100話 その身に宿る魔獣(5)
伝説を紐解こう。至天竜バハムートは闇の神プルトゥナータが他の神々を打倒するために生み出したとされる、最強の竜である。魔物の上位存在である魔族でさえ、バハムートを倒すのは容易なことではない。並みの魔族ならむしろバハムートに殺されるだろう。
バハムートは古くからクーラント山脈に棲みつき、じっとしているが、時折目を覚ましては気まぐれのように街を滅ぼしていた。人々はかの竜を天災、天変地異の一種とみなし、恐れを抱きながら暮らしていたそうだ。それを救ったのが魔王を倒したことで有名な〈剣の勇者〉シフルなのである。
いったいどのようにしてバハムートを倒したかは定かでない。ただ真実はシフルがたった一人で戦ったということ。クーラント山脈のふもとに住む人々が天に昇る光の柱を見たということのみ。その神話さながらの光景は当時の人々の目に焼きつき、幾つもの手記や文献に残されている。
リザはバハムートの伝説を思い返しながら、警戒心を解かぬままページを観察した。壁の一部であるかのように氷漬けになっているこの竜の亡骸を一体どうするつもりなのか。素材を剥ぎ取るためだろうか。バハムートの牙や爪や角、鱗などは持ち帰ればそれだけで目玉が飛び出るほどの価値があるだろう。しかし、これはリザの勘であり決めつけだが、ページは金が目当てではなさそうだった。
「ページとか言ったな。悪いが、先に見つけたのは俺たちだ。この冷凍保存されたバハムートの死体をどうするかの権利は俺たちにある」
「ふふふ。確かにそうですねぇ。でも申し訳ありませんが、譲ってもらいますよ。司教様の命令なのでね。牙の一本すらも貴方たちには差し上げられません」
ロキは露骨に目を細め、ページの言い分に不快感を示した。冒険者の中にはこういう横取りを平然とする厚顔無恥な輩が一定数存在するが、この謎の男もそういう類であった。ロキがそういう人物を嫌っていることをリザは知っている。
「アンタ、急に現れて随分勝手なこと言うじゃないか。誰だか知らないけど黙って譲るほどアタシたちはお人好しじゃないよ!」
ベルタも横取り発言には怒りを燃やしているようだった。隣でエミリオもうんうんと頷いている。
「好きに言いなさい。私は忙しいんです。だいいち貴方たちには宝の持ち腐れですよ。身体の一部を持って帰るのが関の山でしょう? 私なら、司教様より授かった死霊術の力で……!」
ページが真下に存在するバハムートの亡骸に向かって魔力を飛ばすと、その双眸に光が宿った。途端に厚い氷に亀裂が走った。外側からではない。氷の内側から亀裂が入っている。亀裂はだんだんと広がりを見せ、やがて完全に砕け散った。
「嘘……だろ!? バハムートが生き返ったっていうのか……!?」
「ははははは! 驚きましたか! これが司教様から授かりし我が力ァ! バハムートはアンデッドとなって復活したのです!!」
「待て! お前バハムートを操って何をするつもりだ!?」
アンデッド化したバハムートがぼろぼろの両翼を広げて飛び立つと、ページはその背に乗ってロキの問いに答えた。
「特別に教えてあげましょう。聖都を襲うのに使います。ああ、どっちにしても死んで頂くので答えたんですよ。バハムート、やれ!」
バハムートは口部に魔力を溜め、一気に解き放つ。漆黒の光線が洞窟内の地面に着弾し、炎のごとく一気に広がった。ロキ、ベルタ、エミリオの三人が慌てて通路へと逃げ込む。通路に隠れていたリザも一緒になって、洞窟の外を目指して逃げ始めた。
「し、師匠どうするんすか!? バハムートが復活したのもそうっすけど、聖都を襲うとかなんとか……!?」
「どうするもこうするも、戦うしかないだろ。あいつは俺たちを口封じするつもりらしいからな。面倒なことになっちまった……!」
「ロキさん、戦うって言っても……さすがに勝てっこないよ! 逃げるしかないんじゃないかい!?」
ベルタの言う通りだ。いかにロキたちが実力者でもバハムートと正面から戦うなんて無茶だ。あのドラゴンブレスの威力だけでも普通の魔物と一線を画すことがはっきりと分かる。あれに対抗しうる可能性のある力はひとつしかない。リザは走りながら首筋の包帯に触れた。
「……師匠たちは逃げてくださいっす。おいらが……なんとかしてみるっす」
そう。魔獣の力しか。バハムートに勝る力かどうかは戦ってみなければはっきりしないが、やる価値はある。
「……そうだな。奴をどうにかするにはもう魔獣の力しかない。でもな、リザ。俺たちは逃げないぞ。一緒に戦う」
「え……? だ、大丈夫っすかそれ……?」
「任せろ。俺に考えがある。それにお前がバハムートと戦った後、元に戻す役目も残ってるからな」
洞窟から出たリザは空に浮かぶバハムートを確認して一直線に走った。首に封印の包帯はない。バハムートもこちらに気づいたのか、口から黒い炎を漏らしながら突っ込んできた。その危機的な状況が、リザの眠れる力を目覚めさせた。心臓が早鐘を打ち、胸の内側からどうしようもない激しい衝動が湧き出してくる。すべてを破壊しろと叫んでいるかのように。
リザの身体が黒く染まり、膨らんでいく。しなやかな体毛、鋭利な爪と牙。黒豹めいた姿へと形を変えていく。魔獣の力がここに顕現したのだ。リザはほとんど無意識のうちに咆哮を発して、バハムートの頭を掴みにかかった。
「急な変身に驚きましたが……馬鹿ですね、質量が違い過ぎる! そのまま潰されてしまうがいい!」
ページは一笑に付したが、リザには感覚で分かる。自身の力ならバハムートの突撃を止められることを。腰を落として頭を掴み、受け止める。突撃の速度と衝撃でリザの身体が後ろへと下がっていく。地面に足がめり込むのではないかと思うほど、強く踏ん張ると、突撃の速度が急激に緩んでいくのが分かった。
「ば……馬鹿な……」
すでにページの顔から余裕の笑みが消えていた。リザはもう一度咆哮を発すると、突撃の勢いを利用してバハムートを持ち上げた。それだけでも驚くべきことなのだが、さらにリザは自身の後方へと投げ飛ばしてみせたのである。バハムートの背に乗っていたページは間の抜けた叫び声を出しながら雪の積もった地面を転がり落ちる。
「ば……化け物だ……バハムート、何をしている!? あの化け物を早く殺せーっ!!」
化け物ではない。リザがバハムートを投げ飛ばせたのは魔獣の力もあるが、バハムートそのものが力を十全に発揮できていないからだ。片目は切り傷で潰れ、胸には大穴が空き、翼もボロボロだ。鱗も剥がれ落ちて肉が見えている箇所が幾つもある。剣の勇者との戦いはよほど激しいものだったに違いない。
いくらアンデッドにして操ったからと言って、こんな状態では能力も半分以下といったところだろう。そのバハムートは口を開けてまた黒い光線を吐くつもりだ。リザはサイドステップを踏みながら、翻弄するような動きでその狙いを定めさせない。やがて吐き出された光線はリザを捉えることができず、明後日の方向へと放たれて木々を薙ぎ倒した。
「よくやった、リザ。あれならこのまま勝てそうな勢いだが……一応作戦通り片付けておくか」
「ひっ。お、お前は……」
ページが背後から聞こえた声に肩を震わせ、振り向くとそこにはロキがいた。ベルタとエミリオもいる。これが作戦だ。バハムートが操られているなら、術者を倒せばいい。術者が死ねば魔法も解けるだろう。リザはあくまでも陽動で、本命はこちらというわけだ。
「わっ、私を殺す気か! やれるものならやってみるがいい! 覚悟はできている!」
「安心しな。殺しはしないよ。なんでこんなことしたのか気になるって、雇い主が言うからねぇ」
「司教様に闇の神のご加護があらんことを! 司教様の邪魔をする不届き者どもに呪いあれ!!」
「うるさいねぇ! 不届き者はアンタの方だろーーーーがっ!」
ベルタが一発ぶん殴ると、ページはそれだけで気絶してしまった。すると途端にバハムートは大人しくなり、光線を吐くのを止めて動かなくなった。短い時間だったがリザにとってバハムートとの戦いは充実したものだった。これぐらいの強さの魔物と戦ったからなのか、闘争本能や破壊衝動も満たされた感じがする。
「死霊術とか言ってたね。禁術を使ってたんだ。こいつ、領主のところにでも突き出せば即死刑だよ」
「……まぁ、その前に色々聞いておきたいところだな。聖都を襲うと言ってただろ。もしかしたら何かの事件の前触れかもしれん」
「ロキさん、アンタってお人好しだねぇ。そこまで首を突っ込む必要、あるのかい?」
「俺の場合はただの知的好奇心でしかないさ。ヤバいと思ったらすぐに引っ込む」
リザはしばらくバハムートの方をぼーっと見ていたが、ロキが包帯を持って近づいてくるのを見て、そちらを振り向いた。ロキは自然体で歩いてきて、もう目と鼻の先という距離まで近づくとリザの首筋に触れた。
我が師ながら大したものだ、と思う。何の敵意も殺気もない。それが当然であるかのような距離の詰め方だ。今のリザは興奮が冷めている状態であり、誰かが近づいてきたくらいで襲ったりはしないが、もしロキが不必要に警戒して少しでも戦いの姿勢を見せていたら、リザの内に眠る衝動はそれに応え、ただちに攻撃しただろう。
ロキは見抜いていたのだ。リザの精神状態を。魔獣の姿になるといつもはずっとロキが包帯を巻き終えると、リザの姿は徐々に元の姿に戻っていった。いつもの猫めいた顔立ちの姿になったところで、ロキはこんなことを口にした。
「リザ。お前、ちょっと成長したか? 魔獣状態なのに結構落ち着いてたぞ」
「え? そうっすか? 師匠が戦闘態勢じゃないおかげだと思ってたっす……」
「年を重ねたからなのかなぁ……お前ももう13歳だもんなぁ。若い奴は知らない間に成長するからな」
それはあるかもしれない。昔はなんと言っても子どもだった。はじめて魔獣になったときなど、たった10歳の頃だったのだ。今に比べれば我慢や堪え性など無かっただろう。そんな幼い頃に、魔獣の激しい精神状態を制御できるはずもない。
「ロキさん、今はそれよりバハムートから素材を剥ぎ取るよ! 一番欲しい部分はロキさんに譲るから、早く選びなよ!」
「ああ、すまんすまん。まぁその話は後でするぞ。エミリオ、そのページとかって奴を縄で縛っておいてくれ!」
リザはロキと一緒に動かなくなったバハムートのところへと向かった。




