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明末の麒麟児  作者: sawami
第2章
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凋落のとき

崇楨17(1644)年 

 北京に激震が走った。李自成の大軍が、ついに北伐と称して北京に侵攻を開始したのだ。

 その知らせは、衝撃の波となって、北京の都市内を駆け巡った。人々の顔には、恐怖と不安が色濃く映し出されている。

 崇禎帝は、必死に抵抗を試みた。しかし、送られた軍勢は次々と李自成軍に降伏し、北京の守備は手薄になっていった。皇帝は私財を投げ出し、外戚から無理やり資金を調達して兵士の給与を確保しようと躍起になったが、将校たちの横領によって、兵士たちは満足な給料を受け取ることが出来なかった。資金も、李自成軍の猛攻を防ぐには、到底足りなかった。

 北京の守備兵は逃げ出し、宦官までもが兵役に駆り出される有様だった。御前会議は何度も開かれたが、有効な策は何も出てこなかった。むしろ、李自成の軍勢は各地の都市や町を、ほとんど抵抗を受けることなく制圧していった。降伏と、物資の提供が相次いだ。

 三月十六日、李自成軍の先鋒隊が北京に到着。翌日には、北京城は完全に包囲された。そして、その翌日、李自成は使者を朝廷に派遣した。その使者から伝えられた言葉は、崇禎帝を激怒させた。

 『この国の動乱は、陛下の奸臣たちが招いたものだ。我々は明を救おうとしたが、もはや命運は尽きた。陛下には、自刃していただくことを望む。』

 この内容に崇楨帝は怒髪天の勢いで激昂し使者を追い返したが、もはやどうすることもできなかった。

 次の日、ついに北京へなだれ込んできた。宦官の内通により、李自成軍は北京の外城に流れ込んだのだ。

 北京は皇帝が政務をとる内城と市街を囲む外城にわかれており市街に住む人々が大きな被害にあった。その様子を崇楨帝と王承恩と共に内城である紫禁城にある景山という北京の全域を一望できる山からその様子を見ていた。崇楨帝は市街地から黒い煙が上がるのを見て、

 「わが民を苦しめるな」

 と呟きそれを聞いた王承恩は苦痛な面持ちで顔を上げられなかった。景山から降りた崇楨帝は内城に戻り宮城(皇帝の生活居住空間)周皇后ら妾妻たちがは別れの杯を酌み交わし自ら首を吊らせ死を賜った。朱慈煥以外の二人の皇子らを逃がした。

 ちなみに朱慈煥に関しては今だ寺で療養しているものと思っているのでもはや死から逃れられないだろうと考えていた。

 その後、娘三人を敵に辱しめられないよう泣きながら斬り伏せた。長女は生き残ったが下の二人は亡くなった。

 2日後ついに李自成軍が内城に入っていた。崇楨帝は再び景山に登りその様子を見た後皇寿亭を最期の場所に選び首を括って自害した。享年34歳だった。その後王承恩は後を追った。

 一週間後、済寧にて北京陥落の知らせが広がった。

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― 新着の感想 ―
この詰んでいる状態からの巻き返しがどうなるか、とても楽しみです!
田秀英は1642年11月あたりに死んでいるので、この時期に生きているのはあり得ないです。
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