12話 商会
『君は、動物と仲がいいね』
『あなたたちが、仲が悪すぎるだけじゃない?』
『ふむ、耳が痛いね。いったいどうしたら、彼らは私たちに懐くんだい?』
ぴっ、と、彼女の人差し指が私の口を抑えた。
『そんな、物のような言い方はやめてちょうだい』
燃えるようなルビーの瞳が、優しく私を咎めていた。
パチリと目が覚めた。
胸の上に転がる宝石から、仄かな温かさを感じる。
どうしてか、これは取り上げられなかったようだ。
天井も壁も石を積み上げて造られた丈夫なもので、この部屋からは簡単に逃げ出せないことが容易に分かった。
それよりも、体がダルい。
まるで血液の代わりに溶かした鉛でも流しこまれたような気分だ。
体を起こすだけで、私はうめき声をあげながら長いこと格闘していた。
「おぅ、起きたか」
知らない男が入ってきて、私に声をかけた。
傭兵のような荒々しい雰囲気ではあるが、言葉にはこちらを気づかう様子がある。
私は言葉を発しようとしたが、喉がかすれてうまく喋ることができなかった。
「いや、しゃべんなくていいぜ。すぐに飯を持ってこさせるからよ」
そういって男は私の横に座って、手に持っていた金属製の器の蓋を開けた。
ツンと顔をしかめたくなる独特な匂いがする。
男も顔をしかめながら、その中にある暗緑色のドロドロとしたものを指にとる。
「動くなよ。ただの薬だ」
そういって彼は縄で酷く血が滲んでいる私の手首や足首を中心にその軟膏を塗っていく。
痛覚が拒絶反応を起こしたように暴れたが、暴れる気力もない私はただ呻きにもならない唸り声をあげるばかりであった。
男は薬を塗るとすぐに出ていったが、食べ物を盤に乗せてすぐに戻ってきた。
それを見た途端、口の中には唾液が分泌され腹が不満気にキュウと締まって私を急かす。
コップに並々と注がれたお酒をゴクリと飲めば、ヒビ割れた大地に草花が芽生えるような景色を垣間見た気がした。
固い黒パンをスープにつけて噛みちぎり、数回だけ咀嚼し、そのまま飲み込む。
スープのなかには潰れた豆がひたされていて、それらをすくって口に含んだ。
かすかな塩の味が口の中に辛い甘みとなって広がってゆく。
お世辞にも美味しいとは言えないはずのものだが、私にとってそれは今まで食べたどんなものより美味しく感じた。
絶叫をあげていた飢餓がしずまり、自然と涙がこぼれそうになった。
ここまでの事態に陥ったのは、遥かな幼少期の頃以来か。
それだけ私の生活は裕福で幸せなものだったのだろう。
「お、まだ元気そうだな。おめぇもついてないよな、海賊どもに拾われるなんて。ま、もっとも拾われなけれりゃ今ごろは海の藻屑か! ガッハッハッ!」
私は夢中で食べ物をかっ食らっていたが、少しだけ元気が出たので改めて男に向き直った。
「ありがとうございます。助かりました」
男はキョトンとしてこちらを見たが、すぐに納得顔で頷く。
「よせや、全部会長の指示だ。それに、おめぇが奴隷であることに変わりはないから礼なんていらねぇぜ?」
そうか、記憶が曖昧であったが今は奴隷になっていたのだ。
しかしあの船内での扱いを思えば、ここでの待遇にはまさに感謝しかなかった。
「今はおめぇが衰弱してたからな、特別待遇だ。そのままじゃ商品にならん。元気になったら他のヤツらと一緒にすし詰めだろうよ」
「そうですか」
私の国に奴隷制度は表面上なかったから、私もその方面については詳しくなかった。
ただ、すり潰すだけが奴隷のありかたではないようだ。
ドアが開いて、素材の良い小洒落た服装をした小太りの男が入ってくる。
彼は確か、私を買い取った商人であったはずだ。
私が頭を下げると、商人の男は満足気に頷いた。
「やはり、それなりの教養はありそうだな」
商人が持つ独特の見透かすような視線が、私の体を上へ下へと舐めてゆく。
まるで露天に売り出す物でも見ているかのようなその無機質な視線に、どこか空恐ろしいものを感じる。
ただの品定めなのであろうが、初対面の人の視線にここまで不快感を覚えるのは初めてであった。
そうか、私も彼らにこんな視線を向けていたのかもしれない。
仲良くなど、とんだ笑い話であった。
脳裏に彼女の慈しむような瞳が浮かんでくる。
それを想うだけで、体が温かくなった。
「明日からは他のヤツら同じ部屋に入れとけ」
「わかりやした」
小太りの商人はそれだけ言い放って部屋から出ていった。
できるだけ、体力を戻さなければ。
何をするにせよ、このままじゃ何もできない。
「すいません、まだ食べ物はいただけますか?」
「しょうがねぇなあ。こんなマズイもんをおかわりだなんて、よっぽど腹減ってんだな」
見張りの男はまた盆におかわりを乗せて戻ってきた。
ダメかと思ったが、なかなか気のいい男はのようだ。
「すきっ腹に詰めすぎると、腹くだすぞ」
と忠告までしてくれる。
私は礼を言ってそれらを余すことなくたいらげた。
腹は圧迫されるその息苦しさに満足している気がする。
「今のうちに、もう少し寝させていただきます」
「そうしな。明日からの寝床は硬いぜ」
そう言って男も部屋から出ていく。
ガタンと、扉の鍵が落とされる音がした。
部屋の中に静寂が訪れる。
高い格子窓から、緩やかな日の光と微かな人々の喧騒が聞こえてきた。
できれば観光でもしたいのだが、その前にこれからどうすべきかを考えてなければならない。
「身体活性」
法術を唱え、身体機能を強化する。
腹に詰め込まれた燃料が、体の中で次々とエネルギーに変えられてゆく。
それが血に乗り身体中を巡り、私の体を少しずつ再生させていく。
上昇した体温に、額から汗が一筋こぼれた。
これなら一晩眠れば、そこそこの体力を取り戻せるかもしれない。
活発に動き始めた体とは逆に、法術をひとつ唱えて私は意識を黙らせた。




