旦那様の言い分・前 (side奏太)
別に何か特別なきっかけがあったわけじゃない。
ただ気付いた時にはどうしようもなく芝居の世界に惹かれていた。
きっと自分は演技をするために生まれてきたんだろう。
心の底からそう思う。
だから、正直恋愛とか結婚とかどうでもよかった。
演技以外に時間を割くだなど勿体ない。
生涯独身貴族?結構なことじゃないか。
それが俺のスタンスだったはずだ。
なのに、これは一体どうしたことか。
まさか仕事以外の、それも6歳も下の女の子に意識が向く日が来るとは思わなかった。
「…サヤの鈍感」
もうすっかりそんな言葉が口癖になってしまったことすら信じられない。
『ごめんなさい!下河原くんに頼まれて学祭のヘルプ行くことになりました。帰り遅くなるかもしれないので、冷蔵庫の中から適当につまんでください』
可愛い奥様からの可愛くないメール。
下河原“くん”。
前サヤが俺に黙って行った同窓会で、サヤに香りが移るまで接近した男。
…気に入らない。
俺のに手を出そうとするそいつも、それに気付きもしないサヤも。
ジリジリと黒い何かがせりあがる。
いま昼ドラの収録とかしたら、間違いなく大絶賛されるだろうくらいには感情が黒い。
「…おい、ソウ。その顔やめろ、怖いっつの」
「うるさいよ、真山」
「ふざけんな、これから試写会だろうが。いま笑顔振り撒かないでいつ振り撒くんだボケ」
「笑顔なんて1秒で作れるから今はほっといてくれない?」
ひとつ歳上のマネージャーが眉間の皺を深くしている。
真山はこんなチャラい格好して真面目だから心配なんだろう。
でも心配されなくても仕事はちゃんとやる。
俺の第一優先事項なんだ、そんなの当たり前だろう。
でも、仕事前くらい顔しかめたっていいじゃないか。
仕事と同列ぐらいに夢中なものがピンチなんだから。
…なんて、2年前の俺には考えられない台詞だけど。
俺の奥様は可愛い。
少し抜けてて臆病でちょっと世話焼きだけど、とにかく可愛い。
いつも一生懸命でそしていつも呆れた顔をしながらも結局は頑張ってしまう。
あんな自分勝手甚だしい結婚の申し込みをした俺に、「悪い話じゃないから別にいいですよ」なんて言いながら家事を手抜きせず頑張ってくれているのも知っている。
会う頻度はそんなに多くなかったけど、会う度に彼女の家事能力が上がっていれば俺だって気付いた。
自分でも俺が普通と違うことくらい分かっている。
芝居に興味を持ち始めた高校の頃からぐんぐんと友人が減ってきたことからも、勘付いてはいた。
俺は他人から見れば“一緒にいるとストレスがたまる相手”だ。
それでもサヤは呆れながらも離れていかない。
俺に対して冷めた目で見ることもなく、話に付き合ってくれる。
そこでようやく理解した。
ああ、俺は自分で思ったよりも誰かの理解を求めていたのだと。
全く持って勝手な話だけど。
「ったく、沙耶香ちゃんなら美月が見張ってるから大丈夫だとよ」
「片岡さんが?」
「おう」
「…ふーん」
「おい、なんでそこでまた機嫌悪くなんだよ」
片岡美月さん。
サヤの親友で幼なじみで真山の彼女。
そして、サヤが一番なついている存在。
…気に入らない。
サヤに俺以上の存在がいることも、いつもサヤと一緒にいることも。
本当に最近の俺はどうかしてる。
あんなに仕事人間で演技のことしか考えられなかったのに、ふと気を緩めればムクムクとサヤの顔が浮かぶ。同時にジリジリと胸が熱くなる。
俺は自分の好き勝手仕事をしているくせして、サヤをこうも束縛したがるのがどれほど性格の悪いことかくらい分かっているつもりだ。
しかしそれでも気になってしまうものは気になってしまう。もちろん、そんなの口に出す資格などないけど。
「お前ほんと沙耶香ちゃん好きだよな」
うん、だって可愛いもん。
「たまに行き過ぎなくらい独占欲強いし」
行き過ぎじゃない。
サヤが鈍すぎて危なっかしいから心配してるだけ。
「このままだと沙耶香ちゃんの大学卒業と同時に自宅軟禁とかしそうで怖いわ」
…そんなことしない。
本音で言うなら確かに働かずにずっと家にいて欲しいけど。
でも流石にそんなこと言わない。俺に思う存分仕事をさせてくれるぶん、彼女にだって好きに動く資格はあるはずだ。
「…目じゃなくて声で答えろよ、ソウ」
「伝わってるならいいじゃんか」
後に真山が片岡さんに「疲れる」と愚痴っていたことになるとは知らず、俺はスマホを眺めていた。
たぶん不安なんだと思う。
俺は好き勝手サヤにべったりくっつくけど、案外サヤは俺に甘えてこないから。
熱で倒れたときでさえ、甘えるより先に俺の仕事を心配するサヤだ。
慣れてないのも、照れているのも、お人よしな性格なのも分かる。
分かるけど、本当はもっと甘えてほしい。
俺を必要としてほしい。
しかし、まともな恋愛をした経験がない俺は作りものの世界や人が求める理想の世界の恋愛しか知らず、実際こういう時にどうすればいいのか分からない。
今まで仕事で“恋愛”をすること数十回。
外から見れば手慣れた俺に、初なサヤ。
でも本当は、俺の方だって十分振り回されているんです。
…絶対サヤは気付いてないけど。
「ただいま」
夕方上がりで家に帰ることができたのは久しぶりだった。
それなのに、家の中はどことなく暗く人の気配もない。
こんなに味気ないものだったっけ?
気楽でいいと思っていたはずの1人だけの空間に、今では違和感を覚える。
結婚してからは基本的にサヤは文句ひとつ言わずに家にいてくれた。
相変わらず不規則な生活を送る俺を叱ったり呆れたりしながら、それでも「お帰りなさい」と言葉をくれた。
家事をして、俺に世話を焼いて、ちょこまか動き回っていたサヤ。
初めてサヤに興味をもったのもそんな所だったっけ。
俺が仕事しか考えてなくても、何だかんだで俺のためにあれこれ一生懸命やってくれたのを覚えている。
そんなサヤとの思い出が浮かぶと尚更落ちつかない気分になって、玄関でウロウロまでしてしまう俺。
…情けない。そう思いながらも、結局玄関から動けない。
「す…、……な、…で暮らし…んのな」
「あ……、その…う…」
ふと声が聞こえて、やっとピタリと足が止まった。
サヤの声と、…知らない男の声。
まさか…下河原、か?
落ちつかない気持ちが強くなって、かえって冷静になる頭。
「あの…下河原くん。もう本当に大丈夫だから、送ってくれてありがとう」
「お、おう」
耳をすませばよく会話が聞こえる。
明らかに困った声のサヤに胸を占め始めていた黒い塊が少し溶けた。
それにしても会話が終わったのに何でサヤはドアを開けて入って来ないんだ?
もうかれこれ最後の会話から数分経っている。
それが少し疑問で不安で不満な俺。
そっとドアの覗き穴に目を寄せてみれば、すぐに理由は分かった。
下河原の手がしっかりサヤの腕に食い込んでいた。
「あ、あの…下河原くん?」
「あのさ、下山。こんなとこで言うのもアレなんだけど、ぐずぐずすんのも嫌だから言うな?」
「え?」
「俺、お前が」
…言わせてたまるか。
咄嗟に耳に入った言葉に反射的にそう思う。
限界がきた俺は、勢いよくドアを開けた。




