旦那様の言い分・後(side奏太)
「サヤ、おかえり」
奴の「好き」をかき消すようにサヤに声をかける。
「な…!そ、そ…」
「え、はぁ!?か、風見ソウ!?…が、何でここに」
言葉にならない様子のサヤ。
目どころか口まで丸くしている下河原。
…へぇ、こいつが下河原。
思ってた以上に爽やかな好青年なのが腹立つ。
俺に睨み付けられてウッと眉を寄せはしても一歩も後退りしないところとか、無駄に男前だと分かって気に入らない。
「下河原くんだっけ?サヤから話は聞いてるよ、送り迎えありがとう」
表面だけ丁寧に。
サヤに見えない角度で威嚇するように。
演技で食べてる身として、表情だけで感情を伝えるのは俺には容易い。
俺の敵意を正確に受け取ったのだろう。
状況を正確に理解できていないなりにも眉に皺をよせて「いえ…」と返す下河原。
…本当気に入らない。
「そ、奏太さ」
「全く、本当に鈍感だねサヤは」
「はい?って、そうじゃなくて!下河原く…んっ」
横で混乱しているサヤ。
その口からもう下河原の名前も聞きたくなくて、唇でふさいでしまう。
人に見られてるのが恥ずかしいんだろう。
必死に抵抗するサヤ。
何だかそれも気に入らない。
…よく言い聞かせないと駄目っぽいな、これは。
心でぼそりと呟いて、俺は目の前の男に視線を向けた。
「悪いけど、こういうことだから。諦めて次いってね」
「そ、奏太さ」
「それじゃ、帰り道気を付けてね」
さっさと話を完結させる俺。
唖然とする下河原をよそに、サヤを引きずりこんで鍵をかけた。
「奏太さん、何を!し、下がわ…んんっ」
ドアを閉めてすぐ顔を真っ赤にして反抗するサヤ。
その名前を口に出そうとしたのが気に入らなくて、また口を塞ぐ。
玄関先でサヤは靴を履いたまま。
俺はサンダルを引っかけたまま。
それでもそんなこと気にせず俺はサヤを壁に押し付けて逃げ場をなくす。
いつもならすぐ解放してあげるけど、今は出来そうもなかった。
「んんっ!?」
いつもと様子がおかしいとさすがに気付いたのだろう。
塞がれた口の奥から抗議するかのような声が漏れる。
けどそれでも変わらない状況に諦めたのか腰がくだけたのか。
少しずつ抵抗はなくなり、気付けば俺の服を掴んでいた。
そこでようやく唇を離せばへなへなと力なく崩れるサヤ。
目を潤ませて、俺を見上げる。
「そ、奏太さん何するんですか!」
その顔があまりに色っぽく可愛すぎて、一瞬言葉を失った。
…もう本当に無理。
自覚なしにこれやっちゃうから心配が尽きないんだよ。
内心かなり狼狽えていた。理性だってもうギリギリ。
サヤを叱らないといけないのに、今すぐドロドロに甘やかしたくなる。
「…本っ当にサヤの鈍感」
「はい?何がですか!」
やっぱり何も分かっていないサヤに、頭が痛くなった。
少しして落ち着きを取り戻したのか、サヤが靴を脱ぐ。
俺もサンダルを脱いで、部屋に上がった。
そしてリビングに着くとスマホを取り出すサヤ。
うー…と呻きながら画面をタップする様子に、何を悩んでいるのか察してしまう。
ああ嫌だなと思う。
演技するために人の動きを観察しまくってきた弊害がこんなところで出てきてしまう。
サヤの行動ひとつで何をしようとしているのか分かってしまう。
…独占欲丸出しにする資格などないと分かっているのに。
それでも胸でくすぶってしまう感情の行き場が分からない。
理性的に接しようと自分の中では考えを巡らせているのに、体が言うことを聞かない。
サヤが他の男を思い浮かべているというだけで、どうしたって不安になってしまう。
「ごめんね、サヤ」
「え?」
「もう無理。お仕置き」
「は?お、お仕置き…って、そ、奏太さん!?」
…うん、今日たくさん叫ばせてごめんね。
いつもおっとりしてるのにね。
心の内で謝罪しつつ、お仕置きだなどと都合の良い言い訳を使いながら、サヤを抱き上げる。
そんな勝手な俺の名前をひたすらに呼ぶサヤが愛しい。
複雑な心情を抱えながら、向かう先は俺の寝室だった。
そのことに気付いたサヤは顔をさらに赤らめて反抗姿勢を強める。
嫌がってる訳じゃなくて、どうしていいか分からないだけ。
まだ経験がないからいきなりの展開にテンパってるだけ。
そう分かる。それでも知らんぷりしてベッドに寝かせる。
ジタバタする両手を俺のそれで押し付けると泣きそうな顔で見上げてきた。
さすがに分かったかな?
これがどういうことを示すのか。
緩く微笑む俺。
サヤを押し倒している今の構図、何だか征服感に満ちるなんて絶対言えないなと思って。
「そ、奏太さ…」
「いい、サヤ?男は狼なんだから、俺以外の男と2人きりはダメだよ?」
「え?」
「ただでさえサヤは無防備で鈍感なんだから、こういうことされてもおかしくないって言ってんの」
まさかそんなこと言われると思わなかった。
サヤの顔は明らかにそう言っていた。
…本当に骨が折れる。
「とにかくこれから俺以外の男と2人きりは禁止」
「え、でも下河原くんはそんなことする人じゃ」
「サーヤ?まだ足りない?俺は別に良いけど」
「ひ、ひゃあ…!?」
まだ反抗的なサヤの耳の裏を舐める俺。
あからさまな反応したサヤが可愛くて、もっといじめたくなる。
けど、今はそれよりも確約が欲しい。
そう思ってグッと抑える。
「サヤ、分かった?」
「わわ分かりました!分かりましたから、そのっ」
極限まで混乱しているサヤを見て、もういいかと思った。
…それに、これ以上は本当に俺もあぶない。
そんな余裕のない自分を必死に隠して、解放する。
その瞬間勢いよく起きあがり、そのまま固まるサヤ。
ちょっとやりすぎたかな。今さらそんな少しの罪悪感が胸に残る。
「あ、あの」
「うん?」
「その。もしかして、少しは、その…妬いてくれたりしてた…とかですか?」
でも、そんなサヤの一言に思い切り脱力した。
「…サヤの鈍感」
「え、ち、違う!?ご、ごめんなさい、私自惚れ」
「気付くの遅すぎ」
「ええ!?」
あぁ、きっとこれ、傍から見れば完全バカップルだな。
それも相当うざい感じの。
そんなことを思った。
まさか自分がこうなるとは思わなかった。
その一挙一動が気になり、独占したいと思って、さらに笑っていて欲しいなんて勝手で厄介な感情に振り回される日が来ると思っていなかった。
けど、信じられないのは、そんな日々も良いかと思えてしまう自分の心で。
サヤはよく俺に振り回されていると言う。
確かにその通り、彼女を振り回してるとも思うよ?
でも、俺だって実はいつもサヤに振り回されてる。
サヤと夫婦になってから、俺の世界はずっと激しく忙しなくそして鮮やかになった。
仕事バカな俺の可愛い可愛い奥様。
何でも一生懸命頑張る愛しい恋人。
そろそろ俺の男心の方も一生懸命理解してほしい。
そんな贅沢なことを願う近頃です。