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破談を頼まれた身代わり見合いで、縁談嫌いの辺境伯と秘密の同盟を結びました  作者: あずきまんま


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第1話_身代わりの馬車と不機嫌な見合い相手

初夏の柔らかな陽射しが木々の葉を透かし、王都の北郊に広がる白樺湖の水面を銀色に煌めかせていた。湖岸に沿った白砂の道を走る馬車の中で、クレア・ミルトンは慣れない薄桃色のドレスの襟元をそっと押さえ、小さく息を吐いた。


本来であれば、この馬車に乗って見合いの席へ向かうはずだったのは、クレアではなく二つ年上の姉、ディアナ・ミルトンだった。今朝、王都のミルトン男爵邸を出発する直前まで、クレア自身も自分が湖畔の別荘へ行くことになるとは夢にも思っていなかったのだ。


『いいこと、クレア。あなたは今日一日、長女のディアナとして白樺館へ行ってきなさい。ただし、お見合いをまとめてきては駄目よ。相手のオルコット辺境伯から「こんな娘はごめんだ」と断られるように仕向けてくるのよ!』


出発の一時間前、自室の化粧台の前で羽根扇を揺らしながら言い放った姉ディアナの甲高い声が、まだ耳の奥に残っている。


今回のお見合い相手であるレオンハルト・オルコット辺境伯は、王国北方の広大な領地を治める二十四歳の若き当主だった。先月、王都の社交界で絶大な発言力を持つ彼の伯母、マチルダ・フォン・ベルク侯爵大夫人からミルトン男爵家へじきじきに見合いの打診が寄せられた時、両親は「大夫人の覚えがめでたくなれば、うちの商会への融資も引き出せる」と大喜びしていた。


ところが、社交界の華やかな夜会と流行のドレスを何より愛する姉のディアナは、相手が「北方の辺境を治める無骨で愛想のない武人」だという噂を聞くやいなや、露骨に顔をしかめたのだ。


『雪深い北の田舎領主のところへ嫁ぐなんて、私には絶対に無理だわ! でも、こちらから見合いを辞退すれば仲人のマチルダ大夫人のご機嫌を損ねてしまうでしょう? だからクレアが私の代わりに別荘へ行って、相手の辺境伯の方から破談を申し出るように仕向けてきなさい。そうすれば、ミルトン家の顔も立つし、私も王都に残れるわ』


母のソフィアも姉の言い分にすっかり賛同し、「お前は普段から地味で愛想がないのだから、少し頓珍漢な受け答えでもしていれば、気難しい辺境伯ならすぐに愛想を尽かすはずよ」と、ディアナの古いドレスを無理やりクレアに着せて馬車へと押し込んだのである。


「……相手の方から断るように仕向けるなんて、口で言うほど簡単ではないわよね」


クレアは揺れる馬車の窓から、白い幹が美しい白樺の並木道を見つめた。普段は屋敷の裏庭で花やハーブの世話をしたり、家計の帳簿を手伝ったりして静かに過ごしているクレアにとって、初対面の男性にわざと嫌われるような振る舞いをするなど、考えただけでも胸が痛む役回りだった。


やがて馬車は高い鉄柵の門を抜け、湖に突き出すような小高い丘の上に建つ瀟洒な石造りの別荘――『白樺館』の車寄せへと滑り込んだ。


出迎えてくれた白髪の老執事に案内され、クレアは緊張で少し硬くなった足取りで館の中へと足を踏み入れた。磨き上げられた木の床と、湖からの涼やかな風が吹き抜ける回廊を通り、一階の奥にある大きな硝子窓の応接室へと通される。


「オルコット辺境伯様。ミルトン男爵家のご令嬢がお見えになりました」


執事が扉を開けて告げると、窓辺に立って湖を見つめていた長身の青年が、ゆっくりとこちらを振り返った。


年の頃は二十代半ば。飾り気のない濃紺のフロックコートを端正に着こなし、引き締まった体躯からは武人らしい揺るぎない落ち着きが感じられた。短く整えられた黒髪の下には、彫りの深い精悍な顔立ちと、どこか冬の陽光を思わせる澄んだ琥珀色の瞳がある。


ただ、その眉間には深い皺が刻まれており、誰が見ても分かるほどあからさまに不機嫌そうな空気を纏っていた。


「……遠いところをわざわざご足労いただいたな。レオンハルト・オルコットだ。掛けたまえ」


低くよく通る声だったが、そこには歓迎の響きは微塵もなかった。クレアが促されるままにソファへ腰を下ろすと、レオンハルトは向かいのソファに深く背を預け、長い脚を組んで腕を組んだ。


執事が紅茶のカップを並べて静かに退室し、扉が閉まると、室内には湖のさざ波の音だけが微かに響いた。


(噂では粗野で怖い方だと聞いていたけれど……実際にお目にかかると、ただひどくお疲れのように見えるわ)


クレアが控えめに相手の表情を窺っていると、レオンハルトは紅茶に手をつけようともせず、重々しい口調で切り出した。


「時間を無駄にするのは互いに本意ではないだろうから、単刀直入に言っておく。俺は王都の華やかな社交界も、毎晩のように開かれる夜会も好きではない。我がオルコット辺境伯領は王都から馬車で十日もかかる北の果てにあり、冬になれば見渡す限り雪に閉ざされる厳しい土地だ。流行のドレスを着飾って踊るような場所は一つもないし、俺自身、気の利いた世辞を言うような性格でもない」


レオンハルトはまるで、あらかじめ用意していた台詞を一気に読み上げるかのように言葉を並べ、厳しい眼差しをクレアへ向けた。


「王都で華やかに暮らしてきたご令嬢にとって、俺のような無骨な田舎領主との結婚など、退屈で窮屈なだけのものになるはずだ。どうだろう、今の話を聞いて、少しは考え直す気になったか」


その言葉を聞いた瞬間、クレアは思わず目を瞬かせた。


普通の令嬢なら「なんて無礼な方かしら」と憤慨する場面なのかもしれない。けれど、今朝からずっと「どうやって相手に嫌われようか」と悩んでいたクレアには、彼の言葉の裏にある意図が手に取るように分かったのだ。


わざわざ自分の領地の不便さや自分の不愛想さを強調し、最後の「考え直す気になったか」という誘導尋問のような問いかけ。それは紛れもなく、クレアの方から「そのような場所へは嫁げません」と断りの言葉を引き出そうとするためのものだった。


(この方も、私と同じだわ……。伯母様の手前、自分からは見合いを断れないから、私の方から断らせようと必死に悪役を演じていらっしゃるのだわ)


そう気づいた途端、クレアの胸の奥で、彼に対して嘘をつき続けることへのためらいが大きく膨らんだ。こんなふうに不器用なやり方でしか見合いを避けられない真面目な人を、偽名で騙して傷つけるような真似はしたくない。


クレアは背筋を伸ばし、膝の上で両手をぎゅっと握りしめると、ソファから立ち上がって深く頭を下げた。


「あの……オルコット辺境伯様。お話を遮るようで大変申し訳ございませんが、ひとつだけ、最初にお詫びしなければならないことがございます」


「お詫びだと? 何だ、急に」


レオンハルトが訝しげに眉をひそめる前で、クレアは顔を上げ、真っ直ぐに彼の琥珀色の瞳を見つめた。


「私は、見合い状にあった長女のディアナ・ミルトンではございません。二つ年下の次女、クレア・ミルトンと申します。……実は今朝、王都を離れたくない姉から『身代わりとして別荘へ行き、辺境伯様の方から破談を申し出るように仕向けてきなさい』と頼まれてここへ参りました」


一瞬、応接室の空気がピタリと凍りついた。


レオンハルトは組んでいた腕を解き、信じられないものを見るように目を見開いてクレアを見つめた。クレアは心臓が早鐘を打つのを感じながらも、目を逸らさずに言葉を続けた。


「ですが、今のお話を伺って、辺境伯様もこのお見合いを望んでいらっしゃらないのだと分かりました。お互いに望まない縁談のために、あなたに偽りの名前を名乗って嫌われようとするのは、あまりにも不誠実だと思いましたので……正直にお話しいたしました。身代わりで参りました無礼は、どのようなお叱りでもお受けいたします」


再び深く頭を下げたクレアの頭上で、数秒間の長い沈黙が流れた。怒鳴られるか、あるいは今すぐ屋敷からつまみ出されるか――クレアが覚悟を決めて肩を強張らせた、その時だった。


「……ふっ、ははははっ!」


頭上から響いてきたのは、怒声ではなく、腹の底から込み上げてきたような朗らかな笑い声だった。


クレアが驚いて顔を上げると、レオンハルトは片手で額を押さえながら、先ほどまでの仏頂面が嘘のように目尻を和らげて笑っていた。その笑顔は驚くほど若々しく、室内の空気を一変させるような爽やかさに満ちていた。


「いや、すまない。まさか見合いの開始早々に、相手の方から『破談にするために身代わりで来ました』と白状されるとは思わなかった。……まいったな、俺の威嚇がそんなに分かりやすかったか?」


「え、ええと……少しだけ、一生懸命に嫌われようとしていらっしゃるのが伝わってまいりましたので」


クレアが恐縮しながら答えると、レオンハルトは苦笑いを浮かべてソファへ座り直した。そして、どこか感心したような優しい眼差しでクレアを見つめた。


「普通なら、そのまま姉の名を騙って適当に無礼な態度を取り、俺を怒らせて帰る方がずっと楽だったはずだ。それなのに、初対面の俺に対して不誠実になりたくないという理由で、自分の立場が悪くなるかもしれない事実を正直に打ち明けたのか」


「お姉様に頼まれたとはいえ、嘘をついたままお話しするのは心苦しかったですから……。お気を悪くされましたでしょうか」


「まさか。むしろ、ここ数年で出会った王都の誰よりも潔くて気に入ったよ、クレア嬢」


レオンハルトは少し考え込むように視線を巡らせたあと、身を乗り出してクレアに提案を持ちかけた。


「そこで相談がある。実は仲人である俺の伯母、マチルダ大夫人が、今日の夕方にこの白樺館へ様子を見に来ることになっている。もし今すぐ君を馬車で帰せば、伯母上は必ず不審に思ってミルトン男爵家を問い詰めるだろう。そうなれば、身代わりを押し付けられた君が家で責められることになりかねない。伯母上の顔を潰したくなくて君の方から断らせようとしていたが、君が責められるくらいなら、伯母上の小言は俺が引き受ける」


「あ……それは、確かにそうかもしれません」


「だから、夕方に伯母上が到着するまでの数時間、俺とここで『見合いが順調に進んでいるふり』をしないか。そして伯母上が来たら、俺の方から『クレア嬢は非常に聡明で素晴らしい女性だったが、俺がまだ結婚に踏み切れないため、今回の縁談は辞退させていただきたい』と円満に断りを入れる。そうすれば、君の家への融資話も壊れず、君が姉君たちに叱られることもない」


クレアは目を見開いた。それは、クレアの立場を何ひとつ損なわないように配慮された、これ以上ないほどありがたい提案だった。


「お互いの平和を守るための、今日一日だけの『秘密の同盟』だ。どうだろう、クレア嬢。俺と手を組んでくれないか?」


差し出されたレオンハルトの大きな手と、いたずらっぽく輝く琥珀色の瞳を見つめ、クレアの胸の奥に温かい光が灯った。クレアは小さく微笑むと、その手に自分の手をそっと重ねて頷いたのだった。


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