63話 真理の鍵団(1)
メルカの街にすっかり夜の帳が下りた頃、領主であるゲイツ伯爵は執務室でペンを走らせていた。他愛ない事務仕事だったが、この年になると老眼が酷くて字を見るのも書くのも苦痛だ。かといって他人に任せられるものでもないので、億劫に思いながらも字を綴る。
ふと、ひとりでに執務室の扉が開くと鳴き声とともに一匹の白猫が入ってきた。白猫は慣れた様子でゲイツ伯爵のところまで近寄って、膝の上に飛び乗った。白猫はストラという名前の飼い猫だ。
「じいじ、じいじ。遊んでにゃん。暇なんだにゃん」
ストラは使い魔でもあった。魔法の力で高い知能を獲得しており、人語を話すことができる。本当は孫の使い魔として飼っているのだが、なぜか孫にではなくゲイツ伯爵に懐いてしまい、暇があれば伯爵のところへくる。ゲイツ伯爵はストラの背中を撫でながら言った。
「すまないな、そろそろ客人が来る時間なのだ。今日はもう寝なさい」
「にゃん。お客さんにゃん?」
「そうだ。昔の友人だよ……なぜか久しぶりに会いたいと言ってきてね」
そんな話をしていると、執務室の扉が開いて執事が入ってきた。どうやらその友人のご到着らしい。ゲイツ伯爵はストラを膝の上から降ろし、杖をついて執事と一緒に部屋を出る。
ゲイツ伯爵の昔の友人はこの国において大魔法使いの称号を持つ、偉大な魔法使いだ。そして史上最低の魔法使いとも言われている。伯爵はまだ若い頃、この大魔法使いと同じ魔法学院の学友だった。卒業後もしばらくは交友関係を続けていたが、彼は何をやるにしてもとにかく悪評が目立ち、非難を浴びる困った男でもあった。
付き合ってみればそう悪い人物ではないのだが、女性関係にはかなりだらしがなく、それが原因で疎まれることが多かった。また常識や法というものを軽んじている節があり、易々と禁忌に手を突っ込む。密かに禁術にも手を出しているという話さえある。
伯爵でさえもう二十年は付き合いが途絶えていた。それがなぜ、今になって急に会いたいなどと言ってきたのか。理由が分からない。何かよからぬことでも企んでいるのでは、と悪い想像を巡らせざるを得なかった。かといって彼は腐っても大魔法使いであり、また貴族の血を引く人間である。理由もなく突っぱねるのは不可能だった。
さいわい、他の家族は人気の舞台を観るために出かけている。今頃はオーデルヴァンだろう。使用人も最低限の人数しか残していないし、館に常駐している衛兵の他に魔法兵も呼んで待機させてある。杞憂であればいいが、準備しておくに越したことはない。
晩餐会というほどではないが、一緒に食事をしながら話をしようと言ってある。伯爵は執事とともに待たせてある部屋へ入ると、先に案内されて座っていた友人とその弟子たちが目に入った。
「やあ、アルケイン。待たせてすまなかった。そちらの方々が君の弟子かね。なるほど、中々の強者とお見受けする」
そう言って伯爵は席に座った。大魔法使いアルケインは若い頃の美男子ぶりはすっかり消え失せ、今や髭を蓄えた威厳のある隠者というような風情を醸し出している。最後に会った時はまだ若々しさを残していたが、二十年の歳月はこうも人を変えるのかと驚かされた。
彼の弟子を中々の強者、と言ったが内心ではどこの山犬を連れてきたのかと思った。男が二人に女が一人。貴族である自身への敬意など微塵もなく、どこか殺気を滲ませてすらいる。こいつらを刺激してはやばい、と伯爵は強く感じていた。
「歓迎感謝する、ゲイツ伯爵。昔のことを思い出して、急に会いたくなってな」
「はは。何をあらたまった呼び方をするのだ。昔のようにサイラスと言ってくれればいい」
「そうか、すまぬな。サイラス」
この一連のやり取りに伯爵は漠然とした違和感を覚えたが、直後に料理が運ばれてきて、追及するタイミングを失ってしまった。それからは他愛のない会話が続き、やがてアルケインがこんなことを口にした。
「サイラス。私は今行き詰っていてね。魔法の深奥……その真理に到達できないかと、ずっと研究を続けているのだ」
「それはまた難題に挑戦したな。魔法の真理か。それを知ることができれば、森羅万象を知ることはおろか、神のごとくあらゆることが魔法で可能になるという……あれだろう?」
さすがにそれはアルケインでも無理だろうと伯爵は思った。古代の魔法使いはこぞってそのような研究をしたというが、どれだけ高名な魔法使いでも真理に到達した者はただの一人もいない。それは魔法の真理がまさしく神の領域だからだ。
「最近知ったのだよ。神話の大賢者が残したという魔導書〈真理の鍵〉。その書には真理に至るための方法が記されているそうだ。それを密かに受け継いでいる者がいる……という話をな」
どうやら相当に研究は行き詰っており、アルケインは冷静さを欠いているらしい。そんな話は眉唾以外の何者でもなかったが、伯爵は適当に調子を合わせておいた。
「ほう。そんな人物がいるのなら知りたいものだ。私も魔法使いの端くれだったからな、興味はある」
「私はその魔導書が是が非でも欲しい。魔法の深奥、その到達地点である真理に至れるならどんなことでもしてみせる……」
「アルケイン、君はその研究のしすぎで少し気が滅入っているんじゃないか。その覚悟は分かるがね」
「……とぼけるのが上手いな、サイラス。君が持っているんだろう? 〈真理の鍵〉を。お願いだ、私に渡してくれないか」
「何のことだ……? アルケイン。言っていることがよく分からないな」
アルケインが突如激昂して、椅子から立ち上がった。
「とぼけるな! 隠しても無駄だぞ!」
何を言っているのか、まったく意味が理解できなかった。次の瞬間にはアルケインの三人の弟子も立ち上がり、それぞれ武器を虚空から呼び出していた。一人は水晶の剣、一人は金属の鞭、一人は禍々しい巨大な笛を。
「貴様らっ、何のつもりだ! 伯爵様を襲うつもりならば……」
部屋には二名の衛兵が待機していた。その一人が伯爵の身に危険を感じて飛び出すや、アルケインの弟子の一人である女が金属の鞭を振るって衛兵の顔を叩いた。すると衛兵は虚ろな目でもう一人の衛兵を即座に剣で斬り殺す。
「怖いねぇ、さすがはバンビーナだ。仕事が速いのなんの」
水晶の剣を持った弟子の一人が粘着質な笑みを浮かべながら言った。何が起こった。訳が分からない。ともかく逃げなければ。伯爵は椅子から立ち上がって、じりじりと後退したが、水晶の剣を持つ弟子がその切っ先を伯爵に向ける。
「逃げない方がいいぜぇ、逃げたら殺す。この凍結剣でな。この距離なら触れずに氷漬けにできるぜ?」
「やめろ、ウォルシュ。それより他の衛兵が来る頃合いだろう。バンビーナ。そちらは任せたぞ。必要ならロゴスとウォルシュも手伝え」
「承知しましたわ、アルケイン様。雑魚はこの魅惑のバンビーナが対処致しましょう」
水晶の剣を持つ男、ウォルシュと巨大な笛を持つ男、ロゴスがそれぞれ頷くと、騒ぎを察して駆けつける衛兵たちの足音が響く。
「さて……ゴミ掃除をしながらゆっくりと話をするしようか、サイラス。〈真理の鍵〉はどこにある?」
それから死なない程度の拷問が続いた。どうやらアルケインは魔法の研究に没頭するあまり、本当に評判通りの外道になり下がったらしかった。アルケインの弟子たちは何人もの衛兵を殺し、ゲイツ伯爵が呼んだ屈強な魔法兵もまるで相手にならなかったらしい。しばらくすると黒いローブを纏った胡散臭い連中が十人ほど無断で館の中に入ってきて、今はアルケインと一緒に館を探し回っている。
きっと、〈真理の鍵〉とかいうあるのかどうかも分からない魔導書を見つけようとしているのだ。確かにゲイツ伯爵の一族は代々、ある一冊の魔導書を管理している。だがそれは魔法の真理が記されたものではない。彼らは何かの勘違いをしている。
最悪の未来はアルケインたちがその魔導書の封印を解くことだ。そんなことになれば、無用な混乱をこのメルカの街にもたらすことになるだろう。それだけは避けなくてはならない。
不意に窓から音がして、視線を向けると、使い魔のストラが外からこちらを眺めていた。ゲイツ伯爵は縄で縛られていたので、首を動かしてストラに逃げろという仕草をすると、ストラは俊敏に逃げ去っていった。きっとどうにかして助けようとしてくれたのだろう。使用人たちも上手く逃げているといいのだが。




