38.寂しさのワケ
予定よりも早い時間帯に帰宅したシャルロッテを玄関で出迎えてくれたのは、いつもより元気なミミであった。
予定の変更に戸惑うことなく、満遍の笑みを向けてくる。主人を見つめる彼女の両眼は期待に満ち満ちていた。
「おかえりなさいませ、お嬢様っ!こちらの用意は準備万端でございます!さぁ早く特別な香油の入った湯浴みでお身体をお清めください。その間、アレクスティード様の足止めはこのわたくしめが…」
ここまで勢いよく話したミミだったが、ふと言葉を止める。シャルロッテの前でツッコミが入らないまま気持ち良く長文を話せたことに、何かがおかしいと気付いたのだ。
「まさか…」
一瞬考える素振りを見せた後、目を見開きハッとした顔で口元を押さえた。
「夜会で気持ちが昂って、敷地内の薄暗い庭園で既に色々とお済ませに…きゃあああああっ!!!」
「今日は疲れたから湯浴みはいいわ。着替えも済んでるし、タオルだけちょうだい。」
「か、かしこまりましたっ!!ミミももう立派な大人ですので、余計なことは聞きません!それは疲れますよねっ。ぐふふふふ。」
顔を真っ赤にしたミミが両頬を押さえて、だらしくなく口元を緩ませている。異常といえば異常であったが、今のシャルロッテには、わざわざ指摘する気力はなかった。
引きずるような足取りでミミの後ろを歩き、口数の少ないまま自室へと戻ってきた。ミミにお茶を淹れるよう命じると、糸が切れた人形のようにベッドの上に倒れ込んだ。
「はぁ…」
仰向けに寝転び、口から深いため息が出た。
身体が重いのは身の丈に合わない豪奢なドレスを着ていたせいだと、心の違和感から目を逸らして自分自身に思い込ませる。
「お嬢様、お茶をお持ちしましたよ。」
心安らぐハーブの香りと共にミミが戻ってきた。トレーの上にはティーセットと一緒に目新しい小菓子が並んでいる。主人の好みを熟知している彼女なりの気遣いだ。
ミミが手際よくテーブルの上に並べ終えると、シャルロッテは起き上がりソファーに腰掛けた。ティーカップを手に取り、ゆっくりと口を付ける。その視線は朧げであった。
「あのぉ、アレクスティード様と何かありましたか…?」
長い長い沈黙の後、耐えきれなくなったミミが言葉を発した。ソファーの隣に立ったまま、ぎゅっとトレーを胸の前に抱えて不安そうに眉を下げている。
「別に…ああそうだわ、ミミ。昨日ヘルテルが作ってくれたケーキを持ってきてちょうだい。一緒に食べるわよ。」
「え゛!!?」
悲鳴のような声を出したミミの顔が一気に青ざめた。青い顔でふるふると首を横に振る。
「だ、だめですよっ!!あれは、アレクスティード様のためにお嬢様が作ったケーキですよ!?私なんかが食べるわけにはいきません!」
「だから、作ったのはヘルテルよ。」
「そんなことはどうでもいいんですっ。お嬢様から渡すから特別なものであって、その特別をアレクスティード様がお喜びになるって寸法です!」
「特別なんて思ってないわ。別に私のことなんてどうでもいいのよ。今日だって…」
目の奥が熱くなり慌ててティーカップを持ち上げると、紅茶と共に言いかけた言葉を胃に流し込んだ。いつもより水分の多い瞳でキッとミミのことを見る。
「とにかく!もういいの。この話はもうこれでおしまい!私はもう寝るわ。」
「それは困る。」
「……………はぁ!??」
シャルロッテの八つ当たりのような言葉に返事をしたのはミミではなく、アレクスティードであった。
この部屋にいるはずのない人物が、この場に似つかわしくない煌びやかな夜会姿で入り口に立っており、それを目にした彼女の脳が激しく混乱する。
(どうしてアレクがここに……?だってさっき断ったのに何で…………)
叫び声を上げた後思考停止していると、彼が迷いのない足取りで近づいてきた。真っ直ぐにソファーの前にやってくると、その場で膝をつきシャルロッテの両手を取る。
「寂しい思いをさせてごめん。」
「……………なっ!!だ、誰が寂しいだなんてそんなこと、」
「きちんと言葉にすべきだった。シャルからのお誘いなんて嬉しいに決まってるって。」
「だからそういうんじゃ…ひゃあっ!」
否定の言葉を繰り返すシャルロッテのことを、アレクスティードが力強く抱きしめた。華美なジャケットの装飾で傷付けてしまわぬよう細心の注意を払いながら。
希うように切なげに手を伸ばし、絹のような髪を撫で付けるようにして、優しくシャルロッテの耳にかける。
「レイチェルの言う通り、俺の意気地がないせいだ。大切にしたいばかりで、肝心の君の気持ちへの配慮が足りていなかった。」
「じゃあなんで…」
「ん?」
「なんで、今日の誘い断ったのよ……」
アレクスティードの胸の中で、シャルロッテがひどく小さい声でつぶやいた。彼の視線からよく見える彼女の形の良い耳が真っ赤になっている。
(これはちょっと………いや、かなりしんどい…………)
薬の影響でいつも以上にムクムクと湧き上がる欲望を必死に押さえ込む。抗えない本能的衝動を、レイチェルへの怒りに転換してなんとかこの場を凌いだ。邪な感情を全て捨て去り、真心だけを残して慈愛たっぷりに目を細める。
「シャルのことが大好きだから。自分の背中は自分で押したいってことだよ。誰の何の手も借りずにさ。」
少しだけ身体を離したアレクスティードが、シャルロッテの身体に腕を回したまま彼女の頬に軽く口付けを落とした。蕩けそうなほどの甘い笑みで見つめる。
「何よそれ、意味分からないわ!」
シャルロッテの口調に元気が戻ってきた。アレクスティードを見返す瞳の奥に熱が宿る。
ついさっきまで感じていた重さは一切なくなっており、何が原因だったのか思い知らされる。
(誰のせいだと思っているのよ……)
強い言葉とは裏腹に、自分の中で着実に育つ未知の感情を持て余していた。




