57
◇◇
もし任務の途中で依頼人がピンチに陥ったらどうするか。
答えは簡単。だって依頼人が死んだら、任務を遂行しても報酬がもらえないんだぜ。だから任務よりも依頼人の方が大事だ。何がなんでもその場から逃がせ――。
クロードはそう教えてくれた。
いつだって彼の口からは真実しか語られなかった。虚飾と欺瞞で溢れかえったこの世界で、唯一信じられるものは彼の言葉だけだった。
それなのに……。
――おい、クロード。アンナはどこだ? ヤツも敵に顔を見られたんだろ? 早くヤツの居場所を吐け!
――さあな。女の居場所なんか俺が知るかよ。もっとも……もし知っていたとしてもてめえみたいなクソに教える筋合いはないがな。
――きさまぁぁぁぁ!!
なぜあなたはあの時、真実を言わなかったの?
どうして痛みつけられるのを知っていて、私みたいな世の中で必要とされていない女を助けたの?
私はその答えを聞きたいの――。
赤毛の女……リゼットとか言ったわね。彼女が魔法でミクロタランチュラを一掃して、ご主人様の背中に手のひらを向けた。
「ご主人様、逃げて!」
「行かせない!!」
リゼットが火球を放つ。
火の魔法。しかも最上級ね。当たった瞬間に丸焦げになるくらいの火力だ。
あの女……本気で自分の国の王女を殺すつもりなのね。とんだ不忠者だわ。
けどご主人様は私の想像の斜め上をいった。
――バシィィッ!
なんと片手で火球を吹っ飛ばしたのだ。
「ちっ……。そう言えば魔法が効かないのをすっかり忘れてた」
すごい……。魔法が効かない人なんて初めて見た。
「いいから名前を教えなさい!」
ご主人様が私に向かって叫ぶ。
すっごいピンチなのに、私が答えるまで部屋を出て行かないって雰囲気ね。
でも依頼人をむざむざ死なせたらクロードに笑われる。
「アンナ! アンナ・ゾーン!!」
思わず2回も叫んじゃった。
ご主人様は満足そうに微笑んでいる。すごく可愛らしい笑顔。もし私が男だったら、完全にイチコロだわ。
「アンナね。ありがとう」
えっ……!?
今「ありがと」って言った?
お礼を言われたの? 私……。
キャアアア!! ご主人様、大好き!
お礼を言われたのはクロードに次いで二人目だもん!
嬉しい! 嬉しい!
もう死んじゃいそう!!
ご主人様とメアリーが出ていった。ドアを背にしたところに降り立つ。
「そこをどきなさい」
「嫌」
「そう……。なら排除するしかないわね」
赤毛の女が長剣を抜く。
剣も魔法も使えるってわけか。イマドキの女子にしては珍しいタイプね。
だって普通はどっちも使えないでしょ。
でも想定内。さあ、これからはじまるのね。
久々の殺し合いが――。
◇◇
久々の殺し合い、なんて、ワクワクしちゃったけど、大きな勘違いだったみたい。
だって一方的すぎるんだもん――。
「くっ!」
赤毛の女が放った氷の魔法が顔の真横を通り過ぎていく。頬に傷ができたみたいだけど気にしている場合ではない。
もっと言えばビリビリに破けた服も、体のあちこちにできたかすり傷から流れる血も、気にしちゃダメ。だって、ちょっとでも足を止めれば、たちまち彼女の剣の間合いに入ってしまうのだから……。
「ふふ。威勢が良かった割には逃げてばかりね。つまらないわ」
あーあ、まいったな……。こんなに強いなんて聞いてない。いや、戦う前から「私って強いのよ」なんて言うバカがいたら、それこそ弱っちいヤツに決まってるよね。
虫もことごとくやられちゃったし、天井に逃げようにもインビジブル・ワイヤーを引っかけるシャンデリアは床で粉々になっている。
せめてもの救いは部屋が無駄に広いことね。逃げ回るにはもってこいだけど、そろそろ足が限界だし、心臓は破裂しそうなほどバクバクいってるし。
一言で言えば、最悪だわ。
「そろそろ王宮から応援が来る頃なのよ。それまでには全て終わらせておきたいの。あきらめてくれないかしら?」
「あきらめる?」
「ふふ。別にあなたみたいな小物に興味はないの。だからここで大人しくしていてくれれば、命までは取らない。どう? いい条件だと思うけど」
それってご主人様を売れってことよね?
「バカ言うな。私はあんたを殺す」
「はぁ……。これだから黒髪って嫌いなのよ」
「どういう意味?」
「ここにいた執事……あ、今は騎士だったわね。その男もあんたと同じ黒髪だったの。頑固で、自己中で、自分の欲望のためなら何でもしたわ」
「欲望……」
ドクンと胸が高鳴る……。
黒髪で、自分の欲望に忠実な男って……。まさか……。
「寝る事しか興味のない男だったわ……」
「クロード!!」
思わず大声で叫んじゃった!
だって、だって……。彼がここにいただなんて……!!
「あ、そう言えば思い出したわ。あなた。クロードに会いたいって言ってたわよね? もしかしてあなたがアンナ? 漆黒の死神の片割れ?」
漆黒の死神ってあだ名、私好きじゃないのよね。
だってダサくない?
私たちのニックネームはそうね……。クワガタ・カップルとかどうかな?
クワガタってね、オスとメスが仲良しなのよ。
「だったら何?」
「見逃すつもりだったけど、やっぱりやめとくわ。王宮に敵国の暗殺者を置いておくわけにはいかないもの」
赤毛の女の目つきがさらに鋭くなる。
もしかして、今まで本気じゃなかったってこと?
本格的にマズいわね。私に残された虫は唇の裏にいるセンコウホタル1匹だけ。強烈に光って敵の目を一瞬だけくらませることができる。
――俺が口笛を吹いたら、そいつを敵に向かって放つんだ。敵の視界がふさがれている間に俺が何とかするから。
――でもクロードの目もやられる。
――問題ない。俺には『耳』がある。
懐かしいな。結局は一度もこの作戦を使ったことはなかったけど。
今は使えるかって?
無理、無理。私の目もやられるし、効果は一瞬だけだし。
私一人で逃げ切れる自信はない。
「言っておくけど助けはこないわよ。覚悟しなさい」
そんなのはじめから期待してないし。
おとぎ話で王子様が可哀そうなお姫様を助ける、みたいな話は超絶嫌いだったし。
あと、覚悟ってなに?
死ぬのを覚悟しろってこと?
これまでたくさん人の死を見てきたけど、誰一人としていなかったわよ。
目の前のヤツに殺されるのを覚悟した人なんて。
「嫌よ。あんたがここを出ていきなよ。お呼びでないから」
「ふふ。断るわ。だからせめて一思いにやってあげる」
あーあ、ダメだこりゃ。
惜しかったなぁ。もうあとちょっとでクロードに会えたはずなのに……。
せめてご主人様が無事だといいんだけどな。その望みも薄そう。
だったら私は何のためにここで頑張ってたのかしら?
ははっ……。でも今まで何かに頑張って報われたことなんて一度もなかったし。
今回も似たようなものか。
「死になさい」
赤毛の女が突進してくる。
あと数秒で私は死ぬ。
私って何のために生まれてきたのかな。
あーあ、最悪だよ。ほんとに……。
――あんま難しく考えるな。生きてりゃいいことあるさ。
いいことか……。最後の最後に「ありがと」ってご主人様に言ってもらえたから、それでいいかな。うん、誰かに感謝されただけでも、良しとしよう――。
……とその時。
「ヒュゥゥゥゥッ!!」
ドアの向こうから高音が聞こえてきた気がしたのだ。
「口笛!?」
幻聴かもしれない。それでも無意識に口からセンコウホタルを吐き出す。
――カッ!!
部屋の中が真っ白になる。
やばっ。眩しすぎ。目を開けてらんない。
「悪あがきね」
赤毛の女のつぶやく声が聞こえてきた。
ほんとそう。自分でもそう思う。口笛なんて聞こえるわけがない。幻聴に決まってる。
でも……。
ほんの少しだけ信じてるんだ。
――大丈夫だ。俺が助けてやる。
彼は……クロードは真実しか言わないから――。
――バンッ!
ドアの開く音。
「くっ……!」
赤毛の女のうめき声。
――ドサッ……。
誰かが倒れる音……。
でも私じゃない……。
「よくやったな。アンナ――」
目をつむったままでも分かるよ。
私をぎゅっと抱きしめるその腕も、胸板も、耳元にかかる息も。
全部が全部、私の会いたかった人……クロード・レッドフォックスだって――。




