魔界の食事
今、この世界で一番恐ろしい悪魔は? と聞かれたら、私だと言われるに違いない。
だって、私は厨房にいる悪魔を怒鳴り散らして、たった一時間程度でこの悲惨な厨房をピカピカに磨き上げさせたんだから。
器具を煮沸消毒して、熱湯で悪魔たちにそこらじゅうを洗うように指示をした。
それから、気持ちの悪い食材は、全部処分させて、腐っていない、新鮮なこの世界の食べ物を集めてくるように命令した。
「マリア様、ーーーーなんて素晴らしい非道ぶりなんでしょう! それでこそ、魔王の妃!」
独裁者のような私を見てナアマがうっとりしている。
「私、すごくお腹が減ってるのよ。さっさとやって! 食材は見つけたの!? 待って! 並べる前に手を洗って! 何度言ってもできないなら、その手を切るわよ!」
たくさん並んでいる包丁の中から、肉切り包丁らしきものを選んで、まな板に突き立てた。
驚く悪魔を睨みつけて、並べられた食材の点検を始める。
「お米が欲しいけど… … 」
並んだ食材は、珍しいものばかりだけれど、時々何かに似ていて、完全な和食は無理でも、似たような何かは作れそうだった。
中でも、知っているよりも少し大きなもみ殻に包まれた、細長くて大豆くらいの大きさの米に似たものをみつけた。つまんでもみ殻を外すと、中からは大きな米粒が現れた。
「これ…タイ米みたいに細長いし、なんだか大きいけど……。よし、やってみよ」
豆米(勝手に命名)のもみ殻を手で剥いて、酒の空瓶と麺棒で玄米のようになった豆米を精米していく。傍で見ている悪魔たちが、怪訝そうにことの成り行きをじっと見つめていた。
悪魔たちは、魔王の妃という理由だけで、わりと大人しくいうことを聞いてくれる。ここまで従順だとそんなに悪い生き物ではない気がして、おっかない外見の悪魔もいるけれど、だんだんと慣れてきている自分に気づく。
悪魔には、アザゼルやナアマのように美しい人型もいれば、あの肖像画の魔王のように羊頭の悪魔もいる。
どうやら、いろんな種類がいるらしい。
「お湯でお粥って作れないよねぇ……はーこれ、冷やせたらいいのに」
綺麗な水が欲しくて沸騰させたけれど、これじゃ豆米は洗えない。
「せっかく温めたのに、冷やすんですか?」
不思議そうな顔でナアマが軽く手を振ると、お湯が凍り始める。
「すごい! ナアマ! でもストップ!」
「……これくらい、簡単です」
少し誇らしげなナアマの肩を叩いて労ってから、鍋を少し火にかける。
水が常温になったのを見て、さっきの豆米(仮)を洗って鍋に放り込む。
この城の近くの海水を煮詰めて、塩を作るのは、ナアマに頼んだ方が早そうだから任せることにする。
きっと加減は効かなそうだから、お粥の鍋は自分で火加減を見ながらお粥ができるのを待つ。
「わ〜、グツグツし始めたね」
「よかった、マリア様、顔色が少し戻りましたね」
「……うん、ありがと」
悪魔に心配されるなんて、不思議な気持ちだけれど、素直に嬉しい。誰も知らない場所に来たけれど、孤独じゃない気がして、少しホッとした。
米が炊けるとき特有のあの匂いが充満する。口の中いっぱいに唾液が湧いてきた。こうなると梅干しが欲しいけど、仕方ない。でも、きっとこの世界にも梅に似たものはあるだろう。
梅干しくらいなら作れそうだ。さっきまで落ち込んでいたけれど、お粥みたいなものが食べられるかもしれないと思うと、段々心が軽くなっていく。
自分でもこんなに食い意地が張ってるとは思わなかった。
私の勤めていた保育園は、季節毎に味噌作りや梅仕事、石鹸づくりなんかもやっているガチの自然派志向の教育方針で、おかげさまで一通りのことはできる。その時期になると面倒な保育園だと思っていたけれど、今となっては感謝しかない。
ジャムやパンなんかも作れるかもしれないなんて、心が弾む。人間にとって食事って大事なんだな、と改めて実感する。
「ねぇ、ナアマ。この世界に人間はいないの? いないなら、この体は一体……」
「人間? もちろん、いますよ。この食材もおそらく人間の世界から盗んできたんでしょう。我々はこんなもの食べませんからね」
「……盗んだ? 盗んじゃダメでしょ!?」
「マリア様がもってこいとおっしゃったんでしょう」
「対価を支払って、持ってきてほしかったんだよ〜〜〜!」
「バカバカしい。我々は悪魔なんですよ。魂を取り上げなかっただけ、マシというものです」
心外だという顔で私を見るナアマを見て、そうだ、こいつらは悪魔だったんだった…と再確認した。盗んでしまった人には申し訳ないけれど、ひとまずこれを食べてから、どうやって償うかを考えよう。
湯気を立てるお粥を綺麗に洗った器によそうと、その匂いをお腹いいっぱいに吸い込む。
「美味しそぉぉぉ〜〜〜〜! いただきまぁぁす! おっと、その前に」
出来上がった塩に人差し指を突っ込んで、少し舐めると、思っていたよりも塩辛い。
ほんの少しだけ、お粥に振りかけて、木の匙ですくい上げる。すぐにでも口に入れたかったけれど、ふと我に返る。
「バアル。お母さん、ご飯食べたいんだけど、顔にかかると火傷しちゃうからね、暴れないでね」
左手でバアルを抱き直して、出来るだけお粥から離して、ふうふうと冷ましながら口元に運ぶ。
「お、お、美味しい〜〜!!」
お腹が減っているせいなのか、それともここの素材がいいのか、今まで食べたお粥の中で、一番美味しい。
米粒の数倍もの大きさの豆米(仮)は、甘みが強くて、ここの塩との相性が最高にいい。
もう何も言うことはなくて、ただただ、冷ましては、口の中にかき込むのを繰り返す。
知った味をかみしめた安心感からか、両目からとめどなく涙が流れていることに、私はしばらく気づけずにいた。