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22世紀の企業傭兵たち【打切】  作者: 八雲 辰毘古
Mission4:Long Long Goodbye
22/23

Past3

 人工知能が事務を担当するようなご時世で、企業に勤める人間がやることは何か。

 交渉や駆け引きだ。


「それで……シュン・ナカムラ、でしたか。貴方の〈ギルド〉が新開発したという、遺伝子配列のデータは……そうですね。どういう効能があるんですか」


 偽名で呼ばれた俺は、商業的なスマイルを貼り付けた。

 バイオメトリクス社の応接室は、さすがに〈財閥〉のものだけあってとても綺麗に出来ていた。オフィスのなかには拡張仮想ホログラムを投影する会議室もあり、時代の最先端を駆けている印象をさらに深める。眼には見えないが、物理的セキュリティの方も並大抵ならないほどの頑強さだった。

 とはいえ、〈財閥〉は〈ギルド〉なくして生きていけない。芸や職能を重んじる〈ギルド〉は、しかし無数の派閥や暖簾分けをしてゆくために、業界人以外では一々把握するのが難しい。そこを突いて、つまり俺らは新興〈ギルド〉の売り込みを装って、バイオメトリクス社へと潜入したのだ。


 俺は持ってきたタブレット端末をテーブルに接続させた。途端に、テーブルから簡易ホログラムが投影される。拡張仮想専用の手袋をはめ、身振り手振りを加えながら、データを披露してみせる。


「はい。我々の開発した新薬は、特に葉を食してしまう害虫の、とくに有害成分に特化したシロモノでして……」


 データはそれっぽいところからでっち上げた。相手は〈財閥〉なのであって、〈ギルド〉ではない。つまり、彼らは専門家から受けるような小難しい話よりも、実験データに信憑性があるか否かを問題にしている。統計学の出番だ。確率が高ければ、並みの素人はみなコロリと騙されてしまう。

 例えば、二十一世紀にこんななぞなぞがあった。「日本国内の殺人犯が、犯行の前にほぼ確実に食べている食べ物が判明した。九〇パーセントだ。その食べ物はヒトの心に何か影響を及ぼしている可能性が高いのではないのか……」という論理の出題だ。もちろん全員が全員信じたわけではない。このなぞなぞの本旨は、リテラシー能力の有無なのだ。与えられた確実な数値データをどう判断するのか、を試すテストなのである。ちなみに答えは「米」だ。感情に駆られて「その食べ物を今すぐ根絶すべきだ」と叫ぼうものなら自分の首をも絞めることになる。


 俺もかつてそうだったが、〈財閥〉に勤める企業戦士(サラリーマン)たちは、企業間競争の情報戦線に立つ。そうなると、リテラシー能力の有無は自らの死生にかかわるほどの重大な要素となってくる。詐欺などは言うまでもなく、産業スパイの奸計や、〈闇黒街〉からの恐喝にも屈せず、正常な取引のさなかでも値段交渉をするように激しいせめぎ合いをしなければならない。企業戦士にとっての戦場は会議室であり、情報最前線なのだ。


 相手の男は鉄のように無表情だった。今どき革新的な発明に感動するような志し高きものなんていない。いかに他人の揚げ足を取り、いかに自分の利益を護りながら、相手から巻き上げるか。そんなことしか考えない。


「……ふむ。では、統計データと配列モデルを一度いただいたうえで、検討させていただいてもよろしいですかな」


 案の定だな。

 俺は眉をしかめるように努めた。


「それは困ります。我が〈ギルド〉の隠し球をそうもやすやすと手渡すわけにはいきません」

「しかしそれでは貴方が持ちかけてきた案件を承るのは難しいですな」


 頑として、データをもらうか、引き取るか、どちらかだと仄めかしている。

 この手の企業のやり口は、だいたい心得ている。データを一度でも渡してみるがいい。すぐに複製保管して、自社で抱えている〈ギルド〉へ分析依頼を出すのだ。きちんと機能するようであれば、そのまま盗み取る。著作権など知ったことではない。一方贋造であったならばそれをもとに告発することができる。つまり、データを手渡した瞬間に負けはほぼ確定したようなものなのだ。相手の判断を狂わせて、偽の情報を真実だと思い込ませる。このテクニックがよく鍛えられてなければ、情報戦線では勝てない。


 俺はわざとため息を吐いた。


「はあ、それは困りましたな。失礼ながら、私は事前に御社のビジネスモデルを綿密に調べさせていただきました。質よりも量、というスタイルには私どものモデルはかなり適応するのではないか、と愚考致しますが」

「確かに。我が社は多くの人間の食を支えている。が、害虫被害が危機的状況にあるわけでもない」

「繰り返しになりますが、試算によると一.三ポイントの生産増量が見込めます。そうすれば損得収益(コストパフォーマンス)を上げられます。損はありませんよ」

「なら、貴方のモデルの欠点は」

「ありません。味に関して、成分はオリジナルと誤差程度の違いしかあり得ないのですから」


 相手は唸り、黙り込む。

 機はこちらに傾いている。しかし慌てないことだ。勝利を間際に控えた途端、手のひらを返すということもあり得るのだから。

 だが、もう相手の心は揺れている。自分は本当にうまい話を逃してしまうのではないのか、いや、それとも巧妙な詐欺に引っかかろうとでもしているのか……などと。密かに額を流れる汗も、瞬きの回数が少しずつ間隔を狭めてゆくことも、何もかもその予兆を示している。


 俺は立ち上がった。


「わかりました。それでもと言うのであれば仕方ありません。次は向かい側のイノセント・ファーマー社の方を伺ってみることにします」


 迂闊なふりをして、ライバル企業の名をさらっと出す。その名前が決定打であった。


「……まってくれ」


 期待していた言葉がようやく溢れたとき、俺は隠れて微笑んだ。

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