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1章3話 Deus non facit alea ludere

鈍色の雲におおわれた空。

長時間降り注ぐ酸性雨。

見渡す限りの瓦礫の山、そして----

地面に転がるたくさんの人、人、人、人。

彼女が生まれた時には既に、日本のみならず世界中が似たような光景で埋め尽くされていた。

戦争が、あった。

極東の小さな島国で巻き起こった戦争の嵐は瞬く間に全世界を巻き込んだ。

高度に進化した知能がこの星を滅ぼすのは、地球の、いや、人類の歴史の尺で見ても本当に一瞬の出来事だった。

現生人類の誇る英知の結晶は瞬く間に自らの種族の3分の2を死滅させ、残された人類は汚染されていない僅かな食料や水を奪い、殺し合って生きてきた。

強いものが奪い、弱いものは奪われる。一部の汚染が比較的マシな地域では平和な共同体がきずかれる事もあったそうだが、それも永くは持たなかった。

人類の緩やかな滅亡。

それが彼女の世界だった。

両親曰く、両親が彼女くらいの年の頃は今とはまったく違っていたらしい。

青い空が広がり、雨はそこまで有害でなくて、道には瓦礫はひとつも落ちていなかった。

一般人の多くは死体など人生で数回しか見なかったというのだから驚きだ。

全く想像のつかない世界だった。

幼い彼女にとっては、今目に見える世界が全てであり、両親の語る世界など存在しないに等しかった。

しかし、懐かしそうに平和だった頃のことを語る両親の顔が、あまりにも悲しそうに見えて。

その時彼女は決意したのだった、両親にまた、青い空を見せると。

-----

「…夢、見てたのかな。」

目が覚めたのは朝7時頃だった。

私が見知らぬ場所で目覚め、親切な大学生…滝川大和に拾われてから2週間がたち、少しは生活に慣れてきた頃だ。

何かとても、切ない夢を見ていた気がする。

「…」

ここ数日間、ゆっくり眠れるようになってからそのような夢が増えた。といっても、夢の内容までははっきりと覚えていられないのだが。

大きく伸びをすると、枕元にあるノートを手に取り、パラパラとめくって行く。

5日ほど前、大和に頼んで買ってもらったものだ。

日記帳である。記憶を無くした私にとって何時また記憶をなくしてしまうかもしれないという不安は常についてまわるものだった。

自分が何者かもわからないというのは想像以上に心細い。自分が今までどうやって生きてきたのか、何を頼って生きてきたのか、これから何を頼るべきなのか、それが分からないのだ。

まるで突然足場のない暗闇に投げ出されたかのような気分だった。

そんな私にとってこの日記帳は数少ない支えとなるものだった。少なくともこうして日々の些細なことを事細かに書き留めていれば、また記憶を失ったとしても多少はマシだ。そういった程度のものではあっても、私にとっては大切な習慣になっていた。

「…あれ?」

1番新しいページを開き、手が止まる。

日記の一番新しいページ、白紙のはずのそのページに見覚えのない文章が書き込まれていた。

「…寝惚けて書いたのかな?」

しかし、その文章は私自身にさえも読めない言語で記されていた。

「なんて読むんだろう…?」

"Deus non facit alea ludere"

どこかで読んだことがある気もする。

そして、私には直感でそれがとても重要な意味を持つ文章である事が分かった。

「絶対に、どこかで読んだことがある。」

文章を見つめるうちにそれは何となく、から根拠の無い確信に変わっていた。しかし、それがなんなのか一向に思い出すことが出来ない。

「…もどかしいな。」

このもどかしさはここ数日間で何度かあった。

ふとしたものを見て、以前に見た事があると感じる。

既視感といえばそこまでなのかも知れないが、記憶喪失の私にとってそれは自分が何者かを辿る大切な手がかりになるかもしれないものだった。

それ故に、既視感の正体がわからないのがもどかしい。

「大和なら読めるのかな?」

大和は国立大に通ってるだけあって、博識だ。もしかしたらこの文字列も読めるのかもしれない。

彼が起きたら聞いてみよう。

そんなはずは無いが、消えてしまうと困ると思った私は念の為、日記の次のページに同じ文章を書き写しておいた。

そしてまたパラパラと日記帳をめくって、ここ2週間の記録を読み返す。日記帳を手に入れる以前のことも思い出せる限り細かに書いていた。

そしてあるページで手を止める、8月4日、彼女が大和に拾われて3日目の出来事だ。

-----

その日、私は大和と共に彼の通う電気通信大学へと向かっていた。

前日にテレビで見た巨大な機械、あれを直接見に行くためだ。

テレビで見た限りでは、目覚めた時に傍らにあった機械と酷似しているように思えたが、覚醒直後の記憶は曖昧で正確とは言えない部分も多々あった。

それに、そこに行けばなんらかの手がかりが見つかるかもしれない。

そういう事で早速現地へと確かめに向かったわけだ。

「しっかし、本当に灯台もと暗しとはよく言ったもんだよなあ。」

そう呟くのは大和だ。

「まさか、真里奈の目覚めた場所が俺の通ってる大学なんてなあ、偶然っていうのはあるんだな。」

本当に偶然…だろうか。私には、1連の出来事は偶然とは思えなかった。

だって、あまりによく出来すぎている。それに…

「…どうした?」

声をかけられて驚いた。

「えっ!…何が?」

「いや、なんか考え込んでたみたいだから…でも、そりゃ考え込みたくもなるよな、自分の身元がかかってるわけだし。」

彼は1人で納得して頷く。

「そ、そうだね。うん、そうなの。」

慌てて誤魔化す。

そんなはずはないけど、考えている事が顔に出てないかついきにしてしまう。

だって、有り得ないのだ、私の考えていることは。

彼とは初対面だし、そもそも私は記憶喪失だ。

だから有り得ない、有り得ないはずなのに初対面の時の印象が…正確には自己紹介を受けた時の印象がその考えを確信めいたものへと至らせる。

「滝川 大和」…私はその名前を『知っていた』。

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