28話 ユースティム砦へ(3)
衛生兵の手伝いは昼夜問わず忙しかったが、その間に暗殺者が現れることはなかった。というより手伝いで忙殺されかかったこともあり、フランもそのことは半ば忘れかけている様子だ。
アベル副団長が騎士と兵士を引き連れて魔物が拠点にしているという森林へ向かうと、砦は少し静かになった。最低限の人員以外は傷病兵しかいない。森林に向かった戦力の中にはクルツもいる。
夜の休憩時間が来るとフランは食事をした後、すぐに部屋で仮眠に入った。レインとリザも食事を済ませ、休憩しながらフランの部屋で護衛をすることにした。一応、これが本来の仕事である。
「すぅ……すぅ……」
「ぐっすり寝てるっすねぇ。黙ってるとすげぇお姫様っぽいすね、フランの姉さん」
「疲れてるんだよ。でもアベル副団長が魔物を全滅させてくれれば仕事も終わるさ。後の負傷者は減っていくだけだからね」
「兄貴はあんまり疲れてなさそうっすけど、寝なくていいんすか? おいらが見張っておくっすよ」
「大丈夫だよ。迷宮探索の方がよっぽど疲れる」
リザと他愛ない雑談をしていると、激しい地響きがした。次に魔物が吠えるような声もした。何か、砦に異常が起きている。レインは飛び上がると自分の部屋から剣を取ってきて、リザに叫んだ。
「少し様子を見てくる! 何か嫌な予感がする、リザはフランと一緒にいてくれ!」
「わ、分かったっす」
「う……うーん……何が起きましたの? 何か凄い震動がしたような……」
遅れて目が覚めたフランを置き去りにして、レインが階段を駆け下りると、思いもよらない光景を目にした。砦の一階の床に大穴が開いており、そこから魔物が次から次へと現れている。穴は人間一人が余裕をもって通れるくらいの大きさで、武装したゴブリンやコボルドが大挙して押し寄せてくる。
まずい。今、この砦には最低限の兵力しか残っていない。残りはほとんどが傷病兵だ。この状況では弱いゴブリンやコボルドも十分な脅威だ。下手をすれば砦が陥落する可能性だってあるだろう。
幸運な点がひとつあるとすれば、穴がさほど大きくないことだ。砦を襲う魔物の中にはトロールやオーガもいたと聞く。開いている穴の大きさでは小柄なゴブリンやコボルドは通れてもトロールとオーガまでは通れないだろう。その二体が通れる大きさの穴を作るのは労力と時間がかかりすぎる。だから魔物側も妥協したのではないだろうか。
「まずは……あの穴を塞がないと!」
剣を鞘から抜き、襲ってくるゴブリンを次々と斬り捨てていく。ゴブリンの武器は粗末な刃物や棍棒だ。刃物には毒が塗ってある。ただのゴブリンではない。掠りでもしたら毒で死ぬ。解毒ポーションを一個だけ懐に突っ込んでいるものの、それでは一度しか毒を防げない。
どうにか穴への接近を試みるが、駄目だ。物量が違い過ぎて近づけない。もっとも仮に近づけても、今のレインには穴を塞ぐ手立てがない。通路の前に立ち塞がって、魔物の侵入を防ぐのが精いっぱいだ。レインの背後は医務室や上の階へ続く階段があり、何としても通してはならなかった。
「な……なんだこれは!? 何が起きているのだ!」
階段を降りてきた兵士の一人が思わず叫ぶ。レインがゴブリンを二、三体纏めて薙ぎ払いながら叫び返した。
「魔物が穴を掘って砦の中に侵入してきたんです! 誰でもいい、戦える人間を集めてください! 長くは持ちそうにありません!」
「わ、分かった! 兵団長や仲間を呼んでくる、それまで踏ん張ってくれ!!」
緑の体色をした矮躯の亜人、ゴブリン三体が短剣を持って襲いかかってくる。攻撃を避けながら一体、また一体と斬っていくと、その隙にコボルドが俊敏な動きで防波堤となっているレインをすり抜けていこうと走る。コボルドは犬のような魔物だ。数が多すぎて剣でチマチマ斬っていては間に合わない。
レインはコボルドの顔面に剣を投げつけて倒すと、召喚魔法を使って新たに武器を呼び出した。メイスである。僧侶がよく使う武器で、ようは金属の棍棒だ。先端は頭のように膨らんで突起がついており、打撃力を高める役割がある。
「うおおおおおっ!!」
メイスをぶん回して力技でゴブリンとコボルドを薙ぎ払い、吹き飛ばしていく。ゴブリンもコボルドも身長は1メートル程度しかない、小柄な魔物だ。メイスなら数体まとめて吹っ飛ばせる。今は一気に攻撃できる武器の方がいいと判断したのだ。
レインの腕力では殺しきれないこともあるが、ただ倒すことよりもこれ以上の侵入を防ぎ、傷病兵などの非戦闘員を守ることが重要だ。ここから先は絶対に通さない。その覚悟でレインは戦っている。
「レイン! 大丈夫ですか、今加勢しますわ!」
鎧姿のフランやルブルグ兵団長以下、兵士数十名が遅れてやって来た。ゴブリンが毒を塗った短弓をフランに発射すると、フランは毒矢を盾で防ぎ、レインの隣まで寄って剣でゴブリンを倒し始める。加勢のおかげでどうにか凌ぎ切れそうだ。
「それにしても、坑道を掘って砦の中に侵入するなんて! 魔物がそんな作戦を立てるとは思いませんでしたわ……!」
「この魔物たち、ただ群れてるだけじゃない。誰かの指揮で部隊を組んでるような印象だ……!」
「ふぅん。当たりである。褒美に吾輩と話す機会を与えてやろう、誇れ人間」
魔物が掘った坑道から声がした。ゴブリンとコボルドが途端に攻撃を止めて、整列を始める。のそりのそりと坑道から姿を現わしたのは魔物とも人間とも言えない、異形の存在。体型は肥満体で、貴族のような豪奢な服を身に纏っている。肌は半透明な紫色。頭には無数の棘に似た角が生えていた。
「ふぅん? 感謝の返事が聞こえんな。では先に名乗ろう。吾輩は魔族、腐毒公爵グリマルディである」
魔族。まさかこんなところでその言葉を聞くことになるなどレインは思いもしなかった。それは大昔の時代、この世界に突如として現れた人ならざる者たち。魔物を使役して人間を恐怖に陥れた異形の種族だ。
魔族は魔物から進化した上位種だと言われていて、その戦闘能力は一体で城を落とすとされている。そんな彼らは魔王が当時の勇者に討たれて以来、徐々に数を減らし、今この世界にはごく少数がひっそり潜伏していると聞く。レインすら知識として知っていても、戦ったこともない相手だ。
「魔族だと……ではお前が砦を襲う魔物を率いていたということか……!」
ルブルグの問いにグリマルディはにやりと笑って答えた。
「そうである。少しばかり、点数稼ぎをしておこうと思ってな」
「点数稼ぎだと……?」
「魔王様への土産だよ。何の手柄もなく顔を合わせるわけにはいくまい。砦ひとつくらい潰しておかんとな」
「何を馬鹿な。魔王は500年以上も昔、当時の勇者様に討たれたのだ。今そんなことをしても、何の意味もない」
「ん~。人間には分からぬか。予兆は確かにある。事実、最近魔物も活発になっているであろう?」
「何のことだ……何を言っているだ」
「気が昂ぶりすぎて魔物同士の縄張り争いまで激しくなっておる。いやいや、抑えるのが大変だよ」
理解の追いつかない様子のルブルグを無視してグリマルディは話を続けた。もっともレインも、フランも、この場にいる兵士だってグリマルディの話を理解できた者はいなかっただろう。
「ところでこの砦に王女はいないのであるか? 一応約束でな、殺しておきたいのだが」
「貴様の言うことは理解できんが、倒さねばならんことに違いはなさそうだ。皆の者、武器を構えろ!」
「ああ。やっぱり答えんでいい。そこの女がそうか。恨むなら味方を恨め。魔物たちよ、やれ」
グリマルディが指を差した先には動揺した顔のフランがいた。ルブルグの命令で兵士たちが一斉に攻撃をしかけると、グリマルディもまた魔物に命令を飛ばし、乱戦となった。
武器と武器が激しくぶつかり合い、火花を散らすような激しい戦いが繰り広げられた。レインはしばらくメイスで魔物を倒しつつ、グリマルディの様子を窺っていた。この魔物の群れを支配しているのはあの魔族だ。奴を倒さなければ戦いは終わらないだろう。
それにしても兵隊で言うところの指揮官にあたるグリマルディが前線に姿を現わしたということは、よほど勝てる自信があるということだろうか。いや。それだけではないような気がする。まさか、この砦にまともな戦力が残っていないことを知っていたのか。だとすればどうやってそれを知ることができたのか。
グリマルディはしばらく後方の位置から乱戦を見守っていたが、魔物たちがやや劣勢と見るや戦いにちょっかいを出し始めた。腕が膨れ上がったかと思うと、触手のように伸びて五名の兵士たちの絡みつき、縛りつけてしまった。
触手に掴まれた兵士たちの皮膚がどんどん変色していく。毒だ。グリマルディの触手はクラゲと同じなのである。触手に刺胞と呼ばれる毒針の入った袋がついており、触れると針が飛び出して皮膚から毒を注入するのだ。
「たっぷり味わうがいい。吾輩の猛毒を。なに、一瞬であの世逝きだ。そう苦しくもあるまい?」
「ぐあああああ……!!」
捕まった兵士を助けようと、レインはゴブリンとコボルドを薙ぎ倒して触手に近づく。メイスを召喚解除してから剣を召喚すると、その剣で触手を叩き切った。兵士が力無く床に倒れる。解毒ポーションを飲ませようとしたところで、その兵士が死んでいることに気づいた。
「悲しいか人間。ほら、死体はまだ残っているぞ。渡してやるから悼んでやるがよい」
毒殺した兵士四名を次々とレインに投げつけてくる。一人目は上手く受け止めたが、残りはそうもいかず、レインはぶつかって体勢を崩してしまった。駄目だ。全員死んでいる。どうすることもできず亡骸を床に寝かせて立ち上がるしかなかった。
「ほう。怒っているのか? これくらいのことで。戦場で人が死ぬことなんて珍しくないと思うが?」
兵士たちの動きが少し鈍った。触れるだけで即死する猛毒だ。ゴブリンが毒を塗った武器を使っていたのも、グリマルディが生み出した毒を利用していたのだろう。この魔族は毒を自在に操る能力を持っている。兵士たちがグリマルディの触手に注意しなければいけなくなったことで、魔物たちが若干だけ盛り返した。
「よおし。良い調子だ。次は貴様に死んでもらおうか!」
グリマルディの右腕が三本の触手に変化し、鞭のように振るわれてフランに迫る。レインのいる位置からならフランを守りに行くこともできるが、レインはフランとアイコンタクトを交わしてグリマルディに突撃した。
迫る触手をフランは巧みな剣捌きで切り伏せ、見事に切断する。その程度のことフランなら造作もない。レインもそれを知っているから「守らずに攻撃する」という合図を送ったのだ。
ゴブリンを蹴り飛ばし、コボルドを切り裂いて、グリマルディとの距離を一気に詰める。触手も襲いかかってくるが、レインは剣で次々と切り払った。来た。剣が届く距離だ。その剣の腕前にさしものグリマルディも舌を巻かずにはいられなかった。
「……さっきお前が殺した兵士の分、受け取ってもらう!」
「ちっ……聞いていないぞ。強い人間はもう砦にいないのではなかったのか……!?」
グリマルディの呟きを無視して、レインは渾身の力で肩口に斬りかかった。




