四
※残酷な描写あり
邂逅した人界最強の風使い、彼が起こした偉大な奇跡のあと。
当初の予定が崩れたことで、我輩らに小休憩する時間が生まれた。いや、待機時間というべきか。
「ききたいこと? いいけど、ちょっとあとにしてくんない。俺ら、やらなきゃならねえことあるし」
「何をでしょう」
「ザッツ・証拠集め。これから訴訟とか法改正案とか起こして国の機能抜本改革『させる』予定なんだけどさ、あんたが色々燃しちまったから逆に大変になったのよ、わかる?」
「それは……失礼しました」
「ま、いいけどよ。今度から他人の都合も考えて行動してくんろ、ユウノウなエルフサマ」
「申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」
「騎者どの、『いけめん』への八つ当たりはその程度にしておくがいい。度重なると見苦しいぞ」
「見苦しい?! てめえ見苦しいって言った今!?」
「見苦しいと言った」
「真面目に返されると傷つくわぁ……!!」
「ふ、ははっ貴方がたは本当に、面白いですね」
騎者どのと我輩の軽口応酬を朗らかに笑った後、風使いどのは長い指を中空に立てて言った。
「証拠をお探しなら、心当たりがありますよ」
「え、どんな?」
「まだ燃やしていない場所があります」
「どこ」
「ここです」
ぴ、とその指が下を向く。そこには黒々と焼け残った床がある。風使いどの曰く「まだ問題が残る場所でもあります」とのこと。どうやらかの植物園は、空間がまだ存在するらしい。
「地下か!」
「ええ。主要な道具は出来る限り地上に運び出して燃やしたんですが、内部に設置されている機具の多くは燃えない素材でして。それと空間が土中に在るので風の力が及び難く、通気口も最少限。今しがた霊気を消耗した自分がそこに入ると、満足に動くことすら出来ません」
無敵かと思われた風使いどのだが、制約の多い人界で力を行使している以上、弱点は少なからず存在するらしい。この地は風以外の霊力恩恵がまったくといっていいほど無い特殊な地方である。四元素の力が及ばない場所だと、偏った属性持つ精霊族にとっては特に相性が悪い。我輩とて同じことだ。
気になるのは。
「貴殿の霊気消耗の程度は、深刻ではないのか。動きが鈍るほどの消耗なら、すぐに回復につとめるべきでは」
精霊族の内在霊気の有無は、肉体の生命維持に直結する。減少期間が長く続くと、寿命の縮小にも繋がりかねないのだ。器の礎が雑多な妖精は霊気減少に比較的耐性があるものの、身体能力の大幅な後退は否めない。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。大丈夫です」
そのことを指摘すると、妖精はにこやかに対応してみせた。
「幸いなことにこの場は風が強いので。命の危機ほどではありませんし、すぐに回復出来るかと」
「左様か」
「ええ」
彼の言は虚勢ではないらしい。先ほどから多くの風精が周囲を飛びまわっているのだが、その多くが細緻な金髪や古びた衣の隙間を潜り抜けつつ親密にかの身体に纏わりついている。
《おうさまのようせい、だいじょうぶ?》《おうさまのようせい、かいふくしよう》
労わりに満ちた思念も聴こえる。この妖精は思った以上に風と相性が良く、より四元素に近い小精霊に好かれていることは大いに知れた。しかも本人は何も思念を発していないというにこの好まれぶり、尋常ではない。恐らく生まれ持った肉体の器が妖精にしては純度が高く、霊力行使により特化しているのだろう。
(これを妖精の呼称ではなんと言ったか。……そう、『賢人』だ)
亡き長老どの曰く「エルフは霊獣と異なり脳内で内在霊気の推移を詳細に確認しつつ意識的にしか霊力行使が出来ぬゆえ、高度な霊力ほど一定以上の思考要領が必要」らしい。武の道に秀でているものは武人、文の道に秀でているものは文人というが、文人の更なる極み、つまり霊力行使に秀でているものは「賢人」と称される。近しい例でいうなら東方に棲む家宝の調整者どの、彼女のような妖精がそういった稀少な能力者にあたる。
しかし眼前に佇むこの風使いは、失礼ながら彼女とは段違いの実力者だ。詳しい年数は不明だが、我輩以上に霊力行使暦があるのは間違いない。
(年季と生来の容量双方が凄まじい、稀代の賢者か。敵方でないのは幸いだが、つくづくおそろしいな)
世が世なら偉人たる一角が眼前に在ることに、改めて畏怖を覚えざるを得ない。そしておのずと、警戒とは別種の疑念も湧く。
(かのような者が理由があるとはいえ、今この場所に居ること。それは果たして偶然なのか)
我輩の感慨をよそに、親密な風をなんてことのない風情でいなす偉大な「賢人」は平静な風情で続ける。
「――ただ、地下の部屋は狭く障害物が多数で、内部探索は風の力を使って通気口を広げ、一旦空気を浚ったほうが危険性が薄いと考えられます。中に入るのは少々待っていただけますか」
「うーん」
膝をつき床を調べた騎者どのは、象牙色の顎に指を当てた。ぶつぶつと、独り言めいた視測。
「無人の密室……人間の身で考えられる危険性っつうと、薬品中毒かアスベスト並び呼吸障害ってとこか。入り口も崩れちまってるみてえだし内部の状態わからんし、火気が残ってる場合粉塵爆発もあり得そうだな。確かに俺達だけで調べるとなると、ちっとばかし準備が足らない気がするけど……」
その横を、風の一体がすり抜けていく。《はいっちゃだめだよ》《にんげんはしんじゃうよ》――そんな警告を発しながら。
しかし人間の若者は現実的な知識はあれど、風の精霊の動きなど勿論「視えて」いないし「聴こえて」もいない。持ち上がった緑の視線は胡散臭い妖精の男を見つめ、訝しげに眇められる。
「あんた、ホントにダイジョブなの? 俺、そういう不思議とかよくわからんし正直任せていいのかもわからん」
「騎者どの、風使いどのに任せよう。我輩はその方がいいと講じる」
霊視が出来ないゆえに疑念深げな騎者どのは、我輩の言に首を傾げる。
「そなの?」
「お願いします、任せてください」
風使いどのが続ける。真摯な青紫の視線と訝しげな緑の視線がかち合い、ふと互いの表面が何かに揺れた。まるで遠い擬似感に心を震わすように。
「――」
動揺してしまった己を恥じるかのように騎者どのは俯き、膝を払って立ち上がる。そして怪訝な表情を消し、我輩と視線と合わせつつ頷いてみせた。
「――まあ、いっか。突っぱねる理由は特に無いしリョクの力も温存しときたいし、わかった、待つよ」
どのくらいで回復できるのか、という問いに対し、妖精は微笑んで答えた。
「十分ほどいただければ」
座り込んで目を軽く閉じる風使いどのを背にし、我輩らは次なる手を打つ。騎者どのは懐から小さな合成樹脂の塊を取り出し、被膜を剥がした。幾筋かの突起を指で押して焼け跡近くの木に取り付ける。かの組織の一員が作った器物であり、二本足の科学文明たる「きかい」の一つである。発信機というのだそうだ。霊力持たない人間らはこういったもので足りない部分を補おうとする。
小さな赤灯と小さな音を発し始めるそれを見つめ、騎者どのは頷いて我輩に向き直り親指を立てた。ひとまず、これで騎者どのの始末は完了である。
「さて」
我輩らは前準備を済ませ、背後に向き直る。まだ時間は少々残っている。今度は「彼」の準備を待つのみだ。
焼け残った地下室の上、座って風に吹かれている金髪は陽光の下で燦然ときらめいていた。細緻なそれは肩をわずかに越すほどで、豊かにたなびいている。
「なあ、リョク」
騎者どのがぽつりと零した。
「あいつ、……やっぱり、似てるな」
誰に、とは聞き返さず。我輩も簡潔に同意を返す。
「うむ」
風のように爽涼な声、凛と涼しげな面差し。
青紫色の双眸は明るいなかで見ると一層印象的で、至高の鉱石のように硬質な輝きを放っていた。
それを見るにやはり、と思う。
(やはりこの妖精は、騎者どのの祖父御に酷似している)
年代が違うのは言うまでもない。しかし、四十年ほど前に抱いた感想とまったく同じものを我輩は抱かざるを得なかった。二本足が拘る容姿の美醜はさほど意義は無いと思うが、それでも迫力や威容の有無というものは獣の感覚でも感じ取れる。……かの長老どのは、若い頃は至極立派な風貌をしていたのだろうと思わせる名残がかしこにあった。薄らと想像していた貌、そのままの姿がここに在る。長老どのより幾分表情がにこやかで、その腰に武器を佩いていないだけだ。
(もしや、風使いどのは長老どのの――引いては騎者どのの親戚筋なのではないか)
根拠も未だ無いというに、我輩はそんなことを考えてしまう。それほどまでに、かの擬似感は不思議な色濃さを纏っていた。
鼻づらをくすぐりながら通り過ぎるいつもの風は、いつものように友好的なれどいつものように寄っては来ない。いずれも吸い寄せられるようにかの妖精へと向かっている。まるで佇んでいるだけで人界の風すべてを掌握しているかのような、恐ろしいほどの存在感を纏う後ろ姿。
深緑の鬣と黒の短髪が風に煽られる。強風の中、ひそひそと騎者どのが声を潜めた。
「……ぶっちゃけさ、リョクとあいつじゃどっちが強いの」
「あの妖精だ」
「え、マジ、即答? 僅差とかじゃなくて?」
「事実だ。少なくとも人界においては、ハヤテが居たとしても勝てる気がしない」
「マジかよ……」
小声で驚愕の声をあげ、唖然とした表情を見せる騎者どの。天の生き物が人界で行使出来る霊力規模においては限りがあるので、制約がより大きい場合は基が人界の器たるものに敵わないということを説明すると、緑眼に安堵めいた複雑な色が覗く。
「そっか。悔しいっちゃ悔しいけど、そういうことなら仕方ねえな。いや、あいつが味方っぽくて良かったよ。風使いや風属性の霊獣って精神的な相性もいいって聞くからな。まだイロイロ隠してるんだろうけど、粗方嘘は言ってないと思うし」
「うむ」
「少なくともリョクがいる限り、前触れ無く敵にまわるこたぁ無いだろ」
「同感だ」
強者に対する畏れは拭えないが、同じ属性の力操るものとして本能的な安心感があるのか深刻な恐怖は感じない。騎者どのも似た感想のようだった。
そして。
「それにさ、変だけど。……なんだか俺、懐かしいような気もするんだよな、あいつ見てると。そわそわってか、むずむずする」
「ほう?」
「見たところ純粋種っぽいしさぁ。武人じゃなさそうだけど顔はそっくりだし騎獣術に明るいみてえだし、もしかしたらじいさんの古い親戚かなんかで、メイカさんとかみたくすんげえ昔に逢ったことあって、互いに覚えてねえだけなのかもしんない。ま、勝手な予想なんだけど」
「……左様か」
母親譲りの双眸は、ほのかな期待を浮かべわずかに高揚している。肉親を亡くし長く孤独の道を歩いてきた者として、遠くとも親類が健在なのは朗報たる出来事だ。その気持ちは大いにわかる。
「腹立つくれえイケメンなのは置いといて。……親戚だとしたらフツウに嬉しいな。あとで調べてみんのもアリか」
「うむ」
それは不可解ながらやけに色濃い、何かの予感でもあった。
・
・
・
しばしのち。
「――よし」
立ち上がり、こちらを振り返った妖精は瞳を細めて微笑んだ。風の中でも通る声が鼓膜に涼やかに届く。
「回復完了です。もうよろしいですよ」
「ん」
その言に頷き、騎者どのはいそいそと焼け跡に近寄る。
「お待たせいたしました。では、地下の通気をおこないたいと思います」
「おう、頼んだ」
「宜しく頼む」
騎者どのの背後からかぽかぽと近寄りつつ、我輩はふと何かを感じた。それはごく一瞬の、耳鳴りのようなもの。
「?」
「リョク、どした」
脚を止めた我輩に対し、騎者どのが振り返り問いかけてくる。
「いや」
角を振ってまた歩を進める。周囲で霊力が動いた気配は無いし、恐らく気のせいだろう、と結論付けて。風使いどのも何も感じていないようだし。
黒焦げの床上にて、騎者どのは腰に佩いていた長剣を帯より一旦外した。鞘に光る繊細な細工を持ち上げ、修理したてのそれを眼前に翳す。きらきらと輝く鉱石間に塵灰が詰まっていないか簡単に確認し、「よし」といった風に腰に戻す。
「じゃ、頼むわ」
「……、はい」
ふと、風使いどのが何やら物言いたげにしているのが見えた。視線で促すと、こほん、と咳払いをして口を開く。
「――あの、その前に。ひとつよろしいでしょうか」
青紫の瞳と、緑の瞳の視線が出逢う。
「ん、なに」
「先ほどからどうしても気になっておりまして。これだけ、質問させていただきたいのです」
関係の無いことが気になって集中が途切れたら問題なので、と付け加えつつ、爽涼な風は問う。
「その霊具は、どこで手に入れたものですか?」
そう言って彼が指差した先は、今しがた騎者どのが確認していたそれ。
「……え? これ?」
「はい。一体どこで、どのようにして手に入れられたのでしょう」
祖父御より譲り受けた家宝。細緻なつくりの細工、それを専用の剣帯ごと持ち上げ、騎者どのの緑眼がぱちくりと瞬く。
「どこって、これは俺んちに代々伝わる家宝だし」
「家宝」
「おうよ」
自慢の得物に注目され、些か得意げに頷く騎者どの。対して風使いどのは、表情を険しくさせていく。心なしか、問い返した彼の声が震えた。
「では……あなたは、イヴァニシオン家の方、ですか」
騎者どのは勿論、頷いた。
「おう。よく知ってんな」
風使いどのの顔から完全に笑みが遠のいていた。彼は一旦無言となり、顎に長い指を当てて考え込む。そして風の声は呟くように、考えを洩らした。
「……王都の生き残りによる末裔? だとしたら父の血縁は、まだ絶えていなかったのか……」
「?」
「――人間の騎者さん。いや、『イヴァニシオン』たる方」
顔を上げた妖精は深刻な表情を刹那で消し、にっこりとまた微笑む。
「予想外だったというか、逆に納得しました。どこか懐かしい気配と風とをお持ちだと思っていたのですが、そうか、貴方はエルフの末裔だったのか」
「へ?」
「いや、自分にとっては突然の朗報ですね。かの家族名を受け継いでいるのなら、騎獣術に優れているのも納得です」
うんうんと頷き、青紫の双眸が騎者どのに向き直る。続く声は穏やかながらわずかに高揚していた。まるで、先ほどの騎者どのの如く。
「どうやら貴方と自分は、遠い親戚らしい」
「え」
予想の先を越すよう放たれた言葉に、騎者どのの目が丸くなる。どういうことかと問いかける彼に対し、風使いどのはその瞳に過去を懐かしむような光を宿した。
「実は先ほど自分が名乗ったものは、潜入捜査のための偽名でして。人間相手には久しぶりに名乗りますが、本当の家族名はツヴィトークでなく、イヴァニシオン。
――本名は『ティリオ=シル=イヴァニシオン』と申します」
「……!」
突如の判明に、今度は声無く瞠目する騎者どの。口も同様にぽかんと開き、剣帯を握っていた手もゆっくりと下ろされた。ずしり、と腰の下部に落ち着く鞘。祖父御より譲り受けた大切な家宝。それを見下ろす青紫色の視線は、やはり懐かしげであった。
「実に懐かしい。その長剣は、自分も遠い昔に見たことがあります。幼い頃、かなり身近に感じてすらいました」
―――そう、どこかで見たことのある、誰かに似すぎているその瞳。
「それは自分の父親が――『オレアード=アーク=エクティス=イヴァニシオン』という純粋種のエルフが生前、大切に手入れをしていた愛刀です」
驚愕に見開いた緑の瞳は、次いで何かに打ち震えた。持ち主が動揺していようと変わらないのは腰に佩いた長剣だ。いつものように刻々と陽光に光る柄頭は前方に倒され、まるで指差すかのように向かい合った男に向く。
―――この人物は、お前にとって重要な、重要すぎる人物なのだと。
「人間界隈では亡国の英雄としてそこそこ有名なので、ご存知でしょう。自分は父の末子なので、貴方は恐らく異母兄姉のご子孫かと思われます」
場に吹く風は、若者らの衣を同様にはためかす。異なる色彩、相反する感情を載せた表情、まったく似通ったところの無い彼らを。
我輩は、ふと思い出していた。かの長老どのが語っていた昔話、その一片。
『子も生まれた。エルフの男子だ。私に、気味悪いほど似ていた』
「四十年ほど前、風の便りで父が逝去したことを知りましたが、心配だったのは父が保持していた強力な武器霊具の行き先でした。あれから自分なりに調査しましたが、どうしても所在が辿れず、苦心していたところです」
『……生まれた子は、私の妻に恋をした』
青紫の双眸は凛と形よく、尖った耳朶に細緻な金髪が絡みつく。風に吹かれて。
「しかし、そういうことだったのですね。他の武器霊具同様、形骸化し歴史の隅に埋もれていったものと諦めていたのに。それが今になってこんな場所で、しかもまったく内在霊気を衰えさせず見えることになろうとは思いも寄りませんでした」
紡がれる風の声はほんのりと高揚しておれど、表情は至って冷静なものだ。もう自身の中で疑問に対する答えが出ているのか、滔々と紡がれる言葉。
「大方、父は人間界隈に脈を作り、信頼のおける者に家宝を託せる道筋を作り得たのだと思われます。しかしよくぞ自身の末裔に、しかも『騎獣の友』の名を直に受け継ぐ者に渡り、今日まで保存維持されてきたものだ。その事実に感嘆しているところです」
しかし、その内容は何かが決定的に違う。
「外部に情報が洩れないようしっかり管理してくださっていた貴方と貴方の一族には、改めて感謝したい」
違う。彼は永き時を生きてきた聡明な妖精のようだが、決定的な何かに気付いていない。考えに至らないと言うべきか、可能性を除外していると考えるべきなのか。
(いや)
彼はその事実をまったく「しらない」のだ。
「――ご存知かと思いますが、かの霊具大戦でエルフの都は焼け落ち純粋種はその時代にほぼ滅亡しましてね。自分は諸事情あって幼い頃より生家を出まして、それから以降、父には逢っておりません」
『私の子は、おのれの所業を自省しすぐ家を出て行った』
「同族界隈より遠い場所を点々としていたせいか、幸いなことに戦火は免れました。けれど親類ともすっかり縁遠くなりまして……戦後、イヴァニシオンの血縁は絶えたと決めつけていたのですが、嬉しい誤解で安心しました。すべて父の狙い通りだとしたら大したものですが、偶然だとしても実に興味深い」
家宝をじっくりと眺め、視線で辿り、それを佩く騎者どのを優しげな表情で見つめる風使いどの。
「何より、貴方がこうして騎者として大成し自分の前に現れてくださったこと、その事実が非常に嬉しいです」
『ゆえに、それからどうしているかは知らぬ。今生きているのかも不明だ』
記憶に残るあの声音が、滔々と紡がれるそれに重なる。
「偶然にしろなんにせよ、尊い巡りあわせに感謝ですね。それに血縁的には遠き異種とはいえ、親戚の方が健在でおられるのは得がたき僥倖。自分はそれなりに永く生きてはいますが、子供はおらず直系の子孫など勿論いないので……」
その視線に懐かしさと共に寂しげな覚悟も見え隠れするのは、一体なぜだろう。
「……突然の質問に答えていただいて、ありがとうございます。こちらの疑問は晴れました。さあ、地下の扉を開けましょう」
そのあまりに寂しげな風情に、我輩は思った。
事実を「しらない」だけでなく。彼は、最初から何かを「諦めて」いるのかもしれない。
「……、あの、さ」
妖精が喋っている間、黙りこくっていた人間の若者がようやく口を開く。唇が乾いたのか、何度か舌で舐めて息を吸って。ごくりと喉をも鳴らす。余程の動揺が襲っているのか、握り締められた拳は色を失っている。
我輩すらその「可能性」に気付いてしまったのだ。当然ながら。
(騎者どのも――気付いている)
しかし、その「可能性」は騎者どの個人にとってあまりに衝撃が大きい。象牙色の頬は拳同様に蒼白で、深緑の瞳は視線が定まらず揺れていた。黒髪の青年が真っ青になって動揺している様は、常に飄々としている普段の彼を知る身からすると珍しく、そしてひどく胸の詰まる光景であった。
ただの親戚なら、いざしらず。これが事実であるなら、なんという巡り合わせだろうか。
「? どうかなさったのですか」
見る間に顔色の変わった若者を心配するよう、妖精の眉が顰められる。彼の方はまだ気付いていない。というより、やはり全く「しらない」のだ。
「喉は快癒しているようですが、まだ不調がどこかに? でしたら、」
「違、う。あんた、」
ぶんぶんっと黒髪が左右に振られる。しなやかな肩も発せられた声もこどものように震えている。騎者どのの身の内を引き裂かんばかりに荒れ狂っている感情が、傍から見てもよくわかった。
彼は闘っているのだろう。緊張と、形容し難い不安と、まさかの予感とそれが当たった場合の自分自身の衝撃の大きさと。
今考えたこれが事実であるのなら。
「あんた……」
「――はい。なんでしょう」
「あ、その、」
動揺と荒れ狂う感情に圧され、常なら得意なはずの口八丁が巧く機能しないらしい。
「あ、あ、」
「?」
幾度も同じ声を繰り返し、苦しげに呼吸をする騎者どのを、風使いどのは焦らせなかった。怪訝げに首を傾げたあと、何か重要なことを言いかけている様子に気付いたのかそれ以上聞き募らず沈黙する。彼の言葉を辛抱強く静かに待つ、青紫色の視線。
―――どこまでもかのひとに似ている、その凛とした眼差し。
その懐かしい雰囲気に励まされるよう、緑の瞳は思い切った風に前を向き息を吸い込む。
「ッあんた、もしかして、」
騎者どのがそれを口にしかけた、その時であった。
ひゅん、
不意に、風を切り裂くような音。
そして。
騎者どのの眼前で、赤い鮮血が残酷な花を咲かせた。
■
■
■
「……」
ラリクスは手にしてたスポイトを置く。試験管に蓋をし、冷却炉に戻してから立ち上がった。研究所の窓を開き、尖った耳朶に手を当てる。遠くで何かが聞こえたような気がしたのだ。
「なんだ……?」
取るに足らない風の音にしては、何かが違う。気のせいにしては、何かがおかしい。エルフの純粋種たる第六感というべきか、とにかく言葉には出来ない予感めいたものがラリクスの動作を止めさせたのだ。
大事な研究の手を休め、その場に留まって数分後。
ラリクスの赤毛含め、体毛が体表と共に鳥肌めいて逆立った。ざわざわと、形容し難いものが背筋からたちのぼる。不快でないが、不可解で空恐ろしい。
(なんだ。一体何が、)
何が近寄ってくるのだろう。
そして。
「お前は…………!!」
その予感は、あたった。
■
■
■
鮮血の花は、「彼」の肩口に咲いた。
「ッ!!」
緑の瞳が、見開かれる。色をうしなった唇が声無き悲鳴に開かれる数瞬、金髪が飛沫を浴びて赤く染まる。何かがもぎ取られるような鈍く重い音が響き、肩から切り離されたものが床に落ちた。
噴出した血潮と切り裂かれた衣、その間より白銀の刃が躍り出る。突如視界に現れたそれは残酷なきらめきと共に騎者どのの横を過ぎ行き、黒髪と象牙色の頬に濁った軌跡を作った。そう、今しがた切り裂いた風使いどのの血で。
どうっと倒れ伏した身体。
「あ……あ……」
返り血を浴びた騎者どのは、声にならない声を発し手を伸ばす。目の前で崩れ落ちた彼に。血まみれとなった金髪に。
しかし、その指が彼に届くことはなかった。
「っ」
我輩は深く考える暇無く騎者どのの襟首を咥え、一足飛びでその場を離れる。鈍い音と共に床は抉れ、金属板だったらしい表面が蹄の痕にへこんだ。
ひゅん
またも、風が切り裂かれる音。新たに現れた白銀の刃は間一髪で我輩の鬣を掠め、深緑のひとすじが風に舞う。ざざ、と地面に四足で着地してのち、土埃が周囲にたちのぼる。
騎者どのは襟首を咥えられた状態で我輩を見上げた。顔色は蒼白であった。
「りょ、く。あいつが、」
伸ばした指の先には床に崩れ落ちたままの金髪の男、そして切り裂かれ寸断された片方の腕。倒れた身体からはどくどくと新たな血が湧き出ており、ぴくりとも動かず。
――ついさっきまで柔らかに微笑んでいた青紫が、今は見えない。
赤に沈んだ金髪を見つめ、見開かれた緑眼が潤んでいく。ぜひゅ、という溺れかけた者の呼気。前に踏み出しかけた長身を留めるよう、我輩は衣を咥えた口に力を込めた。――騎者どの、落ち着け。
「う、ぅあ」
しかしこの状況で霊視も何も出来ない只の人間が落ち着くことなど出来ようか。喉の奥で締め付けられるような呻きを洩らし、騎者どのは我輩に引っ張られている襟を握り締める。
「あいつ、」
彼は色を失った唇で、叫ぶように訴えた。
「あ、あいつが、あいつ、しんじまう、りょ、りょ、く、なおして、なおしてくれよ、リョク……ッ」
「――」
その訴えには応えず、我輩は騎者どのの襟首を噛み締めたまま前方を見やる。ばち、ばちばちっという音と共に青白い燐光が眼前に舞った。激しく放電している角が前傾となり、威嚇するように「そちら」を向く。
「くく……外したか」
濁った声音。その場に現れたのは、新たな妖精の男であった。




