわからないが男はその爆弾は僕には効かない。つまるところ後ろの二人には効くものだと言っている。


 それだけがわかった。


 一瞬の間に、まだ僕の後ろに居るのに、二人を人質にさせてしまっている事実に歯噛みする。


「二人には手を出すな!」


「だったら大人しくついてこい」


 僕はちらりと後ろにいる二人を見る。

 二人とも状況についていけてなく呆けた顔をしていたが、リーフさんがわずかに冷静さを保っていた。


「――……ッ! わかった。リーフさん花音のことお願いします。手錠を付けて束縛してでも僕が戻ってくるまで花音を留めておいてください」


「――――本当に、行くの?」


「大丈夫ですよ。僕、強いですから」


 告げて僕は男の方に両手を上げて敵意が無いことを示しつつ歩み寄っていく。

 完全に近付くと男は僕の両腕に手錠をかけた。


「んじゃま、魔法を行使されても面倒だからな。少し寝てろ」


 男が僕の顔付近に手をかざし、その手が薄い緑色に光り輝いたのを最後に僕の意識は闇に堕ちていく。


 異世界に来て二日でどうして二回も誘拐されなくちゃいけないんだ。

 花音のこともあり、異常なことが立て続けに起こって僕の精神は疲弊しきっていた。


 だから、こんな危険な場面だと言うのに寝かせてもらえることに感謝する僕が居た。確実に僕の精神も狂ってきているのだと、実感した。

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