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91話 勇者という称号(1)

 〈絆の指輪〉が示すリザの居場所は南だった。だからレインは指輪に従い南下したが、途中に山脈があって、しかもそこは魔物の縄張りであるらしい。普通の人間ならまず山は通らずに迂回するそうだ。だがそうすると時間がかかってしまう。


 それにもしもの可能性として、その山脈にリザがいるという可能性だってある。とすれば迂回するのは単なる時間のロスでしかない。だからレインはこのクーラント山脈を突っ切ることに決めた。さいわい山として険しい方ではないそうだ。ただ一度侵入すれば見たこともない魔物が昼夜問わず襲いかかってくる。そこが危険なのである。


 その決断に関して、この国の地理に詳しいであろうアンジュは反論もせず尊重してくれた。それはアンジュが単に優しいからではない。アンジュは勇者の言うことを絶対に正しいと信じている節がある。どこか盲目的でさえあるのだ。


 クーラント山脈に足を踏み入れた初日、野営の準備をしながらレインはアンジュに聞いた。なぜそれほどまでに勇者を信奉しているのか。きっと聖女に勇者の助けをせよと言われたから、というだけじゃない。なにか特別な理由がある。


「私が勇者様に仕える理由……ですか?」

「うん。なんというか……ただ神託を授かったからだとか、聖女の命令だからとかってだけではない気がして」

「そうですね……その、勇者様に言うのはお恥ずかしいのですが……その。私は、幼い頃から勇者様に憧れていまして!!」

「……そうなんだ」

「はいっ!! そーなんです!」


 特にアンジュは500年前に魔王を討ったとされる、剣の勇者シフルに憧れを抱いているようだ。この勇者シフルは女性とも見紛うような美形の男性とされていて、にも関わらずその腕力は魔物にもひけを取らず、自分の身長ほどもある大剣を武器に冒険したという。さらにこの勇者に関する伝承はコールランド聖王国にも残されており、聖女の頼みで当時クーラント山脈に住んでいた最強の竜バハムートを葬ったのだとか。


 幼い頃、僧侶からそんな伝説を聞かされたアンジュは自分もいつか勇者と共に旅をし、その助けになりたいと思っていた。ただの僧侶ではなく神殿騎士になったのもそれが理由らしい。戦う力を身につけなければ一緒に冒険できないと考えたそうだ。今回の聖女から与えられた役割はまさにアンジュの願いが叶った形であり、浮かれない方が無理のある話だったのだ。


「……俺が本当に勇者だったら良かったんだけどね。でも俺はやっぱり勇者なんかじゃないよ……その資格がない」

「勇者様、そのようなことを言わないでください。なぜ……勇者様はそこまで頑なに勇者ではないとおっしゃるのですか?」


 そこでレインは急に押し黙ってしまった。何も言わずに火打石で焚き火を点けた。この北の大地の夜は相当に冷え込む。冒険者であるレインにとって野営などめずらしいことではなかったが、これほどに寒いと焚き火の炎が何よりも頼もしかった。


「……すみません、勇者様。お気を悪くさせるつもりはなかったのです。どうかお許しください」

「あ……いや、ごめん。急に黙っちゃって。そうだね……単純に実力が不十分というのもあるんだけど……」

「いえ! そんなことはありません! 神器を使って戦う勇者様は、金級冒険者にもひけを取らない強さでした!」

「それはありがとう。気持ちは嬉しいよ。本心だ。でも……やっぱり否定するしかないよ。勇者になるべき人は俺じゃない」


 パチパチと焚き火の燃える音がする。隣に座るアンジュは首を傾げた。


「他に勇者になるべき人が……? どういう御方だったのですか?」

「名前はシエル。俺の師匠であるハイトの……つまり召喚の勇者の……孫だった女の子だ」



 ◆



 レインの故郷は戦争の絶えない国だった。500年以上前、魔王が世界を我が物とすべく侵攻していた頃は人間同士で争ったりしなかったようだが、魔王が討たれた後からティアルト大陸の歯車は狂い始めた。大人しくなった魔物の代わりに、今度は領土を求めて人間同士が争うようになったのである。


 その戦乱に満ちたティアルト大陸の片隅に勇者の里はあった。昔はただの村でしかなかったが、剣の勇者シフルが魔王を倒してからはそう呼ばれるようになったらしい。物心つく前からレインはそこで育てられた。


 レインは両親のことをよく知らない。戦争に巻き込まれて死んだとだけ聞かされた。死を待つだけだった赤ん坊のレインを拾ってくれたのが師匠である召喚の勇者ハイトだ。ハイトは命の恩人というだけでなく、育ての親でもあった。


 命の恩人ということを抜きにしても、レインは幼少の頃からハイトに懐いていた。ハイトが旅から帰ってきたら一番に会いに行き、どこにでもついて行ったという。レインはハイトに憧れて冒険者になりたがった。


 ハイトは大きくなっても冒険者になりたいと思うなら、弟子にしようと言ってくれた。10歳になっても冒険者になりたかったら。その日が来るまで、レインはハイトの実家で暮らした。そこには同じく師匠に拾われ弟子を志望していたアシェルと、孫のシエル。ハイトの息子夫婦と一緒だった。


 孫のシエルは美しい水色の髪を持つ少女で、歳はレインと同じ。誰であろうと分け隔てない優しさがあり、身寄りのないレインにも家族のように接してくれた。そして何より、戦いの才能があった。剣術はもちろんこと、魔法にも適性があり、レインが剣を振る練習を始めた頃には弱い魔物なら一人で倒せるようになっていた。それも独学である。


 それにシエルには人を惹きつける何かがあった。慈愛の心があった。他者を守ろうとする正義感があった。ああ、こういう人がいつしか勇者と呼ばれるようになるのだろう。レインは幼いながらにそう思ったものだ。たまに手合わせをする機会があったがレインはほとんど負けっぱなしであった。


 いよいよ10歳になったレインはハイトと一緒に旅をすることになる。修行をしながらハイトの旅に付き添い、冒険者としての生き方を学ぶ。それを三年続けて、13歳になったら冒険者登録をするという話だ。


 シエルも冒険者を目指していたので一緒に行くつもりだったそうだが、両親にまだ早いと止められたらしい。早いというのは実力が不足しているという意味ではなく、家族と離れる時期が早いということだろう。シエルはめずらしく涙を流してレインと離れるのが寂しいと言った。それはレインも同じ気持ちだった。


 幼すぎてレイン自身も気づいていなかったのだが、今なら分かる。レインはシエルのことが好きだった。だがレインはハイトと旅に出た。アシェルも一緒に。それからたまに里に戻ることもあったけれども、シエルと会う機会はほとんどなかった。


 レインが13歳になり正式に冒険者になると、久しぶりに里へ戻った。シエルも冒険者になることを決めたらしく、それならシエルも加えて旅をしようとハイトは言っていた。レインはそれが嬉しかった。だが勇者の里に帰ると、シエルは死んでいた。


 突然、魔物の軍勢が押し寄せて勇者の里を襲ったのだという。シエルは里のみんなを守るため戦った。そのときみせたシエルの強さは鬼神のごとく、たった一人で数百体以上の魔物を倒した。だがシエルとて人間だ。数日間に渡って続く戦いの中で疲れ果て、遂には力尽きて死んだのだという。


 それでもシエルは軍勢を率いていたボスらしき魔物と相打ちにまで持ち込んだ。そのおかげで里の人間たちはなんとか魔物を追い払うことに成功したのである。シエルの命と引き換えに。


 そこまで話したところでレインは気持ちが沈んでいるのを実感した。あのときの心に穴が開いた感覚は忘れられない。こうして言葉にして聞かせただけで、酷く胸が苦しくなる。


「……シエルは天才だった。俺なんかよりずっと強くて、死ななければきっと勇者になってた。あのとき里にいたのがシエルじゃなくて俺だったら……絶対に里は滅んでいたよ」

「勇者様……そうかもしれませんが、でも……」

「……だからもう勇者なんて呼ばないで欲しいんだ。俺が勇者になるだなんておこがましい。俺はただの冒険者でしかない」


 そのときアンジュは酷く悲しい顔をした。そうもなるだろう。

 レインは自身を否定することで、勇者に憧れていたアンジュの気持ちをも否定したのだ。


「……ごめんアンジュ。この話は終わりにしよう。俺が起きてるからもう寝た方がいい。きっと疲れてるだろうから」

「……分かりました。では、私はお先に眠らせていただきます」


 そう言ってアンジュは横になった。闇の中で焚き火が静かにレインを照らしていた。

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