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空っぽ

作者: 浜焼き三太郎
掲載日:2026/05/07

かつて抱いた憧れが、いつしか自分を縛る鎖に変わってしまうことがある。

第一志望、偏差値、将来の夢。

そうした言葉の重みに耐えきれず、立ち止まってしまったとき。僕たちの手元に残るのは、目標を失った「空っぽ」な自分と、かつての情熱の残骸だけだ。

夢を叶えた者の言葉が、時に刃となって突き刺さる。

「大人になる」とは、そうした痛みに蓋をして、賢しげな言い訳を並べることだと思い込んでいた。

けれど、雨上がりの車内。

予期せぬ会話からこぼれ落ちたのは、完璧に見えた誰かの後悔と、救いだった。

何もないからこそ、何にでもなれる。

かつての夢を「あきらめ」ではなく「思い出」に変えて、新しい一歩を踏み出す青年の、再生の物語。

空っぽ

―――ぽつり、ぽつり

フロントガラスを叩く控えめな雨音。

運転席と助手席で、会話に花を咲かせる男女の声。

それらの音を背景に、こっくりと舟を漕ぐ女子が一名。

バイト帰りの車内には、本日で三回目となる光景が広がっていた。

一方の僕はというと、

「ふぁ~あ。」

暇つぶしにスマホをいじっていた。

画面には受験期使ってた英単語アプリ。中身は医学系の単語でびっしりだ。

今の僕には必要ないのに、何を躊躇ってか消せずに残していた。

アプリを開いて、閉じて、開いて、閉じて……。

「暇だなぁ。」

退屈が極限を迎えていた。

この際、前の二人の会話に混ざる?

ムリムリ、小難しい単語ばっかり出てくるんだもの、とてもじゃないが付いていけない

「「~~~っ。」」

寮まで残り30分弱。

口を開くとまた、大きなあくびが飛び出した。

「それで―――」

「えぇ、それほんと?僕だったら―――」

《……にしても会話、まだ続くのか。》

あの調子で、かれこれ1時間はしゃべっている。

相性がいいのか、それとも片方がコミュ力お化けなのか。

どちらにせよ、すごいことには変わりがな―――

「ところで、後ろの二人はどうしたいんだ?」

「へっ?」

傍観していた最中に、突如として声を掛けられた。

後ろの二人?

いや、片方は寝てるから実質一人か―――ってそうじゃなくて。

マズい、全く話を聞いてなかった。

「えっと。どうしたいっていうのは?」

「ん?」

運転席からひょうきんな声が上がる。

相手はゴールデンウイーク限定とはいえ、バイトの先輩である。

分からないからで適当に答えるのは、つまるところマナー違反と言えるだろう。

後輩として、一人の大人として、まずは話を理解しなくては。

「決まってるじゃないか、将来のことだよ。何になりたいかって話。」

「将来、ですか……。」

相手の態度からは、不機嫌さが微塵も感じられない。

そのことに安堵しつつ、軽く息を吸った。

「僕は―――」

《医者になりたい。》

言いかけて固まった。

おいおい、それは無理だっただろ。

叶わなかった夢に、いつまで縋り付いてるんだよ僕は。

「?」

質問の主も、僕の異変に気付いて首を傾げた。

無理もない、会話を振った相手が急に黙り始めたんだもの。

そりゃあ、そんな反応にもなるわな。

おっと、観察してる場合じゃなかった。

「―――っと。その、特に無いですね。ぶっちゃけ、それを見つけるために

大学来たってのもありますし。」

沈黙が痛かった。

だからそれっぽいこと並べて、その場を凌いだ。

「おぉ、そうだな~。」

のんびりとした声が聞こえる。

「なにも、大学ってなりたいもん無くったって別にいいしな。

良いと思うよ~、その考え方。」

「……あ、はい。そっすね。」

彼はそう言うと、視線を前に戻した。

しばらく沈黙が続く。

僕の返答から色々察したのだろうか、彼は一向に口を開こうとしない。

《別に話すのが嫌いとか、そういうわけじゃないんだけどな……。》

ただ単純に、答えづらい話題だっただけ。他ならいくらでも話すことが出来るのに。

「そういえば、先輩って何のお仕事してるんでしたっけ?」

重たい空気を切り裂いたのは、前列に座っていた女子の一言だった。

彼女の何気ない一言で、僕らのムードは一変していく。

「僕かい?僕はね、獣医師をやってるんだ~。」

「えっ?!獣医師ですか?」

若干食い気味の彼女に対し、あっけらかんと答える先輩。

「そう、獣医師。何?もしかして興味ある感じ?」

「はいっ!私、子供の頃、獣医師になるのが夢だったんです!」

「おぉっ。いいねいいね!」

僕の時とは全く違うリアクション。

若干、複雑な気持ちにはなったが、ひとまず二人のやり取りを見守ることにした。

「獣医師には、いつからなろうと思ったんですか?」

「そうだね~。正直、このタイミングってのはないんだけど……。

言っちゃえば子供の頃からかな。」

―――ドクンッ

心臓が一際高く跳ねた。

「正直大変だったよ~、第一志望の国公立に落ちちゃってさ。」

汗腺という汗腺から、冷ややかな流動体が湯水のごとく溢れ出す。

いつの間にか握っていた拳には、痛々しい赤の爪痕が浮かび上がっていた。

「―――でもなんやかんやで私立受かったから。無事、獣医さんになれました~。」

その言葉を聞いた途端、僕の中で何かが膨れ上がった。

既に先輩への敬意は無い。

あるのはただ、ドロドロに煮詰まった黒い感情だけ。

《この不快感の正体。あぁ、そうかこれは。》

―――同族嫌悪だ。

子供の頃からの夢を叶えた先輩。

子供の頃からの夢を叶えられなかった僕。

線対象のはずなのに、どこかで重ならない箇所がある。

その違いが、空白が、僕の劣等感をひどくかきたたせた。

「……ふぅ。」

とにかく少し落ち着こう、そう思って大きく息を吐きだした。

鼻の先から蒸気が抜けていき、思考がクリアになっていく。

「―――それで、実際に獣医をやってみてどうなんですか?」

彼女の言葉に、少し考えるそぶりを見せる先輩。

「そうだね、楽しいよ。夢がやっと叶って、大好きな動物と関われるんだもの。」

ズキリと胸が痛む。

「ただね……。」

「時々ふと思うんだ。もし獣医を目指してなかったら、他の選択肢もあったのかなって。」

声のトーンが少し下がった気がする。言葉にちょっと前までの覇気が乗ってない。

「僕はこの通り、まっすぐ夢だけ追いかけてきたから、周りを見る余裕なんて無かった。」

「……」

気持ちは痛いほど分かる。かつての自分もそうだったから。

「自分に何もなくて見えた景色も、希望も、未来もあったのかもしれない。

そう思うと、惜しい事したかなって。」

「ッ!!」

瞬間、頭に電撃が走った。

聞き手によっては嫌味に思えただろう。

そんな彼の言葉が、冬ばかり来ていた僕の心に春を呼び寄せた。

《そうだよ。今だから、空っぽな自分だからこそ、人生は可能性に満ちているんだ。》

僕と先輩との重ならない部分、その空白はこれから描いていけばいい。

下を向く暇なんて無い、描き終わるまで楽しんでいこう。

「「~~~。」」

相変わらず、前の二人は楽しそうだ。

だけど、その声が何より今は心地いい。

「ふふふっ。」

「あれ?後ろの子嬉しそうだね~。なんかいい事でもあった?」

「いえいえ~、何でもありませんよ。ただの思い出し笑いです。」

振り返った先輩に、笑顔で返した。

「そっか~。そういや、思い出し笑いの事だけど―――」

会話が再開する。

窓越しの空はいつの間にか晴れていて、僕らの帰路にはどこまでも虹が続いていた。

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― 新着の感想 ―
自分はやりたいこと、将来の夢もあった試しがないので主人公はその点すごいなと思いました。 空っぽの自分に悲壮感を抱いていましたが、こんな自分でも何にでもなれるんだと思うと救われたような気がします。ありが…
2026/05/07 22:40 名もなき男
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