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第1話 断罪の席で“いただきます”

 王城の大広間は、金糸と花綱で飾られていた。

 だが私の目に映るのは、花と花のあいだに絡みつく濁った糸——嫉妬、見栄、怯え、噂で角が立った小さな呪い。甘い香の下で、舌にざらりと乗る嫌な後味。


「公爵令嬢リュシエンヌ・ド・ヴァンブラン。そなたとの婚約は破棄する!」

 壇上の王太子は、勝ち誇った顔で言い放った。

「わが妃は真の聖女レティシア。そなたの高慢は、今日で終わりだ」


 拍手。けれど、最前列の女伯の指は痙攣し、宰相はこめかみを押さえる。

 背後に立つ“聖女”の周りだけ、光が薄い皮膜みたいに張り付いていた。——借り物の光。祖母がよく言っていた。「盛り付け過ぎの皿は、香りが死ぬ」と。


 私は裾をつまみ、丁寧に一礼する。

「婚約破棄、承りました。——その代わり、ひとつだけ願いがございます」


「まだ言い訳があるのか?」王太子が鼻で笑う。


「言い訳ではなく後片づけですわ。この場の“呪い”を、わたくしに食べさせてくださいませ」


 どよめき。

 私は近くの卓から水の入ったグラスを取り、指先で水面を一周なでた。音も匂いもない小呪が、縁に集まって淡く泡立つ。

「いただきます」

 舌の裏でそっと吸い、喉で割って飲む。——酸っぱくて苦い、背徳の砂糖の味。


 その瞬間、女伯の肩が落ち、宰相の眉間の皺がほどけた。

「……頭痛が引いた?」

「耳鳴りが止まったぞ」

 低いざわめきが広がる。王太子の顔色が変わった。


「な、何をした!」

「殿下の退屈が空に溶けただけですわ」

 私は微笑み、“聖女”へ向き直る。「レティシア様。お裾分けを少々」


「な、なにを——」

 彼女の髪飾りの瑠璃石に、細い皹が走っている。そこから細糸みたいな光がこぼれて、彼女の首筋に貼りついていた。

 空気をつまむように指先を動かすと、糸がほどける。借り物の加護。善意がこじれて虚栄に変わった味だ。


 光の皮膜が一段薄れ、彼女はふつうの“人”へ戻る。

 護衛が半歩出る——が、宰相が手を上げた。


「ヴァンブラン嬢」

 宰相の声は涼しい。「君は、何者だ」


「呪いと加護の歪みを食べて無害化する家の娘にございます。王都下町で長く商ってまいりました。屋号は**《厄落とし屋》」

 祖母は祈祷師、父は香料師。私はその端っこで、ただ礼儀正しく“食べ方”を覚えただけ**。


「偽りの聖女だと断じるのか!」王太子が噛みつく。


「偽りとは申しません。盛り付け過ぎと申しているだけ。——見目を飾るのは自由ですが、過ぎれば食害」

 私は裾を直し、はっきり告げた。

「婚約破棄は甘んじて。その代わり、王都の呪いの整理整頓は、今後すべてわたくしが請け負います。正式に」


 笑い声、息を呑む音、いくつもの視線。

 王太子は唇を歪めた。「勝手にしろ。そんな怪しい女に、誰が仕事を——」


「頭痛持ちの方から並ぶだけですわ」

 私は会釈して背を向けた。皿は片づいた。次は店をひらく。



 王都の表通りから一本入った、古いパン屋の跡地。

 看板を掛け替える。

 《王都厄落とし屋 リュシエンヌ》

 副題は、祖母の口癖そのまま。——“合わぬものは、食べてしまえばよろしい”。


 扉の鐘が鳴る。初客は、泣き腫らした目の少年と、その母。


「……夜になると息が浅くなって、胸がぎゅっと。医師には成長痛だと」

「お名は?」

「ルゥ」


「ではルゥ様、ぶどう糖をひとかけ。甘いほど、嫉妬は浮きやすいの」

 舌に甘さが乗った瞬間、私の口内に細い棘がちくりと立つ。隣家の「聖女の奇跡」に通いはじめてから、比べられた夜の味が家に満ちたのだ。


「少しだけ、いただきますね」

 私はその棘を舌で集め、歯で砕き、唾液で中和して飲み込む。

 ルゥの肩から力が抜け、目の焦点が丸くなる。

 母は口元を押さえた。「……楽そう……」


「代金はパン二斤で。パン屋の跡地ですもの、焼き立てを食べたいのです」

 母は泣き笑いして何度も頷いた。台所の古いオーブンが、久しぶりに喜ぶ匂いを立てる。


 鐘がもう一度。今度は黒の軍服、肩章に狼。

 王国騎士団・黒狼隊長が、拍子抜けするほど丁寧に礼をした。


「エリアス・ラドフォード。先刻の城での非礼、まずは謝罪を」

「ご丁寧に。ご依頼を?」


 彼は目を伏せ、低く言った。

「三夜、眠れていない。耳の奥で、私の名を呼ぶ声が続いている。救えなかった者たちの」


 胸元に黒いひもが見える。願いがこじれて自分の喉を絞める、忠義の呪。

「温かいものを。——いただきます」

 ランプの光を揺らし、影の乱れを読み、私はそのひもを歯でほぐすように食べる。渋く、土の匂い。最後に麦の甘み。

 エリアスの肩が落ち、瞳がわずかに潤む。

「……声が遠のいた。忘れろと言われるのかと思っていたが」

「忘れなくていいのです。眠る前だけ遠ざける。明日強くなるために」


 彼は短く笑い、真顔に戻る。

「代金は?」

「お願いがひとつ。店の外で並んでもらう手筈を、隊長のご威光で」

 窓の外、肩に小型カメラを載せた男がこちらを覗いていた——見世物商人の顔つき。

 エリアスは口角を上げる。「列は作る。秩序も。パン二斤は私の分も予約で」

「ふふ。焼き立ては別腹ですわ」



 夕暮れ。

 扉の影の“肩カメラ”がにやにや笑って言う。「悪役令嬢が呪いを食う店、配信でバズらせない?」

「お断りします。見世物にするなら、あなたの虚栄心から先に食べますわ」

 男は舌打ちし、去った。代わりに列の靴音が増える。助けてと助かったの間の音は、どこか似ている。


 私は手を洗い、前掛けを直す。

「次の方、どうぞ」


 鐘が鳴る。

 ざまぁは、今日のところはこれで充分。王子が私の店に頭を下げる日に、本番を取っておく。

 そして——恋の本番は、黒狼隊長がちゃんと眠れるようになってからだ。



 夜更け。テーブルの端で帳面をつけ、窓の外を一瞥する。

 王都の空には、まだ薄い棘が散っていた。借り物の加護がはがれ、見栄の鱗粉が舞っている。

 仕事は山ほどある。でも、皿はひとつずつ。


 暖簾を下ろす前、私は小さく呟いた。

「ご馳走さまでした。——そして、また明日」


<次回予告>

王都厄落とし屋、正式開店。初の王宮案件は“噛みつく婚約指輪”。そして黒狼隊長の不眠は、まだ塩味が足りない。

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