一筋の光
「それはできぬ」
低い声は地を這う。怒りの滲んだ声に、一瞬私は怯む。
「……ルシファー様は、人間界から戻り、そなたたちの命が脅かされたことを知って怒り狂い、この世界に悪魔を押し留め、閉じ込めようと考えたのだ」
「……ルシファーが……?」
「しかし、たとえサタナキアたちを言いくるめ、この魔界に連れ帰ったとしても、悪魔を全てここに閉じ込めるには結界を強固に、ーー誰にも破られないようにするしかない……」
「それは……どういう……」
結界は、魔王でしか破られない。
結界を強固にするということは、もしかして……。
血の気が引いていく。
そんな選択は許せない。
「ふん、物わかりは悪くないようだな。そうだ、ルシファー様は、ご自身を消滅させようとお考えになったのだ……」
口元を覆い、競り上がる吐き気を抑えた。
私がルシファーの言うとおり、うまく立ち回っていれば、こんなことにはならなかったのに。
「眠らせるより、手はなかった。だから、私は……」
「あ、ありがとう……」
その場に座り込む。ルシファーが生きていることが、純粋に嬉しい。
「やっぱり、あなたは、悪い悪魔なんかじゃない」
「ーーーー簡単に言ってくれる」
困ったように眉根を寄せて、フラウロスはため息をついた。
「そなたは……アンナに似ているな……」
フラウロスの呟きに、私はできるだけ笑顔で答えた。
「だったら、嬉しい」
フラウロスは、少し照れたような表情を浮かべて、そっと視線を逸らせた。
「……とにかく、ルシファー様を目覚めさせるには、そなたたちの安全が確保され、尚且つ悪魔をこの世界に留める方法を考えなくてはならん……」
「そんな方法、あるの……?」
「なければ、ルシファー様は永遠にあのままだ」
「そんな……」
永遠という言葉に凍りついた。
この世界で永遠は、確かに存在する。
人間の感覚とは違う、永遠をまざまざと感じて身を縮こませた。そんな孤独に、ルシファーをこれ以上さらしたくない。
眠っていれば、何も感じないのか……今はそれを祈る。痛みも、恐怖も、何も感じない、ただの眠りであることを。
「悪魔をこの世界に留める……世界を二つに分ける……?」
「そうだ。もう金輪際行き来のできないようにする」
「……あの人間の村は……?」
「あの人数を移動させるのは無理だ。この世界に朽ち果てるまで留まってもらう」
「……ダメだよ。みんな帰りを待ってる」
「ーーあちらの世界にいる悪魔だって同じだ。不自由に暮らすなら、こちらで同胞とともに過ごすべきだろう」
フラウロスの冷たい目の奥を覗き込む。揺るがない強固な眼差しは、それしか解決策はないと、決め込んでいる。
「白か黒しかないなんて、無茶苦茶だわ」
「まさか共存など、甘っちょろいことを……」
「どうして? あなたはそれをやろうともしてない。私、いつも子供たちに言ってるんだけど、なんでもやってみなさい、失敗したっていいから、って」
言ってから、ふと我に返る。
子ども達のチャレンジを、型どおりに毎度応援しているくせに、私自身はそんなふうに思えていなかったことに気づく。失敗は怖い。いままでの努力すら台無しにしてしまうかもしれない恐怖が、いつだって私に二の足を踏ませていたのに。
「馬鹿な。失敗できる状況ではないだろう」
園長にだって、先輩にだって言えばよかった。
おかしいことはおかしいと、できないことはできないと、言えればよかった。でも、言わなかったのは私だ。言わずに後悔しているのは、私だ。
こんな世界で命をかけることに比べれば、職場追放なんて、怖くもない。
「……何を笑っている」
「ううん。今の私なら、あっちの世界でも全然楽しめるな、って」
「あっちの世界……?」
「みんなも連れて行きたいよ。私の生まれ育ったところに。ふふ、それができたら、面白いと思うけど……」
「ーーなるほど、ルシファー様を転移させるのか、あちらに。考えたこともなかった……」
「え、待って待って」
「一時的に、あちらに転移させればいいのだな」
「え、待って待って、待ってください!」
「魔王の転移など、可能だろうか……器……器が必要だ……」
「本当に、待って!!」
フラウロスの胸を思い切り叩く。
「な、なんだ」
「それは、最終手段にして、ひとまず、共存のために必要なこと、考えてみない?」
「ふん、愚かしい……」
「人間の村に、行くわ。みんなに相談するの」
「……相談? この世界の行く末を、人間に相談するだと?」
「三人寄れば文殊の知恵ってね」
怪訝そうなフラウロスにそう言ってから、はたと思う。
諺なんか出始めたら、とうとうおばさんだな、と遠い空を見上げた。