デカいお肉と塩とダシ・3
岩泉と俺、そして最後に丹波。縦に並んで無限の氷原の上を滑っていく。
前を行く流星のスケートはワンストロークで気持ちいいくらい長く伸びていく。力まずすっと距離の伸びる体重の乗せ方は長距離の移動に向いている。幼い頃はアメリカ人の父親がフィギュアスケートに反対で、初めは長距離スピードスケートから習い始めたのだとどこかのインタビューで言っていた。そういう影響もあるのかな、と、流星の足許を見ながら思った。
「オランダではスケートのマラソン大会があるんですって」
岩泉は滑りながらずっとしゃべっている。
滑りの巧さもすごいが、おしゃべりしながら長距離を滑り続けられるスタミナは驚異的だった。
体力が有り余ってるのか、定期的に会話することでチームの様子を確認しているのか――いや、流星はそこまで考えてないかも……。
「東京の路面が凍結してもフィギュアやってたら平気でしょーって言われるんですけど、そんなわけないじゃないですか。スニーカーでつるんってなるのはスケートじゃないし。でもオランダは運河が凍ったらフツーにスケート靴で通学しちゃうらしいんですよ。そんなことになったら俺、冬場だけ遅刻ゼロで行けますよ速いし」
流星ジョークに俺は苦笑する。
「農道を時速120kmで走り切るみたいなやつやめろよ」
背後から丹波のツッコミも飛んでくる。
「そもそもセンパイは速く学校に行けたらその分遅く出るタイプでしょーが」
流星は学校の成績はあまり良くなくて、勉強ができないとか試合や練習で出席日数が足りなくなるとかはまだしも、遅刻癖があるのは普通に良くないと、ニュースに出た流星の当時の担任がインタビューの場を借りて説教したものだから、当時はちょっとした炎上になっていた。
今ならあの担任の気持ちもちょっと解る気はする。流星、スケートは間違いなく天才だし、悪い奴ではないんだが、すごくノリで生きている。
不意に、流星の前から音楽が聞こえた。シンセサイダーのような。電子音のドラムのリズムの間にピイーンとギターがかき鳴るような。
もちろんこんなところでシンセを打ち込んでいる人間などいるはずもない。
「待て。岩泉戻ってきてくれ、今すぐ!」
岩泉が「?」という顔をして踵を返す。同時に俺は大きく振りかぶって、氷片を遠くに投げた。あのまま流星が上機嫌で走っていたら到達していたあたりへと。
ぱきりと大きな音がした。氷が割れ、さっき投げた氷の塊が沈んで見えなくなる。
統計の得意な丹波がなるべく危険の少ない地帯を調べたり整備したりしてくれてはいるが、自然の氷は本来スケートに向いていない。凸凹も大きいし、薄くなっていて突然割れる場合もある。
そんなときにつける簡易的な目印を、「コンパルソリー」でやってみることにした。
俺はポケットから赤いインクを取り出し、脚を上げてもう片方の膝の上に乗せ、スケート靴の刃の溝にインクを垂らす。
フィギュアスケートのフィギュアは「図形」だ。基本の滑りを覚えた後に、まずフィギュアスケートの基本として習うのは円を描くことだ。直径は身長の三倍。その間決められたターンと重心移動を繰り返し、氷の上に花のような図形を描く。それが「コンパルソリー」。
かつては現在のショートプログラムに相当する規定演技だったが、今はもう競技には取り入れられていない。ただ、基礎練習としては重要なもので、いわゆるステップの成熟度はこれに関係する。
かつてのフィギュアスケートの原型、人々が氷の上に図形を描いて正確な軌跡を競ったそれが、氷の世界で「合図」として活きる。
この先危険だから進むなというしるしに、インクのついた靴で花のような図形を描く。
滑る靴に身を任せてターンを繰り返す。ほうっと息を吐くと、白く霞んだ視界の向こうで、岩泉がじっとこちらを見つめていた。
「……何?」
尋ねると、岩泉ははっとしてから、照れくさそうに笑う。
「いや、ほんと……綺麗だなーって、思って」
俺は複雑な気持ちで返事ができずにいる。
岩泉の誉め言葉はお世辞に聞こえない。だから反応に困る。
お世辞ならどんなに良かっただろう。丹波がからかうように恋愛感情で実際以上に良く見えているのならまだ理解はできただろう。
流星が解らない。
俺が必死に手を伸ばしても届かない点数を軽く弾き出す後輩が心の底から綺麗だと言ってくれる。その言葉に、俺はなんと返事すればいいのか解らない。こんなの、言うほうも言われるほうも嫌味と紙一重ではないか。
困惑して岩泉を見詰めていると、でっかいため息が空気を割った。
「ハイ、そこイチャイチャするのやめてくださーい。僕がアウェーすぎるんでー」
丹波が俺と流星の間を滑り抜けていく。見つめ合う俺と流星の真ん中でぴたりと止まると、両手で俺たちの肩をポンと叩いて茶目っ気に笑う。
「さっ、キリキリ行きますよー」




