ある人間の満足
ルシーさんの思い出とその後
「お前は軍人になって、何がしたい?」
「はッ、自分は仕官しましたら粉骨砕身で護国がために邁進したいと存じます!アルカリー公国の一市民として、この国の大地で生まれたことを誇りに思い、故国がために身を捧げ、この身の血の一滴も髪の一筋もアルカリーの礎たることを、」
「そんな教科書どおりのウザ演説聴きたいんじゃねえよ」
「ウザ、……」
「てめえの言う『オクニノタメニ』に戦ってそれでてめえは満足か。仕官してどっかの部隊に配属されてドンパチやってそれで終わりか。それとも上から指図して捕まえた奴全員首チョンパで終わりか」
「如何な命令であろうと遂行する覚悟は出来ております! 軍位が昇級したのちは部下に国威を示すため、みずから先頭に立って場を切り開く旨であります!」
「お前馬鹿なの? 話聞いてた?? 国軍に加入する以上そんなん当たり前だろうが。俺が言ってんのは、それから先の話だ。お国を狙う敵をお国のために目一杯殺してから帰ってきて、英雄扱いでもされたいのか?」
「ッ軍人たるもの、いつどこで命を失うなど悠長に考えてはいられません! 自分は戦場に赴く以上、いつでも華々しく散る覚悟であります!!」
「阿呆が。そんな気持ちでいるんならここに来る意味ねえよ。とっとと別部署に帰んな、坊ちゃん」
「坊、……ッ失礼します!」
ばたん!と扉を閉めて出て行った生徒を見送り、ルシーは内心で溜息をついた。教壇に立つ黒髪の青年に、そっと声を投げかける。
「アル、今日も増えなかったな、生徒」
「しゃーねーだろ、受講する前に前提に当てはまらんのが大半なんだから」
ちなみにこじんまりとした教室に存在する生徒は、ルシーしかいない。
「確かにな。……戦術を学びにきたのに、どうしてああも無駄に血気盛んなのか」
「なに、昨今の流行ってやつだろ。右派の意味を履き違えてる愛国青年(笑)ってやつ」
ふっと鼻先で嗤う象牙色の横顔に、ルシーは苦笑した。まだ二十代にもならない若僧に挑発に惑わない冷静さを求めたとて、無理だろうに。ルシーのように、不可解不真面目な教師の態度に逆に興味を覚えてこの場に留まるなど、レアなケースなのだ。
「しかしアル、実際問題『公』より『個』を重んじるやり方は、戦場では通用しない。下級兵士なら特に。あのような言い方は、『軍規律に反する』として誤解を招くのでは?」
「だーかーら。ワザとだよ、ワザと」
ひらひらと手を振って、ルシーと同年代に見える若き戦術講師は息をつく。ちなみにルシーが教諭たる彼に敬語を使わないのは「俺は実年齢はアレだけど大体お前らと同じ年代だから。敬語苦手だし色々面倒だから素は呼び捨てでいーよ」と言われたからである。
「あーいう熱血思想は別に担当があるだろ。そっちに持ってけばいーんだよ。なのになんで軍で一番冷静でいなきゃならん担当が熱血してなきゃならねえの。皆が生き残るための作戦立てる奴が、華々しく散る覚悟でいてどうするよ。せめてもちっと考えてから物言えよ。……って言いたかったわけ」
「なるほど。策を講じる者は時に演技力も求められる。会話の柔軟さも試していたわけか」
「そーゆーこと」
今は理想が先んじているから、口先のみの挑発にあそこまで憤ってしまうのだろう。引いては、目指すべき具体的な目的が見えていない証拠でもある。
「謀ごとは、気性のまっすぐな人間には向かないというわけだな」
「その点ルシーは見るからに参謀向きだよ。初対面でめたくそにこき下ろされたってのに直後『弟子にしてくださいませんか』と言ってきた未成年の学生は、初めてだ」
「何しろ家訓が合理主義なんでね。誉め言葉として受け取っておくよ」
にやり、と含むような笑みを見せる童顔の青年。ルシーが笑み返すと、彼はふっと表情を和らげて教壇に向き直る。
アルセイド=リラ=イヴァニシオンという男は、つくづく不思議な人間だ。見た目はやや童顔ながら普通の男性であり、あの伝説の妖精の血を引いているなど想像が出来ない。しかしながらルシーは、こいつは若く見えて途方もつかないほどの経験をこなしてきている、とすぐにわかった。彼は一般的な大学教授並みに知識量が多く、複数の単位を飛び級で取得したルシーより多分野に精通しており、見識も深かったからだ。そういった見た目と中身のアンバランスさが面白く、話すうちに人柄にも好感を抱いたので、早速仲良くさせてもらうことにした。そしてその選択は、間違っていなかった。
「……士官学校に招聘された上で言っちゃいけねえことかもしれないけど、」
そう前置きした上で、悠久の時を生きる――この時はまだルシーは知らなかったが――賢者は、たった一人の生徒に言い聞かせた。
「いいか、ルシー。最初ッから死ぬつもりなら、戦場に行くな」
争いってのの根本的な理由を忘れんな。皆が皆、負けたいわけじゃない。死にたいから戦争するんじゃない。自分の我を通したいから、生きたいから争うんだ。生きて帰りたいから、自分を殺しにかかってくる敵を殺すんだ。
「俺たちの仕事は、そういうつまんねえ連鎖を断ち切ることだよ」
卑怯者と言われたっていい。戦わないなんて臆病だ、国を護る軍人ではないと謗られたって構わない。敢えて、その誹謗中傷を受けろ。それが近代の参謀だ。
「戦うんだったら負けはいらない。最低でも引き分けか、勝てる勝負しかするな。例え味方が一人残らず浮かれてようと、お前は浮かれるな。敵がいるんだったら、そいつを潰すんじゃなく取り込むことを考えろ。それが、お前の役割だ」
お前がこれから生きる時代は――作っていく時代は、そういう時代なんだ。
真っ直ぐ向けられた緑の視線を受け、ルシーは力強く頷いた。意地悪く不真面目に見えて、その実ひどく真面目で心の優しい彼に、敬意を表する意味でも。
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五十年後。
……市民はしばらく『聖なる風』の奇跡に酔いしれ、奇跡のはじまりとなったフロント家を良い意味で噂する。翌年の使用人採用倍率は跳ね上がり、かの家が投資しているかしこの交易も好調となった。そこから更に雇用は増えていき、汚職と貧富の差に喘いでいたアルカリーは徐々に変わっていくこととなる。
以下はその裏で交わされた、とある主従の会話である。
「――旦那様。読みが当たりましたね、お見事です」
「言っただろう? 我が家の評判も決して悪い方には転ばない、と。まったく、あの方の筋書き通りとなったわけだ」
「はい」
「あーアンナにたっぷり叱られた甲斐があった。ケイトは家犬をこき使ったことにおかんむりだったが、マイアが取り成してくれたし。僕の孫は可愛いだけじゃなくて賢いな。この分だと、我が家は末長く安泰だ」
「はい。……」
「どうした?」
「個人的には、どうも納得がいきません」
「おやおや、未だあの方を疑っているのか?」
「疑いなど。自分は狭量ですので、どうも外面どおりに受け取れないだけです。こんなことがほぼ無償でいいのか、相応の対価を払わないでいいのかという不安が、その……」
「まあ、リーの言う事も尤もだな。しかしあの方々の訪問がきっかけで、フェイとの会話も弾んだだろう。もうすぐ婚約するんだって? もちろん僕も祝わせてもらうよ」
「…………………………ありがたく、ぞんじます」
「ふふ。努力無しに与えられた結果に納得いかないなら、こう考えればいい。こちらの読みが当たったというより、やはりあの方を信じて正解だった、と。気休めだが、楽になるだろう?」
「……本当に、気休めですね。私は旦那様と違いあの方を古くから識らないので、早々楽にはなりません」
「はは、確かにな」
憮然としたままの若き執事に、老いた主人は朗らかに笑いかける。背筋をぴんと伸ばして立ち上がるその手に、杖はもう無い。代わりに握られているのは濃紅色のワイン瓶。そして、彼の血色の良い顔には、数ヶ月前旧友と相対していた時分には見当たらなかった覇気がある。
「でも、事実はこうだ。僕はこうして骨を前より丈夫にしてもらったばかりか、持病も完治した。そしてとどめは口約束で交わしたコレ、だよ。まったく、せっかく酒を医者に禁じられていることを隠して健康体の振りをしていたのに、すべてお見通しだったというわけか」
「……一等酒のドノヴァワイン、しかも製造がマイア様のお誕生年ですね。値打ちは勿論、実に粋な心遣いだと」
「ああ。返しきれない恩義と上物中の上物に引き換え、僕のしたことと言えば娘婿の足止め程度。まったく、今となってはなんとも安すぎる『対価』だ」
上質のラベルを見つめる小さな瞳に、複雑な光が宿った。
「旦那様、やはり、」
「対価が見合わない、と不安になる心地は充分過ぎるほどにわかるが、あの方は――あいつは昔からそういった細かいこだわりが好きでないから、仕方ないよ」
「……ですが、やはり気になります。何かあの方に返せるものは、無いのでしょうか」
「う~~ん。そういえばまだ、大仕事が残ってるって言っていたな」
「借りを返せる機会があるのでしょうか。もしそれでしたら、私が――」
「いや、こいつばっかりは、本人が頑張らなければならないことさ」
「?」
「プロポーズってのは古今東西、他人の誰も肩代わり出来ないものさ。そうだろう?」
茶目っ気めいた声音でそう言って、ルシーは遠く離れた友を思う。昔から優秀な頭脳にそぐわず自己誇示が苦手で、照れ屋で、人間に、特に異性に対して優しすぎるほど優しくて、他人に対しては器用なのに自分のこととなると不器用だった彼。
自分はこうして確かなものを手に入れた。諦めていた健康な肉体を取り戻し、やりたいことを成し遂げる時間と家族と共に過ごせる未来とを手に入れた。
今度は。
「今度は君自身の幸せが掴めるよう、心から祈っている」
がんばれよ、アル。
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『聖なる風の奇跡』から更に数十年後。ルシウムの孫娘たるマイア=リン=フロントは、祖父の代より延々と隠し通されてきた真実を、自身の晩年になってからやっと語った。
「今だから言えるけど、わたしの祖父は脚だけ悪くしてたんじゃなくて、本当は身体じたい悪かったの。悪性の病巣でね、もう末期だった。汚職が蔓延するアルカリーを変えたいと望んでいたのだけど、こんなボロボロの身体じゃ当時対立してた政府と長くやり合えないともわかってた。だから、『せめて生きてるうちにフロント家の足場を固め、自分は無理でも次代に志を託す土台を作ろう』と、早めに隠居していたのよ。でもあの晩、手遅れだったはずの病気があっという間に治ってしまったの」
晩年の祖父より贈られたという秘蔵物の果実酒をくゆらせながら、年老いた女当主は微笑む。
「だから、祖父は祖父なりに志を全う出来た。アルカリーは変わったし、フロント家もここまで発展出来たわけ。もしあの晩、あの不思議な客人の頼みを了承していなかったら、祖父は志半ばで逝去してた。今こうしてわたし達が平穏に暮らす未来も、きっと無かったでしょうね」
語り継がれる歴史は、すべてが真実とは限らない。しかしそれが史実と語り継がれるのは、伝承の中に確かな時代の背景が含まれているからである。
マイアの祖父は、軍人を退役したのち外交易で得た資金を元に国内で投資家として活躍、多くの学校や福祉施設を私費で援助・増設し、市民に貢献した。政府が難儀していた地方民族との講和や内紛調停にも奔走し、随所の架け橋を多く作った。それは彼の軍人としての過去の戦績――武勲でなく、参謀としての無血交渉術――に裏打ちされていた。元が由緒正しき名家である彼は実績も得たことで支持がますます高まり、情勢安定と国益両方を齎したとして政府からも高く評価された。死後においても、汚職が当然だったアルカリー国を抜本から改革発展させたとして、国の歴史を語る上で欠かせない人物となったのだ。
「祖父は生きている間、ずっと望んでた。……歴史に名を刻みたいって。望みどおりになって、きっとあの世で満足しているわ」
ルシウム=キエ=フロント。彼は、先祖のレクサス=ジン=フロントほどではないが、子孫として堂々胸を張れる程度には高名なアルカリーの偉人として、後世まで語り継がれている。
マイア=リン=フロント(マイア)・・・ルシーの孫娘。じいちゃん譲りの優秀さ持つキャリアウーマンで、父ちゃんの跡継いでフロント家次々代当主となる。そうなんです、フロント家は代々女系一家なんです。で、男の当主は大抵恐妻家、と(笑)




