第七十七話: 特別ではなくありふれた
出し抜けにキレて襲い掛かってきたクリスタ嬢の拳が、顔面を守る僕の両腕へと降り注ぐ。
仰向けの上を取られ身動きを封じられたマウントポジションでは、少女の攻撃も意外に効く。
ごすごす!でなくぽこぽこへと勢いはすぐに衰えるも、なお十分なほどに。
とは言え、それも長くは続かなかった。
ぽたっ……ぽたっ……と、打撃ではない、微かに冷たい感触が落ちてくる。
「アンタ、まさか本気じゃないわよね? さっきの言葉……本気で言ったんじゃないわよね! ぐすん……他人って……じゃあ、私のこと、ずっと姉とも思ってなかった、の?」
「……え?」と両腕でのガード体勢を解くも、クリスタ嬢は素早く僕の上から下りていた。
よく声が聞き取れず、訳も分からぬまま、とりあえず立ち上がって間合いだけ離しておく。
「わーん! パパー、ママー、なんかショーゴが変なの。いつも以上に!」
「うむ、クリスタ。姉弟喧嘩は好くないが、これはシェガロが悪い。拳は痛めていないな?」
「うん……なんなんですの、あれ。弟のくせに! 弟のくせに! うわーん!」
「いったたた。あの、クリスタ……ちゃん。今、僕は大事な話をしてたんだよ」
足下をふらつかせ、痛みに堪えながら僕は話を続けようと試みる……が。
「ぬぅん、シェガロよ、少し待て。お前は本当にさっきから何を言っておるのだ?」
「なんだか、とっても変な誤解をしているようですけれど……あらまあ、ね」
クリスタ嬢に替わって応えた二つの声には、もはや怒りどころか戸惑いしか含まれていない。
泣きついてきた長女の頭をひと撫でしつつ、マティオロ氏がこちらへ歩み寄ってくる。
その背後で、娘たち全員に張り付かれたトゥーニヤさんは、こちらの様子を窺う構えか。
「で、ですから、その、僕がお二人の子どもなんかじゃないっていう――」
「バカも休み休み言え!」脳天にゴツん! 拳骨一つ「たとえ天地が引き裂かれる日が来ようと、お前が俺の子だということに間違いなぞあるものか! 人聞きの悪いことを言いおって!」
「つぅ……そ、じゃなく、僕は、生まれた瞬間から別人の意識と別の世界の記憶が――」
説明の仕方が悪いのか? 彼らは明らかに事の論点を理解していないように思われた。
「あのね、ショーゴちゃん。あなたがどんなに変わっていたとしても、私が確かに自分のお腹を痛めて産んだ子である事実まで変わりはしませんよ。そのことは、軽く見ないでちょうだいね」
「マ……トゥーニヤ、さん……」
愛情深い言葉、広げられた両手の中へ思わず飛び込みそうになり、左右に頭を振って堪える。
残念そうに「あらあら」とこぼすトゥーニヤさん、そのペースには調子を崩されてしまう。
「第一、生まれる前の記憶があるから何だというのだ。そんなもの珍しくもなかろう」
「へ?」
と、勢いが削がれたその隙、予想だにしなかったセリフが刺さる。
両腕を組み、マティオロ氏は呆れた風に息を吐く。
「フッ、珍しくない……は些か大袈裟になりますが、シェガロ様はご存じなかったのですな」
彼の言葉は、成り行きを見守るように今まで口をつぐんでいたアドニス司祭によって拾われた。
更に、巫女ミャアマが円舞台の外から話を引き継ぐ。
「そっちとは思いませんでしたから、さっきは問い詰めるみたいになって悪いことしましたかね。魂が記憶を忘れないまま死後の海を渡りきるのは例のないこっちゃないんですよ。そういう人を神殿では【殊眷者】なんて呼んだりしてます」
「俗に【転生者】……異なる世界の記憶があると仰いましたな? それは極めて稀な事例です。さしずめ【異世界転生者】と言ったところでしょうか、フフ」
アドニス司祭は、意外と驚いた風もなく、どこか納得したかのように小さく頷いている。
むしろ、先ほど問い詰めてきていた巫女ミャアマの方が吃驚している様子だ。
「他にも僕みたいな人が……い、いや、それなら、どうして皆さんは変な顔をしていたんです?」
「「へんだったのはショーゴの方でしょ」」
「深刻な顔でこの世の者ではないなどと言われて驚かずにいられるか!」
「うふふ、生まれる前のことを覚えていると、ただそれだけ言ってくれたらよかったのですよ」
『別人の記憶を持っているなどと打ち明ける方がショックだろうと思ったんだが』
「てっきり質の悪い邪霊にでも取り憑かれてんのかと。お坊ちゃんの口を借りてどっかの誰かが妄言ぬかしてるんだとすれば、要礎が反応しなかったことも説明が付きますし」
「フッ、礎に関しては、想像力や感応力のたくましい者にありがちな自己認識の薄さが原因だと踏んでいましたよ、私は」
堰を切ったように話し始めた一同の顔を改めて見回すと、もう暗い色はどこにも見出せない。
いつの間にやら強ばり震えていた己が身体に気付き、僕はゆっくりと力を抜いていく。
「そもそも! ショー……シェガロが普通じゃないなんて今更ですわっ!」
「うむ、実を言えば、転生者なのだろうと察しは付いていた」
「え? 隠してたのに?」
「まあまあ、普通の赤ちゃんは言葉を覚えてすぐ文字を書き始めたりしないものですよ?」
「気が付くと、姉の私でも知らないことを始めてたり!」
「「こないだも分からないこと言ってたわー」」
『どうやら、思った以上にバレバレだったようだ』
「そんなにおかしなことはしてなかったつもりなんだけどねえ」
――ぎゅうっ。
ふいに抱き締められた、
背中側から肩越しに両手を回してきたのは、意外なことにクリスタ嬢だった。
「ふふふ、アンタ、まさか弟をやめられるだなんて思ってたんじゃないでしょうね?」
そして、ふわりと僕ら二人を包み込む温かな感触は見ずとも分かるトゥーニヤさんだ。
「考えすぎなのですよ、ショーゴちゃんは、うふふ」
気が付けば、腰の辺りに両側からしがみつく双子の感触もある。
「とくべつに元気が出るまでラッカをなぜさせてあげゆ」
「あとでおかしをくれるならルッカもなぜていいわ」
最後に全員を力強く抱き寄せる腕……前世の僕よりも太いそれはマティオロ氏のものである。
「俺たちはこんな小さかったお前のヘソの緒を切って産湯に浸けたのだぞ。付きっきりでメシや下の世話もしてやった。これが親子でなかったら何だと言うのだ、ワッハハハ」
なんだろう。ひどく顔が熱い。周り中から抱き着かれているせいだろうか。熱は外ではなく、内より湧き上がってきているように思えるのだが。いや、何故、一斉にくっついてくるんだ?
「もう……どうして、そんな……。ああ、もしかすると夢を見てるとか? 僕は、こう見えて、いい年をした大人なんですよ。本当はろくな取り得もない。いつまでもこの世界に馴染めない。そんな人間を家族と思えるだなんて、信じられない。都合のいい、夢でも見てるか、でなきゃ、皆、ど、どうかしてるんじゃ――」
グイッ、ぎゅーっと、抱き着いてくる力が一層強まり、もはや息苦しいほどとなる。
「まだ言うのか、バカ者め。元が誰だろうと、お前は、やっとここまで育ってくれた俺の息子だ」
「「ショーゴはショーゴでしょー」」
「そうよ! ずっと私の弟だったくせに!」
「いいのですよ、ショーゴちゃん? いいのです。貴方はそのままで。私たちのシェガロとしてニルヴィシアの地に生まれてきてくださってありがとう存じます、ね」
生まれてきたこと、そのものに対する感謝。
それは、もしかすると、僕がずっと心の中で欲しがっていた言葉だったのかもしれない。
望まれて生まれたわけではなく、忙しく働く多くの人たちの手を煩わせながら育ち、社会から必要とされるでもなく、共に生きていくのだと誓ったひとの面影さえ忘却の彼方へ去りつつある。
僕は僕のままでいい……と、彼らの言葉を繰り返した瞬間、鬱積するそれら全てがかき消えた。
「パパ……? ママ……? 姉さんに、妹たち……僕の……」
『僕の、家族? この温もりが……? なんだか奇妙な感じだ……けど、やっぱり、思った通り、そんな大層なものじゃ……ないじゃあ、ないか……ただ気恥ずかしくて、息苦しいだけ……』
――お父さん。お母さん。
絶え間なく降り注ぐキスの雨にあっぷあっぷと溺れそうになりながら……。
僕――かつて白埜松悟と呼ばれし殊眷者シェガロ・ベイン・エルキルは、本当の意味で転生をここに果たしたのだった。





