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【1部完結】クズの婚約者は金ヅルにしますのでどうぞお構いなく  作者: いか人参
2部

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32.ヘルテルの悩み事


窓に向かって置かれた簡素な机は木製で出来ており、所々に窪みのある無骨な表面にはインクのシミやペンを走らせた跡がいくつもある。その年季の入った机の上に、真新しい文具が几帳面に並んでいた。ペンも紙も有名店の超高級品であり、この邸にあるどの家具よりも値が張る。


その内の一つを緊張した面持ちで手に取った。紙の上にペン先を立てて滑らせると、羽が生えたかのように軽く意のままに動く。普段の数倍早く文字を書くことが出来た。


だが、ペン立てにペンを戻したヘルテルの表情は冴えない。



「はぁ…」


空気が重たくなるようなため息が無意識に漏れ出る。


思考は目の前の領地経営の勉学ではなく、姉に向いていた。

彼女の隣にはいつだって優しく頼りになる義兄がいるが、いつだって彼に迷惑を掛けているのだろうと思うと気が休まらない。しかも彼から毎日のように生活物資が届き、潤沢な日々を過ごすことが出来ているから余計にだ。


(せめて何か恩返しが出来ると良いんだけどな…)


薄汚れた小さな窓からぼんやりと外を眺める。何もかも完璧で何でも持っている相手が喜ぶものなど、ヘルテルには考えもつかなかった。



「ヘルテル様、何か悩み事ですか?」


横から心配する声で尋ねてきたのは、ヘルテルの隣に立って彼の勉強を見ていたランドルフであった。


彼はアレクスティードの従者で、週に一度ヘルテルの家庭教師として邸に来てくれている。が、実際はほぼ毎日のように邸に顔を出していた。恵まれない境遇に負けることなく勤勉で、飲み込みの早いヘルテルのことをえらく気に入り、彼の輝かしい将来のためと熱心になっているようだ。


長い黒髪を一つに結ったランドルフは色白で身体の線が細く、アレクスティードよりも少し年下に見える。それでもヘルテルよりはずっと年上だ。彼はヘルテルに対して気安い態度を取ることはない。敬うべき相手として丁重に扱ってくれる。


最初こそその扱いにむず痒さを感じていたヘルテルだったが、毎日顔を合わせる内にその感覚が薄れていった。その結果、勉強の時間だというのにうっかり思考が逸れてため息を吐いてしまったのだ。



「申し訳ありません。ランドルフ様。ちょっとその…姉のせいでアレク義兄様に迷惑を掛けっぱなしで何かお返し出来るものはないかなって…」


「なるほど。それとヘルテル様、何度も申し上げてますが私に敬称は不要です。どうぞランドルフとお呼びください。」


手本のような姿勢で恭しく頭を下げるランドルフに、ヘルテルが居心地の悪さを覚えて口籠もる。


相手はロウムナード公爵家次期当主の右腕だ。そんな雲の上のような存在と言葉を交わすだけでも緊張するというのに、他の使用人と同じように扱えなど無理な話であった。



「それでは」


ヘルテルの心を見透かしたように瞑目すると、ランドルフは前に持ってきたひと束の髪を手で撫で、乞うような目を横に向けた。



「ランドルフ兄さんは如何でしょう?」


自分で発した言葉だというのに、その甘美な響きにランドルフの目が眩む。速くなる鼓動を落ち着かせ、じっとヘルテルを見つめる。


だがその期待に反して、ヘルテルはゆるゆると首を横に振った。これでも貴族のマナーを学んでいる身だ。やってはいけないことくらい知っている。申し出は親しみを感じて嬉しかったが、後先考えない姉さんとは違うんだと自分に言い聞かせた。



「ランドルフ様、さすがにそれは出来かねます。」

「ランドルフ兄さん」


速攻で言い直されてしまった。

普段表情に乏しいランドルフの目が爛々と輝いている。彼から漂うのは狂気を感じる熱量であった。野生の防衛本能か、ヘルテルの身体が僅かに震える。



「ら、ランドルフにいさま…」


熱意もとい得体の知れない恐怖に秒で負けたヘルテルが恐る恐る口にした。



「はい、ヘルテル様。それでお悩みとはどんなことでしょうか。」


とてもいい笑顔でランドルフが頷く。途端に重苦しい雰囲気が吹き飛び、穏やかな空気が流れ込んできた。ヘルテルは自分の選択が正しかったことに、ほっと胸を撫で下ろす。



「はい、あの…アレク義兄様に何か恩返しが出来ないかなって。」

「アレクにいさま…?」

「はい、あの何か?」

「コホンッ。いえ、何でもありません。」


一瞬空気が軋んだ気がして目をぱちくりさせるヘルテルだったが、ランドルフに促されてまた口を開く。



「貰うばかりで何も返せてなくて…もちろん僕たちに返せるものなど何もないと思うのですが、それでも何か出来ないかなって気持ちが収まらないのです。」


「尊…いえ、とても素晴らしい心持ちだと思います。そうやって思って下さるだけでアレクスティード様は十分お喜びになると思いますよ。」


軽く胸を押さえたランドルフが真顔で返す。だが、ヘルテルの顔は分かりやすく不満げだ。それを見た瞳に涙が溜まる。


(尊い尊い尊い尊い尊い尊い尊い可愛い尊い尊い可愛い可愛い可愛い尊い尊い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い尊い尊い)


貴族社会の汚い部分ばかり見てきたランドルフの心が純真無垢なヘルテルで満たされていく。真顔の下で、彼の心は歓喜に踊り狂っていた。



「それなら、手作り菓子とかいかがです?ロマンス小説の鉄板ですよ!!」


外側からドアが開くと同時に、ティーワゴンを押したミミが元気よく話に混ざってきた。



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