ブリトニの覚醒
マンバも私も、血の気が音を立てて引いていくのを見ていた。真っ白になって、お互いが散らばった石のかけらを拾い集める。
「ど……どうしよう……」
「わ……かんね」
何をしていいのか、わからない。不安で涙が溢れてくる。
この石が壊れてしまって、ここの人々は、どうなってしまうのか。
何が彼らを悪魔から守ってくれるんだろう。
「ママ! どうしたの!? 大丈夫!?」
「バカ! みんなのとこに戻りな!」
駆け出してくるブリトニを見て、マンバが怒鳴った。
「だって、すごい光が……!」
そういって騒ぐブリトニの真後ろに、黒い獅子とそれに乗った悪魔が立っていた。
「ナーマ、マルバス!」
私が二人の名を呼ぶと、弾かれたようにブリトニが私たちの元に駆け寄った。マンバがブリトニを抱きしめる。
「ーーマリア様。お迎えにあがりました」
あの場所にいなかったこの二人は記憶を失っていない。
いまの城はどうなっているのか、そして、ここにきた理由は、一体なんなのか。探るような目でじっと二人を見つめる。
マルバスが、人型に戻り、ゆっくりと口を開く。
「城は今、混乱しています。何が起こったのか、あの部屋にいた方々の記憶が、ここ数ヶ月分、消えてしまっているようなのです」
「あの城を治めるのは、マリア様だと、魔王様がおっしゃっていたのに……」
ナアマが眉を寄せて、困った顔で続ける。そう言われても、私が城に戻って、何ができるだろう。主要な悪魔は記憶を失って、魔王の発言も忘れているのに。
「今私が戻って、あの城を……悪魔たちを従えられるとは思えない」
「ーー何があったんですか」
マルバスの口調は、私を責めている。いや、何も知らされていない自分への苛立ちかもしれなかった。
「ーーーー戻れない」
「マリア様!」
二人の声が重なる。
「無理にでも城にお連れします。あなたには、説明義務があるでしょう」
マルバスが私に躙り寄るのを見て、マンバが、石のかけらを投げつけた。
「うわっ!」
石がマルバスに触れるか触れないかで、大きく後ろに吹っ飛ばされた。
「な……!?」
二人に怯えが走る。身構えて、こちらを睨んだ。
「……何をした、人間!」
真っ赤な目が燃えるように赤い。マルバスはあっという間に獅子の姿に戻り、飛びかかってくる。
「や、やめてぇぇぇ!!」
ブリトニの悲鳴に呼応するように、石が私たちの周囲を取り囲み、回転する。ブリトニの体は,薄く発光している。
「ブ、ブリトニ?」
ブリトニの右腕に、あの痣がじわじわと浮き上がる。目覚めたのだと、とっさに理解した。マンバのものよりずっと濃い。
「……ブリトニ……すごい……」
その姿に、息を飲む。神々しいような、美しい横顔に、私は見惚れた。この少女の体に、神のような力が宿っている。
ブリトニを見守るマンバの顔は、誇らしいような、それでいて不安げだった。
「……この村は、ブリトニが守るんだね」
思わず呟くと、マンバは無言で何度も頷いた。
「マリア様、参りましょう」
そのとき、エリゴールが私の分の荷物を抱え、現れる。
「マリア様とどこに行くっていうんだ! 非常事態だぞ!」
「私には、バアル様とマリア様をお守りする使命があるんだ」
「行かせないぞ!」
睨み合うエリゴールとマルバスを、ナアマは一歩引いて見ている。力の差が歴然なのだろう。こちらに向き直ったナアマは、すがるように声を絞った。
「マリア様、私も行く」
ナアマは、私をじっと見つめて言った。
「どこに行くつもりかわかんないけど、あの時マリア様は私を庇ってくれた」
「ーーあの時?」
「バアル様を世話しきれなくて、困ってた時。あれがアザゼル様にバレてたら、私はきっと灰にされてた。どうせ、あなたを連れて帰れなければ、私は灰にされるんだ」
必死に言い募るナアマを見て、胸が痛んだ。ぶっきらぼうだけど、そう悪いやつじゃない。ーー悪魔だけど。
「……わかった、来るといいわ」
「マリア様!」
エリゴールが叫ぶ。
「其の者は、アザゼルの配下ですよ!?」
「でも、ナアマはよくしてくれたんだよ」
「それはアザゼルの指示です」
ナアマは何度も首を振る。こんなナアマの表情は見たことがなかった。
「帰ったって、どうせ灰にされるの。だったら、連れてってよ。役に立つから!」
「なりません。お前など信用できるか」
必死なナアマを見ていると、ダメだとは言えそうにない。
「ナアマが行くなら、俺だって行くぞ」
「バカを言うな、お前など問題外だ」
「俺は絶対にマリア様を守る。この命に代えてもだ」
マルバスが嘘をついているようには思えない。嘘がつけるほど、賢いとも思えない。そもそも、この二人をここに置いていけば、ここで争うことになる。
この村にこれ以上、迷惑をかけるのは嫌だった。
「わかった。二人を連れて、ここを一刻も早く出よう、エリゴール」
「な、なんですって!?」
「聞いただろ! マリア様は俺たちを連れて行くんだ! 文句があるならお前が残れ!」
エリゴールとマルバスの言い争いを聞き流しながら、この広場をゆっくりと見渡す。壊れてしまった祠が目に付く。
その木片の中に、なめした皮の表紙がついた冊子のようなものが落ちていた。
近づいて、手に取る。
皮の表紙の中身は、紙の束を紐で束ねてある、簡易のノートという感じだった。
不思議に思って、その冊子を開く。
ーーそこには、懐かしい、けれど書いた覚えのない、自分の文字が並んでいた。