10話 トロール退治(5)
狂化魔法によって理性を失った赤いトロールが突っ込んでくる。すべてを薙ぎ倒す暴力的な突進だ。紅炎の剣士へと装備を変えたレインはその場から動かない。後ろにはフランがいる。腰を落として右腕を前に伸ばす。受け止める気なのだ。右腕だけで。そんなことは常人には不可能だ。
「オオオオオオオッ!!」
トロールが叫ぶ。突進力を上乗せした棍棒を振り下ろす。レインはそれを右腕で受け止めた。一本の大樹になったかのようにレインは微動だにしていない。棍棒を右手で掴んだまま、トロールの腹に蹴りを入れる。三メートルはあるトロールの身体が宙に浮き、後方へと吹き飛ぶ。
「グゥオオオオオ……ッ」
しりもちをついたトロールは緩慢な動きで起き上がる。レインは背負っている大剣の柄を右腕で掴んだまま、ゆっくりとトロールに接近する。その大剣は見たことのない金属でできており、鮮やかな光沢がある。
レインが大剣を抜き放つと、刀身が赤熱して橙色に染まる。離れた位置にいるトロールにすらその熱量が伝わったことだろう。トロールは咆哮しながら、やぶれかぶれで棍棒を構える。
「はぁっ!!」
レインはトロールに攻撃する暇さえ与えなかった。裂帛の気合とともに大剣を横一文字に振り抜き、トロールの上半身と下半身を両断する。正確には、超高熱の刀身によって溶断したのだ。
狂化したトロールはまともな反撃もできず一方的に倒された。死んだことで狂化魔法が解けてトロールの赤い肌が緑に戻る。レインの大剣も熱が急速に冷めて、刀身は鮮やかな橙色から白色へと変わっていった。
「レイン殿、お見事でした! まさか召喚魔法が使えたとは。しかも魔法武器まで……!」
草むらを掻き分けてクルツが近づいてくる。トロールに投げ飛ばされていたが怪我は無いようだ。レインの服と防具が一瞬ブレたかと思うと、元のマントを纏った旅人服姿に変わる。クルツはまやかしでも見せられた気分だったのか目をしばたたかせた。
「フラン。怪我はしていないかな。ポーションなら何個かあるからそれで……」
「自分にお使いなさって。左腕が折れているんでしょう。私は問題ありませんわ、貴方が守ってくれましたもの」
「ああ……そうだった。忘れてたよ」
レインは苦笑しながら思い出したように左腕を抑えた。戦闘中は気にしてなかったが、一番重傷なのは自分自身だったのだ。懐からポーションを取り出すと一気に飲み干す。これで折れた骨もくっつくだろう。
「なんとか無事に倒せたみたいっすね。いや~まさか狂化するトロールがいるなんて、思いもしなかったっすねぇ」
リザも森の中から姿を現わした。リザは何か言いたそうな顔でフランの顔を見て、次にクルツの顔を見た。
「どうされたんですか、リザ殿」
「リザ、何か言いたそうですわね。言っていいですわよ」
リザはごほんと咳払いしてから、もったいぶった様子で尋ねた。
「二人とも、おいらと兄貴に隠し事してるっすよね?」
「えっ。隠し事……ですか。いや……何のことかさっぱり……」
「クルツのお兄さんは嘘が下手っすねぇ。目が泳いでるっすよ」
「お、泳いでいませんよ」
「いや……泳いでました」
「レイン殿まで。困りましたね……どう言えばいいんでしょうか」
クルツは困り果てた、とでも言うように槍を持ってない方の手で頭を掻く。
「もう少し突っ込んだことを聞くっす。トロールと戦ってたとき、クルツのお兄さんはフランのお姉さんのことを『姫様』って呼んでたっすよね」
「えっ! いや……そんな馬鹿な。言ってません。リザ殿の気のせいではありませんか」
「そういえば言ってましたわ。クルツ、貴方、私のことを『姫様』って呼んでましたわよね」
「待ってください。なぜ姫様まで私を追及する側に回るんですか」
「やっぱり言ってるじゃないっすか」
「ああ~~~~っ。やってしまった~!」
語るに落ちるとはこのことだろう。クルツは両膝をついて腹這いの姿勢になる。
「お願いします。このことは……どうかご内密に! ほら、姫様も頼んでください!」
「レイン、リザ、事情を説明しますから、どうか内緒にしてくださいませんこと?」
何だか虫のいい話にも感じるが、とりあえずレインは事情を聞くことにした。
「驚かないで欲しいのですけれどフランという名前は愛称なのです。本名はフランローズ・ヴィエル・ローザンディアと言います。これでも身分的にはこの国の第四王女なのですわ」
「フランのお姉さんがあの姫騎士様だったんすか! 突然行方不明になったって聞いたっすよ。王都で大騒ぎになってるらしいっす」
「そうでしょうね。誰にも言わずに騎士団の仕事も放棄して抜け出したのですから当然ですわ」
リザはすぐに理解したようだが、レインはこの国に来たばかりで事情に疎い。フランがいきなり第四王女だとか姫騎士だとか言われてもいまいちピンと来なかった。だが、言われてみればその顔立ちの美しさや所作にはじまり、新人の冒険者にも関わらず、高級な業物の武器を持っている不自然さも、説明がつくような気がする。
「その……俺の国にはいなかったので確認したいのですが、姫騎士というのはどういうお立場なんですか?」
「王女がこの国の騎士団に入団すると、慣例的にそう呼ばれるのです。他国の者からすれば奇妙に感じるかもしれませんが」
「いえ。そういうわけでは。王女が前線に立つのは危険な気はしますが……」
「まさにそこが問題なのです。この国で最初に姫騎士と呼ばれたのは、初代国王の王妃様でした。王妃様は女性ながら武勇に事欠かない方で、以来、我がローザンディア王国では王女でも騎士になれるのです。そういうわけで姫様も入団試験を受けて正式に騎士となられています。ただ……」
「ただ……?」
「姫様を危険に晒すまいと同僚や騎士団長が気を遣いすぎた結果、姫様はお飾りのような立場になってしまわれて。実戦をさせてもらえないのです」
「ああ……なるほど……」
クルツの説明のおかげで、レインにもなんとなく分かりかけて来た気がする。ギルドハウスで簡単な依頼を嫌がっていたのも、魔物との実戦経験を積めないからなのだろう。フランには剣の才能があるのに戦わせてもらえない。もったいない話だ。
「でも実戦がしたいだけなら素性を隠してまで冒険者になる必要はなかったのでは……魔物なんてどこにでもいますよ」
「レイン殿の言う通りですが、それには事情がありまして。姫様は冒険者に憧れていらっしゃるのです」
「……どういうことですか?」
「私が騎士になったのはこの国の人々を守るためですわ。けれど、騎士団では私は何もさせてもらえない。そんなある日に知ったのです。冒険者の中には、騎士と同じように誇り高い志で戦う方もいらっしゃったのですわ!」
その時のフランは、まるで夢見る子どものようだった。両手を握り、目を輝かせ、憧れの冒険者に想いを馳せる。だが冒険者というのはあくまで金や財宝のために戦うのであって、フランの言うような意志の持ち主はきっと少ない。
「ご存知かしら、『召喚の勇者』様という冒険者だそうですわ! 魔物に苦しむ人々のために戦う勇敢なる御方です! そこで私は思いました! 騎士が駄目なら冒険者として生きれば良いのだと!」
なんということだ。まさか亡き師匠がここで関わってくるとは思わなかった。想像以上に「召喚の勇者」の名は世の中に知れ渡っているらしい。
「姫様。どこまで本気なんすか、それ」
「へ? えっと……そうですわね。深く考えていませんでしたけれど、しばらくは冒険者として活動するつもりですわ」
「また傍迷惑な姫様っすねぇ……たぶん騎士団だって姫様のこと探してるっすよ。ずっと冒険者でいるのは無理じゃないっすかね」
「リザ殿。正論ですが、あまり言わないであげてください。姫様も悩み抜いてのことなのです」
「まぁ気持ちは分かるっすけど。大事になる前に王都に戻った方がいいと思うっすよ」
リザの言うことはもっともだ。フランは自分の立場のことを考えて無さすぎる。騎士団もそうだが、捜索が難航すれば冒険者ギルドにも依頼が舞い込むだろう。そうなったらフランはいずれ見つかって王都へ強制送還だ。冒険者として活躍するなど、しょせんは淡い夢想に過ぎない。
少しして、レインはリザがこちらに目配せてくるのに気づいた。何かを訴えかけるようだ。自分に加勢しろということか。思えば、なぜリザは二人の隠し事を追及したのだろうか。単なる興味本位なのだろうか。そういう風には見えなかったが、だとすると、リザなりにフランのことを心配しているのかもしれない。だとしたらリザも相当なお節介焼きだ。
「その……フランローズ姫……ひとついいかな」
「ああ、レイン。フランでいいですわ。共に戦った仲じゃありませんか」
「じゃあフラン。召喚の勇者ハイトは俺の師匠だ。でもきっと、師匠はフランに冒険者の道を勧めないと思う」
「え……? ほ、本当に……? レインが勇者様のお弟子さん? 嘘じゃありませんわよね?」
「証明しろと言われても困るけれど……本当だよ。師匠は二年前、兄弟子に殺された。俺は兄弟子を探してここまで来たんだ」
フランはしばらく呆然としていた。勇者ハイトが死んでいたという事実も、フランには驚愕だったようだ。
「人は誰でも血統に恵まれるわけじゃないよ。貴族、それも王族に生まれたのなら、王族にしかできないことがある。冒険者になる道もいいけれど……折角なら王女として、騎士としてできることをして欲しい。師匠ならきっとこう言うはずだ」
「でも……私はお飾りの姫騎士ですわよ。何もさせてもらえませんわ……」
「それを変えることから始めよう。後の姫騎士をお飾りにさせないためにも。少なくとも剣の才能はあるよ」
「私に……才能が……?」
「うん。手合わせをした時にも言ったじゃないか。実力はあるって。フランならきっと良い騎士になれる」
フランは澄んだ青い瞳を丸くすると、一筋の涙を流した。誤算である。レインは励ますつもりで言ったに過ぎない。泣かせる意図はまったくなかった。フラン自身も泣いてしまったことに戸惑っている。
「あ、あれ……ごめんなさいレイン……嬉しいのになぜか涙が出てしまって……」
涙は悲しい時以外にも流れるものだ。やはりフランは冒険者よりも騎士でいるべき人間だ。でなければレインの何気ない一言でそれほど嬉しいと思うはずがない。レインはその心情を推し量ることしかできないが、きっと今まで誰からも騎士として評価されてこなかったのだろう。
「俺の方こそごめん……変なことを言ったみたいで……」
「いえ。むしろもっと言って欲しいくらいですわ。レインの言葉、信じさせていただきます」
「姫様。水を差すようで申し訳ないですが、これからいかがなさいますか? 私は姫様に従います」
クルツの言葉を聞き、フランは涙を拭い取りながら言った。
「……王都に帰りましょう。レインの言う通り、騎士としてできることをやってみようと思いますわ」
「それがいいと思う。俺たちもフランが王女だってことは秘密にする。じゃあそろそろ後始末をして帰る準備を……」
「そうだ。レインとリザは依頼が終わった後どうするのですか? オーネスの街に滞在なさるのかしら」
嫌な質問だ。これ以上、フランとクルツに関わる気はない。身分を隠しているとはいえ王女と一緒に過ごすなんて絶対に気を遣ってしまう。ここで上手く誤魔化すことができれば良かったのだが、レインは正直に話してしまった。
「え……えーと……俺たちも一応、王都に行く予定だけど……」
「まあ。お二人がよろしいのなら、是非ご一緒させて欲しいですわ。勇者様のお弟子と旅ができるなんて貴重な機会ですから」
こうして旅の仲間が増えてしまった。一人旅の予定が二人旅となり、更に今日のうちに二人増えた。最初は面倒な気もしたが、たまにはこういうことがあっても良いだろう、と後々思うようになるレインだった。




