仕事と私・後編
奏太さんが海外で仕事をしている途中、私は頭を必死に巡らせ考え続ける。
どことなく気まずいまま離れたから不安がずっと付きまとっていた。
会ったらまず謝ろう。
ちゃんとしっかり料理作ろう。
必要だったら肩たたきだってする。
そんな小さな子供のような考えしか浮かばない自分が少し情けない。
「あー、もう!」
思わず投げやりにそう声を発して、一旦考えを放棄した。
何か癒しが欲しくて、無意識の内に手が伸びた先は奏太さんが出演しているドラマのDVD。
「う…」
どうあがいても私の生活は奏太さん一色らしく、思わず苦い笑みが浮かんでしまう。
ピピッ、とスマホが音を立てたのはそんな時だった。
画面に出ている名前に胸が高鳴る。
「も、もしもし!」
『あ、サヤ?おはよう』
「こんばんは」
『あ、そっか。そっちは夜か』
話すのはかれこれ3日ぶりだった。
離れる前のこともあって何となくぎこちない私と、何の変わりもない奏太さん。
…やっぱりちょっと悔しい。
でも、仕事で忙しい上に時差のある所にいる彼に自分からは中々電話できなかったから、声が聞けて嬉しい。変わりなくのんびりしたその口調が愛しかった。
「お仕事はどうですか?」
『うん、楽しい。環境も人も価値観も違うから、やりがいあるよ』
仕事の話となると、電話越しでも分かるくらいキラキラ輝く声。
耳に入る嬉しそうな奏太さんの声に、私の頬も思わず緩む。
きっと今の彼は演技のことで頭がいっぱいで。
私のことなんて頭の奥の隅っこにすらなくて。
台本にかじりついて、セットを見回して、何回もスタッフさん達と打ち合わせをして、そうやって没頭しているんだろう。
瞼を閉じれば容易に想像できるそんな光景。
「敵わないなあ」
『うん?』
「こっちの話です」
悔しいけど、私じゃやっぱりどう足掻いたって仕事には勝てない。
そう再認識する。けれど、私の顔に出てきたのは心からの笑みだった。
だって私は仕事に夢中で目を輝かせて真っ直ぐ進む奏太さんが好きだから。
生き生きと演技をしている奏太さんのあの幸せそうな目が好きだから。
だから、仕事バカだって良いやって思う。
たとえ私が二の次、三の次だって、奏太さんはこうして私に連絡をくれるじゃない。
そう思うと、グジグジ考えていたことが、どうでも良くなった。
「奏太さん」
『うん?』
「体大事にしてくださいね。ちゃんと食べて寝るんですよ」
『ふふ、うん』
「それと…大好き、です」
『…え』
「おやすみなさい」
少し素直になった心で勇気を出して言った言葉。
すさまじい照れがすぐに来て、思わずプチッと通話終了ボタンを押してしまう私。
遠い海の向こうで、私と同じくらい奏太さんの顔が赤くなっていたことなんて知らなかった。
「…で、体大事にって言った本人が倒れるって」
「ごめん、知恵熱」
「まったく、かっこつかないねあんたは」
慣れないことはするものじゃない。
あの電話を思い出すたび恥ずかしくなって、次会った時どうしようと悩んだら頭がキャパを越えた。
考えすぎて頭がプスプスしていたのと同時に今流行りの風邪ももらってしまったらしく、鼻がズルズルする。寝込んだ私を美月ちゃんは呆れたように見ていた。
でも何だかんだ言って世話を焼いてくれるあたり、やっぱり優しい。
「とりあえずしばらく安静。また明日様子見に来るから」
「うん、ありがと」
部屋がシンと静まり返った後は、ぐっすりと眠りについた。
思っていたより熱は高くて、体もだるい。
朝起きて、ぼんやりする頭を起こして体温計を見つめれば、38度5分。
さすがに学校に行く気はおきなくて、美月ちゃんにメールを打つ私。
帰りに様子を見に行くと書かれた返信を確認して、フラフラとベッドに倒れこむ。
そのまま目を閉じれば、意識が閉じるのはあっという間だった。
「ん…」
目が覚めると、部屋はほんの少しオレンジ色に染まっている。
時計に目を向ければ、16時40分。
どうやら思っていた以上に眠っていたらしい。
ぼんやりとそんなことを思っていると、遠くからカタンという音が聞こえた。
そういえば、美月ちゃんが帰りに寄ってくれるって言ってたっけ。
昨日心配していた彼女に合鍵を預けたことを思い出しながら、音の方へと足を進める。
ずっと寝ていたおかげで、お腹がすいてちょっとフラフラする。
けどさっきまであった鉛のようなだるさは消えていた。
そしてそっとドアノブに手をかける私。
「美月ちゃんわざわざごめん、ね……!?」
目に写った人物が美月ちゃんではなくて、私は固まった。
そこにいたのは旦那様だったのだ。
「サヤ、起きたの?大丈夫?」
「え、奏太さん!?」
「ん。熱はない、のか…?」
だってまだ仕事中のはず。
確かに今日日本に帰ってくるとは聞いていたけど、そのまま仕事に行くから帰りは明日だと言っていたはず。それまでに何とか治そうとしてたのに。
びっくりして固まったままの私のおでこに奏太さんの大きな手。
ハッと気付いて心臓が一気に高鳴る。
…あったかい。
「顔赤い。ちゃんと横にならなきゃ」
「え、そ、それより奏太さん仕事は」
「ほら、他のこと考える前にベッド」
「はい!?ちょ、だ、大丈夫ですからっ」
「暴れないの」
何かを聞くより前に私は抱き上げられていた。
お、お姫さまだっこ…。
いきなり顔も匂いも近くなって、何がなんだか。
それが何なのか理解する頃には、私の体は寝室に着いていた。
そっとベッドに寝かせられて頭をくしゃくしゃと撫でられる。
こんなに近付いたのは、奏太さんの気持ちを初めて知ったあの日以来。
だからまだまだ慣れなくて、ドキドキうるさい心臓。
「あの…」
「うん?」
「奏太さん、何でここに?」
「いちゃダメ?」
「ち、違っ!でもお仕事」
「こんな時くらい余計なこと考えなくていいの」
何だか奏太さんが優しい。
頭を撫でられ続けるのもすごく気持ちよくて。
何だか嬉しくて幸せだった。
「ねぇ、サヤ」
奏太さんの手が温かくて気持ち良くて、うとうとと下がってくる瞼。
のんびりと呼ばれて必死に意識を浮上させる。
そんな私に、奏太さんのくすっと笑う声が聞こえた。
「仕事だけど。切り上げてきたよ。休みもらったから大丈夫」
「え!?」
そして耳に入った言葉がとても信じられなくて、バチッと目を開いた。
あの奏太さんが仕事を休む…!?
目が一気に覚めて、ガバッと起き上がる。
とたんに少し歪む奏太さんの眉。
「サヤ、動かない。寝なさい」
そう言っているけど耳を通りすぎるだけ。
「奏太さん、大丈夫ですか?頭打ちました?」
有り得ない言葉に思わずそう聞けば、奏太さんの眉はますますぐにゃぐにゃになった。
「…サヤの鈍感」
どこかで聞いたような言葉。
え、と聞くより前に奏太さんはこつんとおでこを私のおでこにぶつけてきた。
「は!?え」
「…うまく伝わらない」
「あ、の…」
「あのね、サヤ。俺やっぱり仕事バカで仕事第一だけどさ。でもサヤのこと大好きなんだよ?」
あまりの近距離に混乱する私。
奏太さんのその一言が聞こえて、思わず目を見つめる。
吸い込まれるような綺麗な目がこっちを見ていた。
「仕事とサヤだったらやっぱり仕事を優先させちゃうかもしれない」
「はい」
奏太さんらしい正直な意見。
別にショックも何もない。だから素直に相づちを打つ私。
「でも、サヤに何かあったら仕事よりサヤを優先させることだってたくさんあるんだからそろそろ自覚して」
「え」
「え、じゃない。俺の人生、仕事とサヤの2色しかないくらい染まってるんだから。どっちもないと困るって理解しなさい」
諭すようにそう言う奏太さんの目は真剣だった。
思わず私は目を見開かせる。
“仕事と私、どっちが大事?”
まさかその答えがくるなんて思わなくて。
いや、返ってくるまでもなく答えは仕事だろうって。
それでも全然良いとさえ思ってた。
けれど、私は思っているよりもしかして愛されてるのかな…?
初めて聞く奏太さんのそんな本音に、自惚れてしまう単純な自分。
「サーヤ」
「は、はい!」
「ちゃんと分かったら、少しは甘えて?」
…ああ、ダメだ。
好きすぎて、嬉しすぎて、甘すぎて。
クラクラとめまいがする。
「…手」
「うん?」
「もし良かったら、手を繋ぎたい…です」
頭はぐちゃぐちゃに混乱しているのに、するりと本心が出てきた。
奏太さんは満足そうに笑う。
あの日とおんなじ意地悪そうな笑顔。
「よくできました」
そう一言告げた後に、そっと私の手を持ち上げた。
私より大きくて温かい手。長くてかたい指。
絡めるように指と指が組まれた時には、緊張して顔を上げることすらできなくて。
グー……
そんな絶好のタイミングで、お腹が盛大に鳴った。
そう言えば今日何も食べてなかった…!
恥ずかしさで熱さを増す顔。
奏太さんがプッと吹き出した。
「サヤってばムード台無し」
「う…」
「そう言えば片岡さんから胃に優しい食べ物の差し入れもらったけど食べる?」
「美月ちゃんが?食べます!」
「…手強いな、片岡さん」
こんなに一緒にいるのは久しぶりで、すごく幸せだった。
「サヤ」
そう呼ばれるだけで幸せで。
一緒にいられれば、なおさら幸せ。
私と仕事では、仕事を取ることの方が多い仕事バカな旦那様。
でも、結局はこうして甘やかしてくれる。
だから、きっと。
いつも、何度だって、ぐずぐず悩んで空回っては結局は同じ答えにたどり着く。
そんな幸せな日々が続いていくんだと思う。
願わくば、仕事バカな旦那様に負けないくらいの、そんな旦那バカでありたい。
ついつい、そんなことを願ってしまうのです。




