魔王の母
フラウロスは、苦しそうに呻きながら、続けた。
「……前魔王様は、彼女を子どもを産む道具のように扱われた」
「当然だ、人間だぞ」
唾と一緒に吐き捨てたアガリアレプトは、虫けらを見る目でフラウロスを見ている。さっきの敬意はもうどこにもない。
「……彼女は儚げで、心優しい女性だった。子どもを産み、育てることを喜びだと言っていた。転生前は体が弱くて、子どもが望めなかったと。子どもを産めた、それだけで幸せだから、生贄になっても構わないと」
「だったら、なぜ」
エリゴールが結界越しにフラウロスににじりよる。歯がゆい気持ちでいっぱいなのが伝わってくる。
「ルシファー様を愛する様子が、子どもを思う母の気持ちが、これほど美しいと、私は知らなかったのだ……彼女は言った……生贄になったら、ルシファー様をちゃんと育てるようにと。愛を知らない子にはしたくないのだと」
クククと、肩を震わせてフラウロスが笑う。
「おかしいだろう? 私は愛を知らないんだ。愛された記憶も、愛したことだってなかった。そんな悪魔に、最愛の我が子を預けて生贄になると言う彼女のことが、全く理解できなかった」
遠くを見るフラウロスが、何かを懐かしんでいることはわかった。そして、その表情は間違いなく、愛しい誰を思う顔だった。
彼は、愛を知っている。
「彼女がルシファー様と過ごせるように、周囲の目を欺いて、私は二人の時間を作った。毎日毎日、彼女は、ルシファー様と過ごした。ーーあの日までは」
生贄になる日、フラウロスは彼女を連れて城を出た。
必ず、ルシファーと一緒に追いかけるからと、嘘をついて、彼女を逃した。
「……どうやって……人間界に」
「魔王は、この世界とあの世界を行き来できる。それは幼少期から変わらない」
そう言われて、私はとっさにマンバに抱きつく。視線がバアルに集中するのを感じた。
「ーーマンバ、石を!」
バティムが叫び、何かを振りまいた。液体は拡散する。マンバは石を持ち上げた瞬間、バアルの力で、私たちは窓を突き破り空へと飛ぶ。
「バティム……お前の意思は受け取った」
エリゴールは、空から城を見下ろして、つぶやく。
「ーーーーバアル様を奪われるわけにはいかない。逃げなくては」
「ねぇ! ちょっと! 何が起きたんだよ!! バティムは!!!」
叫ぶマンバに、説明しようとして言葉に詰まる。それから、少しして、やっと話し始めた。
「あの液体の匂い……あれは記憶をなくす薬だ。かなりの量を撒いた。みんながどこまで覚えているかわからないが……しばらくの時間稼ぎはできる。村に帰って、どうするか考えるんだ」
「バティムは? バティムはどうなるの?」
厳しい表情で、エリゴールは続けた。
「ーー忘れただろう。少なくとも、我々が村で過ごした時間くらいは、な」
マンバの顔がぐちゃぐちゃに歪む。
「ウチのこと、忘れた?」
「恐らくは」
真っ赤な顔で震えるマンバを抱いて、私もこみ上げる感情を噛みしめる。
「バティムは、私たちを逃してくれたんだよ」
「……人間に恋をする気持ちが、あいつにはわかったのかもしれない……」
エリゴールが呆然としながら続けた。
「今までのあいつは、植物が全てだった。村で過ごした間に知った知識を、手放すなんて考えられない。ーーーー記憶を差し出すほうが、フラウロス様に想いを寄せた人を殺させるよりいいと、思ったかもしれないな」
景色はすごい勢いで流れていく。風の唸りを感じながら、バアルの魔力を改めて知る。
「バアル、ありがとう。あなたを守るつもりなのに、守られてばかり」
「いーお、ママ」
バアルの言葉に、こんな状況にも関わらず、私は歓喜した。




