第七十六話: 男の執心、少年の仮面
前世の僕――白埜松悟は、生後まもなく乳すら満足に貰えぬまま育児放棄されていたらしい。
善意による通報者のお蔭でかろうじて餓死寸前の状況から救い出されたものの、結局のところ引き取り手は現れず、乳児園を経て児童養護施設へ入所することになったのだと聞いている。
以来、実の両親には一度たりと会うことなく、どちらも顔どころか名前すら知らない。
お世話になっていた施設は、後に教師として勤めることになる学園と母体を同じくしており、宗教色の感じられる行事が多い点さえ除けば世間一般でイメージされがちな思想教育などもなく、概ねのところ大らかに育ててもらったと思う。
少なくとも衣食住には一度たりと不自由せず、そのことは控えめに言っても感謝しかない。
しかし、物心が付き、外の世界を知れば鈍い僕にだって多少は分かってくる。
それらは、なべて人々が寄る辺とする“家族”の在り様とは決定的に異なるものなのだと。
中学卒業を機に施設を自主退所し、自立支援や奨学金といった制度を頼りに高校・大学にまで進学してからも、その考えは一人暮らしの無聊を感じるふとした隙に忍び込んできた。
世間の大多数の他人には在って当たり前の、されど僕にとってはもはや知りうるべくもない、愛憎どちらとも名状し難き“家族”という普遍的概念……。
『良くも悪くも、それは永遠の未知だと感じられたんだ』
この異世界で生まれ直した僕の記憶は、小さく薪の爆ぜる音がする暖かな部屋から始まる。
もう、よくは覚えていない、ただひたすらに寒くて苦しいばかりだった雪山から解き放たれ、目覚めてみれば赤子の姿で揺り籠の中、ふわふわとして回らない頭、まるで意のままにならない身体……傍らにあるべきひとの影もなく、抑えきれない感情だけに支配されていた。
「かわいい……私の赤ちゃん。うふふ、あまり乱暴にしないでくださいね、テオ」
「よしよし、俺に似て丈夫そうな息子じゃないか! ハッハ! でかしたぞ、ユーニ!」
「にゅふふ、これがおとーとなの。あたしがおねーさまでしゅよう」
あのとき、掛けられた声や抱かれた腕の感触を今でもはっきりと思い出せる。
マティオロ氏の頼もしさ、トゥーニヤさんの優しさ、純粋な限りなき愛情――家族愛。
ようやく知ることができたソレ。
そのまま何も気付かぬ振りで浸っていけたら、どれほど幸せだったろう。
けれども、僕は思う。……思ってしまう。
本当に、自分のような者がここに居てもいいのか。
果たして、自分に彼らの愛情を受けるべき資格があるのか、と。
転生といういかさまを以て、異なる世界の知識に基づくありえない人格を生得した第三者が、純真無垢な新生児シェガロがための温もりを収奪せしめているという罪悪感は拭えない。
いや、実在の神に導かれ生まれ変わったのだから、この身こそ元より自分自身である!
……と、開き直ったとて、僕を赤子と信じて疑わない夫婦に対して申し開きはできまい。
こう見えて貴方方よりも年上の異世界人です。今後とも変わらぬ愛護をよろしく願います!
……おいおい、流石に冗談では済まない。不審どころか不気味。あまりに申し訳なさ過ぎる。
斯くなる上は、この事実を墓の下までひた隠し、子どもとしての振る舞いを徹底しなければと堅く心に誓った僕なのだ。そう、そのはずだった。
が、幼き日の誓いも虚しく、場面は今このときへと至り……。
「僕は、この世界の人間じゃないん……です、皆さんが思っているような子どもでもない」
ニルヴィシアの民として新たな生を受けて以来、ずっと心の底で後ろめたく思っていたことを巫女ミャアマに指摘され、遂にこの重大な秘密が家族全員に向けて明かされたのである。
――シェガロお坊ちゃま、アナタは本当にシェガロお坊ちゃまで合ってます? どっかの誰かに操られていたり……まさか変な物に憑かれちゃいませんよね?
『ハハ……ハァ、あまりにも的を射た詰問だったな』
何かと不器用な僕だ。この世界の幼児として上手く振る舞えていたなんて自惚れてはいない。
だからといって、こんな形で暴かれてしまうとはまったくの想定外だ。
「ぐぬ、まさか、俺の一人息子が――」
「ああっ、ショーゴちゃん……そんな……」
「「…………」」
「え? え? なに? なんなの、パパ、ママ?」
いつの間にか、僕の手を握っていた双子たちはマティオロ氏とトゥーニヤさんの下へと離脱を果たしていた。事態を飲み込めていないのか、クリスタ嬢の方は未だ隣にいてくれているも。
周りを見渡せば、向けられる目に浮かぶは当然ながら訝しげな不審の色ばかりである。
「実は、生まれる前、違う人生の記憶があって……皆、さぞ気持ちが悪いでしょうね。こんな、赤の他人が、今まで、平然と家族面しながら同じ屋根の下で暮らしていたなんて。でも、どうか、信じてください! 僕は、決して貴方たちに迷惑を掛けるつもりではなく――」
『いいや、彼らにどう思われようと甘んじて受け入れよう。それだけのことを僕は――』
言いつつも、それ以上、皆の顔を見ていられず、僕は目を逸らし項垂れてしまう。
ぐちゃぐちゃに乱れる感情が押し上げていく涙の水位は、もはや塞き止めきれそうにない。
なんという体たらく、いい大人がみっともない。
グイ! そこで強く手を引かれる。
「んん? な――あだぁっ!」
「このっ! さっきから、何を一人で納得してわけわかんねえこと言ってんですのっ! よっ!」
――ゴッ! ドゴォ! すパカーン!
エルボー! ボディブロー! アッパーカット! 繋いでいた手を振りほどき様、電光石火の三段攻撃を繰り出したクリスタ嬢は、僕の肩口、鳩尾、顎を流れるように連続で打ち抜いた。
そして、そのまま仰向けに倒れた僕の腹上に跨り、ごすごすと殴りつけてくる。
「黙って聞いてれば、ほんとは年上だから偉いだの、もう弟じゃないだのと! 何様ですの!」
「ま、ちょっ、そ、そんなこっ、言ってな――」
少女の力なので意外と痛くはない、されど十分に効く理不尽な暴力が襲い掛かる。





