転生の自覚①
竜人国グランドレイクの王城には、無駄なものがひとつもない。
柱は太く、天井は高く、廊下はどこまでも一直線に伸びている。威厳のために設計されたような建物だ。
俺――エルネスト・グランドレイクは、その廊下の窓際に立って、外の演習場を眺めていた。
朝の光が差し込む演習場では、騎士たちが列を組んで剣を振っている。号令の声、鎧の擦れる音、時折上がる気合の声。毎日のように繰り返される、代わり映えのない光景だが、この時間は飽きずに眺めていられた。
「殿下、そろそろお時間です」
背後から声がかかる。振り返らなくても誰だか分かる。この声の低さと、無駄のない歩き方。俺の護衛騎士であるコンラートだ。
「あと少しだけ」
「あと少し、が長いのはいつものことですね」
「口答えするようになったんだな、オマエ」
軽口のつもりだった。でも振り返って見たコンラートの顔は、案の定、笑っていなかった。生真面目という言葉をそのまま人間の形にしたような男だ。いや、竜人だけど。
「今日の稽古相手は、誰だ」
「新任の教官と伺っております。かなりの手練れだとか」
「へえ。お前より強いのか」
「それは、殿下がご覧になって判断されるのがよろしいかと」
はぐらかすような答えに、俺は小さく鼻を鳴らした。こういう、隙を見せない受け答えも、いつものことだ。
俺はもう一度窓の外に目をやった。演習場では若い騎士たちが剣を打ち合っている。金属のぶつかる音が、風に乗って届く。
別に演習を見るのが好きなわけじゃない。ただ、こうしていると誰も俺に何も期待しないから、それが楽なだけだ。
「父上は今日も執務室か」
「はい。今朝から会議が続いていると」
「そうか」
それだけ言って、俺は歩き出した。コンラートが一歩下がって、俺の後ろについてくる。その距離感は、いつも正確に一定だ。近すぎず、遠すぎず。まるで計算されているみたいに。
実際、計算しているんだと思う。この男は、そういうやつだ。
父上に会いに行くつもりは、今日もない。会っても、どうせ短い会話が交わされて、俺は「励め」とでも言われて終わりだ。その言葉に温度がないことは、もう何年も前から知っている。
誰も彼も、俺に興味なんてない。王子という肩書きにしか興味がない。
そう思うたび、胸の奥で何かが冷えていく感覚がある。慣れているはずなのに、慣れきれない。
廊下を歩いていると、すれ違う文官や使用人たちが一様に頭を下げてくる。丁寧な所作、隙のない礼儀。誰も彼も、決まりきった型の中で俺に接してくる。それが悪いとは思わない。ただ、時々、無性に息苦しくなる瞬間がある。
「殿下、お顔の色が優れないようですが」
「別に、なんともない」
コンラートの指摘に、軽く受け流す。実際、体調が悪いわけじゃない。ただ、こういう毎日の積み重ねが、重くのしかかってくるだけだ。
窓の外に視線を移すと、遠くに見える塔の先端が、傾き始めた陽の光を受けて赤く染まっていた。この城で生まれ、この城で育って、これから先もずっと、この城の中で生きていくんだろう。そう考えると、なんとなく息が詰まるような感覚があった。
誰にも本音を漏らしたことはない。漏らしたところで、何かが変わるとも思えなかった。
自室に戻る途中、中庭を通り抜けた。石畳の道の脇に、色とりどりの花が咲いている。庭師が丹精込めて育てたものだ。
風が吹くたび、花びらが微かに揺れる。爽やかな香りが鼻をかすめて、少しだけ気分が和らいだ。
その中の一輪――深い緋色の花に、ふと目が止まった。
見たことがある、気がした。
いや、そんなはずはない。この庭に来るのは久しぶりだ。
なのに、頭の奥で何かがちりちりと疼く。
(――なんで、俺はこの花の名前を知ってるんだ?)
花の名前どころじゃない。もっと別の何かが、記憶の奥底から浮かび上がろうとしている。輪郭のはっきりしない、何か。
立ち止まって、じっとその花を見つめる。花弁の重なり方、棘のある茎、独特の香り。どれも、初めて見るはずのものなのに、妙に馴染みがある。
「殿下?」
コンラートの声で我に返る。いつの間にか、足が止まっていたらしい。
「……ああ、いや。なんでもない」
誤魔化して歩き出す。けれど、心臓が妙に速い。
訓練場に着くまでの短い間、何度もその花のことを考えた。庭師に聞けば、名前くらいはすぐに分かるだろう。それでも、聞くのはなんとなく躊躇われた。もし、自分の記憶が正しかったら――そう考えると、妙な胸騒ぎがした。
その後、部屋に戻ると近侍が夕食の支度を整えて待っていた。
「殿下、お帰りなさいませ」
「……ああ」
いつも通りの挨拶にも、今日はどこか上の空で返事をしてしまう。
「何か、お加減が優れませんか」
「いや、平気だ。なんでもない」
心配そうな視線を受け流して、俺は椅子に腰を下ろした。夕食の間も、頭の片隅にはずっと、あの深い緋色の花がちらついていた。
俺は、何かを――思い出しかけているような気がする。
それがなんなのか、この時の俺にはまだ分からなかった。ただ、これまで感じたことのない予感だけが、静かに胸の中に居座っていた。
まるで、長い夢から覚める直前のような。
あるいは、覚えてはいけないことを、思い出そうとしているような。
その夜はなかなか寝付けなかった。天井を見つめながら、昼間の花のことを何度も思い返す。
寝台に横になっても頭の芯だけが妙に冴えていた。何度も寝返りを打って、それでも眠気は一向に訪れない。
深い緋色。あの色を、俺は知っている。名前がおそらく薔薇だということも。花の名前なんて教わったことないのに。
考えれば考えるほど、確信めいたものが強くなっていく。ただの見間違いや思い込みじゃない。もっと、根の深い何かだ。
目を閉じて、記憶の糸を手繰り寄せようとする。何か、思い出せそうで思い出せない、もどかしい感覚だけが続いた。
瞼を閉じると、光の粒のようなものが瞬いた気がした。
文字だ。画面だ。誰かの声――男の子の、明るい声。
(――待て、これは)
次の瞬間、頭の中に何かがなだれ込んできた。
知らないはずの記憶。知らないはずの世界。知らないはずの、自分自身の姿。
俺は、大きく息を呑んで、闇の中で目を見開いた。




