桜咲く少し前 01
「絵が上手ね。うちの部に入らない? イラストを描いてほしいの」
「え? 何のことですか」 と、ぼくは聞いた。
春休み、朝日山公園で絵を描いていたら突然話しかけられた。
ぼくはそのとき、まだ咲いていない桜の木をもうすぐ描き終えるところだった。ベンチに座って描いていたら、スケッチブックに影が入った。太陽に雲がかかった様でもないし、何かなと思って顔を上げたら、中学校の制服を着た女の人が、僕の絵をのぞきこんでいたのだ。
その人は、ぼくが顔を上げたのにも気付かないで、じっと絵を見続けていた。
ぼくは、描いていた桜の木の前に人が立たれると続きが描けないので、しばらくボゥっとしていた。ネコがニャアとよってくる。
話しかけるにしても、どう言えばいいのか分からない。
「こんにちは、いいお天気ですね」 とか?
「なに、人の絵を勝手に見ているんですか」 とか?
それとも、「桜の絵が好きなんですか?」 がいいかな。
どうも、自分の絵をこんなにもじっくりと見られたことがないので、どう反応していいのか分からない。
でも、何か言った方がいいかな。けっこう時間たっているしなあ、今さら言うのもなんかおかしいかな。
と、ぼくが、うんうん考えていると、その女の人はようやく顔をあげた。
「続きは描かないの?」
「あ、まあ。そうですね」 良く分からない返事をしてしまった。
「ああ、わたしで見えないのね? ごめんなさい」 そう言うと、ぼくのとなりに座った。
そして、一行目の質問をされた。
「湖宮中に今年入るのよね? それで、うちの部に入ってほしいの」
「いいえ、ぼくはまだ、湖宮小五年生です。今年の四月から六年生になるんです」 ぼくがそう言うと、その人は目を丸くした。意外だったのかな。ぼく、小学三年生にまちがわれたことはあるけど、中学生ははじめてだ。
「そうなの。残念ね……。……ええ、でも、いいでしょう。わたしも今年二年生になるから、あなたが湖宮中にあがるとき、わたしは三年生ね」
「そうなりますね」 ぼくはうなずく。
「お兄ちゃん? どうしたの」 ぼくの妹が、ブランコからぼくの所へ来て言った。今年小学生に入るから、まだ幼稚園を卒園したばかりで、とってもかわいいんだ。
「名前は? なんていうの」 ニッコリとほほえみながら言うその人の名前を、ぼくは知らない。「人の名前を聞く前に、自分の名前を言う」 という、おなじみの言葉が、ぼくの頭の中をかけめぐる。
「『ゆい』っていいます。あのね、お兄ちゃんと同じ字に、こう書いて『ゆい』です」 結衣が地面に木の枝で『衣』と書く。
「お姉ちゃんの名前は、なんてゆうの?」
「わたしは、竹内光です。植物の『竹』に、内側の『内』。『光』はピカッと光るやつ」 竹内さんは、結衣から木の棒を受け取ると、地面に『竹内光』と書いた。
「たけうちひかり……。なんか、かぐや姫みたい」 結衣は、ニコニコ笑ってブランコの方へ走っていった。
「結衣ちゃんのお兄ちゃん。あなたの名前は?」
「佐沼結人です。佐藤さんの『佐』に、さんずいの『沼』。妹と同じ字に、人間の『人』」 ぼくは、竹内さんから木の棒を渡されたので、スケッチブックを横に置いて、地面に『佐沼結人』と書いた。
「これで、結衣ちゃんの『結』って字が分かったわ」 竹内さんはニコッと笑った。何がおかしいのか最初は良く分からなかったけど。
「……あ、そうか」やっと分かった。
妹は、竹内さんがぼくの名前を知っているんだと思って、ぼくの名前を説明に使い、ぼくも、妹が自分の名前を説明したから、ぼくは妹の名前を説明に使ったんだ。でも結局『結』の字は、ぼくが地面に書くまで、どちらとも説明してなかったんだ。
「なるほどね」 ぼくも少し笑った。
「ところで、来年の話になるのだけれど、うちの部に入ってくれるかしら?」
「その部って、美術部ですか? ぼく、中学に入ったら美術部に入りたいと思っているんです」
竹内さんはほほえんだ。よかった……。
「今、部員が四人しかいないの」
「へえ、それは少ないですね」 おかしいな。湖宮中美術部は、部員の数が多くて活動が盛んだって聞いたことがあるけど。
「三年生が二人で、二年生がわたしと、もう一人しかいないのよ。今年、三年が引退したら、二人だけになるから、部存続の危機なのよね。だから、新一年生を私ともう一人で勧誘して、いろいろ呼びかけているの」
「そうなんですか。では、必ず入りますね。一年後になるけど、部がなくなっては、ぼくが困ります」 やっと、竹内さんが、なんでぼくに、話しかけてきたのかが分かった。
「ええ、よろしくね」
「はい」




