第6話 公印の薄塩——条件不履行の返書、王妃の正式委任
朝一番。扉の下からすべり込んだ封筒は、王宮の白ではなく、落ち着いた乳茶色だった。
封蝋に刻まれたのは王妃印。私は小匙の柄でそっと縁を押さえ、封を切る。
『王妃付御用厄整として、王都祭礼・宮中私室・公的広場における
“人→祈り→光” 配列の監督、ならびに過剰加護の薄塩再配合を委ねる。
記録は数字とし、映像配信は原則禁止。報酬はパン二斤ほか相当分。
——王妃レオノール』
短いが、必要な言葉が揃っている。映さない勇気まで明記。
同封の真鍮小札には**《王妃付 御用厄整》の刻印。店先の看板に吊るすと、乳色が朝日に薄塩**に光った。
カウンタの端で、ククが白い星を胸に丸くなる。
「正式なお役目よ、クク。皿が増えるわ」
くる、と返事が落ちる。
そこへ、もう一通。今度は真っ黒な封筒、王太子宮の封蝋。
中身は、昨夜の私の返書に対する返答だった。
『非公開など論外。大広間で公開の弁明を命ずる。
香炉は全開、“聖女の光”は最大とする。数字など不要。』
私は息をひとつ、薄める。小匙で紙の角を撫で、返書を新たにしたためる。
『受領不可/返金=辞退。
条件(非公開・数字記録・人→祈り→光)が整えば、パン二斤で参上いたします。
整わぬ場での“味見”は、胃に悪いゆえ。
——王妃付 御用厄整 リュシエンヌ』
命令にも、礼儀の順番はある。返金=辞退は、権威にも効く胃薬だ。
◇
開店前。エリアスが扉を叩く。鎧は軽装、目の下の影はさらに薄い。
「昨夜は六時間二十分。朝の一匙と——風輪、効いた」
「よく噛んで眠れた顔ですこと」
彼はわずかに頬を緩め、吊した真鍮小札を見上げる。
「御用厄整。……好敵手が増えたな」
「敵ではなく、皿よ。先に塩を振らない皿が好き」
「では俺は、列を整える。王都広場に数字板を立てる準備もできた」
「お願い。呼吸・滞在・騒音の三つで、今日の空気を見えるように」
ククがエリアスの足甲に頬を擦り、くくと鳴く。
「……こいつ、眠り番の才能がある」
「パンがあれば、番をします」
◇
午前、王妃の使いが真鍮札の写しを掲示して回るあいだ、私たちは広場の一角に数字板を立てた。
黒狼隊の兵が白線で人の入口→祈り→光の順を描き、私は灰の小鉢と薄塩の薔薇水を携えて歩く。
数字板は単純だ。今の呼吸回数、平均滞在分、周囲騒音。
映えない。けれど、胃にやさしい。
そこへ、肩カメラの男がまた現れた。
「公開の弁明をしないと? 逃げだね」
「逃げませんわ。皿を選んでいるだけ」
私は数字板を指す。
「ここが弁明です。空気の数字でお返しします。あなたの配信は胃もたれしますから、本日は不可」
男は鼻で笑い、レンズを向けるが、黒狼隊の兵が白線の外へ誘導する。列には列の香りがある。
◇
昼過ぎ、王宮から文吏が駆けてきた。手には、王太子の再度の召喚状——だが、末尾に走り書き。
『王妃陛下の委任につき、公開は中止。王宮内協議へ切り替え。
(※王妃陛下:条件遵守が前提。王太子:不満)』
ロジェの筆跡だ。笑わない微笑が紙から滲む。
私は頷き、パン二斤の籠を兵に預けた。
「会議は小皿で。祭場は大皿で。——薄塩を守れば、食事は進む」
◇
午後、店に灰青の書状。差出人は**《ルクス工房》。
『昨夜の件は誤解。弊工房は伝統の守り手にて——』
言い訳の余白に、封のない小袋が落ちた**。技術協力費の二度目。
私はため息を一口、薄める。
返書は簡潔に。
『受領不可/返金=辞退。
曇る試薬と灰の使い方、数字板の読み方を同封します。
“軽さの品位”競争で参りましょう。匙の共同設計、よろしければ。
——御用厄整』
拒むだけでは、皿は増えない。代案は甘さを一匙。
◇
その足で王妃の執務室へ。
長机の上には広場の数字と私室の睡眠記録。王妃はそれを指先でなぞり、満足そうに頷いた。
「数字は静けさの味ね。……殿下の短慮は、今日は釘で止めておきました」
「釘が塩に溶けますように」
王妃は小声で続ける。「聖女レティシアが、夜、一人で外出しているという噂がある。借り物の光が薄れ、本当の声が震える時刻。……君の店へ行くかもしれない」
「なら、薄塩の白湯とパンを温めておきます。映さず、数字に残してお返しを」
退出の折、王妃が真鍮小札に指先で触れた。
「御用であっても、街の店であれ。映さない勇気は、宮中よりも市井で育つ」
◇
夕刻、広場の数字板に線が伸びる。
呼吸回数は朝より二割減、滞在は一割増、騒音は下げ止まりからもう一目盛。
黒狼隊の列は乱れず、転倒ゼロ。
肩カメラは、白線の外で映えない数字に飽き、去る。
ざまぁは、拍手ではなく、折れ線で起きる。
エリアスが傍らに立ち、腕を組んで数字を見上げた。
「今夜は六時間半いける。薄塩の寝酒、もう一匙頼む」
「朝の一匙は半分にして。塩は多ければいいものではないの」
「覚えた」
私は彼の掌に匙を置く。金属が、ほんの少し温む。
彼が言う。「……もし、君が泣いたら、灰は誰が持つ?」
「灰は店に。泣くなら、パンを一斤余分に焼くわ」
半歩だけ近い沈黙が落ちる。恋はまだ、薄塩。
◇
夜更け。店の灯を落とす寸前、鐘がひとつ。
フードを目深にかぶった少女が、戸口に立っていた。
布の陰から覗く瞳は、舞台の光より薄い。
扉が閉まる音に、ククがくると喉を鳴らす。
「いらっしゃいませ。薄塩の白湯をどうぞ」
少女は小さく会釈し、声を絞った。
「……レティシア。……借りた光が、喉に刺さるの」
私は頷き、湯を差し出す。
「いただきますの前に、二口だけ深呼吸を。人→祈り→光の順で——あなたから始めましょう」
レティシアの瞳に、小さな波が立つ。
私は灰と薄薔薇と白湯を並べ、匙を握り直した。
映さない夜。数字だけが残る夜。ざまぁの代わりに、眠りを出す夜。
◇
本日の記録
・御用厄整 任命:王妃印真鍮小札/映像原則禁止/数字記録
・王太子返答:条件不履行→受領不可/返金=辞退送付
・広場数字板:呼吸−21%/滞在+12%/騒音−15%(日中平均)
・工房:言い訳+協力費→受領不可/灰・試薬・数字板案内/匙の共同設計打診
・王妃:正式委任確認/聖女外出噂共有
・黒狼隊:列整備良/転倒0
・エリアス:睡眠6h20m→予測6h30m/朝の一匙 半量
・来客:聖女レティシア(匿名)——喉の刺さり相談(非公開)
<次回予告>
聖女の喉から借り物の棘を外す夜。台本の外側で、本当の祈りに薄塩を——そして、王冠の縁に灯る古いざらめが、初めて軋む。




