迷いの森
真っ暗な森の中は、音だけがやたらと響く。
ホーホーホー。
寂しいフクロウの声。
ジージージー。
虫の羽音。
ビクビクと音に怯えながら、前に進む。
森で迷ったら、どこかで止まって朝を待てっていうけれど、あまりの暗闇に恐怖心しかない。
ここで夜を明かすなんて、考えたくない。
松明で見える範囲を照らしながら、じりじりと進むと、途中で足元の小石を蹴ってしまう。その小石はカンカンと何かにぶつかりながら、下へと落ちていった。その音は、なかなか終わらない。
恐る恐る松明を、もう少し先まで見えるように持ち替えると、人が落ちてしまうほどの大きな亀裂が入っていて、その底は見えない。
その場でしゃがみこんだ。
ここに落ちていたら、命はなかった。
喉が張り付くような、恐怖。声が出ない。
地面を照らして、見つけた大きな木の根元に座り込む。手がガタガタと震えて、松明を持つ手がこわばっている。この火が朝まで持たないのは困る。
木の根元に落ちている小枝をできるだけ拾い集めて、火をつけた。生木にだからか、中々火がつかない。
ざわつく胸を撫でながら、落ち着こうと呼吸を整える。
こんなところに来てしまって、きっと今頃、みんな心配しているだろう。
「……とりあえず、朝までなんとか過ごさなきゃ」
心音が、少しずつ落ち着いてくる。ふと、手帳を思い出して、引き出した。
その革の表紙をゆっくりと撫でる。
こんな状況なのに、空の美しさは何も変わらなくて、漆黒の夜空を見上げた。
「ーーこの暗闇の下、私も魔王も同じ世界にいるんだな」
口に出してみると、なんだか少女漫画のようで照れてしまう。
手帳の中の私は、本当に魔王に恋するのか、自分のはずなのに、まるで空想の物語のようだった。
「マンバは……私に話してくれたのかな、勇者のこと……」
魔界においてきてしまった、この世界の大事な友達を思う。
一緒に来ていれば、ブリトニは父親に会えたんだろうか。
自分の不甲斐なさを、悲しく思う。
あっちの世界でも、自分のできることはとても少なくて、いつも歯がゆい思いをしていた。この世界に来て、なんだかとんでもないことをやろうとしているけど、それでも感じるのは、同じ無力感。
私は、なんてちっぽけな存在なんだろう。
この大きな暗闇に、私一人じゃとてもじゃないけど立ち向かえなくて、ただ不安で、ただただ怖い。
ーーーーバアルを守りたい。
いつも私には、それだけだ。
だったら、時間の許す限り、あの子のそばにずっと一緒にいてあげるのが一番いいことなのかもしれない。
こんな無謀なことなんかしないで、できるだけ逃げ回って、あの子のそばに。
ジワリと涙が浮かんでくるのは、いま、本当に孤独が身にしみているからかもしれなかった。
こんなに何かを守りたいと思ったのは、初めてで、これが母性というものなら、きっと消えてしまった時間に積み重ねたものなんだろう。
失われた時間を、取り戻したくて仕方ない。
どう感じて、私は何を決めたんだろう。
何もかも忘れてしまったくせに、守りたい気持ちだけが私を掻き立てる。
その気持ちの源を、知らずに過ごすのは苦しすぎる。
この夜はとても長そうだ。
パチパチと、木の爆ぜる音をきく。木が焦げて灰になる匂いが、鼻腔をくすぐる。
まだ震える指を慰めながら、ページをめくる。
今夜は、ここに書かれた全てを読むと決めた。
この森に迷ったのは、私が見失った、自分自身を知るためだったに違いない。