二人の決意
「おはよう、マリア」
「おはよう」
額に瞼に頬に、順番に降りてくる唇をくすぐったく感じながら受け入れる。隣で目覚めるのにももう慣れて、日課になったキスに、抵抗もなくなった。
「昨日はごめんね、夜中に起こして」
「もう足は痛くないか?」
「うん、大丈夫」
お腹はずいぶんと目立つようになって、せり出したお腹で立つと足元はもう見えない。最近は夜中に足がつって、目が覚める。いやな顔一つせず、つった足を撫でてくれるルシファーは素晴らしい夫だと思う。
「楽しみだな、この子が生まれてくるのが……お! 動いたぞ!」
お腹を撫でていたルシファーが、興奮したように私のお腹にキスをする。最近この子はよく動く。あの感触は、本当になんとも言えない感じで、臓器を押し上げて内側を擦られるあの、奇妙な感触。
「あ〜、こそばゆい〜」
クククと笑いをこらえていると、ルシファーは楽しそうにお腹に耳を当てている。
その無邪気な顔に、お腹に当たるツノが違和感を感じさせる。こんな魔王、いていいのかしら、と。
「生まれたら、私……生贄になるんだよね」
「させるわけないだろう!」
ルシファーの声が大きくて、ビクッと震える。
「大きな声を出してすまない」
悲しそうにルシファーが顔を歪めた。この話はずっとしていなかった。この話題はタブーのようになっていて、幸せな時間が続けば続くほど、言い出せなくなっていた。
ただ、医者の言う予定日も一週間と迫って、いつ生まれてもおかしくない。かなり逼迫した事態になっていた。
覚悟を決めなくてはならないなら、そろそろ知っておきたい。
生まれたこの子を、ルシファーならちゃんと育ててくれる。
できれば、もちろん、3人で暮らしたい。
魔界も、どの世界も、関係ない。
ーーーー貧しくったって、ただ、3人で肩を寄せ合い暮らしていければいい。
「このまま逃げない、ルシファー?」
思わず溢れたセリフに、ルシファーの顔が歪む。
「逃げたい」
その言葉の後ろに隠れた、でも、が聞こえて、私は目を閉じた。
「マリア、泣かないでくれ」
「泣いてなんかない」
わかっている。
彼は、恋人の前に、父親の前に、ーーーー魔王なんだ。
「……この世界を滅ぼすって、言ってたよね」
「あぁ」
あれ以来、この話題には、触れずに来ていた。
「どうするつもりなの?」
「いま、その話をするつもりはない……」
こうやっていつも、ルシファーが誤魔化すから。多分、計画があったんだと思うけれど、きっと私とこんな風になるつもりはなかったんだろう。
「ねぇ、覚えてる? 私に言ったこと」
「共犯者に、なれ……か」
「……あのときルシファーは、言ったよね。捨てられたのは悲しいけれど、逃げてくれてよかったって」
「……そうだ」
「私を、人間界へ逃す気でしょう? ……この子と一緒に。滅ぼすって……、後継者を作らないってこと? だから、……いままで妃を召喚しなかったの?」
母親にも愛されない子どもに縋る世界は滅びてしまえばいい……そう言ったルシファーの表情を、思い出す。あんな顔を、この子にはさせたくない。
「私は、逃げたくない。この子に、そんなこと、言わせたくない」
ルシファーが私の瞳を、その奥まで覗き込むようにして、見つめた。
「……マリア、そなたを苦しめたくない」
「私は、あなた一人で苦しんでほしくない」
彼の手に手のひらを重ねる。冷たい手に、私の体温が移っていく。
「あなたも、この子も、愛してる」
ぐっと抱き寄せられて、目を閉じた。痛いほどの力で彼の気持ちが伝わってくる。
「……後悔させるかもしれない」
「ここで逃げた方が、後悔するよ」
魔王は震える指で私の手をとって、何かに祈るようにその甲に口づけた。
「……マリア、そなたの強さを私に分けてくれ」